学位論文要旨



No 214091
著者(漢字) 梶原,隆広
著者(英字)
著者(カナ) カジワラ,タカヒロ
標題(和) Bcl-2強制発現によるヒト前立腺癌細胞株LNCaPのアポトーシス回避と腫瘍増殖における役割
標題(洋)
報告番号 214091
報告番号 乙14091
学位授与日 1998.12.24
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第14091号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 玉置,邦彦
 東京大学 教授 山本,一彦
 東京大学 助教授 吉川,裕之
 東京大学 助教授 保坂,義雄
 東京大学 講師 江里口,正純
内容要旨 研究の背景

 前立腺癌ではホルモン不応性となった場合、その予後は不良であり、抗癌剤治療が無効なことが多い。そのホルモン不応性の組織では、アポトーシス抑制遺伝子であるBcl-2が多く発現し、アポトーシスを回避していると考えられる。またbcl-2遺伝子は多くの他の細胞株でも、抗癌剤耐性化に関与していると報告されている。しかしアポトーシス回避が、いかに癌の増殖に関与しているかは、まだ明らかにされていない。

 Bcl-2は放射線、抗癌剤などにより誘導されるほぼすべてのアポトーシスを抑制する。Bcl-2の生化学的機能には不明な点が多いが、1つの仮説に細胞内抗酸化作用を介して細胞死を抑制するという考えがある。グルタチオン(GSH)はあらゆる細胞中に存在し、抗酸化作用の重要な地位を占めている。グルタチオン濃度の低下により、抗癌剤による抗腫瘍効果を高める実験報告が多くなされている。またBcl-2を過剰発現させた場合の、細胞内グルタチオン濃度の上昇を示した報告があり、Bcl-2の抗癌剤耐性化とグルタチオン濃度との関係が示唆される。

 著者は、アポトーシスを誘導する目的で、悪性度の違う3種類のヒト前立腺癌細胞株(LNCaP,DU145,PC-3)をそれぞれ無栄養状態であるPBS培地にて培養した。すると悪性度の低いアンドロゲン感受性株であるLNCaP細胞のみがアポトーシスに陥った。このためbcl-2cDNAをLipofection法を用いて、その細胞に導入するとアポトーシスを回避したので、増殖能をin vitroとin vivoで比較し、アポトーシスを回避する能力が、いかに前立腺癌の増殖能や悪性度に関与しているのかを検討した。またBcl-2を過剰発現させた場合、抗癌剤であるシスプラチンに対する感受性が低下した。Bcl-2の生化学的機能の1つの仮説である抗酸化作用説に注目し、この時の細胞内グルタチオン濃度の変化を調べ、細胞内グルタチオン濃度を人為的に調節することで、抗癌剤の感受性変化を獲得できるのかを検討した。

研究方法と結果

 bcl-2を導入したLNCaP細胞(LNCaP/bcl-2)、またコントロールとして、bcl-2cDNAを除いたベクターを導入した細胞(LNCaP/control)を用いて、RPMI1640+10%FBS(胎児牛血清)培地、FBSのステロイドを除去したDCCFBSを用いたRPMI1640+10%DCCFBS培地、血清の入っていないRPMI1640培地に、それぞれ培養した。LNCaP/control細胞はDCCFBS培地、RPMI培地で、FBS培地に比較してその増殖率が低下したのに対し、LNCaP/bcl-2細胞は増殖率はほとんど低下しなかった。そしてLNCaP/control細胞に比べ、有意にDCCFBS培地(p=0.04)、RPMI培地(p<0.01)でその増殖率が上回っていた。またLNCaP/control細胞、LNCaP/bcl-2細胞をPBS培地で培養した時のアポトーシス率は、培養3日目でLNCaP/control細胞が45.3±4.5%に対し、LNCaP/bcl-2細胞では17.0±1.5%とアポトーシスが著しく抑制された(p<0.01)。

