学位論文要旨



No 214094
著者(漢字) 原,岳
著者(英字)
著者(カナ) ハラ,タケシ
標題(和) 線維柱帯切除術におけるマイトマイシンCの応用 : 基礎的・臨床的研究
標題(洋)
報告番号 214094
報告番号 乙14094
学位授与日 1998.12.24
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第14094号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 伊賀,立二
 東京大学 助教授 名川,弘一
 東京大学 助教授 鳥羽,研二
 東京大学 助教授 大鹿,哲郎
 東京大学 講師 山岨,達也
内容要旨 目的

 本研究は失明原因の代表的な疾患である緑内障の代表的手術療法である線維柱帯切除術の成績向上のために使用されている代謝拮抗薬マイトマイシンC併用の安全性、ならびに臨床上の有用性を検討することを目的とする。

 注:本論文では、マイトマイシンC(マイトマイシン協和S、協和発酵工業、東京)を以下、MMCと省略して表記することとする。

1.基礎実験対象と方法

 有色家兎を用いて以下の実験を行った

1)組織移行濃度の検討

 MMCを異なる濃度(0.02%、0.04%、0.08%)、留置時間(1分、3分、5分)で投与し、塗布部の角膜、結膜、強膜の濃度を測定し、投与濃度および留置時間と組織内濃度の相関を検討した。また、0.04%投与群において投与部と隣接部、対側の濃度を測定し、濃度差を検討した。

2)手術成績の検討

 MMC0%および0.04%を線維柱帯切除術中に異なる留置時間(1分、3分、5分)で投与し眼圧下降効果の持続期間を比較した。

3)毛様体に対する組織毒性の検討

 MMC(0%、0.04%、0.1%、0.4%)を単独で投与し、投与前後の眼圧、房水流量、前房内移行度を測定した。また、摘出した毛様体組織を電子顕微鏡で観察した。

結果1)組織移行度の検討

 投与部の結膜、強膜におけるMMC濃度は投与濃度と高い相関(P<0.01)を示し、また留置時間とも相関(P<0.05)を示した。角膜では投与濃度のみが高い相関(P<0.01)を示した。また、投与部の角膜、結膜、強膜、虹彩-毛様体の組織濃度は隣接部、対側と比較して有意に高い濃度を示した。

2)手術成績の検討

 0.04%投与群は0%と比較して眼圧下降期間が長かった(P<0.01)。0.04%投与群において1分よりも3分、5分の方が眼圧下降期間が長く(P<0.05)、3分と5分の間には差がなかった(P=0.49)。

3)毛様体に対する組織毒性

 眼圧、房水流量、前房移行度にはMMCいずれの濃度においても投与前後で有意な変化は観察されなかった。組織の観察では0.4%投与部では強い組織障害が観察されたが、0.04%投与部では変化はほとんど観察されなかった。

考按

 家兎を用いた動物実験では、通常使用量の0.04%MMC(0.2mg/0.5ml)は眼機能の指標である房水産生能、血液房水柵機能への影響はなく、組織障害も僅かであることが示され、安全性が確認された。組織内MMC濃度の検討では、MMCは投与部のみならず眼球対側へも移行することが確認され、高濃度のMMCを使用した場合には眼球全体の毛様体組織傷害を来す可能性が示され、MMC使用に当たっては可能な限り低濃度である必要があることが示された。またMMCの組織内移行は使用するMMC濃度と使用時間によって決定され、特に使用するMMC濃度の増加は使用時間の延長を上回って組織内濃度に影響することから、MMC投与に際して使用するMMC濃度を上げて使用時間を短縮することは危険であることが示された。一方家兎眼を対象とした手術実験で0.04%MMC(0.2mg/0.5ml)併用濾過手術では留置時間1分と3,5分では成績に差があるものの、3分と5分では成績に差がなく、一定以上にMMC組織内濃度を上昇させても濾過効果持続には貢献しないことが示され、過剰なMMC投与を避ける意味でもMMCの使用条件として0.04%MMC(0.2mg/0.5ml)、3分が指標となると考えられた。

2.臨床試験対象と方法1)線維柱帯切除術の成績

 難治性緑内障、原発開放隅角緑内障初回手術例を対象としてMMC0.04%(0.2mg/0.5ml)、3分の塗布投与を術中に併用した線維柱帯切除術を行い、眼圧調整成績(判定基準21mmHgおよび16mmHg)ならびに合併症の検討を行った。

