学位論文要旨



No 214034
著者(漢字) 小野,稔
著者(英字)
著者(カナ) オノ,ミノル
標題(和) 凍結保存がヒト血管内皮細胞の免疫能に及ぼす影響についての研究
標題(洋) Influence of cryopreservation on the immunogenicity of human vascular endothelial cells
報告番号 214034
報告番号 乙14034
学位授与日 1998.10.28
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第14034号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 波利井,清紀
 東京大学 教授 中原,一彦
 東京大学 教授 藤田,敏郎
 東京大学 教授 松島,綱治
 東京大学 助教授 重松,宏
内容要旨 はじめに

 1951年にヒト心臓弁が最初に臨床応用されて以来、血管や心臓弁がアログラフトとして使用される頻度が増してきている。これに凍結保存法が導入されることによって、長期のグラフト保存が可能となり、需要がますます高まってきている。凍結保存されたヒト血管や心臓弁(以下、凍結保存CVグラフト)は新鮮グラフトと比較して、炎症や拒絶反応が弱いと報告されている。これは凍結保存によって、抗原提示細胞として機能する血管内皮細胞(EC)が失われるためであるといわれている。しかし、ECの免疫能が凍結保存によって受ける影響についての報告はいまだにない。本実験の目的は、in vitroでアロリンパ球との混合培養を用いて、凍結保存がECの免疫能にどのような影響を及ぼすのかを検討することである。

対象と方法

 冠状動脈バイパス術を受けた成人患者の大伏在静脈からコラゲナーゼ処理によって採取したECを実験に使用した。対象患者は15人(男性13人、女性2人)で、年齢は39〜79歳(平均60.6歳)であった。採取したECは、3回の継代培養を経て用いた。鏡検での特徴的な敷石状配列、および第8因子関連抗原陽性であることによって、ECであることを確認した。

 ECの大部分は、プログラムフリーザーを用いて、4℃まで毎分4℃、-50℃まで毎分1℃、-80℃まで毎分5℃で凍結し、液体窒素内に保存した。7日後に解凍し、凍結保存血管内皮細胞(凍結EC)とした。その間、残りのECの培養を続け、7日後に採取して、新鮮血管内皮細胞(新鮮EC)とした。

 健常成人男性の血液から、遠心分離したリンパ球を用いて、上記2種類のECと混合培養(MLEC;凍結群および新鮮群)を行った(リンパ球1x106/mL、EC1x105/mL)。ECは混合培養前に50Gyの照射を行った。培養3日後に、MTTアッセイ法によって、リンパ球の増殖を測定した。なお増殖能は、stimulation index(SI:混合培養のリンパ球増殖度/リンパ球単独培養での増殖度)で表した。

 同時に、放射線照射を行わないECと、同種リンパ球との混合培養を作成した。コントロールとして、リンパ球単独、EC単独の培養を行った。培養3日後および7日後に培養上清を採取して、インターロイキン(IL)-2、IL-6、IL-8およびIL-10の濃度をELISA法を用いて測定した。

 なお、測定値は平均±標準偏差で表記し、検定はpaired t-testを用い、危険率5%以下をもって、有意差ありと判定した。

結果

 MTTアッセイでは、凍結群でSI=1.73±0.49(1.21〜2.82)で、新鮮群の1.47±0.30(1.05〜2.20)と比較して、有意に高い増殖能を示した(p<0.002)。

 培養上清中のIL-6濃度は、培養3日後で、凍結群8.0±4.9ng/mL、新鮮群4.2±3.7ng/mL(p<0.02)、培養7日後で、凍結群6.1±4.3ng/mL、新鮮群3.8±2.7ng/mL(p<0.05)で、ともに凍結群が有意に高値を示した。混合培養上清中のIL-6濃度はすべて、リンパ球単独培養と比較して、有意に高値であった(3日後1.4±1.5ng/mL、7日後1.7±1.6ng/mL)。

 IL-8濃度は、培養3日後で、凍結群85.8±44.6ng/mL、新鮮群66.6±38.3ng/mL(p<0.001)、培養7日後で、凍結群107.1±49.4ng/mL、新鮮群80.3±41.4ng/mL(p<0.03)で、いずれも凍結群で有意に高いIL-8産生が認められた。混合培養中のIL-8濃度はいずれも、リンパ球単独培養より有意に高値であった(3日後43.8±41.3ng/mL、7日後41.6±41.0ng/mL)。EC単独培養でもIL-8産生が認められた(3日後1.4±1.5ng/mL、7日後1.7±1.6ng/mL)。

