学位論文要旨



No 214050
著者(漢字) 徐,義孝
著者(英字)
著者(カナ) ジョ,ヨシタカ
標題(和) セラミックス人工格子の力学的性質に関する研究
標題(洋)
報告番号 214050
報告番号 乙14050
学位授与日 1998.11.12
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第14050号
研究科 工学系研究科
専攻 材料学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山本,良一
 東京大学 教授 伊藤,邦夫
 東京大学 教授 鈴木,敬愛
 東京大学 教授 林,宏爾
 東京大学 教授 七尾,進
 東京大学 助教授 市野瀬,英喜
内容要旨

 人工格子の特異な力学的性質には弾性率の異常と硬度・強度の異常の二つの異常が存在する。ともに人工格子を構成する個々の物質の弾性率や硬度の平均値よりも著しく異なる値を示すが、前者については金属人工格子を用いた多くの実験および理論研究からその物理的起源が整合ひずみによるものであることが解明されている。しかし後者については測定法(破壊検査)や試料形態(基板と一体、厚さが1m程度)などの問題から、人工格子固有の特性を観察することが難しく、異常増大の物理的原因を解明することを困難にしている。単結晶超格子を用いた研究から、Koehlerが唱えた異種物質界面による転位移動抑制効果(Koehler効果)がその一因であることは確認されているが、実用材である多結晶体では結晶粒径に依存するHall-Petch効果も作用することから、高硬度人工格子の設計方針を確立できないでいる。本研究では多結晶セラミックス人工格子の力学的性質を人工格子構造との関係から明らかにし、高硬度セラミックス人工格子の設計方針を提示した。また、Hall-Petch効果とKoehler効果はともに転位論を用いて説明されていることから、セラミックス系で転位論がどの範囲まで適用できるかも明らかにした。

 人工格子には切削工具などの表面コーティング材として多く用いられているTiNを基本としたNaCl型の三つの系-TiN/CrN、TiN/ZrN、およびTiN/TaNを選択した。試料作製には反応スパッタ法を用い、基板には超硬合金およびMgO(001)単結晶を用いた。

 X線回折実験から超硬合金基板上に作製した試料では系ごとに特定の配向面が試料表面に平行に配向した一軸配向柱状構造膜になっており、単結晶基板上に作製した試料ではすべての系で基板の配向面に従った、(001)面が膜面に平行に成長したエピタキシャルライクな柱状構造膜になっていることがわかった。ただし、TiN/ZrN系では積層周期()が30Å以上の領域において(111)面が膜面に平行に成長した構造をとっていた。人工格子界面の混合層厚をこの層内で組成が連続的に変化すると仮定した台形モデルによりX線回折パターンをフィッティングした結果、TiN/TaN人工格子の界面混合層厚は10〜15Åであり、低角域X線回折結果との比較から他の人工格子系では12〜18Åであることがわかった。

 電子線回折から人工格子を形成する二つの層が互いに同じ方位関係を保ちながら成長している模様を観察し、超高圧透過電子顕微鏡観察からはTiN/TaN人工格子が格子整合したコヒーレントな人工格子構造であることを直接観察した。

 セラミックス人工格子の塑性変形機構に関する転位論的な取扱いの妥当性について、ナノインデンテイション試験により生成した微小な圧痕断面を直接電子顕微鏡観察することにより証明した。圧痕直下断面のコントラスト実験および格子像観察から、超低荷重での押し込みでは転位が生成・移動することにより塑性変形することを確認した。

 Hall-Petch効果とKoehler効果をわけて議論するためには、異なる積層周期をもつ人工格子間での相対的な粒界密度を測定する必要がある。そこで人工格子の電気抵抗率の積層周期依存性を調べた。セラミックス人工格子においても金属人工格子と同じように電気抵抗率は積層周期の逆数に比例した。これは人工格子界面および結晶粒界が伝導電子の散乱源であり、粒成長が異種物質界面が形成されることにより抑制された結果、結晶粒径が積層周期に比例して小さくなることを示している。また、大きな積層周期領域では成膜温度が高いほど結晶粒径も大きいが、積層周期が小さくなるにしたがって成膜温度による結晶粒径の差は小さくなり、最も小さな積層周期では同じ結晶粒径になっていることがわかった。

