学位論文要旨



No 214086
著者(漢字) 五十嵐,勝秀
著者(英字)
著者(カナ) イガラシ,カツヒデ
標題(和) VEGF情報伝達阻害活性を有する新規血管新生抑制剤開発のための研究
標題(洋) Study for the Development of New Anti-Angiogenesis Drugs with VEGF Signal Transduction Inhibitory Activities
報告番号 214086
報告番号 乙14086
学位授与日 1998.12.24
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第14086号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 依田,幸司
 東京大学 教授 阿部,啓子
 東京大学 教授 北本,勝ひこ
 東京大学 助教授 吉田,稔
 東京大学 助教授 片岡,宏誌
内容要旨

 血管新生は胎児発生や創傷治癒などの正常な生理現象だけでなく、腫瘍や糖尿病性網膜症などを始めとする様々な疾患に関与する現象として、最近特に注目を浴びている現象である。腫瘍においては、その内部・周囲に新しく血管網が構築されるが、この腫瘍血管新生が起こらないと、腫瘍は2mm径以上にならないことが示されている。糖尿病性網膜症においては、網膜内に生じた脆弱な新生血管が壊れ、漏れ出た血液が凝固することが失明の引き金であると考えられている。近年、これらの疾患をその血管新生を制御することにより治療する、血管新生療法の重要性が指摘され、腫瘍抑制、糖尿病性網膜症による失明抑制の切り口の一つとして大きな注目を集めている。

 腫瘍血管新生は、腫瘍が分泌する因子によって誘発されることが予想されてきたが、1989年にクローニングされた血管内皮細胞増殖因子(vascular endothelial growth factor:VEGF)がその因子の一つとして現在特に注目されている。その後、VEGFは調べられてた限りほぼ全ての腫瘍で発現が亢進していること、VEGFの中和抗体を用いた実験でマウスの移植腫瘍が縮小することが示され、その腫瘍血管新生における重要性が広く認知されるに至っている。糖尿病性網膜症においても、網膜におけるVEGFの発現が亢進していること、マウスのモデルでその発現をアンチセンス法により抑制すると、網膜症の発症が抑えられることが示されたことから、VEGFの重要性が確認されている状況にある。

 我々は、血管新生を特異的に抑制する医薬品を開発したいと考えていたが、VEGFの血管新生における重要性を踏まえ、VEGFの作用を特異的に阻害する物質を開発することとした。VEGFは比較的新しい因子であり、EGF,PDGFなどに比べ、その作用メカニズムには不明な点が多い。そこで我々はまず、VEGFの作用メカニズムを解析することにより、VEGFの作用を確実かつ特異的に阻害しうる標的を定めることから着手した。

 VEGFの作用は、(1)VEGFとそのレセプターとの結合、(2)レセプター下流の情報伝達、の、大きく2つのメカニズムによって発揮されると考えられる。このうち、(1)のVEGFとそのレセプターとの結合に関しては、米国Genentech社のNapoleon Ferrara博士らを始めとする研究による解析が先行しており、レセプター上の結合領域などいくつかの重要な情報が明らかにされている。これに対し、(2)のレセプター下流の情報伝達については、ほとんど明らかにされておらず、レセプター下流の情報伝達メカニズムに立脚した阻害物質探索はほとんど手つかずの状態であると考えてよい。

 そこで我々はVEGF阻害物質の開発を大きく2つの方向で進めることとした。(A)レセプター下流情報伝達、特に、VEGFの結合に伴いレセプターに結合する蛋白質を同定し、両者の結合を阻害するVEGF阻害物質を探索する。(B)VEGFとレセプターの結合を阻害する物質の探索も平行して進める。

