学位論文要旨



No 214023
著者(漢字) 都倉,康弘
著者(英字)
著者(カナ) トクラ,ヤスヒロ
標題(和) 半導体細線における弾道的な電子輪送
標題(洋) Ballistic electron transport in a semiconductor wire
報告番号 214023
報告番号 乙14023
学位授与日 1998.10.15
学位種別 論文博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 第14023号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 氷上,忍
 東京大学 教授 小宮山,進
 東京大学 教授 吉岡,大二郎
 東京大学 助教授 深津,晋
 東京大学 助教授 小形,正男
内容要旨

 近年半導体における量子電子輸送の研究は、微細加工技術の進歩と、電子密度をゲートにより制御できる事、変調ドーブの技術により加工可能な尺度で不純物による散乱を殆んど無視できるいわゆる「弾道」伝導が実現した事などにより大きく発展している。散乱を全く受けない「弾道」伝導現象自身は比較的簡単な問題である。一方、素子のサイズよりずっと平均自由行程の短い「拡散」伝導は、それ自身の持つ「普遍性」が詳しく研究されてきた。しかし、この二つの極限がどのように結ばれるかは今だ未開拓である。その理由として、拡散伝導領域ではフェルミ波長×平均自由行程が唯一の長さの尺度であったものが、弾道領域になると素子サイズ、散乱の尺度など様々な尺度が入ってくる困難があるからである。一方散乱の無い半導体細線は、その閉じ込めポテンシャルが弱い事に起因して、容易に二次元から一次元的な性質ヘコントロールできる。そのため、電子間相互作用に従って様々な状態が期待される。本論文は、半導体細線中の電子の弾道的な軸送特性と多体の基底状態に関するものである。特に相互作用としては、低湿における様々な弾性散乱および電子電子散乱に着目して議論した。

 まず半導体変調ドーブ二次元電子系の輸送特性および細線の作成方法を概説した。これにより、以下で述べる細線に本質的な低温における散乱機構:すなわち遠隔不純物による長距離クーロン散乱、残留不純物による短距離クーロン散乱、および閉じ込めポテンシャルでの界面ラフネス散乱、を明らかにした。次にサブバンド構造および量子干渉効果が無視できる比較的幅の広い細線での電子の弾道的な伝導を半古典的にボルツマン方程式で取り扱った。細線の両端には理想的な熱浴がついていると仮定する。バルクの散乱が無く界面では鏡面反射する場合には、細線のコンダクタンスは電子密度と細線幅のみにより決まる。まずバルク散乱のみが存在するを考えた。この場合コンダクタンスは細線幅によりスケールされる。短距離の散乱体のみが存在する場合は、コンダクタンスは単一のパラメタ、平均自由行程、でのみ決まる普遍的な長さ依存性をもつ。ところが散乱ポテンシャルが長距離になるにつれ、コンダクタンスはこの普遍的な関数から(特に弾道伝導領域で)外れる事を示した。次に界面ラフネス散乱のみが存在する場合を考えた。界面で拡散的な散乱パラメタを仮定すると、細線のアスペクト比a(長さを幅で割ったもの)の関数としてコンダクタンスの解析的な表式が得られた。特に、aの大きな所ではlog(a)/aという依存性を示す。これは良く知られた拡散的な界面を持つ細線の伝導率がバルクの平均自由行程と共に発散するという現象と相補的な結果である。

 細線やポイントコンタクトから弾道的に出射する電流は、出射口に垂直な方向に大きな分布をもつコリメーション分布を示すことが実験的に示されてきた。その原因は主に出射口近傍のポテンシャルが断熱的に変化する事や量子閉じ込め効果に起因すると言われてきた。しかし、上で導いた表式を用いるとこれらの原因以外に、細線の「中」の散乱によってコリメーション分布が実現する。これまで電流分布の測定は作りつけの構造を持つ電極に流れ込む電流により推測されていた。しかし、この構造自身が電流分布に影響を与える可能性は拭えない。そこで、電流に与える効果が無視できる様な分布測定方法として微小な超電導量子干渉素子を用いる方法を実現し、初めてマイクロメータオーダの電流分布を測定した。実験は、出射口のポテンシャル形状や量子閉じ込め効果が小さな幅の広い細線を用い、電流がコリメーション分布を示していることを確認した。熱浴内で様々な散乱により分布が広がる様子も観測され、シミュレーションの結果と良く比較できた。以上は、微小バイアスでの実験であったが、バイアスを増やす事によりコリメーション分布は、出射口近傍で強められ、距離と共に逆に抑圧される事も見い出した。出射口近傍の増進は電子間散乱による急激なエネルギー緩和と局所的な電圧降下、遠距離での抑圧は電子間散乱によるゆっくりとした運動量緩和によるものである。

