学位論文要旨



No 214068
著者(漢字) 土佐,光司
著者(英字)
著者(カナ) トサ,コウジ
標題(和) 水中における腸管系病原微生物の損傷に関する研究
標題(洋)
報告番号 214068
報告番号 乙14068
学位授与日 1998.12.11
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第14068号
研究科 工学系研究科
専攻 都市工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大垣,眞一郎
 東京大学 教授 山本,和夫
 東京大学 教授 味埜,俊
 東京大学 助教授 木暮,一啓
 東京大学 教授 古米,弘明
内容要旨

 本論文の目的は,水の公衆衛生学的技術対策において重要な位置を占める水中における病原微生物の損傷の程度を明らかにすることにある。本目的の達成のために,まず,水中の病原性大腸菌あるいは大腸菌群のマイクロコズムへの暴露,環境水への暴露および塩素消毒による細胞壁や細胞膜の損傷の程度を明らかにした。さらに,下痢原性大腸菌,サルモネラ菌およびクリプトスポリジウムの紫外線消毒によるDNAの損傷の程度すなわち光回復の程度を明らかにした。

 第1章では,本論文の背景として,水環境における損傷微生物とその回復可能性の重要性を指摘し,本論文の目的および構成を述べた。

 第2章では過去15年間に公表された文献について調査を行い,わが国における水系感染症の集団発生についてまとめた。15年間に全部で少なくとも66件,患者数で13,000人以上の水系感染症の集団発生があったことが判明した。原因微生物としては大腸菌とカンピロバクターがその大部分を占めていた。水源は地下水が多かったが,簡易水道を中心とする水道施設の管理不十分や給水設備の故障により水道水が原因である場合も少なからず存在した。発生件数,患者数ともに明確な経年変化はみられなかった。発生する季節としては食中毒などと同様で夏期に多く発生する傾向がみられた。

 第3章では細菌試験に用いる希釈水濃度および培地の温度が毒素原性大腸菌の損傷に及ぼす効果を実験的に検討した。特に損傷を与えていない細菌細胞でも,公定法で採用されている濃度の希釈水で希釈されることにより,浸透圧による損傷を受けた。また,混釈法の場合は塗沫法の場合より損傷率が大きかった。これは熱ショックによるものと考えられた。特に損傷を与えていない毒素原性大腸菌に及ぼす培地中のデソキシコール酸ナトリウム濃度の影響を実験的に検討した。デソキシコール酸ナトリウム濃度が0.01%以下の場合で損傷率は10%以下となった。

 第4章ではろ過滅菌した環境水および人口海水中における毒素原性大腸菌の損傷について実験的に検討した。浸透圧の高い場合に高い損傷率が観察された。また,損傷した毒素原性大腸菌は毒素産生能を喪失してはいなかった。

 第5章では環境水中の損傷大腸菌群の存在量調査を行った。環境水中における大腸菌群の損傷の明確な原因は不明であったが,環境水中における大腸菌群の損傷率は最大で78%であり,環境水の大腸菌群試験においても損傷菌の存在を考慮する必要があることが示唆された。

 第6章では遊離塩素およびクロラミンによる毒素原性大腸菌の損傷について検討した。損傷率は接触開始時から増加し,最終的にはほとんどすべての生残菌が損傷菌となった。遊離塩素の場合,毒素原性大腸菌の損傷率は,マルチヒットモデルで2ヒットを仮定し,損傷菌は1ヒットのみを受けることで生ずるとしたモデルで説明可能であった。損傷菌数が最大となる接触時間が存在することがモデルより導かれた。この接触時間の値は消毒剤濃度が大きいほど小さかった。毒素原性大腸菌はクロラミンにより損傷を受け,選択培地上での増殖能力を喪失した。クロラミンが高濃度の場合,損傷率は最初から増加し,その後,ほとんど一定となった。クロラミンが低濃度の場合,損傷率は,最初,減少した。この初期減少は初期損傷菌の急速な不活化に由来する。損傷率の最大値はクロラミン濃度に比例する。同じ不活化率を得る場合,低濃度で長時間の接触を行う方が損傷率は小さく,消毒が有効に行われる。

