学位論文要旨



No 214061
著者(漢字) 上園,晶一
著者(英字)
著者(カナ) ウエゾノ,ショウイチ
標題(和) ウサギ灌流肺モデルの開発とプロポフォールの肺血管抵抗に及ぼす影響に関する研究
標題(洋) Development of an isolated perfused rabbit lung model and its application to examine the effect of propofol on pulmonary vascular resistance
報告番号 214061
報告番号 乙14061
学位授与日 1998.11.25
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第14061号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高本,眞一
 東京大学 教授 花岡,一雄
 東京大学 教授 橋都,浩平
 東京大学 助教授 森田,寛
 東京大学 助教授 田上,惠
内容要旨 背景

 新しい静脈麻酔薬であるプロポフォールの中枢神経系、心血管系、呼吸器系の臓器に対する影響が、詳細に解明されつつある。本研究では、プロポフォールの肺血管抵抗に対する作用を測定検討した。

 プロポフォールは、2,6ジイソプロピルフェノールを成分とする静脈麻酔薬である。他の麻酔薬に比べ、プロポフォールは、1.体内での分布、代謝が速やかなため、麻酔導入・覚醒・回復が早い、2.蓄積作用が少なく、麻酔深度の調節性に優れる、3.吸入麻酔薬を併用しない麻酔が可能なので、手術室や環境へのガス汚染が防げる、という特徴を有する。特に、麻酔からの回復過程の質は、他の麻酔薬と比べ格段に優れている。そのため、プロポフォールの臨床での適応が広まっている。

 プロポフォールの肺血管抵抗に対する影響は、これまでにも臨床研究や動物実験で検討されてきたが、その結果は必ずしも一致していない。その原因として、(1)肺血管抵抗(PVR)に影響を与える因子の数が多いため、それらをすべてコントロールできない、(2)PVRの変化は、必ずしも肺血管の収縮・拡張を反映しない、が考えられる。

 本研究では、ウサギ灌流肺を開発しプロポフォールのPVRに対する影響を調べた。まず、この灌流肺モデルは、PVRに影響する重要な因子を厳格に調節することができるかどうか検討した。さらに、流量/圧曲線を作製することで、従来のPVR測定法に付随する問題点を解消できるのではないかという仮説をたて、プロポフォールのPVRに対する影響を研究するのに応用した。対照として、プロポフォールの溶媒であるイントラリピッドを用いた。プロポフォールのPVRに対する影響を検討するのに、肺血管が正常状態の場合だけでなく、収縮した状態での反応も測定した。通常、肺血管はほぼ最大限に弛緩していために、血管拡張作用は、血管が収縮した状態ではじめて明らかになる可能性があるからである。

実験方法

 (A)ウサギ灌流肺モデルの作製:New Zealand白ウサギ(2.5-3kg)にケタミン(35mg/kg)とキシラジン(5mg/kg)を筋注後、気管切開を加え、開胸した。肺動脈と左心房にカニュレーションした後、密閉したチャンバー内に置いた。灌流装置は、PVRに影響を与える因子の大部分(灌流液のpH、PO2、PCO2、肺胞内PO2、PCO2、左房圧、気道内圧、灌流液ならびに肺自体の温度、肺動脈に流入する灌流液の圧の位相差)を正確にコントロールできるように設計した。肺を換気するガスと同じガスを膜型人工肺に供給することで、灌流液の中の血液ガスを一定に保った。肺動脈圧と左房圧は、灌流回路内に組み込んだ同軸の小さなカテーテルを通して測定した。肺動脈血流量は、電磁流量計で測定した。カニュレーション後30分間分時流量約200mlで灌流し、安定した肺動脈圧を得た後、実験を開始した。

 (B)実験のプロトコール:プロポフォールの血中濃度が5g/mlと10g/mlの2点において、PVRの影響を検討した。対照実験として、同用量のイントラリピッドを投与した。肺血管を収縮するのにトロンボキサンA2類似体であるU46619を用いた。合計20匹のウサギを5匹ずつ以下の4群に分けた。(1)肺血管を収縮させてプロポフォールを投与、(2)肺血管を収縮させてイントラリピッドを投与、(3)正常なPVRを保ったままでプロポフォールを投与、(4)正常なPVRを保ったままでイントラリピッドを投与。

