学位論文要旨



No 214036
著者(漢字) 小田原,隆
著者(英字)
著者(カナ) オダワラ,タカシ
標題(和) マウス白血病ウイルスの感染性粒子形成に必要な構造蛋白発現量とRNA発現量の閾値
標題(洋)
報告番号 214036
報告番号 乙14036
学位授与日 1998.10.28
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第14036号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 吉田,光昭
 東京大学 教授 勝木,元也
 東京大学 助教授 塩田,達雄
 東京大学 助教授 増田,道明
 東京大学 助教授 菅野,純夫
内容要旨

 レトロウイルスが細胞に感染すると、ウイルス粒子中のRNAはDNAに逆転写され、宿主染色体DNAにプロウイルスとして組み込まれる。このプロウイルスから、ゲノムサイズのRNA及びスプライスされたRNAが産生される。Env蛋白はスプライスされたRNAから翻訳されるが、Gag前駆体蛋白及びGag-Pol融合蛋白は、同じゲノムサイズのRNAから翻訳される。ウイルスゲノムのRNAは、このようにして出来たGag、Gag-Polの2つの前駆体蛋白、続いてEnv蛋白と会合して、ウイルス粒子が形成される。Gag-Pol融合蛋白上に存在するウイルスプロテアーゼが、Gag前駆体蛋白及びGag-Pol融合蛋白をプロセスして、ウイルス粒子は感染性粒子に成熟する。以上は、全てのレトロウイルスに共通する複製過程であるが、本研究ではマウス白血病ウイルスを用いて、次の点を明らかにした。(1)gag遺伝子終始コドンを点変異し、Gag蛋白をGag-Pol融合蛋白という形でだけ発現するウイルスMLV-B(CAG)は複製不能となるが、Gag前駆体蛋白とEnv蛋白とを発現するウイルスGE6.4により相補されて、増殖可能となる。(2)その際、GE6.4の発現するGag前駆体蛋白がtransに存在することが、Gag-Pol融合蛋白上のプロテアーゼを十分に活性化してGag蛋白の正常なプロセシングを起こすために必要であるが、相補ウイルスの感染・増殖のためには、Env蛋白も、MLV-B(CAG)だけから発現したのでは不足である。(3)プロウイルス当たりのRNA発現量が一定となる系を用いて、細胞当たりのプロウイルス数を変え調べたところ、ウイルス産生と細胞の干渉とは、プロウイルス数が3から4を境にして大きく変動することが分かった。つまり、ウイルス粒子の効率よい産生と細胞の干渉が起きるためには、細胞当たりのウイルスRNA発現量に閾値が存在することが分かった。マウス白血病ウイルスがNIH3T3細胞上で複製増殖する際にも、細胞の干渉現象がプロウイルスコピー数増加の上限を決定し、細胞当たりのウイルス構造蛋白発現量を制御している可能性が考えられた。以下、それぞれについて三部に分け論述する。

第1部:gag遺伝子終止コドン変異ウイルスからの表現型復帰変異ウイルスの解析

 レトロウイルスは、Gag前駆体蛋白とGag-Pol融合蛋白とをゲノムサイズのRNAから、約10対1の割合で翻訳している。マウス白血病ウイルスにおいては、この調節は、gag遺伝子の終止コドンUAGが、10回に1回の割合でグルタミンと読まれることで実現される。この終止コドンUAGをCAG(グルタミンコドン)に点変異し、100%がGag-Pol融合蛋白として読まれるようにしたウイルスMLV-B(CAG)からは、感染性粒子産生が全くなくなる。このMLV-B(CAG)プロウイルスをトランスフェクトした細胞を長期培養すると、変異ウイルスが出来、増殖を開始するようになった。このようなウイルスを解析すると、pol遺伝子の大部分を欠失してgagとenvの2つの遺伝子を発現する欠損型ウイルスGE6.4が、MLV-B(CAG)を相補して、感染性粒子の産生を可能にしていることが明らかになった。MLV-B(CAG)が発現するGag-Pol融合蛋白だけではGag蛋白のプロセシングは殆ど起きないが、GE6.4が発現するGag前駆体蛋白がtransに存在することで、Gag-Pol融合蛋白上のプロテアーゼが十分に活性化されることが分かった。

