学位論文要旨



No 214097
著者(漢字) 武村,真治
著者(英字)
著者(カナ) タケムラ,シンジ
標題(和) 介護サービスが高齢者に及ぼす効果に関する介入研究 : 高齢者入所施設における「声かけ」の効果の検証
標題(洋)
報告番号 214097
報告番号 乙14097
学位授与日 1998.12.24
学位種別 論文博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 第14097号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 甲斐,一郎
 東京大学 教授 金川,克子
 東京大学 教授 大内,尉義
 東京大学 助教授 真鍋,重夫
 東京大学 助教授 村嶋,幸代
内容要旨 I.研究目的

 高齢者への介護サービスは、日常生活の援助だけでなく、身体的、精神的状態の改善、あるいは悪化の防止を目的として、施設や在宅において提供されている。高齢者入所施設におけるサービスの効果に関する研究では、新しく導入したプログラムの効果を評価するものが多く、日常的に実施されている介護サービスに関しては、現場の経験で効果があると認識されているが、実際にその効果を検証した研究は少ない。また日本においては、サービスの効果を評価する研究デザインとして有効である介入研究がほとんどみられない。

 このような背景から本研究では、高齢者入所施設において日常的に実施されている介護サービスの効果を、介入研究によって検証することを試みた。そして数多くの介護サービスの中で、最も基本であり、最も多く提供され、その効果が現場で強く認識されているサービスである「声かけ」が施設に入所する高齢者の身体的、精神的状態に及ぼす効果を明らかにすることを目的とした。

 本研究では2つの介入研究を実施した。1つは、平成8年1〜2月に大分県中津市の老人保健施設「創生園」で実施した「介入研究1」、もう一つは、その結果を踏まえて、平成9年1〜4月に東京近郊の8つの特別養護老人ホームで実施した「介入研究2」であった。具体的な方法はIIとIIIで述べる。

II.介入研究1:老人保健施設における声かけの介入研究1.目的

 「離床を促進するための声かけ」が高齢者の状態に及ぼす効果を検証する。

2.方法

 対象者は入所者のうち、部分介助を必要とする女性であった。対象者を介入群16名、対照群16名に割り付け、対照群には「食事・緊急時などの必要時に声かけを行い、その際には離床させる」、介入群には「必要時以外にも常時積極的に声かけを行い、離床を促す」というサービスを実施した。

 測定項目はサービス量と対象者の状態であった。サービス量の指標は、対象者が施設職員に声をかけられた回数と離床していた時間で、介入直後と介入1ヵ月後の各2日間の日中に測定した。対象者の状態の指標は、アメリカのナーシングホームで用いられているMinimum Data Setの日本語版の「高齢者アセスメント表」で、介入前と介入1ヵ月後に施設長が測定した。

3.結果

 (1)対象者に提供されたサービス量に関しては、介入群の方が声かけ回数が多く、離床時間が長かったことから、サービスの介入が適切に実施されたことが確認された。

 (2)対象者の介入前の状態に関しては、介入群の方が「今の季節を想起する能力が高い」「視覚の能力が高い」「視野の問題が少ない」「上肢、手、下肢のコントロールの問題が少ない」「バランス障害、体幹のコントロールの問題が多い」「定時排尿計画が多い」「動脈硬化性心疾患、心不整脈、高血圧症、白内障が少ない」「幻覚・妄想、痛みが少ない」「残渣が就寝前に口腔内に存在する者が多い」ことが示された。しかしこれ以外の、ADLや気分・行動などの大部分の項目では差がみられなかったことから、介入前の状態には介入群と対照群で大きな差はなかったと考えられる。

