1.研究目的 晩期死体現象のひとつで法医学の領域でもしばしば遭遇する死蝋化現象においては不飽和脂肪酸が種々の細菌によって各種ハイドロキシ酸やオキソ酸に変換され、リノール酸(9,12-octadecadienoic acid)も死蝋化の際に、10-hydroxy-12-octadecenoic acid(10-HODE)に変換される。 一方10-HODEは9,10-epoxy-12-octadecenoic acid(ロイコトキシン、LTx)の代謝産物として好中球に認められることも知られている。LTxは成人呼吸促迫症候群患者の肺胞洗浄液、熱傷皮膚や熱傷患者血清中で検出され、また肺水腫や心不全、播種性血管内凝固症候群(DIC)、ミトコンドリア呼吸の阻害などを惹起することが知られ、熱傷毒のひとつであると考えられている。法医学の分野でも熱傷、肺水腫、DICといった病態に遭遇することが多く、このような点で、LTxや10-HODEは興味深い酸化脂質の一つである。 LTxは、好中球においてリノール酸から合成される。LTxの発生機序には、ミクロソームにおけるチトクロームP450の関与する反応系で合成されうるほか、非酵素的にもチトクロームcの存在下で過酸化水素から発生するハイドロキシラジカルがリノール酸からLTxを合成するという系も知られており、ヘムタンパク質による脂質酸化が重要な役割を果たしていると考えられる。 法医学とヘムタンパク質依存性の脂質過酸化との関連として、パラコートなど自殺で用いられうる毒物の病態発生機序にチトクロームによる脂質過酸化が関与するとされるほか、筋挫滅症候群での腎障害の原因としてヘムタンパク質の一つであるミオグロビンによる脂質過酸化があげられており、法医学の分野においても、LTxのようなヘムタンパク質が関与する過酸化脂質を研究することは重要な意義があるものと考えられる。このような観点に基づいて、我々は、これまでも、LTxや10-HODEの抗体を作製し、組織染色などに応用したり、10-HODEの心筋に対する作用を調べるなど、過酸化脂質と生体との関連に関する研究を行ってきた。本研究もその一環として行なわれたものである。 本研究の主な目的のひとつは、リノール酸がどのような状況下でヘムタンパク質と脂質過酸化反応を生じうるのかについて基礎的な現象を明らかにすることであり、またそこで生じうる過酸化脂質がどのような毒性を有しうるのかを明らかにすることである。さらに、ヘムタンパク質はミトコンドリアに多量に含まれているため、ミトコンドリアでおこるとされる脂質過酸化をヘムタンパク質で説明できるか否かも検討した。 2.実験結果1)[チトクロームcと過酸化水素によるロイコトキシンの発生、およびミエロペルオキシダーゼと過酸化水素によるリノール酸モノクロロヒドリンの産生](1)過酸化水素存在下でのチトクロームcによるリノール酸酸化 過酸化水素とチトクロームcの存在下でリノール酸は主としてLTxに変換され、LTxの発生量は加えた過酸化水素濃度に比例した。 (2)過酸化水素発生系存在下でのチトクロームcによるリノール酸酸化 キサンチンオキシダーゼによってヒポキサンチンからスーパーオキシドを発生させ、そのスーパーオキシドからSODの作用により過酸化水素を発生させる反応系とチトクロームcを混在させ、リノール酸からのLTx発生を観察した。HPLCのパターンは、外来性の過酸化水素存在下でのLTx発生とほぼ同じであった。またLTx発生量は加えたヒポキサンチンの濃度に比例した。 (3)ミエロペルオキシダーゼと過酸化水素によるモノクロロヒドリンの発生 ミエロペルキシダーゼとリノール酸を含む反応液に過酸化水素を加えると、モノクロロヒドリンが発生する過酸化水素の濃度が0.4mM程度まではモノクロロヒドリン発生は増加し、過酸化水素の濃度が0.4mMで最大14Mのモノクロロヒドリンが発生した。しかしそれ以上の濃度ではモノクロロヒドリンの発生量は減少した。これはミエロペルオキシダーゼのカタラーゼ様作用が前面に現れたためと考えられた。 (4)ミエロペルオキシダーゼと過酸化水素発生系によるモノクロロヒドリンの発生。 キサンチンオキシダーゼの作用でヒポキサンチンから発生する過酸化水素では、最大3Mのモノクロロヒドリンしか発生しなかった。 3)[モノクロロヒドリンの心筋への作用] モノクロロヒドリンの10Mの処理では有意な収縮力の変化は認められなかった。30M以上の処理で、心筋収縮は有意に抑制をうけた。30Mと100Mの処理では、心筋収縮力の抑制は投与後約5分で最大となり、30Mでは10.3±2.29%(n=10)、100Mでは20.5±5.06%(n=7)の抑制を認めた。300Mでは、心筋収縮力は、処理後30分を経過しても減少を続け、30分で33.1±6.88%(n=8)の抑制を認めた。処理後5分での心筋収縮力の抑制は、30、100、300Mの投与のいずれにおいても、統計学的に有意であった(p<0.05)。以前著者らのしらべたLTxとLTx’のモルモット心筋に対する抑制は、100Mの投与においては最大で、LTxでは6.9±6.8%(n=4)、LTx’では9.8±9.5%(n=4)であった。 