学位論文要旨



No 214063
著者(漢字) 杉村,美紀
著者(英字)
著者(カナ) スギムラ,ミキ
標題(和) エスニシティの「再生産」と教育による言語の正統化機能 : マレーシア華人の事例
標題(洋)
報告番号 214063
報告番号 乙14063
学位授与日 1998.12.02
学位種別 論文博士
学位種類 博士(教育学)
学位記番号 第14063号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 箕浦,康子
 東京大学 教授 藤田,英典
 東京大学 教授 金子,元久
 東京大学 教授 佐藤,一子
 東京大学 助教授 寺崎,弘昭
 国立教育研究所 名誉所員 梶田,美春
内容要旨

 マレーシアは、マレー系(60.6%)、華人(28.1%)、インド系(7.9%)を主要エスニック・グループとする複合社会(plural society)であり、その特徴は、政治的マジョリティであるマレー系に対し経済力の点ではマイノリティである華人が圧倒的な力を有していることにある。マレーシアの独立にあたって、マレー系は、英領植民地時代に起因する社会的経済的立ち遅れを是正し、マジョリティとしての優位性を確保するために、母語であるマレー語を唯一の国語・公用語として正統化し、マレー語を軸とした国民教育政策を実施してきた。すなわち、主要教授用語をマレー語とし、初等・前期中等教育を無償としたうえで、共通の教育課程を採用した「国民」学校による統一的な国民教育制度の確立を目指したのである。そうしたマレー化政策に対し、エスニック・アイデンティティを重視する華人は自分たちの言語・文化の保持という点から抵抗し、そこには様々なコンフリクトが生じた。

 一般に、西洋において近代国民国家が形成される過程では、国民統合の手段として国家により選択され正統化された国語や公用語が重要な役割を担ってきた。そこでは、社会的・経済的にドミナントなエスニック・グループが自らの母語を正統言語とし、それを国民教育によって普及することにより社会的優位性を獲得してきた。その際、国民教育は共通性、統合性、公費負担の原則のもとに、正統言語の使用をマイノリティに強制し、非正統言語を排除するという独占的な性格を有した。しかし、そうした正統言語を軸とする公教育をめぐって、マジョリティとマイノリティの間にはしばしば対立が生じた。特に非西洋社会においては、植民地支配によって多民族社会が創出された後、短期間のうちに国民国家の形成が図られるために、国家権力の絶対的正統性や政治・経済情勢の安定性が揺らぎ、激しいエスニック・コンフリクトが生じやすい。そこでは、公教育の独占性が問われ、マイノリティの言語を教授用語とする教育を認めるか否かという制度的多元制が問題とされる。マレーシアはまさにそうした事例を示すものといえよう。

 本論文では、以上のべた観点から、独立後のマレーシアにおいて、国民統合の手段である言語・教育政策をめぐって展開されるマジョリティとマイノリティ、ならびにマイノリティ内部の政治的対立を分析し、結果としてエスニシティが維持・存続され「再生産」に至る過程を明らかにすることを課題とした。

 分析に際しては以下のような二重の枠組みを設定した。まず、正統言語の制度化に対しては言語・教育政策が決定的役割を果たすことから、マジョリティ及びマイノリティのコンフリクトでは、(1)言語政策をめぐって単一正統言語制度と多言語制度のいずれをとるか、(2)教育政策については、教授用語として正統言語以外にマイノリティの母語を親・子どもが選択できる機会と、それを包摂した多元的な国民教育制度を認めるか否か、さらに(3)民族別進学機会の配分方策が重要な争点となる。次に、先行研究において、マレーシア華人社会は決して一枚岩ではないことが指摘されていることをふまえ、華人社会内部に2つの戦略の方向性があること、すなわち、国民国家への参加と正統言語を基本的に容認する方向(参加志向)と、複数の言語の正統性を要求する方向(並存志向)を区別した。

 分析した資料は現地調査を通じて収集したものであり、国民教育政策に関してはマレー語や英語による政府刊行物・法令・委員会報告などの公文書を、また華人の華語教育要求に関しては、公的資料ではほとんど言及されないことから、華人団体を直接訪問し入手した華語による印刷物・定期刊行物・会合等の記録を対象とした。

