焼酎の香り成分は、酵母が生成する香りに関する研究を中心にして行われてきた。しかし、焼酎は原料が多岐にわたり、原料の特性が如実に製品に反映されると考えられる。南九州の代表的な焼酎である甘藷焼酎の特徴的な香りを構成しているのは、甘藷の中に存在する数種のモノテルペンアルコールであることが明らかにされているものの、他の焼酎に関するものはなく、官能的には焼酎の原料特性が把握されてはいるものの、その化合物が何であるのか、更にはその生成機構に関する知見は明らかになっていないものが多い。 沖縄地方の代表的な焼酎である泡盛は、官能的にバニラ臭及びフェノール臭を有することが知られており、バニラ臭はバニリンと推察される。そこで本研究では泡盛の特徴的な香りであるバニラ臭やフェノール臭を構成すると考えられるフェノール化合物について、化合物の同定及びその生成機構を解明することを目的とした。 第1章泡盛及び大麦焼酎において見いだされたフェノール化合物 高速液体クロマトグラフィーを用いて、フェルラ酸、バニリン及びバニリン酸を定量し、泡盛中には0.05-0.3mg/l程度のフェルラ酸、0.2-1.0mg/l程度のバニリン及び0.15mg/l程度のバニリン酸が含まれることが分かった。また、泡盛の蒸留直後と5年貯蔵後とでは含有量に変化が見られ、熟成中にフェルラ酸が減少し、バニリン及びバニリン酸が増加する傾向があった。 泡盛及び大麦焼酎において未知のフェノール化合物が見いだされたが、この化合物は、蒸留及び貯蔵の過程でフェルラ酸から変換された化合物と推察された。 バニリンの溶液中における官能的閾値を検討したところ、0.2mg/lと推察され、ウイスキーやブランデイー等で報告されている結果と一致した。この値から、バニリンは熟成泡盛(クース)の香りに大きく寄与していることが示唆された。 第2章モデル焼酎におけるフェルラ酸から4-ビニルグアヤコール、バニリン及びバニリン酸への変換 フェルラ酸のみを含有するモデル焼酎を蒸留し、留出溶液を初期、中期及び後期画分とに分画し、HPLC分析を行った。初期ではフェルラ酸のみが見出されたが、中期では泡盛のクロマトグラムの未知成分とリテンションタイムが同位置の化合物が主に検出されたが、フェルラ酸は見出されなかった。後期には、未知成分とともにバニリン及びバニリン酸等が見出された。以上の結果よりフェルラ酸は、蒸留中に変換されることが示唆され、その化合物は泡盛中に見出された未知成分と推察された。この化合物は、GC-MS分析により4-ビニルグアヤコールと同定した。また、貯蔵中に4-ビニルグアヤコールからバニリンへの変換が確認された。 さらに、フェルラ酸変換における貯蔵中の温度、pH及びアルコール濃度の影響をモデル焼酎を用いて調べた。 フェルラ酸は植物細胞壁にエステル結合していることが報告されており、粉砕した米に麹粗酵素抽出液を作用させると遊離のフェルラ酸の増加が確認された。これより焼酎香気成分の一つであるバニリンの生成は、原料に存在するフェルラ酸が麹菌の生産するフェルラ酸エステラーゼの作用によって焼酎もろみに遊離し、蒸留中に4-ビニルグアヤコールとなり、貯蔵中にバニリンに変換されると推察された。また、焼酎もろみ中における微生物変換の関与も示唆された。 第3章泡盛麹菌の生産するフェルラ酸エステラーゼの諸性質 Aspergillus awamori IF04033の小麦ふすま培養上清から、フェルラ酸エステラーゼをSDS-PAGEにて単一になるまで精製した。本酵素のMrは35,000、pIは3.8で、Asn結合型の糖鎖が存在した。 フェルラ酸エステラーゼ活性の至適pHは、pH5.0であった。pH安定性は、pH4-11の範囲において安定であり、Aspergillus kawachiiのキシラナーゼやアミラーゼで見られるような強い好酸性、耐酸性ではないが、焼酎もろみのような酸性側において充分機能していることが推察された。また、至適温度は45℃で、50℃まで安定であった。 酵素活性は、DFPやPMSF等のセリン残基修飾剤によって阻害され、活性中心はセリン残基で構成されることが示唆された。 精製酵素を小麦ふすまに作用させると、フェルラ酸とともにp-クマール酸の遊離が確認された。また、A.kawachii由来の精製キシラナーゼを同時に作用させると、上記のフェノール酸が飛躍的に増加しキシラナーゼが相乗的に働いていることが示唆された。 本酵素は、セルロースに結合する性質を示し、キシランやデンプンには結合しなかった。 N-末端アミノ酸解析により、N-末端アミノ酸はピログルタミン酸と推察された。