 次に低温で幅が狭い細線で重要となるサブバンドの効果が、電子の輸送にどのように現れるかを議論した。まず干渉の効果を無視して多重サブバンドでの輸送方程式を導きその基本的な特徴を議論し、次にこれをクーロン散乱に適用した。サブバンドの底近傍にフェルミエネルギーがある場合を除き、サブバンド数が大きな極限で半古典近似に近付く。長距離クーロン散乱の場合は、幅が狭いほど散乱が抑制される事と、抵抗の長さ依存性に半古典近似で見られた非普遍性がある事を見い出した。界面ラフネス散乱に適用した結果、半古典近似では到達できない大きな散乱の効果を確認した。電子干渉効果による局在およびコンダクタンス揺らぎは、格子モデル上のリカーシブグリーン関数の方法で数値的に調べた。散乱ポテンシャルのレンジは格子のエネルギーの空間相関により取り入れた。アンサンブル平均したコンダクタンスは弾道的な伝導領域で上の結果を再現したが、局在領域では短距離クーロン散乱に比べ長距離クーロン散乱の方が局在効果が大きい事が分かった。さらに長距離クーロン散乱ではコンダクタンスの揺らぎが弾道領域で非常に大きくなる。

 多体の効果は一見弾道領域ではあまり顕著では無いと考えられるが、二次元から一次元に渡る系では散乱に有効な相空間が限られるため重要となる。磁場の元での幅を持つ量子細線の基底状態は、一次元から二次元へ移り変わる挙動を議論できるため興味深い。交換相互作用の効果を調べると、強磁場あるいは低電子密度ではスピン偏極状態が安定化する。ゼーマン効果は殆んど効かない。さらに大きな磁場の元では、二次元の分数量子ホール状態の状況に似た種々のスピンの自由度を持つ基底状態があることを、数値対角化の方法で見い出した。有効相互作用の強さと電子の占有領域のアスペクト比(平均電子間隔を有効細線幅で割ったもの)で描いた相図では、二次元での占有率1/3状態に相当する高スピン状態、2/5状態に相当する低スピン状態や、二次元では見られない占有率1/2状態に相当する高スピン状態および低スピン状態が見られた。

審査要旨

 本論文は半導体細線における電子輸送現象で特に弾道的に電子が伝導する場合を実験的並びに理論的に調べ論じたものである。AlGaAs/GaAsのヘテロ構造の半導体細線に注目して、不純物散乱、熱浴との境界条件、温度効果、量子効果、電子相互作用などの主要な電気伝導に寄与する項目を詳しく調べ、それぞれの寄与の大きさを明らかにした。

 弾道的電気伝導と2次元系で見られる拡散伝導との移り変わりの様子を調べるのに半導体細線の幅と長さを変化させてボルツマン方程式を解き、電気伝導度が長さの依存する理論式を導出し、この理論式が弾道的電気伝導の場合に実験と一致する事を見た。また、電子が資料に注入される際、散乱では大角散乱が抑制される事を明らかにし、その結果電子の注入後の電流角度分布は前方方向にせばめられる現象を見いだした。また細線の幅を大きくする事による拡散領域での電気伝導の様子へのクロスオーバーを研究した。更にこの事に関し精緻な実験的研究を行った。重要な成果として、超伝導スクイッドを用いたマイクロセンサーを作成し電流の角度分布の直接計測に初めてマイクロメーターの分解能で成功した。この電流角度分布の実験結果と理論計算とは見事に一致している。この実験と理論の研究は半導体細線の弾道的電気伝導の本質を明らかにしたと思われる。ドヨンによる拡散伝導領域での理論式を相補する弾道的領域での理論として本結果は理論的にもまた応用上でも重要である。

 資料の界面での不規則性による散乱寄与も理論には取り入れられ、議論されている。すなわち境界ラフネスによる散乱の効果を評価した。長距離レンジの散乱が重要であることが指摘された。

 この論文では更にランダウワーの電気伝導の理論公式を用いて量子補正が調べられ、特に長距離ポテンシヤル散乱が重要な場合は抵抗が細線長とともに増大する事が結論され、このことは電子局在として理解され得る事が示された。また、細線に強磁場がある場合に基底状態を計算し、分数量子ホール状態に対応する領域の研究を行って、二次元では見られない興味ある高スピン及び低スピン状態の出現を予測した。

 以上の様に本研究は弾道的電子伝導の重要な特徴を明確に説明する事に成功し、よって本論文は博士(学術)の学位請求論文として合格と認められる。

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