 具体的分析では、マレーシアの独立(1957年)から1990年代にいたる国語・国民教育政策の特徴を大きく3つの時期区分からとらえ、各時期において華人与党政党MCA(Malaysian Chinese Association)と華語教育関係者(華校教師会総会及び華校理事連合会総会)の戦略的分化とその争点を歴史的に整理した。まず第1期「マレー語の正統化と国民教育制度の整備」は、正統言語が選択・決定される1950年代(第1章)及び国民教育政策が本格的に始動し、公教育における教授用語が問題化される1960年代(第2章)より成る。次に第2期「マジョリティ優先の国民教育政策」では、マレー系優先政策が開始されマレー化政策が強化されるなかで公教育の統合性が争点となった1970年代前半(第3章)、それに加え、進学機会の配分も問題となった1970年代後半から80年代(第4章)が含まれる。さらに第3期「国語・国民教育政策の再定義と『多文化主義』の導入」では、国内外の政治経済情勢の変化に伴い華語教育の制度的保障が行われたものの、その一方ではマレー語の正統性が引き続き強調され、コンフリクトの争点が残されている1990年代(第5章)の状況を描出した。

 こうした分析の結果、次の点を明らかにしたと考える。第1に、マレーシア華人社会内部には「参加志向」にたつMCAと「並存志向」にたつ華語教育関係者という2つの立場があり、教授用語、公教育の統合性、及び進学機会の配分という3つの争点をめぐってコンフリクトを展開してきたことである。すなわち、MCAは、基本的に単一言語政策及び統一的国民教育制度を支持し、国民教育政策の枠内において華語教育の存続を求める立場をとった。これに対し、華語教育関係者は、多言語政策を求め、各言語及びエスニック・グループに対等な正統性を要求した。こうした両者の対応の違いは、華語教育関係者が公教育制度外で独自に私立「華文独立中学」を運営したことや華語高等教育機関「独立大学」の設立運動を展開したのに対し、MCAはそれらに関与しなかった点にあらわれた。

 分析結果の第2点めとして注目できるのは、こうしたマレー化中心の国民教育政策と華人社会内部のコンフリクトにもかかわらず、マレーシアでは、初等教育段階において、華語教育が華語「国民型」小学校という形態をとって存続してきたことである。この背景には3つの要因、すなわち、1)国家発展のために華人の経済力を重視した政府が、華人社会全体に根強くある華語「国民型」小学校存続要求に配慮したこと、2)政府と華人社会の仲介者として、政府与党のメンバーであり、かつ華人団体でもあるMCAという存在があったこと、3)さらに、華語教育関係者が、分離主義や独立運動にはしることなく政治的安定を重視しながら母語教育要求を展開してきたことがあげられる。この結果、共通性、公費負担の原則は残しつつ、制度的多元制を認めた独自の国民教育制度が築かれたのである。

 こうして存続してきた華語国民型小学校は、MCAと華語教育関係者双方の戦略要件を満たし、華人の母語教育要求を具体化すると同時に、政府側の認可も得ている公教育機関であるという点で、政府、MCA、華語教育関係者三者間の政治バランスを保ち、マジョリティとマイノリティ及びマイノリティ内部のコンフリクトを調整する機能を担っている。

 さらに分析結果の第3点めとして、そうした華語教育機関の存続があったからこそ、徹底したマレー化政策のもとでも華人エスニシティの「再生産」を可能にする条件が常に存在したことが指摘できる。華人の小学校就学者の88%が華語国民型小学校を選択することに示されるように、華人が母語教育に求めるものは、華語を軸とする華人Chinesenessの維持・伝達である。ただし、そこには戦略の違いによる2つの華人エスニシティ像がある。すなわち、「参加志向」にたつMCAは、あくまでも国民であることをまず重視し、「華人文化をあわせもったマレーシア人」を志向しているのに対し、華語教育関係者は、マレー系と同等の正統性を持つ「マレーシア社会における華人」としてのあり方を求めている。言い換えれば、マレーシア華人は「国民」でありかつ「華人」でもあり続けている。

