学位論文要旨



No 214046
著者(漢字) 塩田,茂雄
著者(英字)
著者(カナ) シオダ,シゲオ
標題(和) ATM網における性能評価法とトラヒック制御 : モデル化によらないアプローチ
標題(洋) Performance Analysis and Traffic Controls in ATM Networks : Modeling Free Approach
報告番号 214046
報告番号 乙14046
学位授与日 1998.11.12
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第14046号
研究科 工学系研究科
専攻 計数工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 伏見,正則
 東京大学 教授 岡部,靖憲
 東京大学 教授 武市,正人
 東京大学 助教授 松井,知己
 東京大学 助教授 山本,博資
内容要旨

 電話,ファックス,データ通信等の既存のサービスに加えて,高品質映像通信や,音声と映像とデータを取り扱うマルチメディア通信などの大容量通信を,同一のインタフェースでユーザに提供する広帯域サービス総合ディジタル通信網(Broadband Integrated Services Digital Network:B-ISDN)の検討が1980年代後半から進められている。非同期転送モード(Asynchronous Transfer Mode:ATM)はB-ISDNを実現するために開発された情報伝達技術であり,「セル」と呼ばれる53バイトの固定長パケットに情報を分割し高速転送を行う。その意味でATMはパケット交換方式の特徴を引き継いでいるが,情報転送に先立ちコネクションの確立/帯域の確保を行うため,遅延や揺らぎの少ない通信が可能であり,その意味では回線交換方式の特長も有している。

 ATM網の重要な特徴は,多様な通信速度を提供できることと,様々な品質(Quality of Service:QoS)保証要求に応えられることにある。ATM網は,トラヒック特性や要求品質の違いなどにより区別される数種類のコネクションタイプを用意しており,ユーザはコネクション確立時にどのコネクションタイプを使用するかを明示する必要がある。コネクションタイプはITUやATM Forumにより標準化が進められているが,各コネクションタイプを種々のトラヒック制御の組み合わせによりどのようにATM網内で実現するかは標準化対象ではなく,数多くの検討が行われている。

 各種トラヒック制御の制御パラメタ値の決定や,通信網設計において,通信システムの性能評価法は重要な役割を果たす。一般的に、通信システムの性能評価は,(1)トラヒック特性をモデル化するための確率モデル(確率過程)を選び,(2)確率モデルのパラメタ値をトラヒック測定により定め,(3)確率モデルに基づいて待ち行列理論等により性能評価を行う,という手順で行われる。しかし,ATM網の性能評価に従来手順を適用することは,(1)多様なATMトラヒックの統計特性を全てカバーするには複雑な確率モデルが必要,(2)確率モデルの複雑化に伴い,確率モデルのパラメタ値の決定に多数のトラヒック測定項目が必要になるが,現状の通信システムのトラヒック測定能力を考えると禁止的,(3)確率モデルの複雑化に伴い,その性能評価手順も複雑化する,といった問題が生じる。

 なお,各ATMユーザはコネクション接続要求の際に,情報転送時のセル流の統計特性を「トラヒック記述子」により申告する義務がある。トラヒック記述子とは,数種のトラヒックパラメタ(PCR:最大セル速度,CDVT:セル遅延揺らぎ耐性,SCR:平均セル速度,MBS:最大バーストサイズ)の集合であり,網運用者はトラヒック記述子から(トラヒック測定を行うことなく)ATM網内を流れるトラヒック特性を知り,性能評価やトラヒック制御を実施することが可能である。しかし,トラヒック記述子はセル流の一部の統計情報を与えるにすぎず,セル到着過程を完全に記述するものではない。従って,従来手法を踏襲するのであれば,やはり何らかの方法で情報の補完を行ってセル到着過程を確率モデル化する必要がある。

 本論文は,上記問題を鑑み,ATM網で生じる様々なトラヒック上の問題について,「モデルフリー」な観点から検討を行った結果をまとめたものである。特に,トラヒック特性がトラヒック記述子,もしくは少数のトラヒック測定を通してのみ与えられる「不完全情報下」において,最悪ケースへの着目や,普遍的に成立する性質の利用により,陽に確率モデルを使うことなく,性能評価またはトラヒック制御を実現し,モデル化に伴う諸問題を回避する方法を示す。

 まず1章では,これまでに報告されているATM網の各種トラヒックモデルや性能評価法,またATM網で使用される各種トラヒック制御について概観する。

 2章では,ある定められた時間内のセル到着数の分布がトラヒック測定を通じて知られる場合に,ATMノードで生ずるセル廃棄率を推定する方法について述べる。セル到着数分布は(相関情報を含まないため)セル到着過程に関する部分情報にすぎず,従ってセル到着数分布からセル廃棄率を一意に推定することはできない。本章では最悪ケースでのセル廃棄率,つまりセル廃棄率上限値に着目し,サンプルパス議論により(セル到着過程の陽なモデル化を行わずに)セル到着数分布の汎関数として与えられるセル廃棄率上限式を導く。

