人工格子の特異な力学的性質には弾性率の異常と硬度・強度の異常の二つの異常が存在する。ともに人工格子を構成する個々の物質の弾性率や硬度の平均値よりも著しく異なる値を示すが、前者については金属人工格子を用いた多くの実験および理論研究からその物理的起源が整合ひずみによるものであることが解明されている。しかし後者については測定法(破壊検査)や試料形態(基板と一体、厚さが1m程度)などの問題から、人工格子固有の特性を観察することが難しく、異常増大の物理的原因を解明することを困難にしている。単結晶超格子を用いた研究から、Koehlerが唱えた異種物質界面による転位移動抑制効果(Koehler効果)がその一因であることは確認されているが、実用材である多結晶体では結晶粒径に依存するHall-Petch効果も作用することから、高硬度人工格子の設計方針を確立できないでいる。本研究では多結晶セラミックス人工格子の力学的性質を人工格子構造との関係から明らかにし、高硬度セラミックス人工格子の設計方針を提示した。また、Hall-Petch効果とKoehler効果はともに転位論を用いて説明されていることから、セラミックス系で転位論がどの範囲まで適用できるかも明らかにした。 人工格子には切削工具などの表面コーティング材として多く用いられているTiNを基本としたNaCl型の三つの系-TiN/CrN、TiN/ZrN、およびTiN/TaNを選択した。試料作製には反応スパッタ法を用い、基板には超硬合金およびMgO(001)単結晶を用いた。 X線回折実験から超硬合金基板上に作製した試料では系ごとに特定の配向面が試料表面に平行に配向した一軸配向柱状構造膜になっており、単結晶基板上に作製した試料ではすべての系で基板の配向面に従った、(001)面が膜面に平行に成長したエピタキシャルライクな柱状構造膜になっていることがわかった。ただし、TiN/ZrN系では積層周期()が30Å以上の領域において(111)面が膜面に平行に成長した構造をとっていた。人工格子界面の混合層厚をこの層内で組成が連続的に変化すると仮定した台形モデルによりX線回折パターンをフィッティングした結果、TiN/TaN人工格子の界面混合層厚は10〜15Åであり、低角域X線回折結果との比較から他の人工格子系では12〜18Åであることがわかった。 電子線回折から人工格子を形成する二つの層が互いに同じ方位関係を保ちながら成長している模様を観察し、超高圧透過電子顕微鏡観察からはTiN/TaN人工格子が格子整合したコヒーレントな人工格子構造であることを直接観察した。 セラミックス人工格子の塑性変形機構に関する転位論的な取扱いの妥当性について、ナノインデンテイション試験により生成した微小な圧痕断面を直接電子顕微鏡観察することにより証明した。圧痕直下断面のコントラスト実験および格子像観察から、超低荷重での押し込みでは転位が生成・移動することにより塑性変形することを確認した。 Hall-Petch効果とKoehler効果をわけて議論するためには、異なる積層周期をもつ人工格子間での相対的な粒界密度を測定する必要がある。そこで人工格子の電気抵抗率の積層周期依存性を調べた。セラミックス人工格子においても金属人工格子と同じように電気抵抗率は積層周期の逆数に比例した。これは人工格子界面および結晶粒界が伝導電子の散乱源であり、粒成長が異種物質界面が形成されることにより抑制された結果、結晶粒径が積層周期に比例して小さくなることを示している。また、大きな積層周期領域では成膜温度が高いほど結晶粒径も大きいが、積層周期が小さくなるにしたがって成膜温度による結晶粒径の差は小さくなり、最も小さな積層周期では同じ結晶粒径になっていることがわかった。 この人工格子に対し硬度の積層周期依存性を測定した結果、人工格子の硬度は成膜温度が高くなるにしたがって積層周期依存性が急激になり、成膜温度が高いほどより小さな積層周期から硬度の増大がはじまった。硬度増大機構としてHall-Petch効果とKoehler効果を考えた場合、Koehler効果に比べHall-Petch効果がより強く作用したと仮定すると塑性変形の優先方向は膜面垂直方向になるので、界面密度が同じ両人工格子では同様な硬度の積層周期依存性を示すはずである。逆にKoehler効果がより強く作用すると、膜面垂直方向よりも膜面内方向に変形しやすくなるので、粒界密度の異なる人工格子では異なる硬度の積層周期依存性を示すようになる。ここで積層周期に対する結晶粒径の変化が大きな方(高い基板温度で作製された試料)がHall-Petch効果が発現するのにより小さな積層周期を要するので、高い基板温度にて作製した人工格子の方がより小さな積層周期領域から急激な硬度増大を示すようになる。以上の考察から、多結晶人工格子でもKoehler型に代表される膜面垂直方向への強い転位移動抑制効果が働いていると結論した。 つぎにナノインデンテイション測定から得られるP-h曲線を解析し、硬度増大が耐弾性変形能と耐塑性変形能の増大が重なり合って発現した結果であることを示した。TiN/TaN人工格子では硬度Hの最大値が=43Åで得られるのに対し(図1)、複合弾性率EおよびP-h曲線の変曲点Pcはそれぞれ=30Åおよび=60Åで最大値を示す(図2、3)。変曲点Pcは転位がKoehler効果に打ち勝って界面を横切るときの応力と考えられるので、膜面垂直方向への耐塑性変形の指標となる(図4)。したがって、硬度は弾性異常と界面での転位移動抑制効果の二つの効果によるものと結論できる。 図1TiN/TaN人工格子の硬度vs積層周期図2TiN/TaN人工格子の弾性率vs積層周期図3TiN/TaN人工格子のPcvs積層周期図4TiN/TaN人工格子のP-h曲線とその微分曲線 TiN/CrN系でもHが=40Å、Eが=60Å、そしてPcが=20Åでそれぞれ最大値を示すことから、同様な結論を導くことができる。 TiN/ZrN系では膜の配向面が=30Åを境に(111)面から(001)面に変化するので、>30Åの試料についてのみ議論すると、Hが=50Åで、Eが=50Åで、Pcが=60Åでそれぞれ最大値を示すことになり、ここでも同様な結論を導くことができる。 以上のように人工格子の硬度増大現象が界面による転位移動抑制効果と弾性異常増大効果の二つの効果によるということを解明したのは本研究がはじめてである。 セラミックス人工格子の弾性異常については非接触・非破壊型のブリルアン散乱法でも測定を行った。表面弾性波速度には大きな変化は見られず、ナノインデンテイション法から得られる複合弾性率の結果と一致しなかった。しかし、表面弾性波速度はせん断率を表し、複合弾性率はヤング率を表すので、両者の間に直接的な関係はなくてもよい。また、結晶を歪ませたときの弾性率の変化を計算し、弾性率の変化はヤング率の方がせん断率に較べて大きいことを示した。 以上の結果をもとに高硬度セラミックス人工格子の設計方針をまとめると、 (1) 弾性率を増大させること。 (2) Koehler効果を増大させること。 (3) 弾性異常とKoehler効果を同じ積層周期で発現させること。 (4) 界面混合層厚をできるだけ小さくすること。 (5) 転位のすべり面が膜面に垂直になるように成長させること。 となる。 |