 LNCaP/control細胞、およびLNCaP/bcl-2細胞をMatrigelに混合し、8週齢の雄ヌードマウス(BALB/c)の背側皮下に注射し、その後腫瘍の大きさを計測した。予備実験では腫瘍生着率はLNCaP/control細胞、LNCaP/bcl-2細胞で50.0%(4/8),87.5%(7/8)であり、このため本実験では腫瘍が生着したマウスをそれぞれ、8匹、7匹使用した。図のように、はじめの21日目で、LNCaP/bcl-2細胞の皮下腫瘍の体積は、平均75.7±27.5mm3となった。これに対しLNCaP/control細胞は平均8.0±5.4mm3であり、LNCaP/bcl-2細胞の腫瘍体積は有意に増加していた(p=0.02)。しかし35日目ではLNCaP/control細胞とLNCaP/bcl-2細胞との腫瘍体積の差は消失した。さらに35日目で、ヌードマウスを去勢した。去勢後いずれの腫瘍も縮小したが、その縮小傾向はLNCaP/control細胞で著しく認められた(p<0.01)。去勢後18日目(注射より53日目)の縮小率はLNCaP/bcl-2細胞で8.5%であったのに対し、LNCaP/control細胞では71.9%であった。

図 ヌードマウスでの腫瘍増殖能mean±SE,LNCaP/control n=8,LNCaP/bcl-2 n=7 *:p=0.02対 21日目でのLNCaP/control(対応のないt検定),**:p<0.01対35日目のLNCaP/control(対応のあるt検定)

 LNCaP/control細胞、およびLNCaP/bcl-2細胞の細胞内グルタチオン濃度を、Owcn法にて測定したところ、それぞれ0.622±0.090g/mg、2.20±0.09g/mgと、LNCaP/bcl-2細胞がLNCaP/control細胞を有意に上回っていた(p<0.01)。またグルタチオン濃度の調節にはD-L-buthionine-(S,R)-sulfoximine(BSO)と2-oxothiazolidine-4-carboxylic acid(OTZ)を用いた。BSOは細胞内グルタチオンレベルを低下させるのに対し、OTZは細胞内グルタチオンレベルを上昇させる。これらを培地にそれぞれ1mM、5mMとなる様に添加し、24時間後の細胞内グルタチオン濃度を測定した。いずれの細胞でも1mMBSO処理でグルタチオン濃度は低下し、5mM OTZ処理で上昇した。また、LNCaP/control細胞、LNCaP/bcl-2細胞は、シスプラチンの添加で濃度依存的に増殖が抑制されたが、LNCaP/bcl-2細胞はより抵抗性を示した。LNCaP/control細胞では、BSOの処理によりシスプラチンの細胞毒性が高められたが、LNCaP/bcl-2細胞には影響を及ぼさなかった。

考察

 前立腺腫瘍増殖におけるBcl-2強制発現のin vivoでの効果は、1)固形腫瘍の生着、2)腫瘍の増殖率、3)去勢に対する反応の3つの段階を示した。まず、個体数が少なく有意差は認められなかったが、LNCaP/bcl-2細胞のほうが、LNCaP/control細胞に比べ腫瘍が容易に生着した(7/8vs4/8)。接種された細胞は、微小環境への不適合などにより、ストレスをうけ、これによるアポトーシスが誘導される。Bcl-2はこのアポトーシスを回避し、固形腫瘍の生着を助けたと思われる。次に、Bcl-2は腫瘍増殖率を高めることであり、本実験でも有意な結果が得られた。しかし腫瘍体積が120mm3となった35日目ではその優位性は失われた。この理由として、腫瘍の増大に伴い、栄養や酸素供給などの不足で、増殖率が低下したためと思われる。推測ではあるが、今後さらに腫瘍体積を増大させるためには、アポトーシスの回避ではなく、angiogenesisなどの因子が必要であろう。3番目は、Bcl-2の発現はアンドログン除去に耐性となった。これらの3つのBcl-2の効果は前立腺癌の特徴的な性質であり、Bcl-2は悪性度の増大に大いに寄与していると考えられた。