 3章では,2章の結果を利用して,ATM網のトラヒック制御の一つであるコネクション受付制御の方式提案を行う。コネクション受付制御とは,コネクション接続要求に対して,当該コネクションを受け入れた場合に各コネクションの品質(セル廃棄率,遅延など)が要求値を満足するかを推定し,その結果に基づいてコネクションの受付可否を判定する制御である。本章ではMBSが陽に申告されない(もしくはMBSが無限大の)場合について,トラヒック記述子から単位時間当たりの到着セル数分布を求め,2章の結果を利用して安全側の品質推定を行い,コネクション受付可否を決定するというコネクション受付制御方式を提案する。

 4章では,与えられたトラヒック記述子の値を満たすセル到着過程の集合のなかで,セル廃棄率を最大にする,いわゆる「最悪到着過程」を見出す問題を扱う。ここではLarge Deviation Orderingという確率順序の考え方を導入し,この確率順序の意味で最悪となる確率過程を求める。この確率順序はコネクション多重数とシステムサイズを同時にスケーリングした場合の極限におけるセル廃棄率の大小関係を与えるものである。本章の結果は3章で扱った問題に対する別の角度からのアプローチであり,MBSが陽に申告された場合(MBSが有限の場合)も扱えるため,その意味で3章の結果を補完している。

 5章では,各コネクションのトラヒック記述子の情報に加えて,ATMノードの出力バッファ部でのバンファしきい値超過頻度が測定によりわかる場合のコネクション受付制御方式を提案する。まず,セル到着過程が「大偏差原理」に従うことを仮定すると,バッファしきい値超過頻度の情報から,品質要求値を満たすために最低限必要な帯域(Effective Bandwidth:実効帯域)が推定できることを示す。実効帯域が求まれば,パス容量との比較により残余帯域がわかり,残余帯域と接続要求コネクションの最大速度(PCR)との比較でコネクション接続可否を判定できる。併せて,バーチャルパス(Virtual Path:VP)容量制御(ATMノード間を結ぶ仮想パスの容量をトラヒック変動に合わせて適応的に変更する制御)のアルゴリズムを提案する。大偏差原理は広い範囲のセル到着過程について成立することが知られており,本章で示す方法は普遍的な統計的性質を利用した典型的なモデル化フリーな手法である。

 6章では,ATM網のためのネットワークオペレーションコンセプトである「セルフサイジングネットワーク」について述べる。セルフサイジングネットワークとは,VPの容量可変性を活かし,トラヒック変動に対して自律的にVP容量を調整する機能を持たせたネットワークを指す。この機能により、トラヒックのモデル化を伴う従来法による網設計手順を大幅に簡素化させることが可能になる。本章では,セルフサイジングネットワークの基本要素技術であるVP容量制御に特に着目し,5章で示したアルゴリズムに加えて,VPに多重されるコネクションタイプや測定可能なトラヒック項目に応じた使いわけができるよう、他に数種類のアルゴリズムを提案する。また,トラヒックが昼夜変動や曜日変動を持つ場合を考慮し、カルマンフィルタによる需要予測機能を取り入れた容量制御方式を示す。併せて,ATM網のバックボーンとなる物理網(新同期網)の設計法にも触れる。

 一般に公衆網では,リンクの輻輳等により予め定められた経路にコネクションを確立できないとき,当該リンクを迂回する経路にコネクションを設定する。これを迂回ルーチングと呼ぶ。またリアルタイムのトラヒック情報に基づいて,迂回路を適応的に選択する制御を動的ルーチングと呼ぶ。7章ではATM網のように様々な帯域を持つコネクションが混在する通信網における動的ルーチングを取り扱う。特に通信網のマクロな混雑状況が与えられたときに,(迂回路探索の手間を軽減するべく)平均的にすいている経路を迂回路候補として事前に絞り込む制御について検討する。まず,コネクション接続要求がポアソン過程で発生し,またコネクション保留時間が指数分布に従うとき,迂回路候補を絞り込む問題は整数計画問題として定式化できること、及びこの問題に対する近似解法を示す。一方、各迂回路の平均的な呼損情報(呼損率)が得られるとき,呼損率の小さい経路から順に迂回路候補として選ぶことも可能である。後者は一種のモデル化フリーなトラヒック制御と考えることができるが,前者にほぼ匹敵する性能をあげうることをシュミレーション実験により明らかにする。

 最後に8章で,残された課題等について述べる。

審査要旨

 本論文は「Performance Analysis and Traffic Controls in ATM Networks-Modeling Free Approach(ATM網における性能評価法とトラヒック制御-モデル化によらないアプローチ)」と題し,英文で8章から成る.

