学位論文要旨



No 214092
著者(漢字) 富所,敦男
著者(英字)
著者(カナ) トミドコロ,アツオ
標題(和) レーザースペックル現象を用いた生体眼ぶどう膜微小循環の非侵襲的解析
標題(洋)
報告番号 214092
報告番号 乙14092
学位授与日 1998.12.24
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第14092号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 神谷,瞭
 東京大学 助教授 大鹿,哲郎
 東京大学 助教授 後藤,淳郎
 東京大学 助教授 朝戸,裕貴
 東京大学 講師 大河内,仁志
内容要旨

 虹彩、脈絡膜を含むぶどう膜は血管に富んだ組織であり、そこでの末梢循環動態は眼内の生理的環境の維持に重要な役割を担っている。ぶどう膜循環の解析法として、これまでは主に侵襲的な方法が実験動物に対し用いられてきた。また近年、網膜循環などの非侵襲的解析法としてレーザードップラー法などが開発されてきたが、測定面積の小ささなどのため、ぶどう膜循環に関しての再現性の高い測定は難しかった。生体組織にコヒレンシーの高いレーザー光などを照射するとスペックルパターンと呼ばれるランダムな模様が形成されるが、散乱粒子(主には赤血球)の移動によりそのパターンは経時的に変化する。それに基づき、血球の移動速度を定量することが可能であり、眼科領域ではこれまでに網膜、視神経乳頭などの微小循環解析への応用に関して検討されてきた。本研究では、レーザースペックル現象を用いた眼微小循環測定法のぶどう膜循環解析への応用を目的に以下の検討を行った。

 まずこれまで眼底組織用として開発された装置の観察系、照明系の改造、レーザー出力の調整などを行い眼底のみならず前眼部の測定も可能とした。次に家兎を用いて以下の実験を行った。虹彩、脈絡膜それぞれで設定したいくつかの測定位置で複数回の測定を行い測定値(Normalized blur、NB値)の変動係数を測定位置間で比較した結果、虹彩では耳側の虹彩全幅中央部、脈絡膜では視神経から1乳頭径下方の位置が測定値の変動も小さく、実際の測定時に測定位置の固定も容易であったため、この後の測定における原則的な測定位置とすることにした。5分間隔、24時間間隔のNB値の再現性指数は、虹彩(n=8)でそれぞれ8.8±2.0%(平均値±標準誤差)、14.1±3.0%、脈絡膜(n=8)で9.2±1.8%、11.3±2.6%であり、それぞれの再現性指数は実用上十分に小さく、虹彩、脈絡膜においても信頼性の高い測定が可能であることが示された。次に、機械的に眼圧を変え眼血流を変化させた系と家兎前眼部炎症を惹起する作用をもつunoprostoneを点眼した系において、本来、血流速度の定量的指標であるNB値とマイクロスフェア法で測定される組織血流量を同一眼で同時に測定しそれぞれの値を比較した。眼圧を変化させた系において、NB値と組織血流量は虹彩(相関係数0.610、P=0.00021、n=40)、脈絡膜(相関係数0.552、P=0.0265、n=16)それぞれにおいて有意に相関した。また各眼圧でのNB値、組織血流量の平均値を比較すると虹彩では相関係数0.995(P=0.0531,n=4)、脈絡膜で相関係数0.961であった。また、unoprostone点眼前後の虹彩NB値、虹彩組織血流量の増加率はそれぞれ146.7±11.7%、145.2±10.2%でほぼ同様な値を示し、両者の増加率の相関係数は0.93(P=0.0068、n=8)であった。これらの結果より、NB値が虹彩、脈絡膜の微小循環動態の解析において組織血流量を反映する指標となることが示された。最大5分間という比較的長時間、連続して非侵襲的な測定が可能であるという本装置の特長を生かし、これまでに検討されたことがなかった家兎外眼筋切断直後の虹彩循環の経時的な変化を測定した。Muscular arteryが随走する上直筋、下直筋では、筋付着部方向の虹彩全幅中央部で測定された虹彩NB値は、直筋切断1分後(上直筋、P<0.05、n=6)または2分後(下直筋P<0.05、n=9)まで切断前値に比べ有意に低下した後、切断前値のレベルまで回復した。これは、muscular arteryの障害による循環の低下とその後の長後毛様体動脈系からの代償的な血流の再分布を示すものと考えられた。また、muscular arteryが伴わない内直筋、外直筋では切断後に有意なNB値の変化は見られなかった。