また、V8プロテアーゼ及びリシルエンドペプチダーゼ処理後のHPLCによる精製ペプチドのアミノ酸配列を決定した。これら決定した部分アミノ酸配列と他のタンパク質のアミノ酸配列とのホモロジーを調べたところ、Aspergillus niger及びAspergillus tubingensisのフェルラ酸エステラーゼ遺伝子産物と高い相同性が認められた。 第4章泡盛麹菌の生産するキシラン分解に関わる酵素の解析第1節アセチルエステラーゼの諸性質と遺伝子のクローニング 第3章に示した方法でアセチルエステラーゼをSDS-PAGEにて単一になるまで精製し、Mrは31,000、pIは3.0であった。 アセチルエステラーゼ活性の至適pHは、pH7.0で、pH6.0-9.0の範囲において安定であった。また、至適温度は40℃で、40℃まで安定であり、フェルラ酸エステラーゼに比べて酸性側での安定性及び熱安定性が劣っていた。 本酵素は、アセチルキシランからの脱アセチル活性を有していた。また、フェルラ酸エステラーゼと基質特異性の違いが見られた。 N-末端アミノ酸配列及び内部のアミノ酸配列を基に、それぞれ混合する29-mer及び23-merのオリゴヌクレオチドを合成し、これをプローブに用いて本酵素遺伝子のクローニングを行った。 A.awamoriアセチルエステラーゼ遺伝子を含む1.8kbのSalI-AccIIフラグメントの塩基配列及び推定されるアミノ酸配列を決定した。本タンパク質は304アミノ酸残基で合成され、成熟タンパク質は、29アミノ酸残基からなるリーダーペプチドがプロセッシングを受けることにより275アミノ酸残基から成ることが示唆された。また、リーダーペプチドは通常の糸状菌におけるシグナルシーケンスより長く、リーダーペプチドのC-末端には、Lys-2-Arg-1の連続したポジティブなアミノ酸が存在することから、Arg-1とSer1間でKEX-2 like processing proteaseによるプロセッシングが起こっている可能性が考えられた。 SWISS-PROT sequenceデータベース検索を行ったところ、AceAタンパク質はA.nigerアセチルキシランエステラーゼと95%の相同性があった。しかしながら、他の微生物起源アセチルキシランエステラーゼとは相同性が認められなかった。 また、本酵素の活性中心と思われるSer119近傍ではGeotrichum candidum及びCandida cylindraceaリパーゼの活性中心セリン近傍と約28%の相同性が認められた。 第2節-L-アラビノフラノシダーゼの諸性質 Aspergillus awamori IF04033の生産する2種類の-L-アラビノフラノシダーゼを小麦ふすまを用いて、SDS-PAGEにて単一になるまで精製した。Mrは63,000及び82,000であり、それぞれを-L-アラビノフラノシダーゼI(AAF-I)及びII(AAF-II)とした。 酵素活性に及ぼすpHの影響は、至適pHがAAF-I、AAF-IIともpH4.0で好酸性であり、また、pH安定性はAAF-IがpH4-6、AAF-IIがpH5-7の範囲において安定であった。特にAAF-Iは、耐酸性の傾向があった。 酵素活性に及ぼす温度の影響は、至適温度はAAF-Iが55℃、AAF-IIが45℃であり、両酵素とも60℃までは安定であった。 基質特異性については、AAF-I、AAF-IIとも小麦ふすまからアラビノースを遊離した。また、AAF-IIは、フェルラ酸エステラーゼによる植物細胞壁からのフェルラ酸の遊離に相乗的に働いた。合成基質を用いて調べるとAAF-IIはAAF-Iに比べ広い基質特異性を示した。 -L-アラビノフラノシダーゼの生産は炭素源及び培地pHの影響を受け、本酵素遺伝子は炭素源及びpHによる発現制御を受けていることが推察された。 第5章本研究のまとめ 本研究では、泡盛や大麦焼酎にはフェルラ酸、4-ビニルグアヤコール、バニリン及びバニリン酸が存在し、HPLCを用いて簡易的に定量できることを示し、バニリンは泡盛の香気の形成に大きく関わっていることが分かった。また、バニリンはフェルラ酸から4-ビニルグアヤコールを経て生成することが明らかとなった。 フェルラ酸は植物細胞壁にエステル結合しており、フェルラ酸遊離に関わるフェルラ酸エステラーゼをA.awamori IF04033から精製し、その諸性質を検討した。 さらに、植物細胞壁アラビノキシランの分解に関わるアセチルエステラーゼ及び-L-アラビノフラノシダーゼについても解析を行った。 |