学位論文要旨



No 214093
著者(漢字) 佐々木,幸弘
著者(英字)
著者(カナ) ササキ,ユキヒロ
標題(和) Fas遺伝子導入後のヒト前立腺癌細胞系でのFas刺激によるアポトーシス誘導に関する検討
標題(洋)
報告番号 214093
報告番号 乙14093
学位授与日 1998.12.24
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第14093号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 武藤,徹一郎
 東京大学 教授 小俣,政男
 東京大学 助教授 北村,聖
 東京大学 助教授 保坂,義雄
 東京大学 講師 大河内,仁志
内容要旨 a研究目的、研究の背景

 アポトーシスが多細胞生物の発生、分化、成熟において生体を調整するために重要な機構であることはすでに良く知られている。Fas-Fas ligand system(Fas system)はこのアポトーシスを引き起こす複数の経路の1つであると考えられている。Fasを刺激するには最初に発見された抗Fas抗体投与やその後に発見されたFas ligandを有するcytotoxic T lymphocyto(CTL)などを用いる方法が取られている。anti human Fas antibodyには今回使用したアポトーシスを誘導するCH-11や誘導しないUB-2などがある。

 ヒト前立腺癌では去勢などのアンドロゲン除去によりアポトーシスが誘導されることが知られている。しかしアンドロゲン依存性のものと非依存性のものがあり、非依存性のものに対して有効な治療のないことが今なお大きな問題となっている。これまでの研究で最も大きな違いは、依存性の癌と異なり非依存性の癌ではアンドロゲン除去後に細胞内のCa2+が上昇しないことがアポトーシスが誘導されない1つの理由ではないかと考えられている。今回使用したPC-3とLNCaPはともにアンドロゲン非依存性であるが、LNCaPにはアンドロゲン反応性が残っていることが示されている。

 今回はこのPC-3とLNCaPの2つの細胞系に対してFas遺伝子を導入し、アポトーシス誘導性の抗体によるFas刺激を行いアポトーシスが起きるかについて検討を加えた。

b研究方法(1)Fas発現vectorの作成

 chicken -actin promoterを持つ哺乳類発現vector pCAGGSのEcoRI部位にhuman Fas cDNAを含むpBL58-1の1.8kbのEcoR I fragmentを挿入しpCFas22を作った。

(2)PC-3とLNCaPにおけるFas cDNA導入と発現の確認

 これらの細胞に、pCFas22とneomycin抵抗性遺伝子を、electroporation法にて導入した。コントロールとして、PC-3とLNCaPに、pCAGGSとneomycin抵抗性の遺伝子を導入した。コントロールのPC-3、LNCaPおよびFasを導入したPC-3、LNCaPを、クローン化し、Fasの発現は免疫細胞化学とフローサイトメトリーにより確認した。なおこの遺伝子導入がgenomic DNAに取り込まれてstableであることは確認済みである。

(3)Fasを導入したPC-3とLNCaPの増殖とアンドロゲン反応性

 104個のコントロールPC-3とPCFas1(遺伝子導入で得られたクローンの1つ)とコントロールのLNCaPとLNFas2(遺伝子導入で得られたクローンの1つ)を培養し、3-(4,5-dimethylthiazol-2-yl)-2,5-diphenyl tetrazolium bromide(MTT)assayを施行した。アンドロゲン反応性を示すために、0、0.01、0.1、1nMの濃度のdehydrotestosterone(DHT)中でも培養し、MTT assayを行った。

(4)Fasを導入したPC-3とLNCaPでのFas刺激によるアポトーシス誘導(光顕および電顕)

 106個のコントロールPC-3とLNCaPとFasを導入したPC-3とLNCaPを培養し、0.5g/mlのアポトーシス誘導性のanti human Fas mAb(CH-11)かコントロールのmouse immunoglobulinを加えアポトーシスの誘導につき検討した。

(5)Fasを導入したPC-3とLNCaPでのFas刺激によるアポトーシス誘導(MTT assay)

