学位論文要旨



No 214082
著者(漢字) 中村,愛
著者(英字)
著者(カナ) ナカムラ,メグミ
標題(和) ウェルシュ菌毒素の膜破壊機構の解析
標題(洋)
報告番号 214082
報告番号 乙14082
学位授与日 1998.12.24
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第14082号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 松澤,洋
 東京大学 教授 鈴木,紘一
 東京大学 教授 福井,泰久
 東京大学 助教授 正木,春彦
 東京大学 助教授 若木,高善
内容要旨

 ウェルシュ菌が産生する毒素は、動物細胞膜のコレステロールを認識して膜に結合し、膜内に侵入して毒素分子どうしが会合し、膜を貫通するポアを形成して膜破壊を引き起こすと考えられている。近年、毒素は動物細胞に温和な条件で穴をあける道具として、また細胞膜コレステロールを特異的に染色するプローブとして注目されてきている。しかし、毒素の作用機構についてはまだ不明な点も多く、特に膜破壊の際の毒素分子の構造の変化という観点ではほとんど研究がなされていなかった。そこで、本研究では、膜破壊過程における毒素の構造と活性発現との関連について明らかにすることを目的とした。

 まず、リポソーム膜を用いて膜破壊過程における毒素の構造変化を円二色性(CD)および蛍光スペクトルによって検討した。毒素は216nm付近に負のCD帯を持ち、構造に富んでいる。コレステロールを含むリポソームとの相互作用により、毒素の二次構造には大きな変化は認められなかったが、近紫外CDスペクトルは大きく変化しており(図1)、また、トリプトファンの蛍光スペクトルの大幅な増大も認められた。これらの変化はコレステロールを含まないリポソームでは誘起されず、コレステロール特異的なものであった。すなわち、膜コレステロールとの相互作用により、毒素の芳香族側鎖、特にトリプトファン残基近傍に大きな構造変化が生じていることが示唆された。ブロム原子を導入したリポソームを毒素に作用させるとトリプトファン蛍光の消光が認められ、毒素の膜侵入領域にトリプトファン残基が存在していることが明らかになった。また、膜結合能がありながら会合体を形成することができない修飾毒素MCの膜との相互作用を毒素と比較した結果、会合体形成に伴う292nmのCDピークの消失と300nmのCDピークの出現が認められた。このことから、毒素分子の会合体形成時にトリプトファン残基近傍の構造変化が起こることが示唆された。これらの結果から、毒素は膜コレステロールとの相互作用により、二次構造は保たれているが側鎖領域の構造が変化して膜に侵入し、その際にトリプトファン残基が重要であることが明らかになった。

図1 毒素の遠紫外(Far-UV)CDスペクトルおよび近紫外(Near-UV)CDスペクトル。EPC:卵黄ホスファチジルコリンリポソーム、EPC/chol:卵黄ホスファチジルコリンとコレステロールから成るリポソーム。

