学位論文要旨



No 214014
著者(漢字) 石田,慶樹
著者(英字)
著者(カナ) イシダ,ヨシキ
標題(和) マルチエージェント・システムにおける協調と通信に関する研究
標題(洋)
報告番号 214014
報告番号 乙14014
学位授与日 1998.10.08
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第14014号
研究科 工学系研究科
専攻 情報工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 齊藤,忠夫
 東京大学 教授 井上,博允
 東京大学 教授 田中,英彦
 東京大学 教授 武市,正人
 東京大学 教授 小山,健夫
 東京大学 助教授 相田,仁
内容要旨

 社会活動を支える基盤技術すなわち社会基盤は,近年ますます高度化および高機能化が進んでおり,様々な活動は人工システムなしでは働かなくなっている.この基盤となる技術が生活に不可欠になるにつれて,人工システムの研究・開発・設計・生産・運転・保守・改造さらには廃棄にいたるまで,一連のライフサイクルを円滑に回すことがますます重要になってくる.さらに,人工システムはその重要性から頑健性や安定性あるいは無停止性を有することが社会的に要請されている.これらの要因により,人工システムのスケール(scale)はますます肥大化しきている.

 ここで本研究で考えるスケールとは,機能のスケール,空間のスケール,および時間のスケールであるとする.このようなスケールについて,その大小や多寡に関わらず適応可能であることをスケーラブル(scalable)であるといい,またこの適応可能な能力のことをスケーラビリティ(scalability)と呼ぶ.このスケーラビリティを実現するために,システム全体を独立性を有した複数の構成要素に分割するシステムの分散化を行う以外にはない.ところが,分散化したシステムでは,分散に伴うコストが発生し場合によっては必要以上のパフォーマンスの低下を招く恐れもある.これを踏まえて,本研究ではシステムを自律的な構成要素に分散させた上で,構成要素を協調させることにより全体を統合する分散協調型システムの方法論を論ずる.ここで,協調に当たっては通信を用いるものとする.この分散協調によるシステム構成の方法論の適用対象として,本論文で以下の二系統を取り上げる.

 ・ 保全作業用ロボットシステム

 ・ インターネット

 この二系統の人工システムはそれぞれ対照的な性質を有しており,要求される機能においても,システムの形態においても,さらにはシステムの展開の経緯も大きく異なるが,スケーラビリティを要求する代表的なシステムであると言うことはできる.したがって,この二系統を対象として,分散協調によるシステム構成方法論の適用の可否についての議論を進め,分散協調によるシステム構成の方法論の検証を行う.特にいずれのシステムにおいても重要な協調とそれを実現するための通信に関して重点的に論を進める.

 まず,保全作業用ロボットシステムとして,マルチエージェント・ロボットシステムの設計を行った.このシステムを自律分散型ロボットシステムACTRESS(ACTor-based Robots and Equipments Synthetic System)と呼ぶ.ACTRESSの設計にあたっては,実際の保全作業の分析を行った.この分析の結果,,システムの構成要素は機能や性質の異なったものも含めること,構成要素そのものは自律的で知的であること,自律的な構成要素が協調的に問題解決を行い目標を遂行すること,協調するにあたっては通信を行う必要があることを導出した.このロボットシステムは適合性,冗長性,信頼性にすぐれている半面,最適性,完全性,同期性に欠けるという特徴を有している.次に,このシステムのProof of Concept Systemとしてパーソナル・コンピュータと移動ロボットからなるプロトタイプシステムを構築し,3種類の作業実験を行なうことでシステムの実現性を検証した.さらに,この作業実験から,Proof of Concept Systemの限界を明らかにした.

 ACTRESSにおいては,通信により協調を行うために,通信機能が非常に重要となる.このために,マルチエージェント・システムにおける通信に関して,協調を実現するための新たなプロトコルを設計した,このプロトコルを用いることで構成要素間のメッセージ交換が実現される.このプロトコルにおいては,通信の信頼性を保証する従来からの通信プロトコル上に,新たに通信の内容に関するプロトコルとしてメッセージ・プロトコルを設定し,さらにACTRESSの構成要素すべてにとって共通部分となるメッセージ・プロトコル・コアを設計した.メッセージ・プロトコル・コアは単純なメッセージの形式をとっており,その機能の中にAnnounce,Inquiry,Offer,Synchronize,およびNegotiationを含むものであるとした.さらに,Proof of Concept Systemを用いて,このメッセージ・プロトコル・コアによって通信を用いた交渉により移動ロボット間の衝突回避が可能であることを,実験により示した.