 この人工格子に対し硬度の積層周期依存性を測定した結果、人工格子の硬度は成膜温度が高くなるにしたがって積層周期依存性が急激になり、成膜温度が高いほどより小さな積層周期から硬度の増大がはじまった。硬度増大機構としてHall-Petch効果とKoehler効果を考えた場合、Koehler効果に比べHall-Petch効果がより強く作用したと仮定すると塑性変形の優先方向は膜面垂直方向になるので、界面密度が同じ両人工格子では同様な硬度の積層周期依存性を示すはずである。逆にKoehler効果がより強く作用すると、膜面垂直方向よりも膜面内方向に変形しやすくなるので、粒界密度の異なる人工格子では異なる硬度の積層周期依存性を示すようになる。ここで積層周期に対する結晶粒径の変化が大きな方(高い基板温度で作製された試料)がHall-Petch効果が発現するのにより小さな積層周期を要するので、高い基板温度にて作製した人工格子の方がより小さな積層周期領域から急激な硬度増大を示すようになる。以上の考察から、多結晶人工格子でもKoehler型に代表される膜面垂直方向への強い転位移動抑制効果が働いていると結論した。

 つぎにナノインデンテイション測定から得られるP-h曲線を解析し、硬度増大が耐弾性変形能と耐塑性変形能の増大が重なり合って発現した結果であることを示した。TiN/TaN人工格子では硬度Hの最大値が=43Åで得られるのに対し(図1)、複合弾性率EおよびP-h曲線の変曲点Pcはそれぞれ=30Åおよび=60Åで最大値を示す(図2、3)。変曲点Pcは転位がKoehler効果に打ち勝って界面を横切るときの応力と考えられるので、膜面垂直方向への耐塑性変形の指標となる(図4)。したがって、硬度は弾性異常と界面での転位移動抑制効果の二つの効果によるものと結論できる。

図1TiN/TaN人工格子の硬度vs積層周期図2TiN/TaN人工格子の弾性率vs積層周期図3TiN/TaN人工格子のPcvs積層周期図4TiN/TaN人工格子のP-h曲線とその微分曲線

 TiN/CrN系でもHが=40Å、Eが=60Å、そしてPc=20Åでそれぞれ最大値を示すことから、同様な結論を導くことができる。

 TiN/ZrN系では膜の配向面が=30Åを境に(111)面から(001)面に変化するので、>30Åの試料についてのみ議論すると、Hが=50Åで、Eが=50Åで、Pc=60Åでそれぞれ最大値を示すことになり、ここでも同様な結論を導くことができる。

 以上のように人工格子の硬度増大現象が界面による転位移動抑制効果と弾性異常増大効果の二つの効果によるということを解明したのは本研究がはじめてである。

 セラミックス人工格子の弾性異常については非接触・非破壊型のブリルアン散乱法でも測定を行った。表面弾性波速度には大きな変化は見られず、ナノインデンテイション法から得られる複合弾性率の結果と一致しなかった。しかし、表面弾性波速度はせん断率を表し、複合弾性率はヤング率を表すので、両者の間に直接的な関係はなくてもよい。また、結晶を歪ませたときの弾性率の変化を計算し、弾性率の変化はヤング率の方がせん断率に較べて大きいことを示した。

 以上の結果をもとに高硬度セラミックス人工格子の設計方針をまとめると、

 (1) 弾性率を増大させること。

 (2) Koehler効果を増大させること。

 (3) 弾性異常とKoehler効果を同じ積層周期で発現させること。

 (4) 界面混合層厚をできるだけ小さくすること。

 (5) 転位のすべり面が膜面に垂直になるように成長させること。

 となる。

審査要旨

 人工格子の特異な力学的性質には弾性率の異常と硬度や強度の異常の二つの異常が存在する。ともに人工格子を構成する個々の物質の弾性率や硬度の平均値よりも著しく異なる値を示す。弾性率増加(スーパーモデュラス効果)については金属人工格子を用いた多くの実験および理論的研究からその物理的起源が整合ひずみによるものであることが明らかにされている。しかし後者については測定法や試料形態などの問題から人工格子固有の特性を測定することが難しく、異常増大の物理的原因を解明することが困難であった。実用材である多結晶体では結晶粒径に依存するHall-Petch効果も作用することから、多結晶セラミックス人工格子の構造と異常力学物性についての研究が必要とされていた。本研究では切削工具などの表面コーティング材として使用されているTiNを基本とした、NaCl型の三つの人工格子-TiN/CrN、TiN/ZrN、TiN/TaNを取り上げこの問題を詳細に論じたものである。