 毒素は、同じくコレステロール結合性細胞膜溶解毒素群に属するストレプトリジン0・ニューモリジンなどと一次構造上高い相同性があり、特に、C末端近傍の11残基のアミノ酸配列(ECTGLAWEWWR:以下相同配列と表記)はこれらの毒素において完全に保存されている。毒素には7個のトリプトファン残基があり、そのうち3個(Trp436,Trp438,Trp439)が上記の相同配列内にある。そこで部位特異的変異の導入によりトリプトファン残基をフェニルアラニン残基に置換した変異毒素を作製し、膜破壊過程におけるそれぞれのトリプトファン残基の役割を検討した。Trp436の置換毒素(W436F)のみが野生型と二次構造が異なっており、Trp436が二次構造の保持に重要であることが示された。Trp436,Trp438,Trp439を各々置換した毒素(W436F,W438F,W439F)は近紫外CDスペクトルが異なっておりこれらのトリプトファン残基は側鎖領域の環境を保つ上で重要であることが示唆された。相同配列内のトリプトファン残基を置換した変異毒素はいずれも溶血活性が低下し、ダブルミュータントW438.439Fの活性低下が著しく、次いでW436F、W438F、W439Fの順に活性が低かった(図2)。赤血球膜およびリポソーム膜への結合を検討した結果、W438.439F、W438F、W436F、W439Fの順に膜結合能が低下した(図2)。ブロム化リポソームを用いた消光実験により、W438.439Fではトリプトファン蛍光の消光が認められず、W438F、W436Fでは野生型に比べて消光の度合が小さいことが示された。これにより438番目と436番目のトリプトファン残基が毒素の膜への侵入に関わっていることが示唆された。電子顕微鏡による観察およびSDS-PAGEの結果から、いずれのトリプトファン置換毒素も会合体を形成できることが明らかとなり、これらの変異毒素の溶血活性の差は主として膜への結合や侵入の段階での違いを反映すると考えられる。近紫外CDスペクトルの解析により会合体形成における構造変化を反映する300nmのピークの出現には、Trp438とTrp439が必須であることが明らかになった。一方、相同配列外のトリプトファン残基を置換した変異毒素は活性・構造ともに野生型との間に大きな差異は認められず(図2)、これらのトリプトファン残基は毒素の膜破壊過程において重要でないことが明らかになった。以上の結果から、毒素の膜破壊過程において相同配列内のトリプトファン残基が大きな役割を果たしており、膜結合には438番目と436番目と439番目、膜侵入には438番目と436番目のトリプトファン残基がそれぞれ重要であり、会合体形成の際には438番目と439番目のトリプトファン残基周辺の構造が変化することが明らかになった。

図2 毒素の一次構造と野生型および変異型毒素の溶血活性(■)・膜結合活性()

 次に毒素の膜破壊作用に及ぼすpHの影響について検討した。毒素の遠紫外CDスペクトルはpH5-pH10でほとんど変化せず、このpH範囲で二次構造が保持されていた。そこでpH5-pH10で毒素の膜破壊作用に及ぼすpHの影響を検討した。毒素の膜への結合はpHを低下させただけでは起こらず、いずれのpHでもコレステロールが必須であった。毒素の溶血活性はpH5-pH7で最大となりpH8以上では著しく低下した。これは主として膜結合活性のpH8以上での顕著な低下によるものであった。リポソーム膜との相互作用による毒素分子の構造変化もpH5-pH7で最大となり、これらの変化が膜との結合により導かれることが明らかになった。W438.439F、W438F、W439Fでは至適pHが酸性側にシフトしており、pH5でpH7より、溶血活性・膜結合活性・膜侵入活性・会合体形成量が増大していた。この結果から、これらのトリプトファン残基の置換が活性に関与する解離基に影響を及ぼしていることが示唆された。また、トリプトファン置換毒素のうち中性pHで溶血活性を保持している毒素は野生型と同様にpH6からpH7の間でトリプトファン蛍光のブルーシフトが認められた。pH6からpH7の間での毒素の微細構造の変化には、ヒスチジン残基のイミダゾール環の関与が考えられたので、ジエチルピロカーボネイト(DEPC)により毒素のヒスチジン残基の化学修飾を行い、その活性に及ぼす影響を調べた。その結果、野生型のみならずW436F、W438F、W439F、W438.439Fも失活し、膜破壊におけるヒスチジン残基の関与が明らかになった。DEPC修飾毒素は、膜結合能はあるが会合体形成能が損なわれていることがわかった。相同配列内のトリプトファン置換は主として膜結合能の低下により溶血活性の低下を招くのに対し、DEPC修飾は会合体形成能を欠失させて活性低下をもたらす。毒素は、相同配列内のトリプトファン残基と、立体構造上相同配列の近傍にあると推定されるヒスチジン残基が、それぞれ別の役割を果たして膜破壊を引き起こすことが明らかになった。

 以上の研究から、毒素は膜コレステロールとの相互作用により、二次構造は保ちつつ、側鎖の微細構造が部分的にほぐれた状態を経て、膜内に侵入していくことが明らかになった。その際に親水性の構造から疎水性の構造へと部分的な転換が起こると考えられる。これらの構造変化には相同配列内のトリプトファン残基の寄与が大きく、膜結合には438番目と436番目と439番目、膜侵入には438番目と436番目、会合体形成には438番目と439番目のトリプトファン残基がそれぞれ重要であることがわかった。毒素はコレステロール存在下で中性pHでも膜を破壊することができ、酸性pHが引き金となって膜破壊を引き起こすコリシン・エキソトキシンAなどと異なる膜破壊機構を持つことが示唆された。