 (3)対象者の介入前後の状態変化を「改善した」「変わらなかった」「悪化した」に判別し、状態の改善傾向を介入群と対照群で比較した。その結果、「認知状態」「他者の話した内容を理解できる能力」「聴覚・コミュニケーション能力」「移行、衣服の着脱、個人衛生の自己動作」「移行、衣服の着脱の動作支援の必要性」「ADL自己動作」「尿のコントロール」「悲しみ、絶望感、悲嘆、不安について言葉による表現」「食事をしない、薬を服用しない、セルフケアまたは余暇活動からのひきこもり」「悲しみや不安な気分が日常生活に支障をきたす」「気分」について、介入群の方が改善傾向が大きいことが示された。

4.考察

 声かけには、離床や移動などの、高齢者の行動を誘発することを目的とするもの(以下、行動声かけ)と、日常的なあいさつや会話などの、高齢者とのコミュニケーションそのものを目的とするもの(以下、会話声かけ)の2種類があると考えられ、この結果は両者の効果が混在していた可能性がある。

 介入研究を実施する上で、対照群のサービス量が介入前後で変化しないような声かけの介入、複数施設を対象とした施設単位での割付、高齢者のADL、認知、感情などの側面を量的変数で評価できる測定指標の使用、が必要であることが示唆された。

III.介入研究2:特別養護老人ホームにおける声かけの介入研究1.目的

 「行動声かけ」と「会話声かけ」のそれぞれが高齢者の状態に及ぼす効果を検証し、声かけの効果の構造を明らかにする。

2.方法

 対象者は入所者のうち、女性、部分介助が必要、ある程度の聴力および言語の理解力をもつ、入所期間が3ヵ月以上、の条件を満たす者とした。行動声かけと会話声かけの2種類の声かけの効果を検証するために、8つの対象施設を4つの群に割り付け、1群では「行動声かけと会話声かけの両方を介入前よりも増加する」、2群では「行動声かけのみを増加する」、3群では「会話声かけのみを増加する」、4群では「行動声かけと会話声かけの両方を介入前と同じ量とする」サービスをそれぞれ実施した。

 測定項目はサービス量と対象者の状態であった。サービス量の指標は、対象者が施設職員に声をかけられた回数で、介入前と介入約1ヵ月後の各1日間の日中に測定した。また声かけの内容を行動声かけと会話声かけに判別し、それぞれの回数を測定した。対象者の状態の指標は、特別養護老人ホームの入所者の適応状況を観察によって客観的に評価するために開発された「高齢者用行動評価表」と、「改訂長谷川式簡易知能評価スケール(HDS-R)」であった。高齢者用行動評価表は5つの下位尺度(ADL、活動性、痴呆、対人関係、問題行動)で構成され、総合得点と下位尺度ごとの得点を測定できる指標である。介入前、介入後1ヵ月、介入後2ヵ月の3時点で、各施設の看護婦が測定した。

3.結果

 対象者数は1群23人、2群23人、3群23人、4群22人の計91人であった。

 (1)介入前の行動声かけの回数は1群で21回、他の群で14〜16回、介入前の会話声かけの回数はいずれの群も13〜14回で、どちらの声かけについても群間で差はみられなかった。各群別に介入前後の声かけ回数を比較すると、1群と2群で介入後に行動声かけの回数が増加し、1群と3群で介入後に会話声かけの回数が増加したことから、サービスの介入が適切に実施されたことが確認された。

 (2)介入前の対象者の状態は、高齢者用行動評価表の総合得点、及びADL、痴呆、問題行動の得点について群間で差がみられた。

 (3)介入前後の対象者の状態に関して、行動声かけと会話声かけの2要因を級間変動要因、繰り返し測定を級内変動要因とする分散分析を行った。級内変動要因は、群間の状態の差を調整した上での状態変化に対する影響要因であり、この影響の強さを検討した。

 高齢者用行動評価表の総合得点に関しては、行動声かけの影響により2群で悪化し、会話声かけの影響により3群で改善した。したがって、行動声かけは高齢者の総合的な状態を悪化させ、会話声かけは状態を改善させることが示された(図1)。