 (C)流量/圧曲線の作製とTVPQ200の求め方:肺血管は剛管と異なり、膨らんだり閉じたりするため、血管径が流量によって変化する。そのため、圧と流量の関係は、低流量部分で上に凸の曲線、高流量部分で直線関係を示す。本実験では、各条件下で、4つの異なる流量で、灌流圧(肺動脈圧-左房圧)を測定し、その4点が流量/圧曲線の直線部分にあることを確認した。次に、最小二乗回帰法で200ml/minの流量に対する灌流圧をで求め、それをTVPQ200(transvascular pressure at a flow of 200ml/min)と名づけた(右図参照)。

図表

 プロポフォールやイントラリピッドのPVRへの作用は、この理論上の値であるTVPQ200の変化率から計算した。PVRを上昇する実験群では、処置前、U46619処置後、プロポフォール(またはイントラリピッド)初回投与後、プロポフォール(またはイントラリピッド)2回目投与後に、PVR正常群では、処置前、プロポフォール(またはイントラリピッド)初回投与後、プロポフォール(またはイントラリピッド)2回目投与後に、それぞれTVPQ200を計算した。統計処理には、群内比較にはWilcoxonの順位差検定を、群間比較にはMann-WhitneyのU検定を各々用い、p<0.05を有意差とした。

結果

 PVR上昇群とPVR正常群にわけて、TVPQ200に対するプロポフォールまたはイントラリピッドの影響を右図に示した。PVR上昇群において、プロポフォールは、5g/mlの濃度で13%、10g/mlの濃度で18%、それぞれTVPQ200を減少させた。一方、イントラリピッドは、プロポフォールと同容量で、逆に、12%ならびに24%TVPQ200を上昇させた。PVR正常群では、プロポフォールもイントラリピッドもTVPQ200に対し統計的に有意な影響を与えなかった。

 ある物質の血管に対する作用は、もともとの血管の緊張度と密接に関係している。そこで、プロポフォールとイントラリピッドを投与する前のTVPQ200に差がないかどうかを検討した。PVR上昇群では、U46619によるTVPQ200の変化率は、プロポフォール投与群では、93±12.5%(8.2±0.6cmH2Oから15.7±0.9cmH2O)、イントラリピッド投与群では、96.2±10.3%(6.7±0.5cmH2Oから13.1±0.8cmH2O)と同程度であった。また、PVR正常群でも、プロポフォール投与群とイントラリピッド投与群では、投与前のTVPQ200は、6.5±1.1cmH2Oと7.9±1.2cmH2Oであり、有意差はみられなかった。つまり、PVR上昇群でもPVR正常群でも、プロポフォールまたはイントラリピッド投与前の肺血管の緊張度は同程度であり、肺血管への影響を比較し得ると考えられた。

図表図表
考察

 このウサギ灌流肺を用いて、PVRに影響する因子を正確にコントロールできた。得られたすべての流量/圧曲線について、直線回帰におけるr2は、0.9以上であったので、測定範囲内の流量(分時50-250ml)では、流量/圧曲線は直線に近似できた。この実験系は、肺血管系に対する薬物の影響を測定するのに有用であると考えられる。

 プロポフォールは、収縮した肺血管を拡張したが、正常な肺血管には影響を及ぼさなかった。一方、プロポフォールの溶媒であるイントラリピッドは、収縮した肺血管をさらに収縮させたが、正常な肺血管には影響しなかった。プロポフォールは流量が一定の状態で灌流圧を下げたことから、その肺血管拡張作用は、直接の血管拡張作用に基づくと考えられる。さらに、その肺血管拡張作用は、血管が収縮した状態ではじめて明らかになった。

 本研究からは、プロポフォールの持つ血管拡張作用機序は不明である。しかし、Parkらは、フェニレフリンで収縮させたラット肺動脈血管輪を用いて、プロポフォールの血管拡張作用は、交感神経系を介さない直接の血管平滑筋弛緩によると結論している。

 プロポフォールを単独の麻酔薬として用いた場合、プロポフォール導入後の最高血中濃度は約8g/mlに達し、維持中の血中濃度は、4-5g/mlで推移する。したがって、この実験で用いたプロポフォールの濃度は、臨床で用いる場合の血中濃度に近い。実験に用いた濃度では、プロポフォールは収縮した肺血管を拡張する作用を有している。ただ、それよりも低い濃度では、イントラリピッドの収縮作用がプロポフォールの拡張作用を凌駕し、結果的に肺血管を収縮させてしまう可能性も考えられる。

 本研究の結果から、肺血管抵抗が上昇している症例では、プロポフォールが麻酔薬の選択として適切であることが示唆される。さらに、たとえ肺血管抵抗が正常でも肺血管抵抗の上昇を避けなければならない症例、例えば、大きな心室中隔欠損を有する患者に代表されるようなある種の先天性心疾患を持つ症例においても、少なくとも肺血管抵抗を著明に上昇させることはないという理由で、プロポフォールを麻酔薬として選択するのは合理的である。

