学位論文要旨



No 214055
著者(漢字) 李,鋭
著者(英字)
著者(カナ) リ,エイ
標題(和) キンカチョウ歌制御中枢へのVentral paleostriatumからのコリン作動性神経支配 : 免疫組織化学と逆行性ニューロトレーサーの二重標識法を用いた研究
標題(洋) Cholinergic innervation of the song control nuclei by ventral Paleostriatum in the zebra finch : a double-labeling study with retrograde fluorescent tracer and choline acetyltransferae immunohistochemistry
報告番号 214055
報告番号 乙14055
学位授与日 1998.11.25
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第14055号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 加我,君孝
 東京大学 教授 宮下,保司
 東京大学 教授 井原,康夫
 東京大学 教授 金澤,一郎
 東京大学 講師 菅澤,正
内容要旨 I序論

 キンカチョウの雄の幼鳥は、歌の臨界期に父親の歌を鋳型として記憶し(感覚学習)、聴覚フィールドバックを用い、自分の音声を聞きながら、記憶した鋳型に合うように自分の歌を修正しながら歌を完成させる(運動学習)。この歌学習は歌を産生する脳内の歌制御系の神経回路で生じている。歌学習の臨界期には、アセチルコリン(ACh)と、その合成酵素コリンアセチルトランスフェラーゼ(ChAT)の酵素活性が、歌制御中枢で一過性に増大し、歌学習におけるAChの重要性を示唆している。ChAT抗体を用いた免疫組織化学により、歌制御中枢にはコリナジック神経終末が存在していることが知られている。この歌制御中枢へのコリナジック入力は、哺乳類の前脳基底部にあるコリン作動性ニューロンの存在を想起させる。哺乳類においては、これらのニューロンは、海馬や大脳皮質へコリナジック入力を送っていて、学習や記憶に重要な役割を果たしていることが知られている。しかしながら、鳥類においては、コリン作動性入力の起始細胞の解剖学的な同定は、なされていない。したがって、キンカチョウの歌制御中枢へのコリナジック入力の起始細胞を同定することは、鳥の歌学習におけるAChの役割の解明に必要であるばかりでなく、コリン作動性ニューロンの系統進化学的な比較研究に貢献することが期待される。

II、目的

 本研究は、キンカチョウの歌制御中枢へのコリナジック入力の起始細胞をニューロトレーサーとChAT免疫組織化学の二重標識を行うことにより同定し、AChが鳥の歌学習に果たしている生理学的機能の解明への第一歩とすることである。

III、方法1.ニューロトレーサー注入実験

 キンカチョウ成鳥の歌制御中枢HVc(Higher vocal center),RA(robust nucleus of the archistriatum),IMAN(lateral magnocellular nucleus of the anterior neostriatum)に、逆行性ニューロトレーサー Fluoro-Gold(FG)(5%、0.05l)、Fluoro-Red(FRe、Dr.Dong提供)(0.05l)を、VPに順行性と逆行性ニューロトレーサー Biotinilated dextran amine(BDA)(10%、0.05l)を圧力注入した。3-4日して、麻酔下で、4%パラホルムアルデヒド液で灌流固定した後、一晩、30%しょ糖液に浸し、40mの凍結切片を作製し、FGとFReの場合、蛍光顕微鏡で観察した。BDAの場合、37℃、1時間半、アビジンービオチン反応(Vectastain Elite ABC Kits)を行い、DABで発色反応を行った。

2、ChAT免疫組織化学

 キンカチョウ成鳥を、麻酔下で、4%パラホルムアルデヒド液で灌流固定した後、一晩、30%しょ糖液に浸し、40mの凍結切片を作製した。切片は、0.3%過酸化水素水で室温で30分処理した後、ChATポリクローナル抗体(Dr.Epstein提供、1:2000希釈)とVectastain ABC Elite Kitを用い、ABC法で、免疫組織化学を行い、DABで発色させた。

3、二重標識

 トレーサー実験の後、ChAT免疫組織化学を行った。

IV、結果

 キンカチョウのRAに逆行性ニューロトレーサーFG又はFReを注入した時、今までつながりが報告されている注入部位と同側のHVcとIMANに標識細胞を確認した。さらに、同側のlocus ceruleus(LoC)、ventral tegmental area of Tsai(AVT)、VPに標識細胞を新しく見つけた。HVcの場合、すでに知られている同側のmedial magnocellular nucleus of the anterior neostriatum(mMAN)、uvaeform nucleus(Uva)、interfacial nucleus of the neostriatum(Nif)の他に、新しく同側のLoC、AVT、VPに標識細胞を見つけた。

 ChAT免疫組織化学を行い、ChAT陽性細胞の分布と、トレーサー実験の結果を比較すると、LoCとVPの2つが、HVcとRAへのコリナジック入力の起始細胞のある脳内核の候補であることがわかった。ニューロトレーサーFReとChAT免疫組織化学の二重標識で確認すると、LoCには二重標識された細胞はなく、VPにあるHVcに投射しているニューロンとRAに投射しているニューロンの30%から50%のニューロンが二重標識された。

 このことは、VPに、歌制御中枢HVcとRAのコリナジック入力の起始細胞が存在することを示している。興味深いことに、RAに投射しているニューロン群と、HVcに投射しているニューロン群は、VPの前部と後部に分かれた。確認の為、HVcにFG、RAにFReを注入して二重標識をおこなうと、境界に二重染色された細胞すなわちHVcとRAの両方に投射しているニューロンがみられたが、わずかであった。

