本研究は、血液細胞における様々なレセプター経由の刺激伝達系において重要な役割を演じていると考えられているvav proto-oncogene産物Vavの機能の一端を明らかにするため、第I編においては情報伝達系の異常が知られている自己免疫疾患モデルマウスT細胞を、また第II編においてはヒト単球の細胞外マトリックスへの接着の系を用いて検討したもので、下記の結果を得ている。 1.全身性エリテマトーデスの動物モデルと考えられるMRL/Mp-lpr/lpr(lpr)マウス脾細胞より得られたVavのチロシンリン酸化は、対照群MRL/Mp-+/+(+/+)マウス脾細胞から得られるVavのチロシンリン酸化の数倍以上に上昇していることを認めた。一方、これらの脾細胞におけるVavの発現には、lprと+/+間に差を認めなかった。このVavのチロシンリン酸化の亢進が、このマウスに特徴的な異常なリンパ球亜集団であるCD4-CD8-CD3+TCR+(double negative,DN)T細胞において見られるものかどうか、lpr脾細胞をCD4+T細胞、CD8+T細胞、B細胞、およびDNT細胞に分離し、それらにおけるVavのチロシンリン酸化を検討した結果、DNT細胞においてVavは最も強くチロシンリン酸化を受けることが示された。 2.lprDNT細胞亜集団は、CD3、IL-2、CD28、PMA、そしてPHAなどのin vitroでのT細胞刺激に対して反応しないことが知られている。上で示されたVavにおけるチロシンリン酸化の異常な亢進とlprDNT細胞におけるT細胞レセプターシグナル伝達系の異常との関係を検討したところ、通常TCR刺激後1分間以内に上昇するVavのチロシンリン酸化は、+/+マウス脾細胞においては認められたが、lpr脾細胞においては、すでに亢進している刺激前のチロシンリン酸化レベルからはわずかに上昇が見られる程度であり、+/+で見られたようなチロシンリン酸化の著明な上昇は見られなかった。これは、PHAを用いてもCD3抗体を用いても同様の結果であった。 3.単球における1-integrinを介する接着のシグナル伝達系におけるVavの役割を検討するため、接着によるプライミングが起きにくいcentrifugal elutriationにて分離された末梢血単球および単球系細胞株U937を用いファイブロネクチンへの接着におけるVavのチロシンリン酸化の変化を解析したところ、末梢血単球、U937どちらにおいても接着によりVavのチロシンリン酸化は著明に亢進することが示された。そして、このチロシンリン酸化の亢進はファイブロネクチンに対するレセプターである1-integrin経由の刺激により起こることが明らかとなった。 4.このVavのチロシンリン酸化は、1-integrin刺激後10分で最強となりおよそ30分後には低下する時間経過をとることが示された。さらに、1-integrin刺激後同様の時間経過によりVavは、Triton-X100可溶性分画である細胞質内からTriton-X100非可溶性の細胞骨格分画へと細胞内を移動することも明らかとなった。 多くの異なる細胞表面受容体からの細胞内への情報伝達系におけるVavの役割を考慮に入れると、本実験結果から、複数の異なる細胞表面受容体からの刺激に対し反応できないlprDNT細胞の機能異常にVavの異常なチロシンリン酸化の上昇が関係している可能性が示唆され、その機序として、この細胞群においては、複数の細胞表面受容体と細胞内G蛋白との接点の一つと考えられるVavを介した情報伝達が障害されている可能性が考えられた。このような報告は今まで成されてはおらず、新たな発見であり、学術的意義が高い。また、単球における細胞外マトリックスとの接着におけるVavのチロシンリン酸化の亢進に関しては、他の血液系細胞におけるインテグリン経由の刺激でVavのチロシンリン酸化が亢進するという報告はあるものの、単球に関しては本報告が初めてである。さらに細胞外刺激によりVavが細胞骨格分画へ移動するという報告は、細胞によらず初めてのもので、VavがそのRacGEF作用からRacによる細胞膜のrufflingなど細胞骨格の制御に関わると考えられ、本研究は当該分野における貢献度が高いと考えられる。以上のことから本研究は学位授与に値するものである。 |