学位論文要旨



No 214083
著者(漢字) 徳安,健
著者(英字)
著者(カナ) トクヤス,ケン
標題(和) 不完全菌Colletotrichum lindemuthianum由来のキチン脱アセチル化酵素及びその活用に関する研究
標題(洋)
報告番号 214083
報告番号 乙14083
学位授与日 1998.12.24
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第14083号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 松澤,洋
 東京大学 教授 高木,正道
 東京大学 教授 五十嵐,泰夫
 東京大学 教授 依田,幸司
 東京大学 助教授 若木,高善
内容要旨

 未利用資源キチン等のアミノ糖残基に存在するN-アセチル基を脱離することにより、キトサンに代表される有用な素材を調製することが可能となるが、現在、脱アセチル化処理は熱濃アルカリ等を用いた化学法によって行われており、糖鎖への副反応やアルカリ廃液処理上の問題が指摘されている。本研究は、化学法に代わり、これらのアミノ糖資源を穏和な条件下で有用素材へ変換する方法となる酵素法の開発を目的として、不完全菌Colletotrichum lindemuthianum ATCC56676由来のキチン脱アセチル化酵素の特性解明及びその活用に関する検討を行ったものである。これまでにキチン脱アセチル化酵素は接合菌由来の酵素と不完全菌由来のものが報告されているが、後者は、(1)培地に分泌される酵素であり、精製工程における酵素の回収が容易である、(2)前者と比較して共存する酢酸塩による反応生成物阻害が起こりにくい、及び(3)2糖以上の低分子キチンオリゴ糖基質から高分子キチンにまで幅広く作用する等の産業応用上の利点をもつ。

 第1章においては、キチン脱アセチル化酵素を効率的に生産・精製し、その諸性質を解明することを目的とした実験を行った。C.lindemuthianumの培養時における培養液中への酵素の分泌について調べた結果、液体培養開始後8日目以降に菌体の黒色化に伴い培地中に酵素活性が検出され、18日目までその活性が直線的に増加することを明らかにした。今回開発した酵素誘導法は、培養日数が長期にわたる一方、これまでの報告と比較して15倍程度の酵素活性が培地から回収できる点で優れていると考えられる。

 続いて、培養18日目の菌体培養液から硫安沈殿分画、疎水クロマトグラフィー及び陰イオン交換クロマトグラフィーによりキチン脱アセチル化酵素を電気泳動的に単一に精製する方法を確立し、さらに精製キチン脱アセチル化酵素の諸性質を解明した。本酵素は、SDS-PAGE、ゲル濾過カラムクロマトグラフィー及びMALDI-TOF-MSによる分析の結果、それぞれ分子量31,500、33,000及び24,000程度であることが明らかとなり、単量体タンパク質であると推定された。本酵素はpH5-11で高い安定性を示し、至適pHは11.5-12であった。また本酵素は45℃以下で安定であり、至適温度は60℃であることが明らかとなった。本酵素はグリコールキチン以外に、部分脱アセチル化水溶性キチン及び2糖から5糖までの低分子キチンオリゴ糖にも脱アセチル化活性を示し、4糖以上の重合度のキチンオリゴ糖に対して極めて高いkccnt/Km値を与えた。さらに、精製酵素は酢酸ナトリウムの共存による酵素活性阻害が起こりにくく、100mM酢酸ナトリウム存在下で96%の酵素活性が残存した。本章における研究により、本酵素を産業へ応用する上での多くの基礎情報を獲得することができた。

 第2章においては、キチン脱アセチル化酵素の基質変換活性を産業へ応用する上で、本酵素が基質をどの様な生成物に変換するかを評価する目的で、キチンオリゴ糖の脱アセチル化処理を行い、反応生成物の構造の推定を行った。その結果、本酵素は3〜6糖のキチンオリゴ糖を脱アセチル化し、対応する重合度のキトサンオリゴ糖に変換することを明らかにし、有用性の高い素材であるキトサンオリゴ糖の生産工程上において本酵素を効果的に活用できることを示した。一方、N,N’-ジアセチルキトビオースを脱アセチル化した結果、基質の非還元糖残基のアセチル基のみが脱離した化合物、2-アセチルアミノ-4-O-(2-アミノ-2-デオキシ--D-グルコピラノシル)-2-デオキシ-D-グルコース(GlcN-GlcNAc)が定量的に蓄積することを見出し、化学的方法では極めて困難な選択的N-脱アセチル化反応により、ユニークな構造の糖鎖を調製する方法を確立することができた(図)。

図 N,N’-ジアセチルキトビオース((GlcNAc)2)の酵素的脱アセチル化反応生成物.カラム:Carbopac PA1+Carbopac PA1guardcolumn(DIONEX).検出器:パルスド・アンペロメトリック検出器(DIONEX).(a):酵素的脱アセチル化反応生成物、(b):各標準物質.説明本文参照.