 第7章では遊離塩素に暴露された大腸菌の損傷状態の変化について実験的に検討した。さらに,動力学モデルを開発して実験値に適用し,以下の知見を得た。塩素に暴露された大腸菌の生理学的状態の変化を,界面活性剤濃度を段階的に変化させた培地により評価可能である。大腸菌のデオキシコール酸ナトリウム耐性分布は接触時間の増加とともに低濃度側へシフトした。モデルは実験結果とよく一致した。

 第8章では下痢原性大腸菌14株の紫外線による不活化と光回復について実験的に検討した結果,以下のことが明らかとなった。下痢原性大腸菌の90および99%不活化に必要な紫外線照射量は,それぞれ,0.1〜7.1mW sec/cm2および0.2〜9.8mW sec/cm2の範囲であった。腸管出血性大腸菌O26(FK10,FK11),腸管組織侵入性大腸菌O124:H-,O152,腸管病原性大腸菌O55および毒素原性大腸菌O6,O25(FK20),O25(FK21)の8株が光回復した。一方,腸管出血性大腸菌O157:H7,腸管組織侵入性大腸菌O167,腸管病原性大腸菌O44,O142,O127および毒素原性大腸菌O6:H16の6株は光回復しなかった。下痢原性大腸菌のうち,光回復能を有するものは,紫外線の照射で1.5〜4log程度の不活化が達成されても,光回復後の不活化率は1log程度であった。

 第9章ではサルモネラ菌の紫外線による不活化及び光回復について実験的に検討した。サルモネラ菌の90%不活化に必要な紫外線照射量は,1.9〜7.7mW sec cm2の範囲であった。S.DerbyおよびS.Anatumでは明確な光回復は生じなかったが,S.Enteritidis,S.InfantisおよびS.Typhimuriumでは明確な光回復が生じた。光回復が生じた3株については,紫外線の照射で3log程度の不活化を達成しても,光回復後は2〜1log程度の不活化でしかなかった。

 第10章ではCryptosporidium parvumの紫外線による不活化および光回復について実験的に検討した。C.parvumの90%不活化に必要な紫外線照射量は300mW sec/cm2であった。C.parvumでは明確な光回復はみられなかった。

 本研究の成果をもとにすると,紫外線消毒において3logの不活化を目標とするなら,9log以上もの不活化を必要とする場合があることになる。下水処理水の消毒においては,塩素消毒は実際にはクロラミン消毒となっているから,塩素消毒の効果よりも紫外線消毒の効果を過大評価する可能性が高い。

 しかし,本研究は,あくまでin vitroでの回復をみたものであり,実際の環境中での回復や再増殖とは異なる可能性もある。今後,消毒した下水処理水の再利用における微生物学的安全性を確保するには,実際の環境の場で病原微生物,特に,病原細菌がどの程度回復するのか,あるいは再増殖が生じるのかといった問題を把握していく必要があるだろう。

審査要旨

 水環境と水資源の公衆衛生学的な安全性確保のための対策と技術開発において、病原微生物の損傷機構は最も重要な知見である。本研究は、水中病原微生物の各種ストレスに対する損傷と回復過程を解明した成果である。

 本論文は、「水中における腸管系病原微生物の損傷に関する研究」と題し、11章より構成されている。

 第1章では、水環境における損傷微生物とその回復可能性の知見の重要性を指摘し、本論文の目的および構成を述べている。

 第2章は、「わが国における水系感染症の集団発生事例」であり、過去15年間にわたる文献調査を行い、15年間に少なくとも66件,患者数で13,000人以上の水系感染症の集団発生があったことを明らかにし、原因微生物,水道施設による感染実態,発生件数,患者数の経年変化,発生する季節などについてのデータを整理解析している。

 第3章は、「培養操作による水中の細菌の損傷」についてである。細菌試験に用いる希釈水濃度および培地の温度が毒素原性大腸菌の損傷に及ぼす影響を実験的に検討している。特に損傷を与えていない細菌細胞でも、公定法で採用されている濃度の希釈水で希釈されることにより、浸透圧による損傷を受けること、また、混釈法の場合は塗沫法の場合より損傷率が大きいことを明らかにしている。

