内容要旨 | | 緒言: 細菌性腹膜炎において好中球は炎症局所の生体防御に役立つと同時に、遠隔臓器障害の原因ともなりうる諸刃の剣である。好中球の血管内皮への接着は好中球の遊走・浸潤や血管内皮細胞傷害に不可欠であるため、細菌性腹膜炎での好中球接着を炎症局所と遠隔臓器で同時に評価できれば臓器不全を併発しやすい腹膜炎治療のための重要な手がかりとなる。 一方、近年、重症感染症の病態にnitric oxide(NO)が深く関与していることが判明してきた。NOは白血球の抗接着作用など多彩な生物活性を持つフリーラジカルである。そして、敗血症時の過剰なNO産生は治療抵抗性の低血圧や臓器障害の原因となると推測されている。しかし、細菌性腹膜炎でのNO合成酵素阻害の生体反応への影響は不明である。特に、炎症局所である腹膜と遠隔臓器での好中球接着にNO調節が及ぼす影響についての報告はない。 そこで、本研究は、細菌性腹膜炎において、まず1)蛍光顕微鏡法を用い炎症局所である腹膜と遠隔臓器での好中球接着の病態、次に2)NO合成阻害の生存時間や生体反応への影響、さらに3)NO調節による好中球接着への影響、を検討することを目的とした。 第I章蛍光顕微鏡によるラット腹膜炎モデルでの炎症局所・遠隔臓器における好中球接着の観察方法:1.E.coli腹腔内投与量と腹膜炎症局所,遠隔臓器の標識好中球数 ラットに生食、または、E.coli1x105,1x107,1x109を腹腔内投与し、その5時間後に蛍光標識好中球を頚静脈内投与した。好中球投与2分後に犠死せしめ、腹膜組織5カ所(大網、回腸末端部の腸間膜、壁側腹膜、上行結腸、回腸末端部)、両側肺、肝、右腎を摘出した。蛍光顕微鏡下に各組織・臓器の蛍光像を観察し標識好中球数を測定した。また、肺MPO活性も測定した。 2.E.coli腹腔内投与後時間経過と腹膜炎症局所,遠隔臓器の標識好中球数 ラットにE.coli1x109を腹腔内投与し、細菌投与前、投与1,5,10時間後に蛍光標識好中球を静注した。前項同様に標識好中球数、肺MPO活性を測定した。 3.腹膜標識好中球数と腹腔滲出好中球数の測定 ラットに生食(対照群)または1x107E.coli(腹膜炎群)を腹腔内投与。細菌投与3時間後に蛍光標識好中球を投与し、腹膜標識好中球数と腹腔内滲出好中球数を測定した。 結果:1.E.coli腹腔内投与量と腹膜炎症局所,遠隔臓器の標識好中球数 腹膜、肺、腎の標識好中球数は、腹腔内投与E.coli数と正相関を示した。また、肺MPO活性は投与細菌数、肺標識好中球数と正相関を示した。 2.E.coli腹腔内投与後時間経過と腹膜炎症局所,遠隔臓器の標識好中球数 腹膜標識好中球数は細菌投与5時間後にピークに達した。肺標識好中球数は、細菌投与5時間後に増加し、10時間後も高値を示した。腎でも細菌投与5時間後に増加する傾向を示した。また、肺MPO活性は肺標識好中球数と正相関を示した。 3.腹膜標識好中球数と腹腔滲出好中球数の関係 腹膜炎群の腹膜標識好中球数、腹腔滲出細胞数、滲出好中球数は対照群に比べ多かった。さらに、腹腔内滲出好中球数は腹膜標識好中球数と正相関を示した。 小括: 蛍光顕微鏡法を用いて細菌性腹膜炎での組織や臓器の標識好中球数を検討した結果、われわれが考案した蛍光顕微鏡法が好中球の炎症局所や遠隔臓器での接着を同時に観察する有用な方法であることが判明した。この細菌性腹膜炎モデルでは投与細菌量に比例して腹膜、肺、腎の接着好中球数が増加した。腹膜、腎ではこの増加は一過性であったが、肺での接着増加は遷延した。 第II章マウス腹膜炎モデルでのNO合成酵素阻害剤の生存時間に及ぼす影響 方法: マウスに生食あるいはNO合成酵素阻害剤L-NAME100mg/kg,L-NMMA10,30,100mg/kg,L-NIO1,3,10,30,100mg/kgを腹腔内投与した。その1時間後にE.coli 1x108を腹腔内投与し生存時間を検討した。 結果: いずれのNO合成酵素阻害剤投与群も、生食群と比べ生存時間の改善はみられなかった。むしろ、L-NAME100mg/kg投与群は生食群と比べ有意に生存時間が短縮した。 小括: 構成型NO合成酵素と誘導型NO合成酵素への阻害作用が異なる各種NO合成酵素阻害剤投与によっても生存時間や生存率は改善しなかった。むしろ細菌性腹膜炎でのL-NAME投与は生存時間を短縮した。 第III章マウス腹膜炎モデルでのNO合成酵素阻害剤(L-NAME)の生存時間、腹腔滲出細胞数、細菌クリアランス、TNF濃度に及ぼす影響方法:1.生存時間への影響 マウスに生食(生食群)あるいはL-NAME10(N10群),100mg/kg(N100群)を腹腔内投与、その1時間後にE.coli 1x108を腹腔内投与し生存時間を調べた。 2.腹腔滲出細胞数、細菌クリアランス、TNF濃度への影響 マウスを生食群、N10群、N100群にわけ、細菌投与4,6時間後に犠死せしめ、腹腔滲出細胞数、腹腔洗浄液・末梢血・肝・肺の生菌数、腹腔洗浄液・血漿・腹腔滲出細胞培養上清のTNF濃度を測定した。 結果:1.生存曲線 N100群は生食群,N10群と比べ生存時間が短縮していた。 2.腹腔滲出細胞数、腹腔局所・末梢血・肺・肝の生菌数、TNF濃度 E.coli投与4時間後では、腹腔滲出細胞数は、生食群,N10群と比べN100群で少なく、腹腔洗浄液中の生菌数は、生食群に比べN10,N100群で多かった。6時間後では、N100群の血中生菌数は生食群に比べて多く、逆に生食群の肝生菌数はN10,N100群より多かった。4時間後の血漿TNF濃度は、N10,N100群が生食群より高く、6時間後にはN100群が生食群,N10群と比べ高値であった。また、4時間後の血漿TNF濃度は腹腔内生菌数及び血中生菌数と正相関を示した。 小括: マウス細菌性腹膜炎モデルにおけるNO合成酵素阻害剤の投与は、腹腔滲出細胞数の減少、細菌クリアランス低下、末梢血中TNFの異常高値を生じ、生体に悪影響を及ぼす。 第IV章 ラット腹膜炎モデルでの炎症局所、遠隔臓器における好中球接着に及ぼすNO合成酵素阻害剤の影響方法: ラットに、生食(生食群)、または、L-NAME10(N10群),100mg/kg(N100群)を腹腔内に投与し、その1時間後に腹腔内にE.coli 1x107を投与した。細菌投与前、あるいは細菌投与後1時間、5時間に蛍光標識好中球を静注し、腹膜、肺、肝、腎の標識好中球数を測定した。 結果: 腹膜標識好中球数は、細菌投与1時間後ではN10群、N100群共に生食群に比べ少なかった。肺標識好中球数は、N10群では細菌投与1、5時間後に細菌投与前と比べ増加しており、N100群では細菌投与1時間後に細菌投与前、投与5時間後と比べ多かった。また、細菌投与1時間後の肺標識好中球数は、N100群が生食群より多かった。肝・腎の標識好中球数はいずれの観察時点でも3群間に明らかな差はなかった。 小括: 本細菌性腹膜炎モデルでのNO合成酵素阻害剤,L-NAME投与は、腹膜の好中球接着を減少させ、逆に肺では増加させた。すなわち、好中球の接着に及ぼす影響からみると、細菌性腹膜炎におけるNO合成酵素阻害剤投与は生体に不利に作用する可能性がある。 第V章ラット腹膜炎モデルでの炎症局所、遠隔臓器における好中球接着に及ぼすNO donor(S-nitroso-acetyl penicillamine:SNAP)の影響方法:1.SNAP投与量と腹膜炎症局所,遠隔臓器の標識好中球数 ラットに、生食(生食群)またはSNAP10g/kgを静注し、その後、生食あるいはSNAP2,20,200g/kg/時間を持続静脈内投与した。静注10分後に、E.coli 1x107を腹腔内投与し、細菌投与5時間後に蛍光標識好中球を投与、腹膜、肺、肝、腎の標識好中球数を測定した。 2.細菌投与前後の腹膜炎症局所,遠隔臓器の標識好中球数 ラットに生食(生食群)またはSNAP10g/kg(SNAP群)を静注後、生食あるいはSNAP20g/kg/時間を持続静注し、前項同様E.coliを腹腔内投与した。細菌投与前、細菌投与後5時間に蛍光標識好中球を投与し、腹膜、肺、肝、腎の標識好中球数を測定した。 結果:1.SNAP投与量と腹膜炎症局所,遠隔臓器の標識好中球数 腹膜標識好中球数は、SNAP投与群で生食群に比べ少なく、SNAP投与量と負相関を示した。肺標識好中球数もSNAP投与量と負相関を示した。肝、腎の標識好中球数はSNAP投与量と有意な相関を示さなかった。 2.細菌投与前後の腹膜炎症局所,遠隔臓器の標識好中球数 細菌投与後5時間では、SNAP群の腹膜、肺標識好中球数は生食群に比べ少なかった。経時的には、腹膜標識好中球数は生食群で細菌投与前に比べ細菌投与後に増加を認めたが、SNAP群では増加を認めなかった。肺標識好中球はSNAP群で細菌投与後に減少した。 小括: 細菌性腹膜炎におけるNO donor,SNAPの経静脈的投与は、炎症局所である腹膜への好中球接着と遠隔臓器である肺への好中球接着を同時に減少させた。NO donorの経静脈的投与は臓器障害の軽減が期待できるが、腹腔内の生体防御能が低下するおそれがあるので、腹膜炎での使用には注意が必要である。 結語: 細菌性腹膜炎においてNO合成は生体に有利に作用しており、NO合成阻害は好中球接着をはじめとする生体反応の点から生体に悪影響を及ぼす。一方、経静脈的NO donor投与も腹腔内の生体防御能低下が危惧される。 |
審査要旨 | | 本研究は細菌性腹膜炎の病態において重要な役割を演じていると考えられる好中球について、特に好中球の血管内皮への接着に注目し、nitric oxide(NO)調節の影響を検討したものである。そして、下記の結果を得ている。 1.ラット細菌性腹膜炎において、蛍光顕微鏡法により測定された腹膜標識好中球数と肺標識好中球数が、それぞれ腹腔内滲出好中球数、肺MPO活性と有意な正相関を認めた。その結果、本蛍光顕微鏡法が、炎症局所(腹膜)と遠隔臓器における好中球の血管内皮への接着を同時に観察する有用な手段であることが示された。 2.マウス細菌性腹膜炎モデルでの各種NO合成酵素阻害剤(L-NAME,L-NMMA,L-NIO)の投与は生存時間改善効果を示さず、むしろL-NAMEは生存時間を短縮した。 3.L-NAMEによる生存時間短縮の機序として、腹腔滲出細胞数の減少、腹腔内及び全身の生菌数増加、末梢血中TNFの異常高値が示された。 4.ラット細菌性腹膜炎でのNO合成酵素阻害剤(L-NAME)の投与は、腹膜の好中球接着を減少させ、逆に肺では増加させた。従って、好中球の接着に及ぼす影響から、NO合成酵素阻害剤投与は生体に不利に作用すると考えられた。 5.ラット細菌性腹膜炎でのNO donor(SNAP)の経静脈的投与は、炎症局所である腹膜と遠隔臓器である肺への好中球接着を同時に減少させた。NO donorの経静脈的投与によって、臓器障害軽減の可能性があるが、腹腔内の生体防御能が低下するおそれがあることが示された。 以上、本論文は、細菌性腹膜炎での好中球の炎症局所と遠隔臓器での接着とNO調節による影響を、蛍光顕微鏡法にて明らかにした。そして、細菌性腹膜炎でのNO調節の問題点を示した。本研究はこれまで評価が困難であったin vivoの系での炎症局所、遠隔臓器における好中球の血管内皮への接着の同時評価を可能とした点、及び、NO調節の問題点を明らかにした点から、今後の腹膜炎治療に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値すると考えられる。 |