 104個のコントロールPC-3とPCFas1とコントロールのLNCaPとLNFas2を培養し、コントロールのmouse immunoglobulinかCH-11を0、0.1、0.5、2.5g/mlの濃度で加え、MTT assayを行った。

(6)in vivoでのFasを導入したPC-3の増殖とFas刺激によるアポトーシス誘導

 106個のコントロールのPC-3とPCFas1をマウスの右側腹部皮下に注射し腫瘍径が4〜6mmになったときに、100gのCH-11かmouse immunoglobulinを腹腔内に注射した。24時間後腫瘍を切除し、terminal transferase labelingと電顕でアポトーシスの誘導を検討した。

c実験・観察・調査結果(1)Fasを導入したPC-3とLNCaPでのFas発現

 無処置のPC-3とLNCaPおよび、vectorだけを導入したコントロールのPC-3とLNCaPは、免疫細胞化学でもフローサイトメトリーでもFasを発現していなかった。Fasを導入したPC-3 clone(PCFas1,PCFas2,PCFas3)とFasを導入したLNCaP clone(LNFas1,LNFas2)は、免疫細胞化学やフローサイトメトリー上Fasを発現していた。

(2)Fasを導入したPC-3とLNCaPの増殖とアンドロゲン反応性

 MTT assayでは、PCFas1の増殖はコントロールに比べると24、48、72、96時間後には有意に抑制された(p<0.001)。一方、LNFas2の増殖はコントロールに比べて72、96時間後に有意に強まった(p<0.01)。Fasを導入しても、PCFas1はアンドロゲン不応性のままでありLNFas2はアンドロゲン反応性のままであった。さらにLNFas2のアンドロゲン反応性はコントロールに比べて0.01、0.1、1nMのすべての濃度で有意に増強された(p<0.05,p<0.01,p<0.01)。

(3)Fasを導入したPC-3とLNCaPでのFas刺激によるアポトーシス誘導(光顕および電顕)

 コントロールのPC-3はCH-11によるFas刺激ではアポトーシスが誘導されなかったが、Fasを導入したPC-3 clone(PCFas1,PCFas2,PCFas3)では明らかな細胞の縮小、多数の空胞、粗いクロマチンの凝集を24時間後には認め、アポトーシスが誘導された。電顕上でも核の断裂、多数の空胞、アポトーシス体、細胞膜の足突起の消失を認め、アポトーシスが確認された。一方、コントロールのLNCaPやFasを導入したLNCaP clone(LNFas1,LNFas2)では、CH-11投与24時間後でも、アポトーシスが誘導されなかった。

(4)Fasを導入したPC-3とLNCaPでのFas刺激によるアポトーシス誘導(MTT assay)

 PCFas1は、コントロールと異なりCH-11投与によるFas刺激で、増殖が0.1、0.5、2.5g/mlのすべての濃度で有意に抑制された(p<0.001)が、LNFas2では2.5g/mlの濃度の時のみ少し抑制されただけであった(p<0.03)。

(5)in vivoでのFasを導入したPC-3の増殖とFas刺激によるアポトーシス誘導

 皮下に植えられたコントロールPC-3とPCFas1は、MTT assayと同様に抗体投与とは無関係に、PCFas1の増殖はコントロールのPC-3に比べて5、6週後には抑制されていた(p<0.02)。CH-11の注射でのFas刺激によりterminal transferase labelingと電顕でアポトーシスが明らかであった。

d考察

 Fasについての研究は、米原らがヒト細胞表面抗原に対するmonoclonal antibodyを作成し、種々のヒト細胞に対し致死効果を示す抗Fas抗体を作成したことから始まった。その後長田らにより、Fas抗原の構造が示され、須田らによりそのFas ligandが精製された。さらにcytotoxic T lymphocyte(CTL)の細胞障害活性を示す2つのpathwayの1つはFas systemによることが示された。

 一方アンドロゲン依存性のヒト前立腺癌ではアンドロゲン除去によりアポトーシスが誘導することが知られている。その際、細胞内のCa2+が上昇しCa2+/Mg2+-dependent endonucleaseが活性化され細胞死に至ることがもっとも重要であることが示されている。このCa2+の上昇は細胞外のCa poolから流れこんでくると考えられているが、Ca2+を上昇させる機構は詳細には解明されていない。この細胞内Ca2+を増加させる前段階のものとしてtransforming growth factor-1(TGF-1)mRNAなどが考えられている。現在有効な治療法がないアンドロゲン非依存性の前立腺癌ではアンドロゲン除去によりアポトーシスが誘導されないことが問題となっている。この理由の1つにアンドロゲン除去では先程述べた細胞内のCa2+の濃度が上昇しないことが考えられている。ところがアンドロゲン非依存性のヒト前立腺癌細胞系に対して、Ca ionophore ionomycinを投与して細胞内Ca2+濃度を上げるとアポトーシス誘導されることから、アンドロゲン非依存性の前立腺癌の中にもCa2+以降のアポトーシス経路が内在していることが示されている。さらにアンドロゲン非依存性の前立腺癌でCa2+が上昇しないのはその前の段階でTGF-1の増加が起きないためではないかと考えられている。またこれとは別にアンドロゲン非依存性の癌ではbcl-2が発現しアポトーシスを抑制していることが示されている。

 Fas刺激によるアポトーシス誘導に関しては、もともとFas発現があるあるいはFas導入後の細胞系で抗体投与により誘導されることが示されている。今回の実験でも、Fas導入後PC-3でアポトーシスを誘導することに成功した。また細胞表面にFasの豊富な発現があっても、Fas刺激により必ずしもアポトーシスが誘導されないことが示されている。本検討でもLNCaPでは導入後のFas発現にも関わらずアポトーシスが誘導されなかった。CTLを用いてFas刺激を行なった実験でも、もともとのPC-3とLNCaPにFas感受性は認められなかったが、CDDPなどの薬剤を投与するとPC-3のみでFas感受性が認められた。今回の結果もこれにまったく一致する。こうしたことから、PC-3ではFas刺激の最初の段階で、LNCaPではそれより後の段階で、pathwayが抑制されていると考えられる。アンドロゲン感受性のないPC-3のほうがFas感受性を獲得しやすいことはとても興味深い。しかしアンドロゲン除去後のアポトーシスがCa2+の上昇が中心であるのに対して、Fas systemはCa2+に依存していないことが示されている。アンドロゲン除去とFas刺激で始まる経路はまったく異なる可能性もあり、アンドロゲン反応性とFas感受性が相関している必要もないと考えられる。

 さらにin vivoでもFas刺激によるアポトーシス誘導を示す報告がある。今回の検討でもin vivoでFasを導入したPC-3で抗体投与によりアポトーシスが誘導された。マウスにanti mouse Fas mAbを投与すると正常の肝細胞でアポトーシスが誘導され劇症肝炎のために6時間以内にすべてのマウスが死亡したことが示されている。今回の実験では元気であり、マウスにおいて異種のヒトFas systemを用いたため正常組織でアポトーシスが誘導されなかった可能性が考えられる。

e結語

 1.2つのヒト前立腺癌細胞系(PC-3,LNCaP)に対してFas cDNAを遺伝子導入して検討を加えた。またvectorだけを導入したものをコントロールとして用いた。

 2.Fasを導入したPC-3とLNCaPにおいて免疫細胞化学とフローサイトメトリーの両方でコントロールにはないFas発現が認められた。

 3.MTT assayによる検討では、Fas導入によりPC-3の増殖は抑制されたが、LNCaPの増殖は逆に増強された。Fas導入によりPC-3のアンドロゲン不応性に変化はなかったが、LNCaPのアンドロゲン反応性は増強された。

 4.光顕、電顕、MTT assayによる検討では、PC-3はFas導入後に抗体投与によるFas感受性を獲得したが、LNCaPはFas導入後もFas抵抗性のままであった。