 第3章では、前章における実験結果をキチンオリゴ糖以外の基質に応用し、新規脱アセチル化糖鎖素材を調製することを目的とした実験を行った。キチン誘導体であるp-ニトロフェニルN,N’-ジアセチル--D-キトビオシド((GlcNAc)2-pNP)を基質として用いてキチン脱アセチル化酵素処理を行い、新規化合物p-ニトロフェニル2-アセチルアミノ-4-O-(2-アミノ-2-デオキシ--D-グルコピラノシル)-2-デオキシ--D-グルコピラノシド(GlcN-GlcNAc-pNP)を効率的に調製することに成功した。さらに、この新規化合物のキチナーゼ活性測定基質としての有用性を評価した結果、放線菌Streptomyces griseus由来酵素製剤中の(GlcNAc)2-pNP分解活性を持つキチナーゼにGlcN-GlcNAc-pNPを分解できるものとできないものが混在していることを見出し、新規なキチナーゼの分類を行う上で本化合物を活用できることを確認した。

 本章におけるGlcN-GlcNAc-pNPの酵素合成の様に、キチン脱アセチル化酵素の本来の基質ではない糖鎖から、副反応を起こさずに特定のアミノ基を脱アセチル化する方法は極めて独創的なものであり、今後、それぞれの基質に対応した酵素反応生成物に関する情報を蓄積することによって、糖鎖関連研究における本酵素の役割が増大するものと期待される。

 第4章では、キチン脱アセチル化酵素を迅速かつ大量に精製する目的で、キチン脱アセチル化酵素遺伝子のクローニングを行い、さらに大腸菌における同遺伝子の大量発現系を確立した。本酵素遺伝子のORFは221アミノ酸の成熟タンパク質をコードする配列及びそのN末端側の27アミノ酸より成るプレプロ部位をコードする配列により構成されていた。大腸菌による大量発現系を用いて誘導生産した組換えキチン脱アセチル化酵素は、改変プレプロ部位とHisタグ配列を付加した形で封入体として生産され、封入体画分の尿素処理によって容易にその活性を再生することができた。また、金属キレートカラムクロマトグラフィー処理、ゲル濾過カラムクロマトグラフィー処理及びトリプシン処理により、組換えキチン脱アセチル化酵素の高度精製を行うことができた。この研究により、キチン脱アセチル化酵素の大量生産へと道が拓かれ、酵素の入手が容易になるため、本酵素を用いた効率的なキチンの活用法の開発及び新規脱アセチル化糖質の調製に関する糖鎖工学的研究が促進されるものと期待される。

 以上の様に、本研究では、植物病理学上の重要性から研究が行われていた不完全菌由来のキチン脱アセチル化酵素について、植物病原菌C.lindemuthianumが分泌する同酵素の産業における有用性に着目し、まず酵素の実験室レベルでの大量精製系を確立した(第1章)。また、精製した酵素を用いて種々の特性を調べることにより(第1〜3章)、本酵素を多方面において活用する上での有用性を評価した。さらに、工業的に活用できる酵素量を獲得する目的で、本キチン脱アセチル化酵素遺伝子をクローニングし、本遺伝子を形質転換した大腸菌からキチン脱アセチル化酵素活性を大量に精製することに成功した(第4章)。本研究によって、アミノ糖資源をより付加価値の高い脱アセチル化化合物へ大量かつ効率的に変換することが可能となり、さらにアセチル基の脱離に着目した糖質研究の推進にも拍車がかかるものと期待できる。