 高齢者用行動評価表の下位尺度ごとに声かけの影響を検討した。ADLに関しては、どちらの声かけの影響もみられなかった。活動性に関しては、行動声かけと会話声かけの交互作用により3群で改善した。

 対人関係に関しては、会話声かけの影響により3群で改善したことから、会話声かけは高齢者の人間関係の豊かさや他者とのコミュニケーション能力を改善させることが示された(図2)。

 問題行動に関しては、会話声かけの影響により1群、3群で改善したことから、会話声かけは高齢者の問題行動の発生を抑制することが示された(図3)。

 痴呆に関しては、行動声かけの影響により2群で悪化し、会話声かけの影響により3群で改善した。したがって、行動声かけは観察によって測定された高齢者の知的能力を悪化させ、会話声かけは痴呆の状態を改善させることが示された(図4)。

 HDS-Rに関しては、どちらの声かけの影響もみられなかった。

図表
IV.考察

 声かけによるADLの改善効果は、介入研究1ではみられたが、介入研究2ではみられなかった。介入研究1では声かけによって誘発された「離床」の時間も増加したが、介入研究2では声かけによって実際に行動が誘発されたかどうか明らかではない。したがって、ADL改善に寄与したのは離床などの実際に誘発された行動であり、声かけそれ自体には効果は少ない可能性がある。

 精神状態に対する行動誘発を目的とする声かけの効果は、介入研究1ではみられたが、介入研究2ではみられず、痴呆の状態に対しては逆に悪影響がみられた。介入研究1において、ADLの改善傾向と認知、コミュニケーション、気分の改善傾向との高い相関がみられたことから、精神状態に対する行動誘発を目的とする声かけの効果は、ADL改善によって引き起こされた部分が大きく、声かけそれ自体には効果よりも悪影響の方が大きい可能性がある。

 本研究によってコミュニケーションを目的とする声かけの効果が実証されたが、今後はコミュニケーションの時間の長さや、言葉づかいなどの技術的側面との関連をさらに検証する必要がある。

審査要旨

 本研究は、高齢者入所施設において日常的に実施されている、最も基本であり、最も多く提供され、その効果が現場で強く認識されているサービスである「声かけ」が高齢者の身体的、精神的状態に及ぼす効果を明らかにするために、2つの介入研究を実施し、以下の結果を得ている。

 1.老人保健施設における介入研究の結果、「離床を促進するための声かけ」は、移行、衣服の着脱、個人衛生のADL、尿のコントロール、認知・コミュニケーション能力、悲しみや不安な気分を改善させる効果があることが示された。

 2.特別養護老人ホームにおける介入研究の結果、「コミュニケーションを目的とする声かけ」は、痴呆、対人関係、問題行動の状態を改善させる効果があること、「行動誘発を目的とする声かけ」は痴呆の状態に悪影響を及ぼすこと、どちらの声かけもADLを改善させる効果はないこと、が示された。

 3.離床などの行動を誘発することを目的とした声かけがADLに及ぼす効果は、声かけによって誘発された、離床を主とした高齢者の自主的な行動による部分が大きく、声かけそれ自体には効果は少ない可能性があることが示唆された。

 4.離床などの行動を誘発することを目的とした声かけが精神状態に及ぼす効果は、ADLの改善を介した間接的な効果であり、声かけそれ自体には効果よりもむしろ悪影響の方が大きい可能性があることが示唆された。

 以上、本論文は、介護の現場において経験的に認識されている声かけの効果を実証し、またその効果は、離床や移動などの高齢者の行動を誘発することを目的とする声かけではなく、日常的なあいさつや会話などの高齢者とのコミュニケーションそのものを目的とする声かけによる部分が大きいことを示した。本研究は、わが国ではほとんどなされていない介護の介入研究であり、学術的な価値のみならず実際的な有用性をも兼ね備えており、学位の授与に値するものと考えられる。

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