学位論文要旨



No 214065
著者(漢字) 齊田,裕治
著者(英字)
著者(カナ) サイタ,ユウジ
標題(和) ヒト前立腺平滑筋細胞におけるエンドセリンの増殖作用に関する研究
標題(洋)
報告番号 214065
報告番号 乙14065
学位授与日 1998.12.09
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第14065号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 松木,則夫
 東京大学 教授 長尾,拓
 東京大学 教授 入村,達郎
 東京大学 教授 今井,一洋
 東京大学 教授 杉山,雄一
内容要旨 1.エンドセリンと前立腺肥大症

 前立腺肥大症は、高齢者人口が増加する本邦において、患者数増加の著しい疾患のひとつである。症状としては排尿時間の延長、夜間頻尿、尿閉などがある。前立腺肥大による尿路閉塞には2種類あり、肥大した前立腺組織による尿道の物理的な圧迫を機械的閉塞、前立腺平滑筋が収縮することにによって起きる閉塞を機能的閉塞と呼ぶ。前立腺肥大症の薬物療法として1受容体拮抗薬や抗アンドロゲン薬が用いられている。1受容体拮抗薬は前立腺平滑筋を弛緩させることによって機能的閉塞を解除する。抗アンドロゲン薬は前立腺細胞の増殖抑制作用により機械的閉塞を解除する。しかしながら両剤ともに効果が充分でなく、より有効な薬剤の開発が望まれている。

 エンドセリン(ET-1、ET-2、ET-3)は21アミノ酸残基からなるペプチドホルモンであり、平滑筋細胞の収縮や細胞増殖作用など非常に多彩な作用を有する。その作用は細胞表面にあるエンドセリン受容体(ETA、ETB)を介して発揮される。

 近年、前立腺にエンドセリン及びその受容体が存在し、エンドセリンが強力に前立腺を収縮させることが報告された。このことはエンドセリンが機能的閉塞に関わる可能性を示すものである。さらに前立腺肥大症患者の組織中ET-1量及びエンドセリン受容体量が、正常の組織に比べて増加していることが報告されており、エンドセリンと前立腺肥大症との関連が示唆されている。しかしながら前立腺におけるエンドセリンの作用を示した報告は少なく、不明な点が多い。

2.ヒト前立腺平滑筋細胞培養系の構築

 前立腺におけるエンドセリンの作用を詳細に解析するために、前立腺組織の収縮に関わる平滑筋細胞の培養系を構築することとした。前立腺肥大症患者から外科的手術によって摘出された組織を用いてexplant法により培養を試みた。その結果、組織の周囲から生育する細胞を得ることができた。この細胞は長期に渡って継代可能でコンフルエントに達すると平滑筋細胞に特徴的なHill-and-Valleyと呼ばれるきれいな方向性を示して生育した。ギムザ染色により染色体異常が無いことを確認した。電子顕微鏡写真では、アクチン線維の存在やミトコンドリアの形態が細長いことなど平滑筋細胞の特徴を観察することができた。また、抗平滑筋細胞抗体を用いた免疫染色で陽性反応を示した。以上の結果から、得られた細胞はヒト前立腺由来の平滑筋細胞であると結論した。

 その細胞に発現する受容体を簡便に解析する目的で、各種受容体アゴニストを添加した時の、細胞内カルシウムおよびcAMP濃度変化を測定した。その結果、エンドセリン受容体、ムスカリンM2受容体、アドレナリン受容体など種々の受容体の存在が示唆された。

3.エンドセリン受容体サブタイプと細胞内情報伝達機構の解析

 受容体結合実験により、発現するエンドセリン受容体サブタイプについて検討した。ヒト前立腺平滑筋細胞膜に[125I]-ET-1及び[125I]-ET-3の特異的結合が見られた。受容体サブタイプ選択的リガンドを用いた結合阻害実験より、この細胞にETA、ETBの両受容体が発現していることを明らかにした。また結合飽和実験より受容体比率がETA:ETB=1.4:1であることが示された。さらにreverse transcription polymerase chain reactionによりETA、ETB両受容体の発現をmRNAレベルで確認することができた。