 自律的な構成要素間での協調的な動作の実現が可能であることを示すために,通信シミュレータを構築しプロトコルの評価を行うことで有効性を検証した.通信シミュレータはオブジェクト指向言語Smalltalk-80を用いて実装し,システム構成要素の並行的な挙動の記述を可能とした.この通信シミュレータは通信機能の設計や評価のみならず,システム全体の機能分散形態の設計にも利用可能である.移動ロボットの作業のための環境情報管理について,どのように機能を分散するかについて通信量の面から評価を行った.これによると,大局的な環境情報管理と各移動ロボットでの局所的な環境情報管理が望ましい形態であることを明らかになった.

 多様な構成要素がメッセージ交換を行いつつ協調的に動作するためには,メッセージ交換システムも多様性に適応したものでなければならない.ACTRESSでは移動ロボットのための無線LANと,種々の機器やコンピュータ接続されている有線のLANの双方でメッセージ交換が可能でなければならない.これを可能とするために,両者の中継を行うゲートウェイを実装し,統合型メッセージ交換システムを開発した.このシステムにおいてゲートウェイは双方のLANでメッセージの中継を行うだけでなく,システムの構成要素の一つとしても機能し,ブロードキャストの処理やプロキシ機能を有したものとなっている.これにより,移動ロボットと種々のコンピュータとのメッセージ交換が自由に行えるようになった.

 この統合型メッセージ交換システムにより種々の協調作業が可能になる.また,ある構成要素で不足の機能は別の構成要素の機能で通信による協調で補い,すべての機能をすべての構成要素に用意する必要はなくなる.逆に,必要な機能を適切に構成要素に分散させることが考えられる.具体的な例として,移動ロボットに搭載したビデオカメラから得られた画像への処理は個々の移動ロボットで行うのではなく,画像処理エージェントにより処理することが有効である.このような形態をで機能を分配することを機能分散と呼ぶ.また,足りない機能を他の構成要素が補うことを機能補完と呼ぶ.機能が不足するのは元々その機能がない場合だけではなく,何らかの作業を行うことで機能の一部が失われる場合もあり,この場合も動的に通信を用いた協調を行うことで機能補完を行う.ここでは,移動ロボットで荷物を運搬するとセンシング機能の一部が失われることを想定し,失われた機能を他の移動ロボットが補完するという協調作業実験を行い,この方法論の有効性を確認した.

 次に,インターネットを対象分野とする.広域に分散したコンピュータ・ネットワークにおける管理作業は,その規模に適応するために,複数のエージェントの協調により行う必要がある.このため,ネットワーク管理について,分散協調的なシステム化のための分析とモデル化を行なった.また,ネットワーク管理の一部である障害管理について,ネットワークを分散したエンティティから監視し,相互に情報を交換することで精度の高い障害情報を管理者に提供するシステムを設計し,そのプロトタイプシステムを構築した.このプロトタイプシステムによりネットワークの監視の実験を行った,分散協調によるネットワーク監視システムは監視精度が非常に高まることを明らかにした.

 さらに,インターネット上の分散協調によるアプリケーションとしてIPマルチキャストにより情報検索を行うシステムを提案し,アーカイブ・ファイルの所在地検索システムであるmarchを設計し実装した.IPマルチキャストでは特定のグループに属する情報を定期的に流しており,そのグループに属するメンバとなったコンピュータにあるプロトコルで問い合わせを行うと,その問い合わせが届いたコンピュータは検索を行い,結果を送り返す.この時,IPのTTL(Time To Live)を調整することで問い合わせを行うコンピュータの範囲を制御することができる.このIPマルチキャストを用いた検索システムは,問い合わせのためのコストもサーバの負荷もさらにトラフィックのいずれも低減する.ただし,現状のIPマルチキャストでは,実装上の問題も残っているため,このアプリケーションを活用するのに十分ではない.

 最後に結論として,自律性の高い分散した構成要素において,通信を用いた協調により,種々の目標の実現が可能であることを明らかにした.対象とした保全作業用ロボットシステムとインターネットの二系統の分野において,システムの設計とプロトタイプの構築により実験を行い,分散協調型システムが持つ特長を検証した.さらに本研究の今後の課題について考察し,展望として分散協調型システムの今後の応用性について論じた.

