学位論文要旨



No 214037
著者(漢字) 長橋,茂久
著者(英字)
著者(カナ) ナガハシ,シゲヒサ
標題(和) 真菌における遺伝子発現制御系の構築と細胞壁合成系およびtwo-componentシグナル伝達系遺伝子の解析
標題(洋)
報告番号 214037
報告番号 乙14037
学位授与日 1998.11.09
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第14037号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高木,正道
 東京大学 教授 松澤,洋
 東京大学 教授 依田,幸司
 東京大学 教授 北本,勝ひこ
 東京大学 助教授 太田,明徳
内容要旨

 真菌類には酵母Saccharomyces cerevisiaeのようにその有用性から人類に寄与する菌類ばかりでなく、Candida albicansのように人体に悪影響を及ぼす病原性真菌類も存在する。それらの感染は通常日和見感染であるが、AIDSや臓器移植後の患者のように免疫力が低下している場合、時に深在性全身性感染症を発症して死に至る。こうした医学的背景から、有効な抗真菌剤の開発が必要とされている。

 抗真菌剤の標的として、長年細胞壁合成系が着目されている。細胞壁は主としてマンナン、グルカン及びキチンとよばれる多糖から構成される、ヒトの細胞にはない真菌の生育に必須な構造体である。それら多糖の生合成はS.cerevisiaeを中心に研究されており、1,3-グルカン、キチン、マンノース転移酵素の一部については各遺伝子が単離され、酵素学的解析も進んでいる。しかしそれら酵素の機能領域や-1,6グルカン合成酵素及び細胞壁合成の制御機構については不明の点も多い。一方、two-componentシグナル伝達系は元来原核生物の外界刺激に対する細胞内応答に必須なシグナル伝達系であるが、酵母などの真核生物にも保存されており、S.cerevisiaeのSln1pはセンサーキナーゼとして、Ypd1p-Ssk1pを介した浸透圧制御に関与し、その遺伝子破壊は低浸透圧条件下で致死的である。さらに酵母ではこのシグナル伝達系の細胞壁合成制御への関与も示唆されていることから、新しい抗真菌剤の標的として注目されている。

 こうした抗真菌剤の標的遺伝子については、近年C.albicansでの遺伝子工学を用いた解析も行われているものの、近縁種であるS.cerevisiaeの変異株を用いた解析は、依然抗真菌剤開発において有用であり、かつ、その変異株は医真菌類からの標的遺伝子の単離にも用いられている。このように、S.cerevisiaeでは目的遺伝子の変異株を遺伝子破壊株として構築可能であることから、その変異株を用いた遺伝学的解析が実用的のみならず、学術的に有用な知見をもたらしてきた。しかし、目的遺伝子が必須遺伝子の場合、その後の機能解析は温度感受性変異株の利用や遺伝子発現制御系の導入といったある条件下での解析になることが多く、新たな遺伝子発現制御系の開発は酵母S.cerevisiaeの有用性をさらに広げる上でも意義あることと思われる。

 本研究ではまずS.cerevisiaeの細胞壁合成酵素の一つであるキチン合成酵素2の活性部位の同定を行った。次にS.cerevisiaeにおける新しい遺伝子発現制御系であるテトラサイクリン遺伝子発現制御系を構築して3つの必須遺伝子の発現制御を試みるとともに、その応用により、Candida glabrataから1,6-グルカン生合成系遺伝子であるCgKRE9/CgKNH1遺伝子を、C.albicansからCaSLN1遺伝子を単離し、それらの解析を行った。

1.S.cerevisiaeキチン合成酵素2の活性部位の同定

 S.cerevisiaeでは3つのタイプのキチン合成酵素が存在し、各々が異なる機能を担っている。アミノ酸配列の比較からすべてのタイプに保存される配列の存在が知られているが、それら保存配列の意味については不明であった。そこでキチン合成酵素2を用いて、その酵素活性における保存アミノ酸の重要性を検証した。

 保存アミノ酸をアラニンに置き換えてそのキチン合成活性を調べたところ、561EDR563601QRRRW605という2つの領域の変異が大きく酵素活性に影響することがわかった。さらに562番目のアスパラギン酸、601番目のグルタミン、604番目のアルギニン及び605番目のトリプトファン、さらに441番目のアスパラギン酸が必須アミノ酸であることが示された。これら保存アミノ酸はN-アセチルグルコサミル転移酵素活性をもつ他の酵素にも保存されており、それらが触媒残基として転移反応の活性中心を形成していると考えられた。