 培養3日後のIL-2濃度は、凍結群0.37±0.15U/mL、新鮮群0.46±0.31U/mLであり、有意差を認めなかったが、リンパ球単独培養(0.11±0.10U/mL)と比較すると、両者はともに有意に高値であった。培養7日後には、IL-2産生は認められなかった。IL-10は、いずれの群でも培養上清中に検出されなかった。また培養液中には、4種類のサイトカインはいずれも検出されなかった。

考察

 凍結保存CVグラフトは、感染抵抗性が高く、抗凝固療法が不要で、弁圧較差がほとんどないために、さまざまな心臓血管疾患の治療に使用されている。凍結保存技術の発達によって、グラフトの長期保存や輸送が可能となり、使用頻度はますます高くなってきている。これに伴い、グラフトの耐久性も改善されつつあるが、いまだに劣化に伴う再手術は免れなく、特に小児ではその傾向が著しい。凍結保存CVグラフトの抗原性は、新鮮グラフトより弱いと言われているが、これは凍結保存の過程でECの一部または大部分が失われるからであると考えられている。その理由は、ECがHLAクラスIIを発現でき、抗原提示細胞として機能しているからである。しかし、移植後の炎症や免疫反応は免れず、これが劣化を招いていると考えられている。

 従来の報告では、凍結保存CVグラフトに起こる移植後の反応を、細胞浸潤の程度で評価しているが、凍結保存によってもたらされるグラフト内の個々の細胞の免疫能の変化についての報告はない。本研究の目的は、凍結保存によって、ECの免疫能にどのような変化が生ずるのかを調べることである。本実験では、MTTアッセイを用いて、アロリンパ球との混合培養におけるリンパ球増殖を測定した。また、培養上清中のIL-2、IL-6、IL-8およびIL-10をELISA法で測定して、サイトカイン産生についても検討した。

 MTTアッセイでは、凍結群の方で強いリンパ球増殖能が認められたが、これは凍結ECのほうが、新鮮ECに比較して、免疫能が強いためであると考えられる。凍結および新鮮ECの表面抗原の発現の相違を検討した研究で、インターフェロン(IFN)-で刺激すると凍結ECの方がHLA-DRおよびLFA-3の発現が有意に高かったと報告されている。IFN-刺激によるHLA-DRの発現の相違が両群の免疫反応の違いを生み出している可能性があるが、培養上清中のIL-2濃度は、両群間に有意差がなく、アロ抗原を介する免疫反応が両群のリンパ球増殖の相違を引き起こしている可能性は低いと思われる。

 IL-10の産生はいずれの群でも認められず、MLECではIL-10は産生されないことが判明した。これはまた、凍結保存CVグラフトの抗原性の低下にIL-10は関与していないことを示している。IL-6は凍結群で有意に高い産生がみられた。これは、凍結保存ECの方が新鮮ECと比較して、抗体産生を通じて、より強い液性免疫反応を惹起する可能性を示唆している。IL-8も凍結群で有意に高い産生が認められた。つまり、凍結ECの存在は、新鮮ECに比較すると、好中球やリンパ球をはじめとした炎症細胞浸潤をより活性化する可能性があることを意味している。

 Allograft rejectionにおいては、主要組織適合性抗原を介する免疫反応とともに、炎症性サイトカインやケモカインが関係した炎症反応も深く関わっている。凍結群でIL-6とIL-8の有意に高い産生がみられたということは、凍結ECがより強い炎症反応を惹起することを示している。凍結によって脆弱化した細胞膜から放出されたpeptideがマクロファージなどの貪食細胞に取り込まれて炎症反応が活性化されるため、凍結群でリンパ球増殖やサイトカインの産生が高まるのかもしれない。

 以上の結果から、MLECでは少なくとも培養初期においては、凍結ECが新鮮ECよりも強い炎症・免疫反応を惹起することがわかった。さらに凍結保存CVグラフトについては、移植早期にはIL-6とIL-8の高い産生を介して、高度な炎症・免疫反応が起こることが考えられ、これが血管内面に多くの’傷’として残り、グラフトの劣化をもたらすと考えられる。

