学位論文要旨



No 214090
著者(漢字) 三村,俊英
著者(英字)
著者(カナ) ミムラ,トシヒデ
標題(和) vav proto-oncogene産物Vavのチロシンリン酸化に関する検討 : I.MAL/Mp-lpr/lprマウスにおけるVavのチロシンリン酸化に関する検討II.単球の接着におけるVavのチロシンリン酸化と細胞内移動に関する検討
標題(洋)
報告番号 214090
報告番号 乙14090
学位授与日 1998.12.24
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第14090号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山本,一彦
 東京大学 教授 岡山,博人
 東京大学 助教授 和泉,孝志
 東京大学 助教授 北村,聖
 東京大学 講師 木村,健二郎
内容要旨

 vav proto-oncogene産物Vavは、95kDの細胞質内蛋白で、成熟赤血球以外の血液細胞にのみ発現する。Vavは、C末端寄りに一つのSH2領域とそれをはさむように二つのSH3領域を有し、TCR経由の刺激により短時間内に著明にチロシンリン酸化を受ける。Vavは、TCR以外の様々な細胞表面レセプターを介する刺激によってもチロシンリン酸化を受けることが知られており、報告されているこのようなレセプターとして、BCR、IL-2R、IL-3R、CD28、erythropoietin R、stem cell factor receptor c-Kit、Fl-2 tyrosine kinase receptor、insulin-like growth factor-1(IGF-1)R、などがあげられる。さらに最近、integrin経由の刺激により血小板および好中球のVavがチロシンリン酸化を受けることも報告された。チロシンリン酸化のみならず、Vavは細胞内においてGrb-2、さらにはZAP-70、PTP1C、ENX-1、SLP-76、Zyxinと会合することが報告されている。さらに最近、Vav欠損T細胞におけるTCR経由のシグナル伝達は著明に傷害されていることが報告された。これらのことから、VavはTCRのみならず様々な細胞表面レセプターからのPTKを介するシグナル伝達機構において重要な役割を成していると考えられる。

 一方、VavのN末端寄りには、ヒトのDbl、Bcrや酵母のCdc24と塩基配列の相同性が高い部分(Dbl homology(DH)domain)とphosphoinositidesとの結合作用などを有するpleckstrin homology(PH)domainが存在する。Dbl、Bcr、Cdc24などは、Rho/Rac小分子G蛋白に対するguanine nucleotide exchanging factor(GEF)であることが知られており、VavがRho/Rac G蛋白に対するGEF作用を有すると考えられる。実際、Lckによりチロシンリン酸されることで亢進するRac特異的なGEF活性をVavが有すること、およびPhosphatydilinositol 3 kinase(PI3-K)産物、つまりPI(3,4)P2、PI(3,4,5)P3などの存在下でVavのRacに対するGEF活性が亢進することなどが最近報告されており、VavがRacGEF作用を有することは明らかとなった。このように、Vavのチロシンリン酸化によりそのRacGEF作用は亢進し、その結果Racによる細胞膜のrufflingなどが惹起されると予想される。以上のことから、少なくともVavの一つの機能としては、細胞表面レセプターからのシグナルをG蛋白、特にRacの活性化に変換する働きが考えられ、細胞骨格の制御などに関わる、細胞機能のシグナル伝達上重要な分子であると思われる。

 そこで、本研究においては、Vavのシグナル伝達系への関与を、第I編においては情報伝達系の異常が知られている自己免疫疾患モデルマウスT細胞を用い、第II編においてはヒト単球の細胞外マトリックスへの接着の系を用いて検討し、それぞれの状況におけるVavの機能に関して考察を試みた。