 論文は全8章から成っている。

 第1章ではセラミックス・コーティング材の開発の歴史について述べた後に、人工格子の力学物性研究について概観している。

 第2章では薄膜・コーティングの基礎についてまとめている他、セラミックス中の転位の挙動についての知見を整理している。

 第3章では薄膜の弾性論および力学物性の測定法について解説した後に、Hall-Petchの理論およびKoehlerの理論についてまとめている。

 第4章では人工格子の作製に用いた反応スパッタ法について解説した後に、著者らが使用したスパッタ装置の仕様および成膜条件について述べている。

 第5章では人工格子の構造解析法および実験結果について述べている。X線回折実験から、表面研磨した超硬合金基板上に作製した試料では特定の結晶面が試料表面に平行に配向した一軸配向柱状構造膜になっているのに対して、MgO(001)単結晶基板上に作製した試料では(001)面が膜面に平行に成長した柱状構造膜になっていることを示している。

 一方、電子線回折から人工格子を形成する二つの層が互いに同じ方位関係を保ちながら成長している模様を観察し、超高圧透過電子顕微鏡観察からTiN/TaN人工格子が格子整合したコヒーレントな人工格子構造であることが示されている。

 第6章ではセラミックス人工格子の電気伝導の実験結果について述べている。作製したすべてのセラミックス人工格子における電気抵抗率の積層周期依存性は、金属人工格子と同様に人工格子界面および結晶粒界が伝導電子の主たる散乱源であり、結晶粒径は粒成長が異種物質界面が形成されることにより抑制され、積層周期が小さい程、基板温度が低い程小さいことが明らかにされた。

 第7章では微小硬度測定用のナノインデンテイション法について解説し、セラミックス人工格子の硬度測定結果について述べている。ナノインデンテイション試験により生成した微小な圧痕断面のコントラスト実験および格子像観察から、500mg程度の超低荷重での押し込みでは転位が生成・移動することにより塑性変形していることを確認している。

 人工格子の硬度は成膜温度が高くなるにしたがって積層周期依存性が急激になり、成膜温度が高いほどより小さな積層周期から硬度の増大がはじまっている。以上の実験事実の考察から多結晶人工格子ではKoehler機構に基づく膜面垂直方向への強い転位移動抑制効果とHall-Petch効果が共に働いていると結論している。

 つぎにナノインデンテイション測定から得られる荷重-押し込み深さ(P-h)曲線を解析している。TiN/TaN人工格子では硬度の最大値が43Åの積層周期()で得られるのに対し、ダイヤモンド圧子と膜の複合弾性率およびP-h曲線の変曲点Pcはそれぞれ=30Åおよび=60Åで最大値を示している。著者は変曲点Pcは転位がKoehler効果に打ち勝って界面を横切るときの応力と考え、膜面垂直方向への耐塑性変形の指標となることを示した。したがって、硬度増大は弾性率の増大と強度の増大が重なり合って発現した結果であると結論している。

 またTiN/CrN系、TiN/ZrN系でも同様な結論を導いている。

 第8章では論文の結果を総括している。多結晶セラミックス人工格子TiN/CrN、TiN/ZrN、TiN/TaNを反応スパッタ法により作製し、その構造、力学物性異常の詳細な解析により、これらの系ではHall-Petch効果のみならずKoehler効果も作用していることが明らかにされた。高硬度セラミックス人工格子の設計方針としては弾性率とKoehler効果を増大させこれら二つの効果を同じ積層周期で発現させること、つぎに界面混合層厚をできるだけ小さくし転位のすべり面が膜面に垂直になるように薄膜を成長させることであると結論している。

 以上を要するに、本論文は反応スパッタ法により高品位な一軸配向多結晶セラミックス人工格子を作製し、その構造および転位を超高圧電子顕微鏡により直接観察し、異常力学物性の発現機構を解明したものであって、材料工学に寄与するところがきわめて大きい。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク