アルゼンチンでは最近30年間に豚肉の生産量が減少の一途を辿っている。その最大の原因は、この間における豚の呼吸器感染症罹患率の増加である。特に、Actinobacillus pleuropneumoniae(Ap)感染による呼吸器疾患は世界的に見ても重要で、これによる経済的損失は極めて大きい。 Apには現在12の血清型が知られており、国によって、あるいは地域によって、病豚から分離されるApの血清型にはある程度の傾向がみられると言われているが、アルゼンチンでは主に1および5型の菌が野外例の肺から高頻度に分離されている。こうした血清型をはじめ、Apに関する細菌学的研究は特にこの10年ほどの間に急速に進展したが、宿主である豚での感染動態や肺病変の病理発生の詳細に関しては未だに不明な点が多い。 冒頭に述べたような事情から、Ap感染症の防御はアルゼンチンにおける豚肉生産量の回復に必須であるが、それにはまずAp感染症の実態を把握するところから始める必要がある。そこで、本研究では最初に、アルゼンチンでも養豚農場の密度が高いブエノスアイレス州を中心に、疫学的調査を実施した。ついで、養豚農場で発生した呼吸器感染症罹患豚を病理学的に検索し、Ap感染症に特徴的な病変を明らかにするとともに、他の呼吸器親和性病原体による肺病変との鑑別点を明確にした。さらに、Ap感染豚の肺病変の進展過程と病理発生を明らかにする目的で、感染実験を行うとともに、モルモットを用いて疾患モデルの作出を試みた。 1.豚のAp感染症の発生状況 Ap感染症の実態を把握する目的で、養豚農場の密度が高いブエノスアイレス州を中心に、飼育形態の異なる5ヵ所の養豚農場を対象に、長期にわたり定期的に調査を実施した。その結果、繁殖から出荷まで一貫した養豚を行っている3農場のうち2農場では、妊娠豚とその出生仔に予防接種プログラムに基づいてApの1および5型菌に対するワクチン接種を行っていたが、肥育豚収容畜舎に限ってAp1型菌による呼吸器感染症の発生と死亡率の増加が認められた。その原因としては、それらの肥育豚収容畜舎での飼育密度が高いこと、気象条件が悪いこと、およびワクチンによる免疫能獲得が不十分であった個体が存在していたこと等が考えられた。また、Ap1型菌に対するワクチンのみを接種していた残りの1農場では、Ap5型菌がブタコレラウイルスやSalmonella cholera suisと一緒に分離されたが、呼吸器疾患の発症および死亡は幼豚飼育場でのみ観察された。この場合は、外部から導入した繁殖豚のなかに不顕性感染個体が存在していたことが原因であると考えられた。 さらに,複数箇所から肥育豚を購入し、出荷まで飼育している2農場では、ApとPasteurella multocidaあるいはオーエスキー病ウイルスとが日常的に分離された。 上述した疫学調査から、自然条件下では、Apの1および5型菌は、場合によってはワクチン接種豚群にも、胸膜肺炎とそれによる死を引き起こすことが示された。ただし、Ap感染豚における胸膜肺炎の重篤化は、それぞれの農場の飼育形態、豚群の自然暴露あるいはワクチンによる免疫状態および飼育環境あるいは気象条件等に依存していることが明らかになった。 2.Ap自然感染豚の肺病変 Ap自然感染豚の肺病変の特徴を明確にする目的で、6ヵ所の養豚農場から入手したAp感染豚70頭の肺を対象に、病理学的および細菌学的検索を実施した。これらの動物はいずれも履歴および臨床歴の詳細が明らかなものばかりである。 Ap感染豚の甚急性症例の肺は肉眼的に漿液性出血性滲出液を満たして膨張しており、同様な浸出液は胸腔内にも貯留していた。また、肺胸膜は線維素に被われていた。急性症例の肺では、線維素性出血性肺胸膜炎が顕著で、下葉の背側に肝変化を呈する硬化部が認められた。慢性症例の肺では、厚い結合組織帯に囲まれた液化壊死が目立った。 病理組織学的には、甚急性症例の肺病変は肺胞水腫と出血を特徴としており、肺胞壁毛細血管の塞栓形成を伴う貧血性壊死も観察された。急性症例の肺では、線素網と炎症性細胞の集塊が肺胞を満たしており、巣状の凝固壊死が目立った。小葉間、気管支周囲および血管周囲の結合組織は線維素と炎症性細胞を容して拡張しており、リンパ管腔には線維素と炎症性細胞が詰まっていた。こうした部位の肺表面では例外なく肺胸膜炎が認められた。慢性症例の肺では、多発性に小巣状の液化壊死が認められ、壊死巣辺縁部には多数の好中球が存在しており、その外側を幼弱な結合組織が囲っていた。 一方、肺の細菌学的検索では、農場1および4からはAp以外の病原体が、また、農場2からは血清型不明のApが、それぞれ検出された。