第2部:Gag-Pol融合蛋白とEnvをコードするウイルスを、Gag前駆体蛋白だけをコードするウイルスで相補すると、Env蛋白の不足が明らかとなる

 第1部の実験で、GagとEnvをコードするGE6.4が、Gag-PolとEnvをコードするMLV-B(CAG)を相補することが分かったが、MLV-B(CAG)はEnvをすでにコードしているので、GE6.4がコードするEnv蛋白は、相補に不要な可能性がある。この点を明らかにするため、まず、Gag前駆体蛋白だけを発現するウイルスによるMLV-B(CAG)の相補を試みた。GE6.4のenv遺伝子部分に5塩基を挿入して、Env蛋白の読み取りを不能としたウイルスGEBstEは、Gag前駆体蛋白だけをGE6.4と同レベルで発現し、Gag蛋白のプロセシングで見る限り、MLV-B(CAG)をGE6.4と同じように相補した。が、相補ウイルスの定量曲線を調べてみると、このウイルスの感染・増殖は、GE6.4との相補ウイルスに大きく及ばないことが分かった。おそらく、GE6.4のEnv蛋白が相補ウイルスの感染に重要な役割を果たしていることが示唆された。しかし、このタイプの実験では、明確な結論を得られないので、GE6.4のenv遺伝子部分を、宿主域の異なるamphotropicやxenotropicのenv遺伝子と組み換えたウイルスGE-amやGE-xeを作成し、それらによるMLV-B(CAG)の相補を行った。その結果、GE6.4タイプのウイルス(GE-amやGE-xe)がコードするEnv蛋白が、相補ウイルスの宿主域を主として決定することが分かった。従って、MLV-B(CAG)の発現するEnv蛋白だけでは、感染性のウイルス産生には十分でないことが結論された。

 しかし、MLV-B(CAG)は、env遺伝子発現に関わる塩基配列に変異はなく、RNAの発現パターンに野生型との差異は認められなかった。従って、MLV-B(CAG)から発現するEnv蛋白が何故、感染性粒子形成に不十分であるのか、その原因を調べた。野生型の感染増殖している細胞では、野生型のプロウイルスコピー数は、MLV-B(CAG)を発現している細胞が1であるのに対し、平均8コピー程度に増えていた。細胞当たりのRNA発現量も、それに応じ、野生型感染細胞はMLV-B(CAG)発現細胞の8倍であった。同時に、細胞当たりのEnv蛋白の発現量を比較したところ、蛋白レベルでは8倍を上回る差異が認められた。MLV-B(CAG)のプロウイルスコピー数が少なく、そのため、MLV-B(CAG)から発現するEnv蛋白量が機能蛋白の生成に不十分であることが、MLV-B(CAG)の発現するEnv蛋白だけでは、感染性のウイルス産生に十分でない理由であると考えられた。

第3部:NIH3T3細胞で十分なウイルス産生と干渉が成立するには、細胞内のウイルスmRNA量が閾値を越える必要がある

 MLV-B(CAG)から発現するEnv蛋白が感染性粒子形成に不十分であるのは、細胞当たりのプロウイルスコピー数が少ないことが原因であると考えられたので、細胞内のプロウイルスコピー数を増やすことで、十分なウイルス産生が可能となるかどうかを検討した。野生型のウイルスは再感染を起こしてコピー数が増加してしまう。一方、点変異のMLV-B(CAG)では野生型への復帰変異が生じやすいので、この実験には、pol遺伝子内に306塩基の小欠失を持つ非感染性のwtを用いた。wtのRNAの発現量・パターンは、1コピー当たりで比較すれば、MLV-B(CAG)や野生型ウイルスの平均値と同じであった。wtをNIH3T3細胞に繰り返し導入し、最大8ケまでの種々のプロウイルスコピー数を有する細胞クローンを得た。これらの細胞クローン間で、RNA発現量・Env蛋白発現量・MSV感染に対する干渉の程度・XC細胞融合の誘導能・培養上清へのウイルス粒子の産生量について比較検討した。その結果、RNA発現量はプロウイルスコピー数に比例して増加するが、Env蛋白発現量やEnv蛋白の機能に基づく干渉ならびにXC細胞融合能、そしてウイルス粒子の産生量は、プロウイルスコピー数が3から4を境として大きく上昇することが分かった。この実験により、機能的なEnv蛋白の生成とウイルスの効率良い産生が起きるには、細胞内のRNA発現量に閾値が存在することが結論された。本実験は、プロウイルス当たりのRNA発現量が一定となる系を用いていたため、野生型の感染時にも同様のプロウイルス数とRNA発現との相関があるかどうかは不明であるが、野生型のウイルスがNIH3T3細胞に感染増殖する際には、細胞内のプロウイルスコピー数が平均8から10コピー迄増えていることから、プロウイルスコピー数の増加がRNA発現量を増加させる重要な因子の一つとなっていることが想定される。その上限は、細胞の干渉現象によって制限され、細胞が破壊されるような過剰量のウイルス蛋白発現には至らないようになっていると考えられる。干渉現象の生物学的意味は、今まで注目されて来なかったが、細胞傷害を起こさないウイルスにおいて、細胞当たりの適切なウイルス蛋白発現量を制御する機能を果たしている可能性が考えられた。