 第4章の「マイクロコズム中における毒素原性大腸菌の損傷」においては、浸透圧の高い場合に高い損傷率が実験的に観察されること、また、損傷した毒素原性大腸菌は毒素産生能を喪失していないことを明らかにしている。

 第5章の「環境水中における損傷大腸菌群の存在量」では、各種水系を調査し、環境水中における大腸菌群の損傷の個別の原因は不明であるものの、環境水中における大腸菌群の損傷率は最大で78パーセントであることを明らかにしている。環境水の大腸菌群試験においても損傷菌の存在を考慮する必要があることを指摘している。

 第6章「塩素消毒による毒素原生大腸菌の損傷」では、遊離塩素およびクロラミンによる毒素原性大腸菌の損傷について検討し、損傷率は接触開始直後から増加し、最終的にはほとんどすべての生残菌が損傷菌となったことを示している。遊離塩素の場合,毒素原性大腸菌の損傷率はシリーズイベントモデルで不活化には2つのイベントが必要であると仮定した場合、損傷菌はモデルにおいて1つのイベントのみを受けることによって生ずると仮定することによって説明が可能であることを示している。遊離塩素,クロラミンのいずれについても損傷菌数が最大となる接触時間が存在することをモデルにより導いている。また、クロラミンについては、同じ不活化率を得る場合、低濃度で長時間の接触を行う方が損傷率は小さく、消毒が有効に行われることもモデルにより導いている。

 第7章「遊離塩素による大腸菌の損傷過程の動力学」では、遊離塩素に暴露された大腸菌の損傷状態の変化についての実験的な検討と消毒のモデルによる考察を行っている。大腸菌のデオキシコール酸ナトリウム耐性分布は接触時間の増加とともに低濃度側へシフトするという実験結果をモデルによりうまく説明できることを示している。

 第8章「紫外線による下痢原性大腸菌の不活化および回復」では、下痢原性大腸菌14株の紫外線による不活化と光回復について実験的に検討し、下痢原性大腸菌の90パーセント不活化および99パーセント不活化に必要な紫外線照射量は、それぞれ,0.1〜7.1mW sec/cm2および0.2〜9.8mWsec/cm2とその範囲が広いことを示している。また、14株のうち、腸管出血性大腸菌O26(FK10,FK11),腸管組織侵入性大腸菌O124:H-,O152,腸管病原性大腸菌O55および毒素原性大腸菌O6,O25(FK20),O25(FK21)の8株が光回復すること、一方、腸管出血性大腸菌O157:H7,腸管組織侵入性大腸菌O167,腸管病原性大腸菌O44,O142,O127および毒素原性大腸菌O6:H16の6株は光回復しないことを明らかにしている。

 第9章「紫外線によるサルモネラ菌の不活化および回復」では、サルモネラ菌の紫外線による不活化及び光回復について実験的に検討し、サルモネラ菌の90パーセント不活化に必要な紫外線照射量は,1.9〜7.7mW sec/cm2の範囲であり、光回復についてはサルモネラ菌の5株について調べ、光回復を示すもの(3株)と示さないもの(2株)が存在することを示している。

 第10章「紫外線によるクリプトスポリジウムの不活化および回復」では、Cryptosporidium parvumの紫外線による不活化および光回復について実験的に検討し、生育活性を脱嚢法で評価した場合、C.parvumの90パーセント不活化に必要な紫外線照射量は300mWsec/cm2であり、光回復についてはその能力を明確に示さないことを明らかにしている。

 第11章「結論」では、研究成果を総括し、下水処理における消毒技術への本研究の知見の応用を考察している。

 以上のように、本論文は、各種の腸管系病原微生物について、損傷を考察するための実験的手法の検討,損傷過程のモデル化,自然環境要因・遊離塩素・クロラミン・紫外線による損傷の実測,光回復の定量的評価、など不活化と損傷についての多岐にわたる知見を示しており、都市環境工学分野,特に、消毒技術の学術分野に大きく貢献するものである。

 よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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