 本研究の結果を臨床の場に当てはめて解釈する際に、注意すべき点がいくつかある。第一に、トロンボキサン類似体であるU46619による肺血管抵抗上昇は、肺高血圧症の実験モデルとしては十分に確立しているが、プロタミン誘発による肺高血圧症やB群溶連菌による新生児肺高血圧症においてのみ生理学的関連がいわれているに過ぎない。したがって、この実験の結果を、他の原因による肺高血圧症に当てはめられるかどうかは不明である。第二に、本来、ある薬物の肺血管に対する真の影響は、肺血管抵抗と心拍出量に対する影響の複雑な相互作用によって決まる。実際にプロポフォールを投与すると、その心筋抑制作用によって心拍出量が減少するために、プロポフォールの肺血管抵抗に対する拡張作用が、心拍出量減少によって打ち消される可能性がある。この実験系では、心拍出量の肺血管抵抗に対する影響をコントロールして、純粋にプロポフォールの肺血管抵抗にたいする影響のみを検討している。

結語

 ウサギ灌流肺のin situモデルにおいて、プロポフォールは、血中濃度5ないし10g/mlで、トロンボキサンA2によって上昇した肺血管抵抗を下げることができた。一方、同じ設定で、プロポフォールの溶媒であるイントラリピッドは、上昇した肺血管抵抗をさらに上げた。肺血管抵抗が正常な場合は、プロポフォールもイントラリピッドも影響を与えなかった。

審査要旨

 本研究は、肺血管抵抗に影響を与えるさまざまな因子を厳格にコントロールしうるウサギ灌流肺モデルを開発し、それを用いて新しい静脈麻酔薬であるプロポフォールの肺血管抵抗に及ぼす影響を検討したもので、次の結果を得ている。

 1.新たに開発したウサギ灌流肺モデルでは、灌流液中の血液ガス、肺胞内の酸素分圧と二酸化炭素分圧、左房圧、気道内圧、灌流液ならびに肺自体の温度、肺動脈に流入する灌流液の圧の位相差など、肺血管抵抗に影響を与える重要な因子を厳格にコントロールすることができた。したがって、この実験系から得られた結果は、薬物の肺血管に対する直接の影響によるものと考えられる。

 2.このウサギ灌流肺において、流量が毎分50ml以上の場合、流量/圧関係は直線で回帰できることが示された。したがって、流量を同一にして比較すれば、圧の変化がすなわち血管抵抗の変化として容易に計算できる。この方法は、これまでの肺血管抵抗に付随する問題点を解決しうる方法である。

 3.この実験モデルを用いて、新しい静脈麻酔薬であるプロポフォールの肺血管抵抗に対する影響を測定した。対照には、プロポフォールの溶媒であるイントラリピッドを用いた。それぞれの薬物に対して、肺血管が正常な状態と収縮した状態の反応を測定した。肺血管を収縮するのにトロンボキサンA2類似体の持続投与法を採用した。

 4.プロポフォールは、臨床的に用いられる濃度である5ないし10ug/mlで、上昇した肺血管抵抗を減少させる作用を示した。しかし、肺血管抵抗が正常な場合は、影響を及ぼさなかった。プロポフォールの肺血管拡張作用は、直接の血管拡張作用に基づくと考えられ、血管が収縮した状態ではじめて明らかになった。

 5.一方、プロポフォールの溶媒であるイントラリピッドの場合は、上昇した肺血管をさらに増加させる作用を示した。しかし、肺血管抵抗が正常な場合は、影響を及ぼさなかった。

 6.以上の結果から、肺血管抵抗が上昇している症例では、プロポフォールが麻酔薬の選択として適切であることが示唆された。さらに、たとえ肺血管抵抗が正常でも肺血管抵抗の上昇を避けなければならない症例でも、少なくとも肺血管抵抗を著明に上昇させることはないという理由で、プロポフォールを麻酔薬として選択するのは合理的であると考えられた。

 以上、本研究は、肺血管抵抗に影響を与える因子を厳格にコントロールできるウサギ灌流肺を作製し、流量/圧関係を直線回帰することで、薬物の肺血管抵抗に対する反応を定量的に測定する方法を開発した。さらに、本研究は、この実験系を用い、静脈麻酔薬であるプロポフォールの肺血管抵抗に対する影響を検討し、in vivoとin vitroの実験の相反する結果に決着をつけたと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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