 以上、本研究はマウス白血病ウイルスのgag遺伝子終止コドンのreadthro ugh変異の解析で開始されたが、感染性粒子形成に必要な構造蛋白発現量の検討から、機能的なウイルス構造蛋白の十分な生成には、細胞内のウイルスRNA量が一定の閾値を越える必要のあることが分かった。ウイルスRNA量を閾値以下にコントロールすることで、ウイルス複製を抑え得る可能性が示唆された。

審査要旨

 本研究は、レトロウイルスの複製において、感染性ウイルス粒子が効率よく産生されるために必要な構造蛋白の発現量を、マウス白血病ウイルスの変異体を用いて解析したものであり、以下の結果を得ている。

 (1)マウス白血病ウイルスのgag遺伝子終始コドンUAGをCAG(グルタミンコドン)に点変異し、100%がGag-Pol融合蛋白として読まれるようにしたウイルスMLV-B(CAG)は、感染性粒子を全く産生出来なくなるが、その復帰変異ウイルスを解析した結果、pol遺伝子の大部分を欠失してgagとenvの2つの遺伝子だけを発現する欠損型ウイルスGE6.4が、MLV-B(CAG)を相補して、感染性粒子の産生を可能にすることが示された。MLV-B(CAG)が発現するGag-Pol融合蛋白だけではGag蛋白のプロセシングは殆ど起きないが、GE6.4が発現するGag前駆体蛋白がtransに存在することで、Gag-Pol融合蛋白上のプロテアーゼが十分に活性化されることが示された。

 (2)上記のMLV-B(CAG)とGE6.4の相補において、GE6.4側のEnv蛋白発現を止めると、相補ウイルスの感染効率に著名な低下が認められた。また、GE6.4のenv遺伝子を宿主域の異なるamphotropicやxenotropicのenv遺伝子と組み換えて相補を行うと、相補ウイルスの宿主域は、主としてGE6.4側のEnvが決定することが示された。従って、MLV-B(CAG)が発現するEnv蛋白量だけでは、感染性のウイルス粒子産生には十分でないことが示唆された。

 しかし、MLV-B(CAG)は、env遺伝子発現に関わる塩基配列に変異はなく、野生型ウイルスと比較して、RNA発現パターンにも差異を認められなかった。野生型の感染増殖している細胞では、野生型のプロウイルスコピー数が平均8コピー程度に増えていて、細胞当たりの平均RNA発現量も、コピー数に応じて、野生型感染細胞ではMLV-B(CAG)発現細胞の8倍であることが示された。

 (3)pol遺伝子rt領域に306塩基の小欠失を持つ非感染性のwtをNIH3T3細胞に繰り返し導入して、最大8ケまでの種々のプロウイルスコピー数を有する細胞クローン11ヶを得、RNA発現量を解析すると、それらの細胞クローン間で、細胞内ウイルスRNA発現量はプロウイルスコピー数に比例していた。しかし、Env蛋白発現量・MSV感染に対する干渉の程度・XC細胞融合の誘導能・培養上清へのウイルス粒子の産生量は、プロウイルスコピー数を3から4以上有する細胞クローンで著名に上昇することが示された。この実験により、機能的なEnv蛋白の生成と、ウイルス粒子の効率良い産生、ならびに細胞の干渉現象が起きるために、細胞内のウイルスRNA発現量が閾値を越える必要のあることが明らかとなった。

 以上、本研究はマウス白血病ウイルスのgag遺伝子終止コドンのreadthrough変異の解析から開始され、感染性粒子形成に必要な構造蛋白発現量の検討から、機能的なウイルス構造蛋白を十分量生成するには、細胞内のウイルスRNA量が一定の閾値を越える必要があることが示された。感染性粒子の形成に必要な細胞内のウイルスRNA発現量の閾値が存在することは、この研究によって初めて明らかとなり、ウイルス複製の制御に重要な貢献をすると考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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