 5.in vivoでもPC-3の増殖はFas導入により抑制された。またFas導入後のPC-3ではFas刺激によるアポトーシス誘導が確認された。

審査要旨

 本研究はアンドロゲン除去後にアポトーシスが誘導されることが知られている前立腺癌においてFas-Fas ligand system(Fas system)の刺激でアポトーシスが誘導されるかを明らかにするため、PC-3とLNCaPの2つのヒト前立腺癌細胞系を用いて、Fas遺伝子導入後にFas刺激を行いアポトーシスの誘導を試みたものであり、下記の結果を得ている。

 1.無処置のPC-3とLNCaPおよび、vectorだけを導入したコントロールのPC-3とLNCaPは、免疫細胞化学でもフローサイトメトリーでもFasを発現していなかった。Fasを導入したPC-3 clone(PCFas1,PCFas2,PCFas3)とFasを導入したLNCaP clone (LNFas1,LNFas2)は、免疫細胞化学やフローサイトメトリー上Fasを発現していた。Fas遺伝子導入によりPC-3とLNCaPにおいて、もともとは存在しないFasが発現したことが示された。

 2.MTT assayでは、PCFas1の増殖はコントロールに比べると24、48、72、96時間後には有意に抑制された。一方、LNFas2の増殖はコントロールに比べて72、96時間後に有意に強まった。Fas導入はPC-3の増殖を抑制するが、LNCaPでは逆に増強することが示された。Fasを導入しても、PCFas1はアンドロゲン不応性のままでありLNFas2はアンドロゲン反応性のままであった。さらにLNFas2のアンドロゲン反応性はコントロールに比べて0.01、0.1、1nMのすべての濃度で有意に増強された。Fas導入によりPC-3のアンドロゲン不応性に変化はなかったが、LNCaPのアンドロゲン反応性は増強された。

 3.コントロールのPC-3はCH-11によるFas刺激ではアポトーシスが誘導されなかったが、Fasを導入したPC-3clone(PCFas1,PCFas2,PCFas3)では明らかな細胞の縮小、多数の空胞、粗いクロマチンの凝集を24時間後には認め、アポトーシスが誘導された。電顕上でも核の断裂、多数の空胞、アポトーシス体、細胞膜の足突起の消失を認め、アポトーシスが確認された。一方、コントロールのLNCaPやFasを導入したLNCaP clone(LNFas1,LNFas2)では、CH-11投与24時間後でも、アポトーシスが誘導されなかった。PC-3はFas導入後に抗体投与によるFas感受性を獲得したが、LNCaPはFas導入後もFas抵抗性のままであった。

 4.MTT assayでは、PCFas1は、コントロールと異なりCH-11投与によるFas刺激で、増殖が0.1、0.5、2.5g/mlのすべての濃度で有意に抑制されたが、LNFas2では2.5g/mlの濃度の時のみ少し抑制されただけであった。これは上に述べた光顕と電顕の結果に全く一致した。

 5.マウスの皮下に植えられたコントロールPC-3とPCFas1は、抗体投与とは無関係に、PCFas1の増殖はコントロールのPC-3に比べて5、6週後には有意に抑制されていた。in vivoでもin vitroと同様にPC-3の増殖はFas導入により抑制された。CH-11腹腔内注射でのFas刺激によりterminal transferase labelingと電顕でアポトーシスが明らかであった。in vivoでもFas導入後のPC-3ではFas刺激によるアポトーシス誘導が確認された。

 以上、本論文は、ヒト前立腺癌細胞系においてFas遺伝子導入後Fas刺激によりアポトーシスが誘導されることを明らかにした。またともにアンドロゲン非依存性であるが、アンドロゲン不応性のPC-3とアンドロゲン反応性のLNCaPではFas導入後のFas感受性が異なることも明らかにした。このように本研究はこれまで余り知られていなかった前立腺癌におけるアンドロゲン除去後のアポトーシスとFas systemの関係の解明に大きな貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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