 そしてこの点で、華人はその圧倒的な経済力を背景に、政策に対して逆にインパクトを与える多様性を持った存在ともなり得る。90年代にはいり、従来は国民教育政策外にあった華語教育が国家発展計画のもとで見直されるようになったのは、経済の安定化に伴う民主化要求、国家の枠組みを越えた華人経済圏の広がり、対中関係の政治的緊張緩和、東南アジア各国の社会動向といった国内外の政治経済状況に加え、「華人」であると同時に「国民」でもある華人エスニシティの戦略にもよる。華語教育が迎えた新局面では、華語国民型小学校に加え、華文独立中学も私立学校のひとつとして国民教育機関とみなされるようになり、さらにかつての独立大学構想に類似した華人提案の私立高等教育機関「新紀元学院」の設立も実現した。しかし、それと同時にマレー語の絶対的正統性も重ねて強調されており、華人の戦略的分化の争点はいずれも残されたままである。その意味で、それら華語教育機関には、今後、コンフリクトの調整弁としての役割が一層強く期待される。

 このように、マレーシアでは、正統言語を軸とする公教育に対して制度的多元制の導入という修正を加えることにより、マジョリティ対マイノリティとマイノリティ内部の二重のコンフリクトを調整し、国民統合を実現しようとしてきた。こうした状況は、マレーシア独特の政治社会情勢を反映するものではあるが、それは、多言語・多文化社会を有する新興近代国家において公教育が直面する課題の興味深い例であり、本論文での論点をふまえ、今後さらに各国の比較分析を行うことが重要な課題となると考える。

審査要旨

 多民族・多言語国家であるマレーシアにおいて、独立以降のエスニック・グループ間の言語・教育政策をめぐる激しい葛藤の中で、国民教育制度がいかに形成されてきたのかを、実証的に分析したのが本論文である。

 本論文の第一の特色は、そうした過程について単にマジョリティー(マレー系)とマイノリティ(特に中国外に在住する中国人である「華人」)との対立のみでなく、マイノリティーの側にある華人の間にも、マレーシアという国民国家への参加、そして言語・教育政策をめぐって、戦略上の分化があることに着目したことである。そうした観点から筆者は、マレー語や英語による政府刊行物・法令・委員会報告などの資料を収集、分析しただけでなく、華語資料である華人団体の会合記録や印刷物・定期刊行物などを現地調査を通じて徹底的に収集し、これを分析した。用いられた資料は、マレーシア人研究者によるこれまでの研究においても対象とされていなかったものも多く、この点において本研究の実証的な作業は、重要な知見を加えるものであると考えられる。

 第二に本研究はそうした実証作業を単に羅列するだけでなく、国民国家、言語・教育政策、エスニシティーの再生産、そしてそれら三者をむすぶ結節点としての国民教育、という一般的な枠組みを設定した。そうした枠組みの上にマレーシアの事例を整理・分析することによって、マジョリティとマイノリティの葛藤、さらにマイノリティの中での戦略上の分化が、近代国家の形成過程において必然的に形成されてくる過程であることが、立体的に論述されることになった。また対立・分化の構造が決して静態的なものではなく、大きく変化してきており、しかもさらに今後も変化せざるを得ないであろうと主張している点も、説得的であると考えられる。

 第三にこうした論点は、マレーシアの事例のより深い理解に寄与するだけでなく、多民族・多言語社会における公教育、という一般的な問題につながる。西洋社会においては長期間をかけて進んだ近代国家と公教育による民族・言語の統合が、非西洋社会においては急激に進むために、公教育に対する要求と矛盾とが劇的に現れる。そこでの公教育のあり方は、国際化の中で改めて問題となっている民族的な多様性と公教育との関係にも重要な視点を与えるものである。本論文はそうした比較分析そのものを行なうものではないが、そうした研究にむけての一つの重要な礎石となるものと考えられる。

 以上の点で本論文は、教育学への学術的貢献をなすものと判断され、博士(教育学)の学位を授与することが適当と考えらる。

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