 ATM網は,多様な通信速度を提供でき,様々な品質保証要求に応えられる,等の特徴を有するが,これらを実現するための具体策は,標準化の対象とはなっていないので,数多くの検討が行われている.従来の通信システムの設計や性能評価においては,トラヒック特性を確率モデルで表現し,待ち行列理論等を用いて設計・評価を行うという方法がとられていた.しかし,ATMにおけるトラヒックの複雑性を考えると,従来の方法の延長線上でATM網を扱うことはきわめて困難である.このような問題点を克服するために,本論文はモデルフリーな観点から検討を行った結果をまとめたものである.

 第1章は序論であり,研究の背景と動機を述べている.

 第2章では,一定時間内のセル到着数の分布が測定できる場合に,ATMノードで生ずるセル廃棄率を推定する方法を述べている.測定できる情報は,セル到着過程に関する部分情報に過ぎないので,セル廃棄率の推定は一意ではない.本章では,最悪ケースの廃棄率(セル廃棄率上界値)を導いている.

 第3章では,ATMに対するコネクション接続要求に対して,当該コネクションを受け入れた場合にセル廃棄率や遅延などのコネクション品質が要求値を満足させられるか否かを推定し,受付可否を判定する制御である「コネクション受付制御」の方式を論じている.接続要求に伴って申告されるトラヒック記述子中にMBS(最大バーストサイズ)が申告されていない(あるいは無限大の)場合について,トラヒックの記述子から単位時間当たりの到着セル数分布を求め,第2章の結果を利用して安全側の推定を行い,コネクション受付可否を決定する方式を提案している.

 第4章では,与えられたトラヒック記述子の値を満たすセル到着過程の集合のなかでセル廃棄率を最大にする,いわゆる「最悪到着過程」を見出す問題を扱っている.ここではLarge Deviation Orderingという確率順序の考え方を導入し,この確率順序の意味で最悪となる確率過程を求める.この確率順序はコネクション多重数とシステムサイズを同時にスケーリングした場合の極限におけるセル廃棄率の大小関係を与えるものである.本章の結果は3章で扱った問題に対する別の角度からのアプローチであり,MBSが陽に申告された場合(MBSが有限の場合)も扱えるため,その意味で3章の結果を補完している.

 第5章では,各コネクションのトラヒック記述子の情報に加えて,ATMノードの出力バッファ部でのバッファしきい値超過頻度が測定によりわかる場合のコネクション受付制御方式を論じている.まず,大偏差原理は広い範囲のセル到着過程について成立することが知られているので,これを仮定して,バッファしきい値超過頻度の情報から,品質要求値を満たすために最低限必要な帯域(実効帯域)が推定できることを示す.実効帯域が求まれば,パス容量との比較により残余帯域がわかり,残余帯域と接続要求コネクションの最大速度(PCR)との比較でコネクション接続可否を判定できる.併せて,バーチャルパス(Virtual Path:VP)容量制御(ATMノード間を結ぶ仮想パスの容量をトラヒツク変動に合わせて適応的に変更する制御)のアルゴリズムを提案している.

 第6章では,VPの容量可変性を活かし,トラヒック変動に対して自律的にVP容量を調整する機能を持たせたネットワークである「セルフサイジングネットワーク」について論じている.この機能により,トラヒックのモデル化を伴う従来法による網設計手順を大幅に簡素化させることが可能になる.本章では,セルフサイジングネットワークの基本要素技術であるVP容量制御に特に着目し,5章で示したアルゴリズムに加えて,他に数種類のアルゴリズムを提案している.また,トラヒックが昼夜変動や曜日変動を持つ場合を考慮し,カルマンフィルタによる需要予測機能を取り入れた容量制御方式を示す.併せて,ATM網のバックボーンとなる物理網(新同期網)の設計法にも触れている.

 第7章では,ATM網のように様々な帯域を持つコネクションが混在する通信網における動的ルーチングを取り扱っている.特に通信網のマクロな混雑状況が与えられたときに,(迂回路探索の手間を軽減するべく)平均的にすいている経路を迂回路候補として事前に絞り込む制御について検討している.まず,コネクション接続要求がポアソン過程で発生し,またコネクション保留時間が指数分布に従うとき,迂回路候補を絞り込む問題は整数計画問題として定式化できること,及びこの問題に対する近似解法を示す.一方,各迂回路の平均的な呼損情報(呼損率)が得られるとき,呼損率の小さい経路から順に迂回路候補として選ぶことも可能である.後者は一種のモデル化フリーなトラヒック制御と考えることができるが,前者にほぼ匹敵する性能をあげうることをシミュレーション実験により明らかにしている.

 第8章では,結論と残された課題等について述べている.

 以上を要するに,本論文は,ATM網の実現のために必要な性能評価とトラヒック制御に関して,待ち行列理論等を使う従来の確率的モデル化の方法では解決困難な問題に対して,新しい方法論を用いていくつかの具体的で有益な解決策を提案したものであり,工学上の貢献が大きい.

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる.

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