モノクロロヒドリンは100Mの処理で最大20.5±5.06%の抑制であったので、モノクロロヒドリンの抑制効果の方が強い傾向があるように思える。 4)[ミトコンドリア亜分画における脂質過酸化とそのモデル](1)ミトコンドリア亜分画における脂質過酸化産物 ミトコンドリア亜分画を、1時間振盪した後、カルシウムを加えて30分間のホスホリパーゼ処理を行うと、HPLCによって,hydroxy-epoxy-octadecenoic acid(HEPO)、9-keto-10,12-octadecadienoic acid(9-KODE)、13-keto-9,11-octadecadienoic acid(13-KODE)、9-hydroxy-10,12-octadecadienoic acid(9-HODE)、9-hydroperoxy-10,12-octadecadienoic acid(9-HpODE)、13-hydroperoxy-9,11-octadecadienoic acid(13-HpODE)の発生が観察された。それぞれの分画はフラクションコレクターで採取し、メチル化後必要に応じてTMS誘導体化して、GC-MSで確認した。ミトコンドリア亜分画での各種過酸化脂質の量は、過酸化水素とターシャルブチルヒドロペルオキシドの添加により促進された。またNADHに関しては、低濃度では有意な変化をおこさなかったが、高濃度でのみ脂質過酸化を抑制した。これは、ミトコンドリア亜分画の脂質過酸化にNADHが必要であるという高柳らの報告とはことなる結果となった。この違いの一つの原因は、高柳らが実験系に鉄イオンを添加しているのに対し、本実験では添加していないためと思われる。そのほか、アスコルビン酸やトコフェロールがこの酸化を有意に抑制し、SODやカタラーゼ、ハイドロキシラジカルスキャベンジャーである安息香酸やマニトール、DMSOなどには抑制効果がなく、過酸化水素やスーパーオキシド、ハイドロキシラジカルがミトコンドリア亜分画の酸化に関与しないことが示唆された。 (2)カルジオリピンとチトクロームcの相互反応による脂質過酸化 カルジオリピンは、過酸化水素を添加しなくても、チトクロームcにより酸化をうけることが明らかになった。過酸化水素存在下でのチトクロームcによるリノール酸酸化ではLTxが主な産物であるのに対し、チトクロームcによるカルジオリピン酸化の場合はLTxの発生は少なく、ミトコンドリア亜分画で見られたのと同様、HpODE、KODE、HEPOが発生することがわかった。またこの反応は、NADH添加で抑制されるほか、アスコルビン酸、トコフェロールには抑制作用があり、SOD、カタラーゼ、ハイドロキシラジカルスキャベンジャーなどには抑制効果が無いなどミトコンドリア亜分画での酸化とよく似ていることがわかった。 3.考察 本研究で、ヘムタンパク質による脂質過酸化に関し、いくつかの新しい知見が得られた。 1) ヘムタンパク質存在下での過酸化水素による脂質過酸化に関しては、チトクロームc、ミエロペルオキシダーゼがそれぞれリノール酸をLTxとモノクロロヒドリンにそれぞれ比較的効率的に変換するが、過酸化水素発生系の存在下では、チトクロームcによるLTx発生に比べて、ミエロペルオキシダーゼによるモノクロロヒドリン発生は極めて効率が悪くなることがわかった。この機構は、食細胞の自己傷害を抑制するのに役立っている可能性があり、食細胞で実際にミエロペルオキシダーゼ依存性の脂質過酸化が起こりうるのか否かを含めてさらに研究すべき課題であると思われる。 2) モノクロロヒドリンには、LTxよりも強力な心筋収縮力抑制作用があることも示された。LTxやモノクロロヒドリンによる心筋収縮力抑制に関しては、どのような機序で心筋収縮力を抑制しているのかについての報告はいまだに見当たらず、これにかんしてもさらに研究されるべきであろう。 3) ミトコンドリア亜分画に、NADHが添加されずとも発生する脂質過酸化があり、それが過酸化水素やスーパーオキシド、ハイドロキシラジカルの発生がなくとも起こりうることが初めて明らかにされ、さらにその産物がリノール酸にリポキシゲナーゼが作用した際の産物である、HpODEs、KODEs、HEPOsなどであることが明らかにされた。またそのモデルとしてカルジオリピン-チトクロームcによる脂質過酸化反応系をあらたに提示した。ミトコンドリア内膜の脂質過酸化反応物が、アラキドン酸酸化物でなく、リノール酸酸化物を主体とするクロマトグラムが得られたことは興味深い。 本研究と法医学との関連であるが、交通事故の後などにおこる筋挫滅症候群におけるミオグロビン尿症においては、腎不全が惹起されるが、この病態にミオグロビンによる脂質過酸化が関与するという報告がある。ミオグロビンのようなヘムタンパク質には、リポキシゲナーゼ活性があり、HpODEなどが発生することが知られており、今後これらHpODEなどの過酸化脂質が腎臓にどのような変化を及ぼしうるのか検索することは、法医学においても重要な意義を有すると考えられる。 |