2)術後低眼圧症軽減を目的とした眼圧目標値の検討

 原発開放隅角緑内障初回手術例を対象として、MMC併用線維柱帯切除術後の眼圧調整成績(判定基準16mmHgおよび5mmHg)と術後早期の眼所見との相関を検討した。

3)濾過胞再建術の手術成績

 機能低下した濾過胞を再建する術式にMMCを併用し、術後眼圧調整成績と合併症について検討した。

結果1)線維柱帯切除術の成績

 眼圧調整成績は判定基準21mmHg、16mmHgにおいて難治性緑内障において62.2%、57.2%、原発開放隅角緑内障初回手術例において86.8%、68.3%であった。いずれの成績も当科に於ける過去の線維柱帯切除術(5-Fluorouracil併用群、非投与群)と比較して高い成績であった。

 合併症として浅前房、前房出血、脈絡膜剥離、白内障、低眼圧黄斑症が観察された。

2)術後低眼圧症軽減を目的とした眼圧目標値の検討

 判定基準16mmHg、5mmHgのいずれの長期眼圧調整成績も術後9〜14日の眼圧平均値(P<0.05)と相関を示した。ROCより8mmHgが均衡のとれた眼圧値と判定された。

3)濾過胞再建術の手術成績

 眼圧調整成績は判定基準21mmHg、16mmHgにおいて72.0%、38.3%であった。合併症として結膜創部解離、浅前房、脈絡膜剥離が観察された。

考按

 難治性緑内障では、術後3年で62.2%の例で眼圧の正常化(判定基準21mmHg)を得ることが出来、この成績は以前当科で行った同術者による5-FU併用線維柱帯切除術あるいは代謝拮抗剤非投与線維柱帯切除術の成績(各々27.8%、6.9%)と比べて格段に優れていた。原発開放隅角緑内障初回手術例で得られた眼圧調整成績86.8%(判定基準21mmHg)も、当科での同一術者による5-FU併用線維柱帯切除術あるいは代謝拮抗剤非投与線維柱帯切除術の成績(各々71.8%、15.5%)と比べて優れた成績を示した。さらに近年、緑内障性視野障害進行阻止により有効とされる、正常人平均眼圧16mmHg未満を基準とした評価でもMMC併用線維柱帯切除術の成績は68.3%と従来の成績(各々49.6%、6.9%)と比して有意に優れており、MMC併用線維柱帯切除術は単なる眼圧正常化のための手段ではなく、緑内障治療の最大の目的である視野障害進行阻止を可能とする有力な手段となる可能性が示された。合併症に関しては、角膜上皮傷害の激減が得られ、他の合併症頻度は普遍もしくは減少したものの、低眼圧黄斑症が7%に認められ、眼圧下降効果と眼圧下降過剰との矛盾として今後の課題として残された。対象となった初回原発開放隅角緑内障手術例の経過中眼圧、年齢、術後早期合併症などを用いて多変量解析を行った結果では、術後9〜14日の眼圧平均値が視野障害進行阻止に有効な眼圧値を得、且つ低眼圧黄斑症を生じない条件として抽出されており、術後の調整の指標になりうると考えられた。

 本研究ではさらに、線維柱帯切除術後、結膜濾過胞が瘢痕化により機能低下し眼圧再上昇をきたし、従来であれば新たな部位に再手術を必要とする症例に対し、瘢痕化した濾過胞をMMCを使用することにより再建する濾過胞再建術についても検討した。その結果、術後1年で72%の例で濾過胞が再建され眼圧正常化(判定基準21mmHg)が得られた。この結果は当科での5-FU濾過胞再建術の成績12.9%をしのいでおり、判定基準16mmHgにおいても各々38.3%、4.9%でMMC併用濾過胞再建術が明らかに優れていた。さらに合併症に関しても難治性緑内障、あるいは原発開放隅角緑内障初回手術例を対象としたMMC併用線維柱帯切除術に比べて低頻度であり、この術式は再手術を必要とする患者にとって極めて価値の高い術式であることが示された。

まとめ

 1) 家兎を用いた実験結果からMMCの使用条件として0.04%(0.2mg/0.5ml)、3分塗布投与が最適な条件と考えられた。

 2) MMC0.04%(0.2mg/0.5ml)、3分塗布投与を併用した線維柱帯切除術は臨床において難治性緑内障、原発開放隅角緑内障を対象とし、術後の良好な眼圧調整成績を得た。