I.MRL/Mp-lpr/lprマウスにおけるVavのチロシンリン酸化に関する検討

 MRL/Mp-lpr/lpr(lpr)マウスは、ヒトの全身性エリテマトーデスの動物モデルと考えられ、抗核抗体などの自己抗体を産生し、週齢を経るにつれ、血管炎や糸球体腎炎を発症するとともに、全身性のリンパ節および脾臓の腫脹を示す、非腫瘍性のリンパ増殖性疾患を起こす。CD4-CD8-CD3+TCR+(double negative,DN)T細胞がリンパ節および脾臓に多数出現し、生体内におけるT細胞集団の主たる分画になっていくことが知られている。しかしながら、このDNT細胞亜集団は、CD3、IL-2、CD28、PMA、そしてPHAなどのin vitroでのT細胞刺激に対して反応しない。近年、lpr遺伝子が、Fasをコードする遺伝子の変異であることが判明し、このため、Fasの細胞表面への発現がこのマウスに見られないことが報告された。その結果、末梢におけるアポトーシスによるnegative selectionを受けるべきDNT細胞が、アポトーシスを逃れることで、マウス体内において蓄積してくるものと考えられている。しかし、前述したようなlprDNT細胞の機能異常がいかにして起こるものであるのか、未だに不明である。この点を明らかにするため、lprDNT細胞におけるVavの発現およびチロシンリン酸化に関して検討を加えた。その結果まず第一に、lprマウスの脾細胞より得られたVavのチロシンリン酸化は、対照群MRL/Mp-+/+(+/+)マウス脾細胞から得られるVavのチロシンリン酸化の数倍以上に上昇していることが認められた。一方、これらの脾細胞におけるVavの発現には、lprと+/+間に差は見られなかった。また、分離されたlprDNT細胞におけるVavのチロシンリン酸化は、lprCD4+T細胞、CD8+T細胞、B細胞、および+/+T細胞に比し、少なくとも数倍、構成的に増加していることが明らかとなった。更に、通常TCR刺激により1分間以内に上昇するVavのチロシンリン酸化は、+/+マウス脾細胞においては認められたが、lpr脾細胞においては、すでに亢進している刺激前のチロシンリン酸化レベルからはわずかに上昇が見られる程度であり、+/+で見られたようなチロシンリン酸化の上昇は見られなかった。Vavの機能として推定されている、多くの異なる細胞表面受容体からの細胞内への情報伝達系における役割を考慮に入れると、本実験結果から、lprDNT細胞の機能異常にVavの異常なチロシンリン酸化の上昇が関係している可能性が示唆され、その機序として、この細胞群においては、細胞表面受容体とG蛋白とのVavを介した情報伝達が障害されている可能性が考えられた。

II.単球の接着におけるVavのチロシンリン酸化と細胞内移動

 細胞外マトリックスとintegrinの接着により誘導される細胞内シグナル伝達系の検討は、主に線維芽細胞を用いて行われ、チロシンリン酸化をうける分子群、チロシンキナーゼ、分子間の会合と多分子複合体の形成など多くのことが明らかになってきた。例えば、細胞表面上に存在する1-integrinが、そのリガンドであるファイプロネクチンと接着することで、integrinの細胞内領域にfocal adhesion kinase(pp125FAK;FAK)を中心とし、Src、Paxillin、Grb-2さらにSOSなどの多分子複合体が形成される。SOSはそのGEF作用により小分子G蛋白Rasを活性化し、Raf、さらにMEKが活性化され、ERKの活性化を起こし、核内へと信号が伝わっていくと考えられている。

 一方、単球は、細胞外マトリックスに対してそのリガンドであるintegrinを介して接着し、細胞内分子のチロシンリン酸化の亢進、IL-1mRNAレベルの上昇、tissue factor(TF)の細胞表面上での発現とTFおよびTNF-mRNAレベルの上昇などを起こすことが知られており、単に線維芽細胞の類推からでは、単球の接着における細胞内シグナル伝達系の解析は出来ないと考えられる。また末梢血単球は通常プラスティックディッシュへの接着能を利用してポジティブセレクションを行い採取するが、この方法では接着により一旦細胞が刺激されてしまう可能性が高く、その後に行う実際の接着におけるシグナル伝達に関する検討にはこの方法は適切ではないと考えられる。centrifugal elutriationにて分離された単球は接着によるプライミングが起きにくく、接着のシグナル伝達の検討に適しているが、当該方法を用いた検討は実際には少ない。そこで本研究においては、centrifugal elutriationにて分離された末梢血単球および単球系細胞株U937を用い、主に単球の細胞外マトリックスへの接着によるVavのチロシンリン酸化と細胞内移動に焦点を当て、1-integrinを介する接着のシグナル伝達系におけるVavの役割を検討した。その結果、Vavは、末梢血単球およびU937がファイブロネクチンへと接着することでチロシンリン酸化の亢進を示し、またこのチロシンリン酸化の亢進はファイブロネクチンに対するレセプターである1-integrin経由の刺激により起こることが明らかとなった。そして、このVavのチロシンリン酸化は、1-integrin刺激後10分で最強となりおよそ30分後には低下する時間経過をとることも示された。さらに、1-integrin刺激後同様の時間経過によりVavは、Triton-X100可溶性分画である細胞質内からTriton-X100非可溶性の細胞骨格分画へと細胞内を移動することも明らかとなった。これらのことから、1-integrin経由のシグナル伝達系において、RacGEFである可能性も指摘されているVavが、1-integrin刺激によりチロシンリン酸化を受けさらに細胞質内から細胞骨格系へと移動することで、単球における細胞骨格の再構築などに関し何らかの役割を演じているものと考えられた。