 エンドセリン受容体はGTP結合蛋白質を介して、細胞内Ca2+濃度([Ca2+]i)上昇、cAMP上昇、減少などの細胞内情報伝達機構と共役することが報告されている。エンドセリンはcAMPレベルに影響を与えなかったが、ET-1、ET-3の添加により一過性の[Ca2+]i上昇とそれに続く持続性の[Ca2+]i上昇が見られた。ET-1による[Ca2+]i上昇はETA拮抗薬であるBQ-123、ETB拮抗薬であるBQ-788で部分的に抑制された。また、ET-3による[Ca2+]iの上昇はBQ-123で全く抑制されず、BQ-788で完全に抑制された。以上の結果からETA、ETB両受容体とも[Ca2+]i上昇に関与していることを明らかにした。この[Ca2+]i上昇が前立腺組織の収縮に至ることが推測される。ヒト前立腺組織においてETA、ETB両受容体が、いずれも収縮に関与すると報告されているが、平滑筋収縮における両受容体の生理的意義の差については未だ明らかになっていない。そこでETA、ETB両受容体の[Ca2+]i上昇に至る細胞内情報伝達経路において、違いがないかどうかを検討することとした。百日咳毒素(PTX)はGTP結合蛋白質の一種であるGiをADPリボシル化することにより不活化する。前立腺平滑筋におけるETA及びETBそれぞれの受容体を介した[Ca2+]i上昇に対するPTXの阻害効果を検討した。その結果、ETB受容体を介した[Ca2+]i上昇の方がPTXで強く阻害され、両者の阻害率が有意に異なっていた。この結果からETA、ETB受容体を介する[Ca2+]i上昇は、それぞれ異なるGTP結合蛋白質を介していると考えられ、両受容体の生理的意義の差が異なる情報伝達経路に基づいている可能性が示唆された。

4.ヒト前立腺平滑筋細胞におけるエンドセリンの増殖作用

 エンドセリンはさまざまな組織で細胞増殖作用を示すことが知られており、エンドセリンによる不規則な細胞増殖作用が動脈硬化や慢性腎炎などの疾患に関与していることが報告されている。前立腺組織においてもエンドセリンが前立腺細胞の増殖を引き起こし、組織肥大を引き起こす可能性があると考えた。そこでヒト前立腺平滑筋細胞において、エンドセリンが増殖作用を示すかどうかを検討した。その結果、エンドセリンはヒト前立腺平滑筋細胞のDNA合成を濃度依存的に促進し、細胞増殖作用を示した(図1)。エンドセリンで前立腺肥大症の細胞が増殖することを示したのは本研究で初めてのことであり、この作用が前立腺肥大の要素の1つになっている可能性がある。BQ-123、BQ-788を用いた実験により、エンドセリンの作用がETA、ETB両受容体を介していることを明らかにした。またbasic FGFによる増殖作用は、ET-1、ET-3添加により相加的に促進されたことから、エンドセリンが直接的に増殖作用を発揮するだけではなく他の増殖因子の作用を増強する役割も果たす可能性が示唆された。

図1ヒト前立腺平滑筋細胞のET-1、ET-3によるDNA合成促進作用示した濃度のET-1(■)ET-3(●)で刺激して20時間後に[3H]チミジンを加えその後6時間の取り込みを測定した。

 次にエンドセリンによる増殖の細胞内情報伝達系を解析した。basic FGFによる増殖作用は100ng/mlの濃度のPTXでも全く阻害されなかったのに対し、ET-1、ET-3による増殖作用は1ng/mlから有意に抑制された。この結果はエンドセリンによる増殖の経路がbasic FGFのものとは異なることを示している。さらに、ET-1の増殖作用に対するPTXの阻害は完全ではなく、PTX感受性及び非感受性の経路の存在が示唆された。また、ET-1、ET-3による増殖作用が、PI3キナーゼ阻害剤であるワートマニンにより阻害されたことから、増殖にはPI3キナーゼが関与していることが示された。p38MAPキナーゼ阻害剤のSB201290でもET-1による増殖が阻害され、p38MAPキナーゼの関与も示唆された。

5.まとめ

 ヒト前立腺平滑筋細胞の培養系を構築した。この細胞にETA、ETB両受容体が発現していることを明らかにした。エンドセリン刺激により[Ca2+]iが上昇し、この上昇にETA、ETB両受容体が関与していた。しかしながらETA、ETB両受容体はそれぞれ異なるGTP結合蛋白質と共役して[Ca2+]i上昇を引き起こしている可能性を示した。またエンドセリンが増殖作用を示すことを明らかにした。その作用もETA、ETB両受容体を介していた。エンドセリンによる増殖にはPTX感受性、非感受性の経路、PI3キナーゼ、p38MAPキナーゼが関与していた。

 エンドセリン拮抗薬が前立腺平滑筋細胞の収縮を抑制することにより機能的閉塞を解除し、さらに前立腺の細胞増殖を抑制することにより機械的閉塞を解除できる性質を併せ持った理想的な前立腺肥大症治療薬となる可能性が示された。