 最近、passenger leukocyteとしてのDendritic cell(DC)のallograft rejectionへの関与が注目されている。DCは血管や弁などの組織がもつ抗原性にも大きな影響を有していると考えられる。一方で、DCは凍結保存による細胞障害を受けやすく、凍結保存による血管や弁の抗原性の低下は、これらの組織内DCが凍結のため破壊されることによる可能性がある。しかし、現在までに血管や弁の抗原性について、DCに焦点を当てて調べた報告はない。

 MLECにおけるリンパ球の反応は混合培養中のEC数と正の相関がある。凍結保存CVグラフトでは、移植時に新鮮グラフトの16〜80%にまでECが減少していることを考えると、移植後のECとレシピエントのリンパ球との反応の機会は、新鮮グラフトに比べて、凍結保存グラフトの方が少ないと考えられる。したがって、ECレベルでは凍結群の方が炎症や免疫反応が強いのにもかかわらず、組織全体のECの減少が、組織としてのグラフトの炎症や免疫反応の低下に関係している可能性もある。

結語

 凍結保存がヒト血管内皮細胞の免疫能にどのような影響を及ぼすのかを、凍結保存血管内皮細胞または新鮮血管内皮細胞と、アロリンパ球との混合培養を用いて検討した。

 1.凍結保存血管内皮細胞の方が新鮮細胞とよりも、リンパ球増殖刺激能が高かった。これは、IL-2産生が両群で有意差がないことから、アロ抗原性の相違によるためではなく、非特異的免疫な免疫反応や炎症反応によるものであると考えられた。

 2.IL-10産生は培養上清中には認められなかった。Th-2を介した抑制性の免疫反応は、MLECでは起こらないと考えられる。

 3.凍結保存血管内皮細胞を用いたMLECで、有意に高いIL-6およびIL-8の産生が認められた、凍結保存血管内皮細胞が新鮮細胞と比較して、より強い液性免疫反応と炎症反応を惹起する可能性があることが示された。

 4.凍結保存グラフトにみられる抗原性の変化について、今後Dendritic cellの関与に焦点をおいた実験を行うことが必要であると考えられた。

審査要旨

 凍結保存された同種大血管や心臓弁は、人工血管・弁に比べ、感染抵抗性が高いなどの点で優れており、また採取間もない新鮮な組織より抗原性が低いために、心臓血管外科の臨床で使用される頻度が最近高まっている。血管内皮細胞は、血管や弁の持つ抗原性に関与していると考えられるため、血管内皮細胞の免疫能が凍結保存によってどのように影響されるのかを知ることは、凍結保存された組織の抗原性の変化を知る上で重要となってくる。本研究は、ヒトの大伏在静脈から採取・培養した血管内皮細胞を用いて、血管内皮細胞の免疫能に及ぼす凍結保存の影響について解明を試みたものであり、下記の結果を得ている。

 1.血管内皮細胞をプログラムフリーザーを用いて凍結保存した細胞(cEC)と凍結しない新鮮な細胞(fEC)の2群に分けて作成した。同種末梢血単核球(Allo-PBMC)と50Gyの放射線照射を行った血管内皮細胞の混合培養(one-way)を作成して、PBMCの増殖刺激をMTTアッセイによって測定したところ、cECを使用した混合培養のほうで有意に高いAllo-PBMCの増殖が観察された。

 2.次にAllo-PBMCと放射線照射をしない血管内皮細胞との混合培養(two-way)を作成して、培養3日後と7日後の上清中のインターロイキン(IL)-2,IL-6,IL-8およびIL-10の濃度をELISA法によって測定した。IL-2は培養3日後に、cECを使用した混合培養(C群)、fECを使用した混合培養(F群)のいずれでも産生されたが、有意差はみられず、7日後には産生がみられなかった。IL-10は両群のいずれでも産生が認められなかった。IL-6およびIL-8は、培養3日後、7日後の両測定点において、F群に比較してC群で有意に高い産生が認められた。

 以上の結果から、血管内皮細胞の持つ免疫能は凍結保存を受けることによって高まると考えられた。従来の報告では、血球成分や血液中の抗原提示細胞が凍結保存によって受ける影響について研究されているが、血管内皮細胞が凍結保存によって受ける影響については、いまだ報告がない。本研究は、特に血管内皮細胞が凍結保存によって受ける影響を知る上で重要な情報を提供し、さらに今後の凍結保存組織の抗原性の研究を進めて行く中で重要な貢献をなすものと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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