 潅流圧の変化に対し循環動態を一定に保とうとする働きは自動調節能と呼ばれ、脳や心臓などの他、眼では網膜、視神経に関してその存在が確かめられている。虹彩に関しては、マイクロスフェア法による実験で猿虹彩に自動調節能が存在せず、猫虹彩では不完全ながらも自動調節能の存在を示唆する結果がこれまでに報告されている。また脈絡膜に関しては、マイクロスフェア法などによる実験の結果、多くの動物種で自動調節能が存在しないとされていたが、近年、レーザードップラー法による実験で家兎および人の脈絡膜に不完全な自動調節能が存在することを示す報告もなされ、現在のところ統一的な見解は得られていない。本研究では、まず眼圧を5分おきに段階的に上昇させた時の虹彩、脈絡膜のNB値の変化を検討した。虹彩NB値は眼圧の上昇に伴い有意に減少し(P<0.0087、n=9)、虹彩NB値と眼潅流圧(=平均血圧-眼圧-14)は有意に正相関した(相関係数0.977、P=0.0042)。脈絡膜NB値も同様に眼圧上昇に伴い有意に減少し(P<0.01、n=8)、脈絡膜NB値と眼潅流圧は有意に正相関した(相関係数0.999、P=0.0005)。これらの結果は、家兎虹彩および脈絡膜に明らかな自動調節能が存在しないことを示すものである。自動調節能の検討において、それが発現する時間的要素は重要であるが、眼科領域の研究において時間的要素に主眼をおいたものはほとんどなく、特に潅流圧変化後長時間での反応を検討したものは全くなかった。本装置による測定は非侵襲的な測定であるため、長時間にわたる繰り返し測定が可能である。そこで次に、潅流圧変化後2時間にわたり脈絡膜NB値を測定し、そこで発現するような自動調節能の有無および性状に関して検討した。また同時にこれまでに自動調節能の存在が確認されている視神経乳頭に関しても対照として同様な実験を行った。その結果、眼圧を25mmHgから10、40、60mmHgに変化させた各群において、脈絡膜NB値は眼圧変化直後に一度変化したあとはほぼ一定に保たれた。また眼圧変化の5分後、30分後の潅流圧と脈絡膜NB値のそれぞれの変化率の間には有意な相関が見られた(5分後:相関係数0.975、P=0.0251、30分後:相関係数0.986、P=0.0135)。これらの結果より、潅流圧変化後2時間という長時間においても明らかな脈絡膜の自動調節能が発現しないことが示された。またこれに対し視神経乳頭では、変化後の眼圧が10mmHg、40mmHgの群において眼圧変化直後からNB値の回復傾向がみられ約15分後までにほぼ眼圧変化前値のレベルまで回復しており、明らかな自動調節能の存在が確認された。

 緑内障患者に対して遮断点眼薬が広く用いられているが、2遮断作用は一般に末梢血管の収縮作用を持つので、それらの点眼薬の眼循環への悪影響も懸念されている。虹彩、脈絡膜では、受容体が網膜などにくらべ明らかに多く存在し、点眼された薬剤の浸透度も虹彩では大きいので、遮断点眼薬の作用がより顕著に現れる可能性が考えられる。そこで本研究では、遮断点眼薬の、これまであまり検討されていない虹彩、脈絡膜循環に対する影響に関して検討した。まず2%carteolol1回点眼前後の虹彩循環の変化に関して、NB値とマイクロスフェア法による組織血流量を同一眼において同時に測定し両者を比較した。NB値と組織血流量ともに点眼2時間後に有意に増加し(各P=0.0332、0.00401)、それぞれの変化率は1.22±0.09、1.27±0.08と、ほぼ同様な値をとり、この条件のもとでもNB値は血流速度のみならず組織血流量をも反映する値として用い得ることが示された。つぎに2%carteololおよび0.5%timololの1回点眼および1日2回20日間連続点眼が虹彩、脈絡膜循環に与える影響に関して検討した。Carteolol1回点眼後、carteolol点眼側の虹彩NB値は有意に増加し、僚眼の虹彩NB値および両眼の脈絡膜NB値は有意な変化はなかった。Timolol1回点眼後、timolol点眼側の虹彩NB値は有意に低下し、僚眼の虹彩NB値および両眼の脈絡膜NB値は有意な変化はなかつた。またcarteolol20日間連続点眼後、両眼の虹彩NB値は有意に増加した(carteolol側:P=0.0280,他側:P=0.0425)。Timolol20日間連続点眼後、timolol点眼側のみで虹彩NB値は有意に低下した(P=00280)。以上の結果は、虹彩、脈絡膜循環に対して、carteololは亢進的な、timololは抑制的な作用を持つことを示唆し、これらの遮断薬を臨床で使用する際には、ぶどう膜循環への影響を考慮する必要があることを示す。

 以上より、レーザースペックル法により非侵襲的なぶどう膜微小循環解析が十分な信頼性をもって可能であり、また、その測定値は血流速度のみならず組織血流量をも反映する指標であることが示された。その非侵襲性、良好な再現性を背景とし、ぶどう膜循環に関する様々な生理的、薬理的実験が可能であり、今後、重要な実験的手法となることが期待される。

審査要旨

 本研究は眼内の生理的環境の維持に重要な役割を担っているぶどう膜(虹彩、脈絡膜)の微小循環動態を生体眼において非侵襲的に解析する方法の開発およびその方法の眼生理学、眼薬理学的応用を試みたもので、下記の結果を得ている。

 これまでに眼底組織用として開発されたレーザースペックル現象を用いた微小循環解析装置の観察系、照明系を改造すると同時にレーザー出力の調整などを行い、眼底のみならず前眼部の測定をも可能とした。

 生体眼ぶどう膜におけるレーザースペックル法による微小循環解析に関して、その測定値であるNB値を家兎の虹彩上、脈絡膜上に設定した複数の測定位置で複数回測定し、その平均値、変動係数を検討することにより、実験に最適な測定位置を決定することができた。家兎虹彩、脈絡膜でのNB値測定の5分間隔、24時間間隔の再現性指数を検討したところ、それぞれの再現性は実用上十分に高く、虹彩、脈絡膜においても信頼性の高い測定が可能であることが示された。

 機械的に眼圧を変え眼血流を変化させた系と家兎前眼部炎症を惹起する作用をもつunoprostoneを点眼した系において、本来、血流速度の定量的指標であるNB値とマイクロスフェア法で測定される組織血流量を同一眼で同時に測定しそれぞれの値を比較したところ、NB値と組織血流量は各実験系においてよく相関し、NB値が虹彩、脈絡膜の微小循環動態の解析において組織血流量を反映する指標となることが示された。

 眼潅流圧の変化に対し血流を一定に保とうとする働きである自動調節能の家兎虹彩、脈絡膜での有無及び性状に関して、眼潅流圧を段階的に変化させNB値を測定したところ、眼潅流圧の変化に平行してNB値も変化した。これより家兎虹彩、脈絡膜においては明らかな自動調節能が存在しないことが示された。また脈絡膜の自動調節能が眼潅流圧変化後長時間においても発現しないのかに関して、これまでに全く未知であったが、今回初めて眼潅流圧変化後2時間という長時間にわたりNB値を測定したところ、血流の回復は見られず、その時間域での自動調節能も存在しないことが示された。

 抗緑内障薬として用いられている遮断点眼薬の家兎虹彩、脈絡膜の微小循環に対する作用を1回点眼、長期点眼(20日間)のそれぞれに関して検討したところ、遮断作用のみを有するtimololはNB値を有意に低下させ、遮断作用の他に内因性交感神経刺激物質用作用や内皮依存性血管弛緩因子放出作用をもつcarteololはNB値を上昇させた。以上の結果は、虹彩、脈絡膜循環に対して、timololは抑制的な、carteololは亢進的な作用を持つことを示唆し、これらの遮断薬の使用に際しぶどう膜循環への影響を考慮する必要があることも示された。

 以上、本論文はレーザースペックル現象を用いて、生体眼ぶどう膜の微小循環を非侵襲的かつ定量的に解析することが可能であることを明らかにし、その眼生理学的、眼薬理学的応用の可能性を示した。本研究は今後の眼循環に関する研究に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値すると考えられる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/51102