脱皮ホルモンは、昆虫において脱皮および変態を誘導するホルモンとして成長過程の制御に重要な役割を果たしている。脱皮ホルモンは細胞内に存在する脱皮ホルモン受容体(ecdysone receptor:EcR)と結合した後にDNA上の脱皮ホルモン応答配列に結合し、脱皮ホルモン応答性遺伝子の発現を転写レベルで制御すると考えられている。本研究では、脱皮ホルモンによる脱皮、変態過程の制御機構を分子レベルで明らかにすることを最終目標において、カイコガからEcRのcDNAをクローニングし、脱皮、変態過程におけるEcR mRNAの発現を調べた。 既知EcR cDNAの配列をもとに設計したプライマーを用いたRT-PCR、RT-PCR産物をプローブに用いたcDNAライブラリーのスクリーニング、および5’RACEを組み合わせることにより、5’末端構造のみが異なる2種類のカイコガEcR(BmEcR)cDNAを得ることができた(図1)。BmEcRは典型的な核内レセプターの構造をとっており、予想されるアミノ酸配列はN末端からC末端にかけて、A/B領域、C(DNA結合)領域,D領域,E(リガンド結合)領域,F領域の5つの領域に分けることができた。BmEcRはショウジョウバエEcRをはじめ既知のEcRに対して高い相同性を有しており、とくにC領域ついでE領域内での相同性が高かった。2種類のBmEcR cDNAはA/B領域のみが異なっており、C領域以下は同一であった。これらのBmEcRのA/B領域は、ショウジョウバエEcRのAおよびB1アイソフォームに相同性が高いことから、それぞれBmEcRのAアイソフォーム(BmEcR-A)とB1アイソフォーム(BmEcR-B1)と名付けた。 ノーザン解析により蛹化過程におけるBmEcR mRNAの発現を調べたところ、3種の幼虫組織(中腸、脂肪体、真皮)と翅原基、生殖腺(精巣、卵巣)においてBmEcR-B1mRNAが強く発現しており、BmEcR-A mRNAは蛹化にかけて崩壊する前部絹糸腺のみで強く発現していた(表1)。これの結果から、蛹化過程でBmEcR-AとBmEcR-B1のmRNAがそれぞれ組織特異的に発現していることがわかった。前蛹期のショウジョウバエでは、EcR-AとEcR-B1はそれぞれ成虫原基と幼虫組織で強く発現することから、脱皮ホルモンに対する組織特異的な反応が各組織で発現するEcRアイソフォームの組合せにより制御されている可能性が示唆されているが、蛹化過程におけるBmEcRの発現パターンは前蛹期のショウジョウバエEcRの発現パターンとはかなり異なっており、カイコガではEcRアイソフォームの発現パターンと組織の発生運命との間にショウジョウバエとは異なった種類の関係がある可能性が示唆された。 前部絹糸腺におけるBmEcR mRNAの発現を4齢のはじめから蛹化にかけて調べた(図2)。4齢期には、BmEcR-A mRNAは齢期の前半に強く発現し、BmEcR-B1mRNAは齢期の後半に強く発現した。一方、5齢期にはBmEcR-AとBmEcR-B1のmRNAは同調して発現し、ともにワンダリング期に発現のピークに達した。さらに、中部絹糸腺と後部絹糸腺でのBmEcR mRNAの発現を4齢のはじめから蛹化にかけて調べところ、前部絹糸腺と同様に4齢期にはBmEcR-A mRNAの発現がBmEcR-B1 mRNAの発現に先行し、5齢期には両者の発現が同調していた。これらの結果より、絹糸腺の脱皮ホルモンに対する幼虫脱皮時および蛹化時にみられるそれぞれ特異的な反応がBmEcRのA、B1アイソフォームの発現のタイミングにより制御されている可能性が示唆された。 BmEcRの発現様式と脱皮、変態の誘導と関係をさらに詳細に調べるため、幼若ホルモン活性物質の1種、フェノキシカルブの塗布および脱皮ホルモン、20-ヒドロキシエクジソン(20E)を混入した人工飼料を食べさせることにより、脱皮回数や終齢期間の長さを増減する実験系を作出し、その過程での前部絹糸腺におけるBmEcR mRNAの発現を調べた。作出した実験系は以下の通りである。 ・4齢開始時に0.1gのフェノキシカルブを塗布し6齢幼虫へ過剰脱皮させる。4齢0日から2日間絶食させた後にフェノキシカルブを処理し、処理後5日以内に4齢脱皮した個体のみを集めることにより、全ての個体を過剰脱皮させることができる。 ・5齢0日に1ngまたは0.1gのフェノキシカルブを塗布し、それぞれ5齢期間を6日間延長または永続幼虫にする。 ・5齢4日に1ngのフェノキシカルブを塗布し、部分的にに蛹の形質を持つ6齢幼虫(幼虫-蛹-中間体)へ過剰脱皮させる。 ・5齢0日から400ppmの20Eを含む人工飼料を食べさせ、6齢幼虫へ過剰脱皮させる。 ・4齢2.5日にアラタ体を除去し、5齢0日から400ppmの20Eを含む人工飼料を食べさせ、蛹化様の変化を誘導する。 ・4齢2.5日にアラタ体を除去し、5齢0日に0.1gのフェノキシカルブを塗布した後に400ppmの20Eを含む人工飼料を食べさせ、過剰脱皮を誘導する。 ・5齢4日から20ppmの20Eを含む人工飼料を食べさせ、5齢期間を3日間短縮する。 ・5齢4日に0.1gのフェノキシカルブを塗布しその直後から20ppmの20Eを含む人工飼料を食べさせ、永続幼虫にする。 4齢0日でのフェノキシカルブ処理、5齢0日での20E処理、アラタ体除去個体に対する5齢0日でのフェノキシカルブと20Eの処理、および5齢4日でのフェノキシカルブ処理により過剰脱皮を誘導する全ての場合で、終前齢化した5齢期中のBmEcR mRNAの発現は通常の4齢期と同様に、BmEcR-A mRNAの発現がBmEcR-B1mRNAの発現に先行していた。一方、フェノキシカルブを5齢期0日に処理して5齢期間を数日間延長させた場合、および20Eを5齢4日から食べさせて5齢期間を数日間短縮した場合では、BmEcR mRNAの発現のピークがそれぞれに対応して数日遅くなったり早くなったりしたが、通常の5齢期と同様にBmEcR-A mRNAとBmEcR-B1mRNAは同調して発現し、ともにワンダリング期に発現のピークを迎えた。また、4齢期にアラタ体を除去した個体に対して5齢0日に20Eを処理し蛹化様の反応をおこさせた場合にも、BmEcR-AとBmEcR-B1のmRNAの発現は同調していた。以上のように、前部絹糸腺では調べた全ての場合で、BmEcR-A mRNAがBmEcR-B1mRNAに先行して発現する時には幼虫脱皮時の変化(内膜クチクラ層の分解と再生)が誘導され、両者が同調して発現する時には蛹化時の変化(プログラム細胞死)が誘導された。これらの結果より、前部絹糸腺の脱皮ホルモンに対する幼虫脱皮時および蛹化時に特異的な反応がBmEcRのA、B1アイソフォームの発現のタイミングにより制御されている可能性が強く示唆された。 5齢0日の前部絹糸腺を0.5ng〜1.5g/mlの20Eとともに培養したところ、5ng/ml以上の濃度の20EによりBmEcR-A mRNAとBmEcR-B1mRNAの両方の転写が濃度依存的に誘導された(図3)。この転写誘導の閾値は5齢期に両者のmRNA量が増加しはじめる時期の血中エクジステロイド濃度とほぼ同じであることから、5齢期には血中に分泌された少量のエクジステロイドによりBmEcR-AとBmEcR-B1の転写が同時に誘導されることが示唆された。一方、4齢期の前半には転写誘導の閾値以上の量のエクジステロイドが血中に存在するにも関わらず、BmEcR-Aの転写のみが誘導されてBmEcR-B1の転写は誘導されないことから、BmEcR-B1転写のみが特異的に抑制されている可能性が示唆された。このBmEcR-B1特異的な抑制因子の候補としては、幼若ホルモン(JH)かJH誘導性のタンパク質が考えられる。JHがBmEcR-B1の転写のみを強く抑制することは、5齢4日に20Eを処理した場合に処理後1日の前部絹糸腺ではBmEcR-A mRNA、BmEcR-B1mRNAともに強く誘導されたのに対し、20E処理前にフェノキシカルブを塗布するとBmEcR-A mRNAのみが誘導されてBmEcR-B1mRNAの転写は強く抑制されたことから明瞭に示された。 以上、本研究はBmEcR cDNAをクローニングしその構造を明らかにするとともに、前部絹糸腺ではBmEcRのAアイソフォームとB1アイソフォームの発現のタイミングがこの組織の幼虫脱皮時および蛹化時にそれぞれ見られる特異的な反応の誘導に重要な意味を持っていることを明らかにした。また、前部絹糸腺におけるBmEcR mRNAの幼虫脱皮時と蛹化時に特異的な発現様式が血中のエクジステロイド濃度とJH濃度のバランスにより制御されていることを解明した。 図1.BmEcRAアイソフォームとB1アイソフォームの構造。核内レセプターに共通の構造(A/B〜F領域)を図中に示してある。両端にある細い線は非翻訳領域を表す。表1 蛹化時の各組織で強く発現するEcRアイソフォームの種類/:相当する組織が存在しない。?:調べられていない。図2.4齢期および5齢期の前部絹糸腺におけるBmEcRmRNAの発現。5齢7.5日の発現量を100%としてある。HCS:頭殻剥離,4th E:4齢脱皮,W:ワンダリング,GP:ガット・パージ,P:蛹化。図3.培養した前部絹糸腺における20-ヒドロキシエクジソン(20E)によるBmEcRmRNAの転写誘導。5齢0日の前部絹糸腺を0.5ng/ml〜1.5g/mlの20Eを含む培地中で4時間培養した。500ng/mlで培養した場合の発現量を100%としてある。 |