 (A)の目的で我々は、酵母two-hybrid systemを用いて、ヒト脳のcDNAライブラリーから、KDRの細胞内領域に結合する蛋白質のスクリーニングを行った。その結果、Shcのホモログの一つであるSckが、KDRのY1175に自身のSH2領域を介して結合することが明らかとなった。さらにSckはFlt-1にも結合した。今後は、SckがVEGFの情報伝達のどの部分に関与しているかを明らかにし、VEGF阻害物質の有望な標的であるか判断してきたい。SckのSH2領域がKDR,Flt-1に結合したこと、これまでの報告により、他のいくつかのSH2領域を含む蛋白質がKDR,Flt-1に結合することが予想されることから、我々はさらに、結合することが示唆される蛋白質7種、PLC,PI3K p85,Stat3,Nck,Grb2,SHP-2,GAPのKDR,Flt-1との結合を、酵母Two hybrid systemを用いて検討した。その結果、PLCがKDR,Flt-1に結合することを確認し、Nck,SHP-2がFlt-1に結合すること、さらにはNckはFlt-1のY1213,Y1333に、SHP-2はY1213に結合することを見いだした。今後これらの蛋白質のVEGF情報伝達における役割が明らかになれば、これらもVEGF阻害物質の有望な標的とすることができると考えている。

 (B)のVEGFと受容体の結合を阻害する物質を探索するために、まず、VEGFのN末端にFLAGエピトープを付加し、FLAGに対する抗体で受容体に結合したVEGFを検出する系を構築した。この系により、従来のような放射性廃棄物の生じる実験方法と異なり、ELISA系で簡便に探索を進めることが可能となった。FLAGラベルしたVEGFに生物活性が保持されていることを確認した後、本系で我々の保有する化合物ライブラリー約3000種を探索した結果、VEGFとKDRの結合を阻害する物質、OTXNA(8-(3-Oxo-4,5,6-trihydroxy-3h-xanthen-9-yl)-1-naphthoic Acid)を同定した。次にOTXNAの阻害活性の特異性を検討するために、VEGF,bFGF,EGFに共通する細胞応答の一つ、MAPK(mitogen-activated protein kinase)のリン酸化亢進をOTXNAが阻害するか検討したところ、OTXNAはVEGFとbFGFによるMAPKリン酸化亢進を阻害し、EGFによるMAPKリン酸化亢進は阻害しないことが明らかとなった。OTXNAは現時点では、阻害活性、特異性とも十分であるとはいえないが、今後その構造活性相関を取ることにより、それらを改善していきたい。

 実際に低分子阻害物質を探索する場合、用いる探索系の良否が非常に重要となる。そこで我々は、VEGFの細胞内情報伝達を蛋白質相互作用のレベルで阻害する物質を探索する際に必要となる、簡便にサンプルの活性を評価しうる系の構築を実施した。その結果、酵母two hybrid systemを応用し、サンプルを酵母の培養液と一定時間インキュベートしておくだけで、そのサンプルの阻害活性の有無を判定できる系を構築することができた。よって、今後、確実な標的を定めることができれば、すぐにも探索にとりかかることができる状態となった。

 以上、本研究により、私は、VEGF作用阻害物質の開発に向けて一歩踏み出すことができたものと考えている。標的の探索については、Sckを中心に進めていくが、既知の蛋白質とホモロジーのない蛋白質が他にいくつか見いだされており、これらがより有望な標的蛋白質となるかどうかについてもあわせて検討していきたい。今後、有望な標的が同定出来次第、本研究で開発した、酵母two hybrid systemを応用したスクリーニング系にそれらを組み込み、阻害物質の探索に着手したい。VEGFと受容体の結合を阻害する物質の探索については、OTXNAの構造活性相関を取り、改善を図っていくと同時に、本研究で開発したELISA系を用いてさらにスクリーニングを進め、より活性と特異性の高い化合物を同定したい。本研究を基礎にすることにより、臨床現場で使用可能なVEGF特異的阻害物質の開発が可能であると確信している。