審査要旨

 本研究は、血液細胞における様々なレセプター経由の刺激伝達系において重要な役割を演じていると考えられているvav proto-oncogene産物Vavの機能の一端を明らかにするため、第I編においては情報伝達系の異常が知られている自己免疫疾患モデルマウスT細胞を、また第II編においてはヒト単球の細胞外マトリックスへの接着の系を用いて検討したもので、下記の結果を得ている。

 1.全身性エリテマトーデスの動物モデルと考えられるMRL/Mp-lpr/lpr(lpr)マウス脾細胞より得られたVavのチロシンリン酸化は、対照群MRL/Mp-+/+(+/+)マウス脾細胞から得られるVavのチロシンリン酸化の数倍以上に上昇していることを認めた。一方、これらの脾細胞におけるVavの発現には、lprと+/+間に差を認めなかった。このVavのチロシンリン酸化の亢進が、このマウスに特徴的な異常なリンパ球亜集団であるCD4-CD8-CD3+TCR+(double negative,DN)T細胞において見られるものかどうか、lpr脾細胞をCD4+T細胞、CD8+T細胞、B細胞、およびDNT細胞に分離し、それらにおけるVavのチロシンリン酸化を検討した結果、DNT細胞においてVavは最も強くチロシンリン酸化を受けることが示された。

 2.lprDNT細胞亜集団は、CD3、IL-2、CD28、PMA、そしてPHAなどのin vitroでのT細胞刺激に対して反応しないことが知られている。上で示されたVavにおけるチロシンリン酸化の異常な亢進とlprDNT細胞におけるT細胞レセプターシグナル伝達系の異常との関係を検討したところ、通常TCR刺激後1分間以内に上昇するVavのチロシンリン酸化は、+/+マウス脾細胞においては認められたが、lpr脾細胞においては、すでに亢進している刺激前のチロシンリン酸化レベルからはわずかに上昇が見られる程度であり、+/+で見られたようなチロシンリン酸化の著明な上昇は見られなかった。これは、PHAを用いてもCD3抗体を用いても同様の結果であった。

 3.単球における1-integrinを介する接着のシグナル伝達系におけるVavの役割を検討するため、接着によるプライミングが起きにくいcentrifugal elutriationにて分離された末梢血単球および単球系細胞株U937を用いファイブロネクチンへの接着におけるVavのチロシンリン酸化の変化を解析したところ、末梢血単球、U937どちらにおいても接着によりVavのチロシンリン酸化は著明に亢進することが示された。そして、このチロシンリン酸化の亢進はファイブロネクチンに対するレセプターである1-integrin経由の刺激により起こることが明らかとなった。

 4.このVavのチロシンリン酸化は、1-integrin刺激後10分で最強となりおよそ30分後には低下する時間経過をとることが示された。さらに、1-integrin刺激後同様の時間経過によりVavは、Triton-X100可溶性分画である細胞質内からTriton-X100非可溶性の細胞骨格分画へと細胞内を移動することも明らかとなった。

 多くの異なる細胞表面受容体からの細胞内への情報伝達系におけるVavの役割を考慮に入れると、本実験結果から、複数の異なる細胞表面受容体からの刺激に対し反応できないlprDNT細胞の機能異常にVavの異常なチロシンリン酸化の上昇が関係している可能性が示唆され、その機序として、この細胞群においては、複数の細胞表面受容体と細胞内G蛋白との接点の一つと考えられるVavを介した情報伝達が障害されている可能性が考えられた。このような報告は今まで成されてはおらず、新たな発見であり、学術的意義が高い。また、単球における細胞外マトリックスとの接着におけるVavのチロシンリン酸化の亢進に関しては、他の血液系細胞におけるインテグリン経由の刺激でVavのチロシンリン酸化が亢進するという報告はあるものの、単球に関しては本報告が初めてである。さらに細胞外刺激によりVavが細胞骨格分画へ移動するという報告は、細胞によらず初めてのもので、VavがそのRacGEF作用からRacによる細胞膜のrufflingなど細胞骨格の制御に関わると考えられ、本研究は当該分野における貢献度が高いと考えられる。以上のことから本研究は学位授与に値するものである。

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