審査要旨

 本論文は「マルチエージェント・システムにおける協調と通信に関する研究」と題し、複数の自律分散システムが協調して全体として有効に作用するように構成したシステムについて論じたものであって、全10章より成る。

 第1章は序論であって、自律分散システムの一形態であるマルチエージェント・システムをモデル化すると共に、この分野の従来の研究をとりまとめている。個々が知的で高度な処理機能を有し、各エージェントの関係が疎であり、必ずしも均一でないシステムをマルチエージェント・システムとして特徴づけている。

 第2章は「マルチエージェント・システム」と題し、大規模システムのスケーラビリティの観点から分散協調システムの必要性を述べ、分散協調の適用対象として保全作業用ロボットとインタネットを取り上げる理由を述べている。人工システムは集中型システム、階層型システム、分散協調型システムに分類される。システムとして形成する要素数が多くなると通信のコストが大きくなり、パフォーマンスを向上するためには通信に関する配慮が重要になる。分散協調型にすることによって拡張性、柔軟性、多機能性に富んだシステムを形成することができる。エージェント間の協調には協力、衝突回避、調整の3つの分類があり、それぞれに応じた課題がある。これらの課題に応じて通信の枠組が決められる。

 第3章は「分散型ロボットシステム ACTRESS」と題し、著者がその通信プロトコルについて担当した大規模プラント保守用ロボットについて概説している。ACTRESSのプロトタイプは概念検証システムであり、移動ロボット、パーソナルコンピューターおよび無線通信システムで構成されている。プラント保守用ロボットのプロトタイプについて自律分散システムとしての検証が行なわれた。

 第4章は「協調を指向した通信のためのプロトコル設計」と題し、ACTRESSにおいて必要となる通信機能の設計について述べている。協調のためのプロトコルはOSI7層のモデルのアプリケーション層に位置づけられ、メッセージの型として、通知、問合わせ、提供、同期、交渉の5種を定義し、メッセージプロトコルコアを定めている。また、自律移動ロボットにおける衝突回避のためのプロトコル動作を例にして、プロトコルの有効性を示している。

 第5章は「通信シミュレータの構築」と題し、前章で設計した通信プロトコルを評価するためにオブジェクト指向で構築した時間駆動型シミュレータについて述べている。シミュレータはロボット、ネットワーク、環境のモデル(environment)をオブジェクトとして持ち、environmentが仮想的な空間を管理することによって実行される。このシミュレータの実行例として複数のロボットが集中的プランナの存在なしに荷片付け作業を行なうシミュレーションの例が示されている。

 第6章は「統合型メッセージ交換システムの開発」と題し、ACTRESSにおける通信機器の構成について述べている。ロボットは無線LANを装備し、移動しないでもよい装置は直接LANに接続される。複数のロボットが近くにある場合は直接無線交信ができるが、無線の到達距離を越えた場合にはゲートウェイサーバを通して中継接続が行なわれる。メッセージの中継はアプリケーション層に定義され、中継に伴って必要な制御、ネゴシエーションを行なう。

 第7章は「協調作業実験」と題し、分散・協調動作の有効性を確認するために行われたACTRESSによる実験について述べている。各種の機能の欠落に対して協調作業により解決が行われ、動作の有効性が示されている。

 第8章は「分散協調型ネットワーク管理」と題し、コンピュータネットワークに対して、分散協調型の管理の原理を適用する考えを示している。現実のインタネットにおける管理を分析し、分散協調システムとしてモデル化したネットワーク管理システムを構成し、プロトタイプを実現して評価している。ネットワークの監視実験により、分散型監視の優位性を検証している。

 第9章は「分散協調による情報検索」と題し、分散協調システムとしてのディレクトリサービスの設計と構築について述べている。情報検索システムを従来の集中型あるいは階層型ではなく分散協調型として形成した実験的システムmarchを構築している。

 第10章は本論文の結論であり、分散協調の考え方が多様な応用に適用できるとし、将来の展望を述べている。

 以上、本論文は分散協調システムの考え方をロボットと通信ネットワークの管理の両者に適用し、各サブシステムに協力、衝突回避、調整の機能を持たせることによって拡張性、柔軟性、多機能性に富むシステムを構築することができることを実験的に実証したものであって、情報工学上寄与する所少なくない。

 よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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