 3) MMC0.04%(0.2mg/0.5ml)、3分塗布投与を併用した線維柱帯切除術後の良好な長期眼圧調整を得るための術後早期の眼圧調整の指標として術後9〜14日の眼圧が8mmHgであることが示された。

審査要旨

 本研究は、緑内障の代表的手術療法である線維柱帯切除術の成績を向上させるためにマイトマイシンC(以下、MMC)を応用し、その安全性と有効性を基礎実験ならびに臨床研究において検討したもので、以下の結果を得ている。

基礎実験:

 MMCの眼組織内移行に関して家兎を用いた実験において、眼組織内のMMC濃度は、投与されたMMC濃度と使用時間によって決定され、特に使用するMMC濃度の増加は使用時間の延長を上回って組織内濃度に影響することが示された。

 MMCを併用した手術成績に関して、家兎を用いた実験ではMMCの使用量と投与時間を変化させ手術成績を検討した結果、0.04%MMC使用時間1分と3,5分では成績に差があるものの、3分と5分では成績に差がなく、一定以上にMMC組織内濃度を上昇させても濾過効果持続には貢献しないことが示された。

 毛様体に対する毒性に関して家兎を用いた実験では、0.04%MMC投与により毛様体は濃度依存性に組織変化を生じたが、眼機能の指標である房水産生能、血液房水柵機能への影響は少なく、通常の使用量では機能的影響は少なく、非傷害部位の毛様体がその機能を代償していることが示唆された。

 以上の結果より、臨床における線維柱帯切除術に併用するMMCの投与条件として投与濃度0.04%(0.2mg/0.5ml)、留置時間3分が示された。

臨床研究:

 難治性緑内障41眼を対象として0.04%MMC、3分を使用した線維柱帯切除術を行った。その結果、術後3年で62.2%の例で眼圧の正常化(21mmHg未満)を得ることが出来、この成績は以前当科で行った同術者による5-FU併用線維柱帯切除術あるいは代謝拮抗剤非投与線維柱帯切除術の成績(各々27.8%、6.9%)と比べて格段に優れていることが示された。

 また、手術既往のない原発開放隅角緑内障70例80眼に対するMMC併用線維柱帯切除術でも同様に0.04%MMC0.5ml(0.2mg)、3分を使用した結果、術2年後の無治療での眼圧調整成績は21mmHg(眼圧正常値)ならびに16mmHg(眼圧平均値)の基準において当科での同一術者による5-FU併用線維柱帯切除術あるいは代謝拮抗剤非投与線維柱帯切除術の成績と比べて優れていることが示された。

 合併症については5-FU併用線維柱帯手術の問題点で約50%に認められた角膜上皮障害が7.3%へと減少し、濾過手術に不可避とされる浅前房、脈絡膜剥離の頻度もMMC併用線維柱帯切除術では減少している事が示されたが、従来の手術法では見ることの少なかった低眼圧黄斑症の発症率がMMC併用線維柱帯切除術例の7〜10%に認められ、眼圧下降の結果として不可避とは考えられたもののMMC併用線維柱帯切除術の最も注意すべき合併症であることが示された。

 さらに、初回原発開放隅角緑内障手術例の経過中眼圧、年齢、術後早期合併症などを用いて多変量解析を行い、術後2週目の眼圧値が視野障害進行阻止に有効な眼圧値を得、且つ低眼圧黄斑症を生じない条件であることが判明した。さらに、術後2週目の眼圧値として8mmHgが適当であることが示された。

 本研究ではさらに、結膜濾過胞が瘢痕化により機能低下し眼圧再上昇をきたした症例に対し、MMCを併用した濾過胞再建術を行い、その結果、従来から濾過胞再建が可能とされた結膜稼動性のある限局性濾過胞例だけでなく、再建術の対象とならなかった濾過胞完全消失例でも良好な眼圧調整成績が得られ、さらに合併症に関しても線維柱帯切除術に比べて低頻度であり、この術式は再手術を必要とする患者にとって極めて価値の高い術式であることが示された。

 以上、本論文は動物実験の結果より、0.04%MMC0.5ml、3分投与は眼機能に影響を与えず良好な眼圧をうる至適条件であることを明らかにし、臨床研究の結果より、MMC併用線維柱帯切除術は従来の単なる線維柱帯切除術あるいは5-FU併用線維柱帯切除術に比べて、良好な眼圧調整成績が得られる優れた術式であることを明らかにした。本研究は今後の緑内障治療に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値すると考えられる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54095