審査要旨

 未利用資源キチンは、そのアミノ糖残基に存在するN-アセチル基を脱離することによりキトサン等の有用な素材とすることが可能であるが、現在脱アセチル化処理は熱高濃度アルカリ溶液を用いる化学法により行われており、糖鎖への副反応やアルカリ廃液処理上の問題が指摘されている。本論文は、キチンおよびそのオリゴ糖等のアミノ糖資源を穏和な条件下で有用な素材へと変換する酵素法の開発を目的として、不完全菌Colletotrichum lindemuthianum由来のキチン脱アセチル化酵素の基礎的研究とその活用に関する研究を行ったものであり、緒論と4章より構成されている。

 緒論において研究の背景を述べた後、第1章においては、C.lindemuthianumからのキチン脱アセチル化酵素の精製と酵素の性質について述べている。菌体培養18日目の培養液から硫安沈殿、疎水クロマトグラフィーおよび陰イオン交換クロマトグラフィーによりキチン脱アセチル化酵素を精製した。本酵素はSDS-ポリアクリルアミドゲル電気泳動およびゲルろ過の結果から、分子量3万程度の単量体タンパク質であり、マススペクトル分析の結果から分子量は約24,000であることが分かった。本酵素の活性の至適pHは約11であり、至適温度は60℃であった。本酵素はグリコールキチン以外に、部分脱アセチル化水溶性キチンおよび2糖から5糖までの低分子キチンオリゴ糖にも脱アセチル化活性を示し、特に4量体以上のキチンオリゴ糖に対して極めて高い活性を示した。本酵素は反応生成物である酢酸イオンによる活性阻害が起こりにくく、産業への応用上有用な酵素であることが分かった。

 第2章においては、キチン脱アセチル化酵素によるキチンオリゴ糖の脱アセチル化処理後の反応生成物について述べている。本酵素は3〜6量体のキチンオリゴ糖を脱アセチル化し、対応する重合度のキトサンオリゴ糖に変換することが明らかとなり、有用性の高いキトサンオリゴ糖の生産を行う上で本酵素が有効に利用できることが分かった。キチン2量体N,N’-ジアセチルキトビオースを脱アセチル化した場合には、基質の非還元糖残基のアセチル基のみが脱離した化合物2-アセチルアミノ-4-O-(2-アミノ-2-デオキシ--D-グルコピラノシル)-2-デオキシ-D-グルコース(GlcN-GlcNAc)が定量的に生成することが分かった。化学的方法では極めて困難な選択的N-脱アセチル化反応が本酵素を用いることにより可能となり、ユニークな構造の糖鎖を調製する方法が確立された。

 第3章では、前章における研究成果を応用した、部位特異的脱アセチル化キチン糖誘導体の調製について述べている。キチン脱アセチル化酵素を用いてキチン誘導体p-ニトロフェニルN,N’-ジアセチル--D-キトビオシド((GlcNAc)2-pNP)を脱アセチル化処理し、キチナーゼ活性測定用基質として有用な新規化合物GlcN-GlcNAc-pNPを調製した。この新規化合物のキチナーゼ活性測定用基質としての有用性を検討した結果、放線菌Streptomyces griseus由来酵素製剤中の(GlcNAc)2-pNP分解活性を持つキチナーゼにGlcN-GlcNAc-pNPを分解できるものとできないものが混在していることを見い出し、キチナーゼの分類を行う上でこの化合物が有用であることが分かった。

 第4章では、キチン脱アセチル化酵素遺伝子のクローニングと大腸菌における大量発現系について述べている。本酵素遺伝子の塩基配列から推定されるアミノ酸配列は、N未端27アミノ酸より成るプレプロ部位と221アミノ酸より成る成熟酵素領域からなっていた。大腸菌の大量発現系を用いて生産した組換えキチン脱アセチル化酵素は、プレプロ部位とHisタグ配列を付加した形で生産され、不溶性の封入体となったが、尿素処理によって容易にその活性を再生することができた。金属キレートカラム処理、ゲルろ過およびトリプシン処理により、成熟型組換えキチン脱アセチル化酵素を精製することができた。

 以上、本論文は、植物病原菌C.lindemuthianumのキチン脱アセチル化酵素の産業における有用性に着目し、酵素の基礎的研究を行い、本酵素を用いることにより未利用資源であるキチン等のアミノ糖資源をより付加価値の高い物質へ効率的に変換することを可能とし、また新規脱アセチル化糖質の開発を可能としたものであり、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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