 VPにニューロトレーサーBDAを注入したところ、視床のnucleus ovoidalis(Ov)とnucleus dorsomedialis posterior thalami(DMP)に逆行性標識細胞を観察した。

V、考察

 本研究の目的は、キンカチョウの歌制御中枢へのコリナジック入力の起始細胞を同定することにある。そのために、ニューロトレーサーとChAT免疫組織化学の二重標識が必須の技術であった.二重標識の成功によりキンカチョウ歌制御中枢HVcとRAへのコリン作動性入力は、VP由来であることが明らかになった。

 哺乳類においては、マイネルト基底核(NBM)を含む前脳基底部のコリン作動性神経細胞は、海馬や大脳皮質に投射し、その変性がアルツハイマー病の患者脳に見られることや、AChを増加させる薬剤が記憶能力を改善するということから、記憶や学習に重要な役割をはたしていることが知られている。我々は、次の2つの理由で、鳥のVPは哺乳類のマイネルト基底核と相同であることを提案する。(1)VPとNBMは、共にglobus pallidus(GP)の腹内側にあり、解剖学的な位置が似ている。(2)鳥歌学習の臨界期にはHVcやRAでAChの一過性の増大があり、コリン作動性神経が歌学習に深く関わっていることが予想され、機能的類似性がある。この提案は、Reiner等が、ChAT陽性細胞の比較解剖学的な仕事から、爬虫類から哺乳類まで前脳基底部のコリン作動性神経の機能は保存されているという主張を支持する。このことは、哺乳類と鳥のコリン作動性神経による学習メカニズムの共通性を強く示唆しており、鳥の歌学習系が、AChの学習における役割を研究する上で良いモデルになることを示している。

 さらに、本研究により、VPは、哺乳類の内側膝状体と相同な視床にある聴覚路の中継核Ovから直接に入力を受けていることが明らかになった。鳥の歌学習には聴覚フィールドバックが重要であり、この新しく見つかった聴覚制御のコリン作動性神経が、歌学習にどのような生理学的メカニズムをもっているのか、これからの重要な課題である。

VI、結論

 1)キンカチョウの脳内の歌制御中枢に逆行性ニューロトレーサーを注入し、ChAT抗体との、二重標識を行った。その結果、歌制御中枢RAとHVCに投射しているコリナジック作動性神経の細胞群が、学習記憶に重要であることが知られている哺乳類のマイネルト基底核と相同なVentral Paleostriatum(VP)に存在することを明らかにした。

 2)RAに投射している細胞群とHVcに投射している細胞群は、VPの前部と後部に分かれた。

 3)VPにニューロトレーサーを注入したところ、哺乳類の内側膝状体と相同な聴覚路の中継核Ovに逆行性標識細胞が見られ、VPのコリナジック作動性神経は、音声入力によって制御されていることが、明らかになった。

審査要旨

 本研究は、歌学習に重要な役割を果たしていると考えられるキンカチョウ歌制御中枢へのコリナジック入力の起始細胞をニューロトレーサーとコリンアセチルトランスフェラーゼ免疫組織化学の二重標識を行うことにより同定し、さらにそれを制御している入力をニューロトレーサーを用いて明らかにすることを試みたものであり、下記の結果を得ている。

 1、コリンアセチルトランスフェラーゼ抗体の免疫組織化学と逆行性ニューロトレーサー・Fluoro-Red(FRe)を用いた二重染色により、キンカチョウの脳内の歌制御中枢Higher vocal center(HVc)とrobust nucleus of the archistriatum(RA)に投射しているコリン作動性神経の細胞群がventral paleostriatum(VP)に存在することを明らかにした。VPは、学習と記憶に重要な役割を果たしていることが知られている哺乳類のマイネルト基底核と相同な核であり、鳥の歌学習においても重要な役割を果たしていることが予想される。

 2、RAとHVcへ投射しているコリン作動性神経細胞の分布の関係を調べるために、二種類の逆行性ニューロトレーサーFluoro-Gold(FG)とFReを同側のHVcとRAに同時に注入し、二重標識を試みた。その結果、RAに投射している細胞群とHVcに投射している細胞群は、VPの前部と後部にはっきりと分かれた。この分布の違いは、RAとHVcへのコリナジック機能の違いを反映していると考えられる。

 3、VPへ入力を送っているニューロンを明らかにするために、順行性及び逆行性のニューロトレーサー・ビオチン化デキストランアミン(BDA)をVPに注入した。その結果、VPは、上行聴覚路の主要な中継核である哺乳類の内側膝状体と相同なnucleusovoidalis(Ov)から聴覚入力を受けていることが明らかになった。鳥の歌学習には、聴覚フィードバックが重要であり、Ovからの直接の聴覚入力により制御されたVPのコリン作動性神経細胞は、学習時の聴覚系と発声系の相互作用に重要な役割を果たしていることが予想される。

 以上、本論文は、歌学習に重要な役割を担っているコリナジック入力の起始細胞を鳥類で始めて同定し、さらにそれが聴覚系に支配されていることを明らかにした。鳥の歌学習は、人間の音声言語学習のモデルとして注目されており、本研究によって発見された聴覚制御のコリナジック入力の学習機能の解明は、人間の音声言語学習の生理学的メカニズムの解明にも重要な貢献が期待され、学位の授与に値するものと考えられる。

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