審査要旨

 前立腺肥大症は排尿時間の延長、夜間頻尿、尿閉などを主症状とし、高齢者人口が増加する我が国において患者数増加の著しい疾患のひとつである。前立腺肥大による尿路閉塞には、肥大した前立腺組織による尿道の物理的な圧迫(機械的閉塞)と前立腺平滑筋の収縮(機能的閉塞)の二種類が存在する。前立腺肥大症の薬物療法としてアドレナリン1受容体拮抗薬や抗アンドロゲン薬が用いられているが効果は充分ではない。エンドセリン(ET-1、ET-2、ET-3)は21アミノ酸残基からなるペプチドであり、平滑筋細胞の収縮や細胞増殖作用など非常に多彩な作用を有し、その作用は細胞表面にあるエンドセリン受容体(ETA、ETB)を介して発揮される。近年、前立腺にエンドセリン及びその受容体が存在し、エンドセリンが強力に前立腺を収縮させること及び前立腺肥大症患者の組織中ET-1量及びエンドセリン受容体量が増加していることが報告された。本研究は前立腺肥大症とエンドセリンの関連に着目し、前立腺におけるエンドセリンの作用を解析することを目的として行われた。

 まず、ヒト前立腺組織平滑筋細胞の培養系を構築した。前立腺肥大症患者から外科的手術によって摘出された組織にexplant法を適用することにより、長期に渡って継代培養可能な細胞を得ることができた。この細胞はコンフルエント状態では平滑筋細胞に特徴的なHill-and-Valleyと呼ばれる方向性を示して生育すること、アクチン線維の存在が電子顕微鏡写真で確認されたこと、ミトコンドリアの形態が細長いこと、抗平滑筋細胞抗体を用いた免疫染色で陽性反応を示したことなどからヒト前立腺由来の平滑筋細胞であると結論した。細胞内カルシウム濃度やcAMP濃度を指標に解析した結果、この細胞にはエンドセリン受容体、ムスカリンM2受容体、アドレナリン受容体が存在することが確認された。

 次に、受容体結合実験により、発現するエンドセリン受容体のサブタイプについて検討した。ヒト前立腺平滑筋細胞膜にETA、ETBの両サブタイプ受容体が発現していること、両者の存在比率が1.4:1であることを明らかにした。さらにRT-PCRによりETA、ETB両受容体の発現をmRNAレベルで確認した。

 エンドセリン受容体はGTP結合蛋白質を介して、細胞内Ca2+濃度([Ca2+]i)上昇、cAMP上昇または減少などの細胞内情報伝達機構と共役することが報告されている。ET-1、ET-3の添加によりcAMPレベルは影響されなかったが、一過性の[Ca2+]i上昇とそれに続く持続性の[Ca2+]i上昇が観察された。ET-1による[Ca2+]i上昇はETA拮抗薬であるBQ-123、ETB拮抗薬であるBQ-788で部分的に抑制された。また、ET-3による[Ca2+]iの上昇はBQ-123で全く抑制されず、BQ-788で完全に抑制された。以上の結果からETA、ETB両受容体とも[Ca2+]i上昇、つまり平滑筋収縮に関与していることを明らかにした。さらにETB受容体を介した[Ca2+]i上昇のみが百日咳毒素(PTX)で強く阻害された。ETA、ETB受容体を介する[Ca2+]i上昇は、それぞれ異なるGTP結合蛋白質を介していることが示唆された。

 エンドセリンはさまざまな組織で細胞増殖作用を示し、動脈硬化や慢性腎炎などの疾患への関与が注目されている。そこで前立腺組織においてもエンドセリンが前立腺細胞を増殖させ組織肥大を引き起こす可能性を検討した。その結果、エンドセリンはヒト前立腺平滑筋細胞のDNA合成を濃度依存的に促進し、細胞増殖作用をもつことを初めて明らかにした。さらに、この細胞増殖作用がETA、ETB両受容体を介していることを示した。また塩基性線維芽細胞成長因子(bFGF)による増殖作用がET-1、ET-3添加により促進されたことから、エンドセリンが他の増殖因子の作用を増強する可能性を示唆した。

 次に、ニンドセリンによる増殖の細胞内情報伝達系を解析した。エンドセリンによる増殖作用はPTXにより濃度依存的に減少したが完全には抑制されなかった。従って、PTX感受性及び非感受性の経路の存在が示唆された。また、ET-1による増殖作用がPI3キナーゼ阻害剤であるワートマニン、p38 MAPキナーゼ阻害剤のSB201290により阻害されたことから、増殖作用にはPI3キナーゼおよびp38MAPキナーゼが関与していることが示唆された。

 以上、本研究はヒト前立腺平滑筋細胞に対するエンドセリンの作用を解析し、平滑筋収縮の指標となる細胞内Ca濃度上昇および平滑筋細胞増殖作用、さらに関与する受容体のサブタイプ、細胞内情報伝達系を明らかにした。エンドセリン拮抗薬が前立腺平滑筋細胞の収縮を抑制することにより機能的閉塞を解除し、さらに前立腺の細胞増殖を抑制することにより機械的閉塞を解除できる性質を併せ持った理想的な前立腺肥大症治療薬となる可能性を示した。よって博士(薬学)の授与に値するものと判断した。

UTokyo Repositoryリンク