前立腺肥大症は排尿時間の延長、夜間頻尿、尿閉などを主症状とし、高齢者人口が増加する我が国において患者数増加の著しい疾患のひとつである。前立腺肥大による尿路閉塞には、肥大した前立腺組織による尿道の物理的な圧迫(機械的閉塞)と前立腺平滑筋の収縮(機能的閉塞)の二種類が存在する。前立腺肥大症の薬物療法としてアドレナリン1受容体拮抗薬や抗アンドロゲン薬が用いられているが効果は充分ではない。エンドセリン(ET-1、ET-2、ET-3)は21アミノ酸残基からなるペプチドであり、平滑筋細胞の収縮や細胞増殖作用など非常に多彩な作用を有し、その作用は細胞表面にあるエンドセリン受容体(ETA、ETB)を介して発揮される。近年、前立腺にエンドセリン及びその受容体が存在し、エンドセリンが強力に前立腺を収縮させること及び前立腺肥大症患者の組織中ET-1量及びエンドセリン受容体量が増加していることが報告された。本研究は前立腺肥大症とエンドセリンの関連に着目し、前立腺におけるエンドセリンの作用を解析することを目的として行われた。 まず、ヒト前立腺組織平滑筋細胞の培養系を構築した。前立腺肥大症患者から外科的手術によって摘出された組織にexplant法を適用することにより、長期に渡って継代培養可能な細胞を得ることができた。この細胞はコンフルエント状態では平滑筋細胞に特徴的なHill-and-Valleyと呼ばれる方向性を示して生育すること、アクチン線維の存在が電子顕微鏡写真で確認されたこと、ミトコンドリアの形態が細長いこと、抗平滑筋細胞抗体を用いた免疫染色で陽性反応を示したことなどからヒト前立腺由来の平滑筋細胞であると結論した。細胞内カルシウム濃度やcAMP濃度を指標に解析した結果、この細胞にはエンドセリン受容体、ムスカリンM2受容体、アドレナリン受容体が存在することが確認された。 次に、受容体結合実験により、発現するエンドセリン受容体のサブタイプについて検討した。ヒト前立腺平滑筋細胞膜にETA、ETBの両サブタイプ受容体が発現していること、両者の存在比率が1.4:1であることを明らかにした。さらにRT-PCRによりETA、ETB両受容体の発現をmRNAレベルで確認した。 エンドセリン受容体はGTP結合蛋白質を介して、細胞内Ca2+濃度([Ca2+]i)上昇、cAMP上昇または減少などの細胞内情報伝達機構と共役することが報告されている。ET-1、ET-3の添加によりcAMPレベルは影響されなかったが、一過性の[Ca2+]i上昇とそれに続く持続性の[Ca2+]i上昇が観察された。ET-1による[Ca2+]i上昇はETA拮抗薬であるBQ-123、ETB拮抗薬であるBQ-788で部分的に抑制された。また、ET-3による[Ca2+]iの上昇はBQ-123で全く抑制されず、BQ-788で完全に抑制された。以上の結果からETA、ETB両受容体とも[Ca2+]i上昇、つまり平滑筋収縮に関与していることを明らかにした。さらにETB受容体を介した[Ca2+]i上昇のみが百日咳毒素(PTX)で強く阻害された。ETA、ETB受容体を介する[Ca2+]i上昇は、それぞれ異なるGTP結合蛋白質を介していることが示唆された。 エンドセリンはさまざまな組織で細胞増殖作用を示し、動脈硬化や慢性腎炎などの疾患への関与が注目されている。そこで前立腺組織においてもエンドセリンが前立腺細胞を増殖させ組織肥大を引き起こす可能性を検討した。その結果、エンドセリンはヒト前立腺平滑筋細胞のDNA合成を濃度依存的に促進し、細胞増殖作用をもつことを初めて明らかにした。さらに、この細胞増殖作用がETA、ETB両受容体を介していることを示した。また塩基性線維芽細胞成長因子(bFGF)による増殖作用がET-1、ET-3添加により促進されたことから、エンドセリンが他の増殖因子の作用を増強する可能性を示唆した。 次に、ニンドセリンによる増殖の細胞内情報伝達系を解析した。エンドセリンによる増殖作用はPTXにより濃度依存的に減少したが完全には抑制されなかった。従って、PTX感受性及び非感受性の経路の存在が示唆された。また、ET-1による増殖作用がPI3キナーゼ阻害剤であるワートマニン、p38 MAPキナーゼ阻害剤のSB201290により阻害されたことから、増殖作用にはPI3キナーゼおよびp38MAPキナーゼが関与していることが示唆された。 以上、本研究はヒト前立腺平滑筋細胞に対するエンドセリンの作用を解析し、平滑筋収縮の指標となる細胞内Ca濃度上昇および平滑筋細胞増殖作用、さらに関与する受容体のサブタイプ、細胞内情報伝達系を明らかにした。エンドセリン拮抗薬が前立腺平滑筋細胞の収縮を抑制することにより機能的閉塞を解除し、さらに前立腺の細胞増殖を抑制することにより機械的閉塞を解除できる性質を併せ持った理想的な前立腺肥大症治療薬となる可能性を示した。よって博士(薬学)の授与に値するものと判断した。 |