 LNCaP/control細胞ではグルタチオン濃度の低下が、シスプラチンの感受性を高めた。しかしLNCaP/bcl-2細胞に対し、シスプラチンへの感受性を高めることはできなかった。この原因として、シスプラチンの添加後にグルタチオンの再合成が起こっている可能性や、抗酸化作用のあるグルタチオン以外のカタラーゼ、グルタチオンペルオキシダーゼ、スーパーオキシドジスムターゼ活性も上昇している可能性などが考えられる。しかしBcl-2の細胞死抑制機序が、グルタチオンや抗酸化作用とは全く違う、細胞内カルシウム濃度の調節や、ミトコンドリア膜電位の低下の抑制などによっておこり、シスプラチン抵抗性になった可能性もおおいに考えられる。

 以上より、癌細胞の増殖におけるアポトーシス回避の役割は、腫瘍の生着、癌の増殖、治療抵抗性で強く関与している可能性が示された。また抗癌剤耐性の1つにBcl-2の発現が関与しているが、グルタチオン濃度を低下させても感受性を高めることはできなかった。このことより、Bcl-2の発現による抗癌剤耐性にはグルタチオン以外の関与があると示唆された。

審査要旨

 本研究は前立腺癌におけるアンドログン感受性の低下、腫瘍増殖能、及び抗癌剤耐性にアポトーシスが関与しているのかを明確にするために、前立腺癌細胞株にアポトーシス抑制遺伝子であるbcl-2を導入して種々の条件下での細胞増殖能を検討し、下記の結果を得ている。

 1.in vitroにおいて3種の前立腺癌細胞株のうち、アンドロゲン感受性株LNCaP細胞のみが、無栄養培地にてアポトーシスが誘導された。しかし、この細胞株にbcl-2を遺伝子導入すると(LNCaP/bcl-2細胞)、アンドロゲン非感受性となり、また無栄養培地でのアポトーシスも回避した。bcl-2がアンドロゲンの非感受性化に関与していることが示された。

 2.ヌードマウスにLNCaP/bcl-2細胞を背側皮下に移植した場合、その生着率はコントロール細胞に比べ、上昇する傾向にあった。また生着腫瘍の増殖速度は、はじめの21日間では、有意にLNCaP/bcl-2細胞がコントロール細胞を上回っていた。また去勢後でも、LNCaP/bcl-2細胞は縮小傾向を示さなかった。このことはin vivoでのアポトーシスの回避が腫瘍の生着、増殖およびアンドロゲン非感受性化に影響を与えていることを示した。

 3.LNCaP/bcl-2細胞の細胞内グルタチオン濃度は、コントロール細胞に比べ有意に上昇していた。またin vitroでのシスプラチン感受性も低下していた。抗癌剤感受性の低下もbcl-2が関与していることが示された。

 4.D-L-buthionine-(S,R)-sulfoximine(BSO)と2-oxothiazolidine-4-carboxylic acid(OTZ)を用いて、コントロール細胞のみならず、LNCaP/bcl-2細胞の細胞内グルタチオン濃度も調節することができた。コントロール細胞では細胞グルタチオン濃度の低下に伴い、シスプラチン感受性を高めたが、LNCaP/bcl-2細胞の場合は、シスプラチン感受性を高めることはできなかった。bcl-2の抗癌剤耐性化はグルタチオン以外の関与があると示唆された。

 以上、本論文はLNCaP細胞にbcl-2遺伝子を導入したLNCaP/bcl-2細胞を用いて、アンドロゲン感受性や抗癌剤耐性等に対するアポトーシスとbcl-2の働きを明らかにした。本研究はこれまで未知に等しかった、前立腺癌の生着、増殖、治療抵抗性とアポトーシスの関係の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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