審査要旨

 ウェルシュ菌が産生する毒素は、動物細胞膜のコレステロールを認識して膜に結合し、膜内に侵入し会合した毒素分子が膜を貫通するポアを形成して膜破壊を引き起こす。近年、毒素は動物細胞に温和な条件で穴をあける道具として、また細胞膜コレステロールを特異的に染色するプローブとして注目されている。本論文は、細胞膜破壊過程における毒素の構造と活性発現との関連について述べたものであり、序論と3章、結語より構成されている。

 序論において研究の背景を述べた後、第1章では、毒素のリポソーム膜との相互作用における構造変化を円二色性(CD)および蛍光スペクトルによって検討した結果を述べている。毒素は216nm付近に負のCD帯を待ち、構造に富んでいる。コレステロールを含むリポソームとの相互作用により、毒素の二次構造には大きな変化は認められなかったが、毒素の芳香族側鎖、特にトリプトファン残基近傍に大きな構造変化が生じていることが明らかになった。これらの変化はコレステロールを含まないリポソームでは認められなかった。ブロム原子を導入したリポソームに毒素を作用させるとトリプトファン蛍光の消光が認められ、毒素の膜との相互作用領域にトリプトファン残基が存在していることが示唆された。また、膜結合能を有するが、会合体形成能を欠く修飾毒素MCの膜との相互作用を毒素の場合と比較した結果、会合体形成に伴う292nmのCDピークの消失と300nmのCDピークの出現が認められ、毒素分子の会合体形成時にトリプトファン残基近傍に構造変化が起こることが示唆された。

 第2章では、毒素の膜破壊におけるトリプトファン残基の役割について述べている。毒素は、他のコレステロール結合性細胞膜溶解毒素群と一次構造上高い相同性があり、特にC末端付近の11残基のアミノ酸配列(ECTGLAWEWWR)はこれらの毒素において完全に保存されている。毒素には7個のトリプトファン残基があり、そのうち3個(Trp436,Trp438,Trp439)が保存配列内にある。部位特異的変異によりこれらトリプトファン残基をフェニルアラニンに置換した変異毒素を作製し、膜破壊過程におけるトリプトファン残基の役割を検討した。変異毒素のCDスペクトルの解析により、Trp436は二次構造の保持に、Trp436,Trp438,Trp439は側鎖領域の環境を保つ上でそれぞれ重要であることが示唆された。変異毒素(W436F,W438F,W439F,W438/439F)はいずれも溶血活性が低下し、赤血球膜およびリポソーム膜への結合能も低下した。プロム化リポソームを用いた消光実験により、436番と438番のトリプトファン残基が毒素の膜への侵入に関わっていることが示唆された。いずれの変異毒素も会合体を形成できるので、これらの変異毒素の溶血活性の差は主として膜への結合や侵入の段階での違いを反映すると考えられる。近紫外CDスペクトルの解析により、会合体形成における構造変化はTrp438とTrp439の近傍に起こっていることが示唆された。

 第3章では、毒素の膜破壊作用に及ぼすpHの影響について検討した結果を述べている。溶血活性はpH5〜7で最大となり、pH8以上では著しく低下した。リポソーム膜との相互作用による毒素分子の構造変化もpH5〜7で最大となった。W438F,W439F,W438/439Fでは至適pHが酸性側に移行し、これらトリプトファン残基の置換が活性に関与する解離基に影響を及ぼしていることが示唆された。さらに、ジエチルピロカーボネイトにより毒素のヒスチジン残基を修飾し、活性に及ぼす影響を調べた結果、野生型のみならずトリプトファン置換毒素も失活し、膜破壊におけるヒスチジン残基の関与が明らかになった。

 結語では、本研究の成果とこれまでの知見を基に、総合的な討論を行っている。

 以上、本論文は、ウェルシュ菌毒素の膜破壊機構について解析を行い、毒素は膜コレステロールとの相互作用により、二次構造は保ちつつ、アミノ酸側鎖の微細な構造変化を経て膜内に侵入し、膜破壊を引き起こすことを明らかにしたものであり、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク