物性物理学において、ハバード模型は強相関電子系の最も基本的な模型として大きな関心を集めてきた。特に1次元においてはこの模型は可積分、すなわち厳密に解くことができ、それを利用して熱力学的諸量が計算できるため、強相関電子系の理論の妥当性を試すのによい例となっている。現在まで物性物理学において興味深い可積分系は、1次元ハバード模型や1次元t-J模型などの1次元系に限られている。しかしこうした可積分系は強相関電子系の理論に大きな進歩をもたらしてきたといえる。 可積分性の利用でどのような物理量が計算できるであろうか。可積分とはその模型がベーテ仮説法を用いて解ける、すなわちベーテ方程式の解を用いてエネルギー固有値が計算できることをさす。1次元ハバード模型においては、1968年にリープおよびウーが発見したベーテ方程式が、磁化、磁化率、圧縮率、素励起やそれらの間の散乱行列などの計算に道を開いた。実験結果との比較の為には相関関数の計算も重要であるが、ベーテ仮説法による波動関数は複雑な形をしており、それを用いた相関関数の直接計算は非常に困難である。朝永-ラッティンジャー流体および共形場理論といった考え方を援用することで、相関関数の長距離での漸近的振舞を計算できるようになったが、相関関数の近距離での振舞やその厳密な形の計算は困難であるのが現状である。可積分系での相関関数の厳密な形の計算法については、いくつかの方法が考えられてきたが、いずれも任意の可積分系の任意の相関関数を計算できるほどには強力でない。いままで知られている計算法をあげてみよう。第一にスミルノフによるフォームファクター(形状因子)の方法、第二に神保・三輪らによる量子群を用いた方法、第三にコレピンらによる量子逆散乱法を用いた方法がある。いずれの方法も系の数学的構造の十分な理解を必要とするため、任意の可積分系の相関関数を計算できる段階には至っていない。1次元ハバード模型については、その数学的構造には謎が多く、相関関数の厳密な計算についてはまだ初歩的な段階にあると言わざるをえない。つまり、物性物理的な立場からは、この模型の相関関数の計算のために、数学的構造の探求が求められるといえる。 また、数理物理的な立場から見ても、その構造の探求は重要でありしかも興味深い。この模型の構造についての、いままでの発見をあげてみると、有限鎖の場合の量子逆散乱法の定式化、系のSO(4)対称性、無限鎖極限でのヤンギアンY(su(2))Y(su(2))対称性、そして最近の代数的ベーテ仮説法・解析的ベーテ仮説法の発展がある。不運なことに、このハバード模型はさまざまな量子可積分系の中でも特殊なものである。すなわちR-行列は複雑で、標準的でない形を持つ。第一に、一般には可積分系のR-行列は差法性を持つ、すなわちスペクトルパラメータの差のみの関数で表されるものが多いが、ハバード模型のR行列は差法性を持たないだろうと思われていることである。第二に、ハバード模型のR-行列を分類しにくいことがあげられる。可積分系は、そのR-行列の関数形によって、有理関数型・三角関数型・楕円関数型の3つに分類されるが、ハバード模型はこの3つのいずれにも属していないように見えるのである。これらの理由により、ハバード模型は、可積分系の理論の中でも最も興味深い模型の1つとなっている。 これらの動機から、ハバード模型の複雑な構造の解明が重要な問題となる。その解決のために、系の長さが無限大の極限においては物事が単純化されて見えることに注目してみる。このことは例えば、系の対称性を見ると分かる。無限鎖の極限ではY(su(2))Y(su(2))の対称性を持っていたのが、有限鎖・周期的境界条件の下では対称性がSO(4)へと低下し、この対称性の低下がベーテ仮説法による計算が複雑になっている一因だと考えられる。こうしたことから、数学的構造の解明のために無限鎖の極限を考えるのは自然であり、そのために本論文では無限鎖の量子逆散乱法という方法を取り上げる。量子逆散乱法については、有限鎖の場合にはかなりよく研究されているが、無限鎖の場合はほとんど研究されていない。筆者の知る限りではこれはデルタ関数相互作用型ボーズ粒子系、デルタ関数相互作用型フェルミ粒子系など、数少ない可積分系に応用されたのみである。そのため、この無限鎖の量子逆散乱法をハバード模型に応用してみることは意義があると思われる。この論文ではハバード模型および関連したいくつかの模型について、この方法を応用した結果を報告する。 この論文で扱う無限鎖量子逆散乱法を端的に説明すれば、それは有限鎖量子逆散乱法で出てくるモノドロミー行列を繰り込んで、無限鎖の極限で収束するようにすることにより計算を行う手法である。この繰り込みでは状態空間を制限することが必要になる。例えばハバード模型では、真空状態の上に有限個の素励起があるような状態へと状態空間を制限することになる。しかもこの真空は「相関のない真空」であるべきであり、ハバード模型では「相関のない真空」が4つある。それは、ゼロ密度の状態、電子が完全に詰まった状態、ハーフ・フィリングですべてのスピンが上向きの状態、そしてハーフ・フィリングですべてのスピンが下向きの状態である。無限鎖の量子逆散乱法は現状ではこうした自明な真空に限られているが、それでもなおこの方法は考えている模型の数学的構造について多くの貴重な情報を与える。たとえば本論文中で見るように、量子群の対称性、準粒子の生成・消滅演算子やそれを用いた多粒子状態の構成、準粒子間の散乱行列、準粒子と量子群の表現との関係など多くのことが明らかにされる。また、この無限鎖量子逆散乱法は、出発点となるL-行列とR-行列さえ分かれば、ほとんど試行錯誤なしで計算が行われるという特長を持つ。例えば、歴史的には最初、試行錯誤により構成されたベーテ固有状態やヤンギアン生成子についても統一的な枠組で導出できる。このことは、無限鎖量子逆散乱法の大きな可能性と広い適用範囲を示唆しており、ハバード模型以外の複雑な可積分系へのこの方法の適用も興味深いと思われる。 本博士論文では、まずデルタ関数相互作用型フェルミ粒子系を第2章で考察する。この模型を扱う理由は、この模型がハバード模型と同様に接触相互作用の形をもち、同時にハバード模型よりかなり数学的構造が単純であることによる。この模型は2つの方法で扱われる。ひとつは、カロジェロ-サザランド模型でも議論されたドゥンクル演算子を用いた方法であり、これにより作られたモノドロミー行列からさらに、保存量や系の対称性であるヤンギアンの生成子の形が得られる。もう1つの方法は先に述べた無限鎖量子逆散乱法であり、これからも保存量やヤンギアン生成子が計算される。これら2つの方法はともに無限鎖の極限を扱うものであり、実は2つの方法で得られる演算子は一致していることをこの論文で示す。こうした類似性は今まで指摘されておらず、可積分系の構造の探求に新しい視点を与えていると考えられる。 次に、以上の結果に倣って、第3章ではより複雑な模型であるハバード模型の解析を、無限鎖の量子逆散乱法に基づいておこなう。これによって、複雑なR-行列は異なる形のR-行列に変換され、そのR-行列の中には、性質が詳しく分かっている有理関数型R-行列の構造が見出される。その事実からいろいろな結論が導かれる。例えば、ウグロフおよびコレピンによって発見的手法で導かれたヤンギアン対称性の生成子の導出が出来る。またゼロ密度の真空上の準粒子の生成・消滅演算子やそれらによる多粒子状態の構成、また素励起同士の散乱行列の計算も行われ、固有状態とヤンギアン代数の表現とのかかわりも明らかになる。 最後に、この結果の副産物として、ハバード模型の可積分な1パラメータ変形について第4章で述べる。この模型は電子系としてみると、同一格子点(オンサイト)の相互作用項と、相関のある長距離ホッピング項からなる。ハバード模型の可積分変形で、しかも長距離ホッピング項をもつような系は他にも知られているが、ここで構成する模型は「自然な」1パラメータ変形と言ってよいであろう。なぜならこの系は、ハバード模型の無限鎖量子逆散乱法において、スペクトルパラメータをシフトさせることで自然に導出されるからである。このスペクトルパラメータのシフトで全く新しい可積分系が生まれるのは、ハバード模型に差法性がないからであり、差法性のある可積分系にこのシフトを行っても元の模型に帰着するのみである。 本論文の新しい点は、今まであまり注目されていなかった無限鎖量子逆散乱法に焦点を当て、それがハバード模型という複雑な数学的構造を持つ模型にも適用可能であることを示したこと、及びそれがヤンギアンという量子群対称性と深くかかわっていることを初めて指摘したことである。この方法は1980年代には盛んに研究されたが最近では殆ど扱われず、忘れられていたといっても良いが、本論文で明らかになったのは、その方法が、量子群、ドゥンクル演算子、退化アフィンヘッケ代数といった最近注目されている数学的構造と深いつながりがあり、さらにそこに未解決のいろいろな問題があることである。またこの方法の副産物として、長距離ホッピング項をもつ新しい可積分系を発見した。 このように本論文では、ハバード模型及び関連する可積分系への無限鎖量子逆散乱法の応用によって、今まで知られていなかった多様な数学的構造を明らかにし、さらにその先にある新たな発展を提示している。 |