審査要旨

 血管新生は、胎児発生や創傷治癒など正常な過程の他に、腫瘍の増殖や糖尿病性網膜症などの疾患にも関与する現象である。腫瘍は内部や周囲に新たな血管網が構築されなければ2mm径以上になることはなく、網膜内の脆弱な新生血管からの漏出血液の凝固が失明の引き金になると考えられている。血管新生を制御することにより、これらの疾患を治療する方法が模索されている。血管新生には、分泌性蛋白質である血管内皮細胞増殖因子(Vascular Endothelial Growth Factor,VEGF)が重要な働きをしており、抗体やアンチセンスRNA法によりこれを抑制すると、腫瘍縮小や発症抑制が認められている。本論文は、まだ知見の乏しいVEGFレセプターからの情報伝達過程を、レセプターと相互作用する蛋白質を中心に調べ、VEGFとレセプターの結合を阻害する低分子化合物を探索して解析し、更に新たな阻害剤の探索法を構築したことについてまとめたもので、本文は5章からなっている。

 研究の背景と意義を述べた第1章に続き、第2章では、VEGFレセプターの細胞内領域と結合して増殖促進情報の伝達に関与する蛋白質について検討を行った。先ず、酵母のTwo-hybrid系を利用して、VEGFレセプターのひとつであるKDRの細胞内領域に結合する蛋白質を、ヒト脳cDNAライブラリーから検索した。その結果、ShcホモログのひとつであるSckが得られた。各種の欠失体やアミノ酸置換変異体を用いた解析から、この結合が、KDRの1175番目のチロシン残基がリン酸化依存的にSckのSH2領域を介して起こることを明らかにした。KDRと相同性があるもうひとつのレセプターであるFlt-1について同様に調べたところ、やはりSH2領域を介してSckが結合することが分かった。

 次いで上記の発見に基づき、VEGFレセプターとの結合が他のSH2領域をもつ蛋白質で見られるか検討するため、SH2をもつ7つの蛋白質、PLC,PI3Kp85,Stat3,Nck,Grb2,SHP-2,GAPについてTwo-hybrid系で調べた。その結果、PLCがKDR、Flt-1ともに結合すること、Nck,SHP-2はFlt-1のみに結合することが分かった。2つのレセプターで結合する蛋白質に違いがあることは、後の情報伝達経路の違いを示唆しており興味深い。なお、結合に関与するチロシン残基はFlt-1の場合、Nckでは1213番と1333番、SHP-2は1213番であることも明らかにした。これらの知見は、情報伝達の阻害物質を探索する上での基礎として有益である。

 第3章では、VEGFとレセプターの結合を阻害する低分子化合物を実際に探索した。放射性物質を用いず通常の実験施設でも検索が可能なように、ペプチドエピトープであるFLAGと抗FLAG抗体による細胞ELISA法を構築した。VEGFのN末端にFLAGを連結した融合蛋白質を酵母分泌生産系で作り、これをアフィニティ精製した。このFLAG-VEGFは、KDRを発現している細胞に対してVEGFと同等の増殖促進活性をもっていた。約3000種の化合物ライブラリーを探索した結果、8-(3-oxo-4,5,6-trihydroxy-3h-xanthen-9-yl)-1-naphthoic acid(OTNXA)がFLAG-VEGFとKDRの結合を阻害することを見出した。そこで、増殖因子に対する細胞応答のひとつである、mitogen-activated protein kinase(MAPK)のリン酸化昂進を調べたところ、OTXNAはVEGFによるMAPKリン酸化を阻害することを確認した。阻害の特異性については、EGFによるものは阻害しないが、bFGFによるMAPKリン酸化を阻害した。OTXNAそのものは特異性および阻害濃度では十分といえないが、シード化合物として有用であると期待される。

 第4章では、第2章で検討したような蛋白質相互作用の阻害物質を探索する際に、酵母のtwo-hybrid系を利用し、酵母の生育を測定して得られる係数で、試料の阻害活性を評価しうる系を構築した。モデル化合物による検討で、非特異的な生育阻害物質から蛋白質相互作用阻害活性物質を峻別できることを示した。

 第5章の総合討論では、本研究のまとめとその成果の意義、今後の研究・応用への提言などが論じられている。

 以上、本論文は、血管新生を引き起こすVEGFとそのレセプターについて、レセプターに結合する新たな蛋白質を見出して、結合に関る領域を明らかにし、VEGFとレセプターの結合を阻害する化合物を発見するなど、学術上応用上寄与するところが少なくない。よって、審査員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54094