農場3からは急性および慢性症例から、また、農場5および6からは、病期を問わず、Apの1型が検出された。 本研究の結果、Ap感染豚の肺病変は、それ以外の呼吸器親和性病原体感染による肺病変とは明確に異なる特徴を示すことが明らかとなった。 3.豚を用いたAp1および5型の感染実験 Ap感染豚の肺病変の進展過程と病理発生を明らかにする目的で、野外例から分離したApの1および5型菌株の1.58cfu/ml溶液を0.5ml/head、それぞれ4頭の豚に経鼻接種した。また、2頭には培養液のみを接種し、対照とした。実験に用いた豚はいずれもAp-freeであることを予め確認した。Ap1型菌接種豚は接種の1,2および6日後に、また、Ap5型菌接種豚は1,2および5日後に剖検した。 Ap1型菌接種豚では、呼吸困難、食欲不振、発熱等の臨床症状が観察され、Ap5型接種豚では呼吸困難や咳等の症状が観察された。1および2日後には、両型菌に共通して、肉眼的に胸腔および胸膜上への線維素性出血性滲出を伴う肺の硬化が観察された。肺病変は最初下葉背側に認められ、ついで周囲に波及した。Ap5型菌接種豚では、心外膜炎や腹膜炎も同時に観察された。 組織学的には、1および2日後に、両型菌に共通して、炎症反応は最初に終末細気管支および肺胞に始まり、これらの内腔は漿液、線維素および変性した好中球およびマクロファージで満たされていた。炎症はついで周囲に波及し、肺胸膜下、肺小葉間および血管周囲の結合組織では好中球およびマクロファージの浸潤を伴う漿液線維性炎が目立ち、リンパ管および肺胞壁毛細血管の塞栓も認められた。 それ以降は、肺小葉間、気管支および血管周囲および肺胸膜下から増生した結合組織がApを含む壊死巣を取り囲むようになり、Ap1型菌感染豚では、硬化肺は線維素の厚い膜で被われ、肺小葉間および血管周囲に線維化が認められた。また、Ap5型菌感染豚では、厚い結合組織の壁に囲まれた小巣状の液化壊死巣が観察された。 肉眼病変を呈したAp接種豚の肺からはいずれもApが検出されたが、対照豚の肺からは分離されなかった。 上述した結果から、実験感染例でも自然感染症例と同様な肺病変が惹起されること、肺病変は下葉背側の終末細気管支および肺胞に始まり、ついで周囲に波及することが明らかにされた。このようなAp感染による肺病変の初発部位は、豚の肺の解剖学的特徴と肺の部位による感染防御能の差によって説明された。さらに、アルゼンチンで最も一般的に分離されるAp1および5型菌は同様なApx toxinを有しており、豚に対して同様の病原性を示すことが明らかとなった。 4.モルモットを用いたAp1型菌の接種実験 豚を実験に用いるには、経済的にも取り扱いの面でも負担が大きいため、これまで実験動物を用いた豚のAp感染症の疾患モデルを作出する試みが続けられてきたが、Ap感染豚の肺病変を再現できた報告は未だない。そこで、今回、モルモットを用いて疾患モデルの作出を試みた。 4.6×106,7and8cfu/headの野外から分離したAp1型菌を、それぞれの接種量毎に5匹のハートレイ系モルモットに接種した。また、2匹のモルモットには培養液のみを接種して対照動物とした。最高量接種群の動物は全て24時間以内に死亡し、出血を特徴とする肺病変が観察された。一方、最低量接種群の動物はいずれも11日後に計画屠殺され、それらの肺では組織学的に気管支周囲リンパ装置の過形成が認められた。中間量接種群の2匹は24時間以内に、また、1匹は9日後に、それぞれ死亡し、残りの2匹は11日後に計画屠殺された。9日後に死亡した1匹では線維素性壊死性胸膜肺炎が観察された。この肺の病理学的所見はAp感染豚の急性肺病変に特徴的な変化で、これまで実験動物でこの病変を再現した報告は皆無である。 細菌学的には、24時間以内に死亡した個体および9日後に死亡した個体の肺からApが分離されたが、11日後に計画屠殺した個体の肺からはApは分離されなかった。こうした結果から、モルモットは豚のAp感染症の疾患モデルとなり得る可能性が高いものと推察された。 上述した今回の一連の研究によって、アルゼンチンにおける豚のAp感染症の実態が明らかになった。また、自然感染症例および実験感染症例を通じて、Ap感染豚の肺病変の性状、病理発生および進展過程が明確になり、さらに、モルモットが豚のAp感染症の有用な疾患モデル動物となり得る可能性が示唆された。これらの成績は、豚のAp感染症に対する防御策を考える上で貴重な基礎資料となるものと思われる。 |