2.S.cerevisiaeのテトラサイクリン遺伝子発現制御系の構築

 テトラサイクリンリプレッサー(tetR)とS.cerevisiaeの転写因子であるGal4p及びHap4pの転写活性化領域から成る融合転写活性化因子の遺伝子を作製し、これらを構成的に発現する2株(FAGAL4,FAHAP4)を構築した。テトラサイクリンオペレーター配列(tetO)を減数分裂特異的に発現するHOP1遺伝子のプロモーター由来のDNA断片と結合させ、3種のtetO-HOP1キメラプロモーター(tetracycline-responsive promoters:97t,98t,99t)を作製し、ガラクトシダーゼ遺伝子をレポーターとしてその発現を調べたところ、テトラサイクリンの非存在下で構成的なガラクトシダーゼ活性が確認され、その活性はテトラサイクリンの添加濃度依存的に減少することが示された。次にtetracycline-responsive promoterをFAHAP4株の3種の必須遺伝子のプロモーター領域と置換し、それら遺伝子の変異株を作成した。それら変異株の生育はテトラサイクリンの添加によって阻害され、テトラサイクリンによる遺伝子発現制御が可能であることが示された。

3.C.glabrata KRE9/KNH1遺伝子の単離と解析

 C.glabrataにおける細胞壁合成について調べるため、KRE9/KNH1遺伝子ホモログの単離及び解析を行った。KRE9遺伝子はS.cerevisiaeにおいて1,6-グルカンの生合成に関わる遺伝子群の一つとして知られ、その変異株は1,6-グルカンに結合して酵母を死に至らしめるK1キラー毒素に対して耐性となる他、1,6-グルカン含量及び生育速度の低下、出芽形態異常といった表現型を示す。KNH1遺伝子はKRE9遺伝子に高い相同性を示し、多コピーでkre9変異株の表現型を部分相補することから、KRE9遺伝子の機能的ホモログであると考えられている。これら2つの遺伝子の二重破壊は致死的であり、これら遺伝子産物の機能は酵母の生育に必須である。

 S.cerevisiae KRE9遺伝子がtetracycline-reponsive promoterの支配下に置かれ、かつKNH1遺伝子座が破壊されたテトラサイクリン感受性株を構築し、その感受性を多コピーで相補するC.glabrataゲノムDNA断片としてCgKRE9,CgKNH1遺伝子をそれぞれ単離した。各々の遺伝子破壊は致死的ではないが、cgkre9破壊株はK1キラー毒素に対する感受性の低下と野性株の約50%に及ぶ1,6-グルカン含量の減少を示し、glucose培地での生育速度の著しい低下並びに出芽形態異常を示した。さらにC.glabrataのテトラサイクリン遺伝子発現制御系の応用により、CgKRE9,CgKNH1遺伝子の機能が細胞の生育に必須であることが示唆された。また、cgkre9破壊株ではその細胞内キチン含量がglucose培地特異的に異常に上昇しており、その異常な上昇がglucose培地での生育不全と相関している可能性が示された。

4.C.albicans SLN1遺伝子の単離と解析

 C.albicansにおけるtwo-componentシグナル伝達系の保存性と機能を調べるため、SLN1遺伝子ホモログ(CaSLN1)の単離及び解析を行った。tetracycline-responsive promoterをS.cerevisiae SLN1プロモーターと置換してテトラサイクリン感受性株を構築し、その感受性を多コピーで相補する、S.cerevisiae SLN1遺伝子に高い相同性を示すC.albicansゲノムDNA断片を得た。その遺伝子破壊株は致死ではないが、高浸透圧下での生育速度低下や細胞形態異常が認められた。これら表現型から、CaSLN1遺伝子が高浸透圧条件下で機能している可能性と、その機能に関与する他の遺伝子の存在が示唆された。サザン分析の結果、CaSLN1と同様にヒスチジンキナーゼ領域とレシーバー領域をもつ、N.crassa NIK1遺伝子に高い相同性を示すCaNIK1遺伝子が単離された。

 本研究により、キチン合成酵素2の活性に必須なアミノ酸が同定され、活性部位を構成するアミノ酸が進化的に保存されていることが示唆された。これらの知見は、今後明らかにされるであろうキチン合成酵素の3次元構造及び糖鎖合成酵素の反応機構の理解に役立つと思われる。また本研究で構築されたテトラサイクリン遺伝子発現制御系は、病原性真菌類からのホモログ単離のみならず、S.cerevisiaeにおける必須遺伝子やゲノムプロジェクトによって明らかにされた未知遺伝子の機能解析にも寄与すると期待される。CgKRE9/CgKNH1遺伝子の解析では、C.glabrataの細胞壁構成成分が初めて分析され、2つの1,6-グルカン生合成系遺伝子の進化的保存性やKre9pのキチン合成への関与という、その機能を考える上での新たな知見が得られた。CaSLN1遺伝子の解析からは、C.albicansにおけるS.cerevisiaeとは異なるSln1pの機能が示唆され、two-componentシグナル伝達系の保存性はもとより、病原性真菌類における標的遺伝子の実際の機能を知る重要性が改めて認識される知見が得られた。

審査要旨

 病原性真菌類の感染は、時に深在性全身性感染症を引き起こし、ヒトを死に至らしめる。そのため、有効な抗真菌剤の開発が必要とされている。本研究では、そうした抗真菌剤開発に役立つ知見を得るべく、Saccharomyces cerevisiaeキチン合成酵素2の活性部位の同定を試み、さらに、S.cerevisiaeにおける新しい遺伝子発現制御系として構築されたテトラサイクリン遺伝子発現制御系を利用した、病原性真菌であるCandida glabrata及びCandida albicansにおける、-1,6-グルカン合成及びtwo-componentシグナル伝達に関与する遺伝子の単離及び解析を行っている。

1.S.cerevisiaeキチン合成酵素2の活性部位の同定

 既に同定されているキチン合成酵素のアミノ酸配列の比較から、それらすべてに保存される配列の存在が知られている。S.cerevisiaeキチン合成酵素2に存在する、それら保存アミノ酸をアラニン及び類似アミノ酸に置き換えて、そのキチン合成活性を調べたところ、441番目のアスパラギン酸、562番目のアスパラギン酸、601番目のグルタミン、604番目のアルギニン及び605番目のトリプトファンが活性に重要なアミノ酸であることが示され、これら保存アミノ酸が触媒残基として転移反応の活性中心を形成していると考えられた。

2.S.cerevisiaeのテトラサイクリン遺伝子発現制御系の構築

 テトラサイクリンリプレッサーとS.cerevisiaeのGal4p及びHap4pの転写活性化領域から成る融合転写活性化因子と、テトラサイクリンオペレーター配列をもつ3種のtetracycline-responsive promoters(97t,98t,99t)を作製し、1acZ遺伝子をレポーターとしてその発現を調べた結果、テトラサイクリンの非存在下での構成的なガラクトシダーゼ活性の発現と、テトラサイクリンの添加濃度依存的な発現抑制が確認された。さらに、この制御系の3種の必須遺伝子への導入により、それら遺伝子のテトラサイクリン感受性株が得られ、テトラサイクリンによる遺伝子発現制御が可能であることが示された。

3.C.glabrata KRE9/KNH1遺伝子の単離と解析

 C.glabrataにおける-1,6-グルカン合成について調べるため、テトラサイクリン遺伝子発現制御系を用いたKRE9/KNH1遺伝子ホモログの単離及び解析を行った。S.cerevisiae KRE9遺伝子のテトラサイクリン感受性株を構築し、その感受性を多コピーで相補する遺伝子としてCgKRE9並びにCgKNH1遺伝子を単離した。各々の遺伝子破壊は致死的ではないが、cgkre9破壊株はK1キラー毒素耐性、約50%の-1,6-グルカン含量の減少、グルコース培地での生育不全などの表現型を示した。さらにC.glabrataへのテトラサイクリン遺伝子発現制御系の応用により、CgKRE9,CgKNH1遺伝子の二重致死性が示唆され、C.glabrataにおいてもCgKre9p/CgKnh1pがS.cerevisiaeホモログ同様に機能していると考えられた。また、cgkre9破壊株でのキチン含量のグルコース培地特異的な上昇とグルコース培地での生育不全の相関が示された。

4.C.albicans SLN1遺伝子の単離と解析

 C.albicansにおけるtwo-componentシグナル伝達系の保存性を調べるため、テトラサイクリン遺伝子発現制御系を用いたSLN1遺伝子ホモログの単離及び解析を行った。S.cerevisiae SLN1遺伝子のテトラサイクリン感受性株を構築し、その感受性を多コピーで相補するDNA断片からCaSLN1遺伝子を得た。その遺伝子破壊株は致死ではないが、高浸透圧下での生育速度低下や細胞形態異常が認められ、CaSLN1遺伝子が高浸透圧条件下で機能している可能性が示唆された。さらにCaSLN1遺伝子をプローブとしたサザン分析から、N.crassa NIK1遺伝子に高い相同性を示すCaNIK1遺伝子も単離され、C.albicansにおけるtwo-componentシグナル伝達系の保存性が強く示唆された。

 以上本研究は、真菌類における細胞壁合成及びtwo-componentシグナル伝達にかかわる遺伝子及びその産物に着目し、それらの解析から抗真菌剤開発上有用な知見を明らかにした。また、本研究で開発されたテトラサイクリン遺伝子発現制御系は真菌遺伝子の機能解析にも有用と考えられる。これら本研究で得られた知見は、学術上並びに応用上貢献するところが少なくなく、よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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