学位論文要旨



No 214116
著者(漢字) 井出,雅弘
著者(英字)
著者(カナ) イデ,マサヒロ
標題(和) 空間恐怖を伴うPanic Disorderの臨床研究 : 空間恐怖の経過とパニック発作の関係を中心とした考察
標題(洋)
報告番号 214116
報告番号 乙14116
学位授与日 1999.01.27
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第14116号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 栗田,廣
 東京大学 助教授 関根,義夫
 東京大学 講師 磯田,雄二郎
 東京大学 助教授 中安,信夫
 東京大学 講師 天野,直二
内容要旨 I.研究目的

 Panic Disorder(以下PD)は、米国の精神障害の分類であるDSM-IIIにより命名されたものであり、DSM-III-Rではその下位分類として空間恐怖が併存するか否かが記載されている。強烈なパニック発作の先行により予期不安が喚起され持続し、その恐怖性回避により空間恐怖が形成されるとされている。一方でWHOの精神障害国際分類のICD-10DCRでは、PDを取り入れたものの空間恐怖を伴うPDは、パニック発作よりも恐怖症としての空間恐怖の優位性を主張している。本研究では空間恐怖を併存するPD症例で、その空間恐怖の経過により病態が相違するのではないかいう仮説のもとに、パニック発作と空間恐怖の関係をその重症度の推移を中心として検討したものである。

II.研究方法

 DSM-III-RによるPDの診断基準をみたし、空間恐怖を伴う82例が対象症例として選択された。対象症例にPD調査表(DSM-III-Rの診断基準や重症度が含まれている)を用いその臨床像を評価し、ほぼ一定な治療デザインで治療的介入を加えその反応の経過を観察した。

 初診時より6カ月を経るまで空間恐怖の重症度が一段階以上改善した症例を改善群43例(男性26例、女性17例、平均年齢33.9±8.6才)とし、初診後6カ月を経ても一段階の改善がない症例を不変群39例(男性18例、女性21例、平均年齢35.4±8.6才)として2群に分別した。(表1)

表1 群別プロフィール

 この2群に対してDSM-III-Rに準拠したパニック発作、空間恐怖の重症度をスケール化して症状の最も強い時期(極期)、当該科初診時、初診後6カ月の各時期での群間比較を行い、その関連性を解析し群別での重症度の経時的変化についても検討した。

 またMarksによる予期不安度・状況恐怖度・社会機能度の自己評価スケールを初診後6カ月後に施行し群間での相違を検討した。

 またパニック発作の症状項目、脅威となる症状、症状出現順序、発症状況、状況依存性などを群間で比較し差異がないかを検討した。

III.結果

 パニック発作の各時期での重症度と2群間の比較の結果、いずれの時期においても有意の差がなかった。(図1)

図1 群間パニック発作重症度の推移Mann-WhitneyのU検定極期;p値0.8977初診時;p値0.1735初診後6カ月;p値0.1403

 一方空間恐怖の重症度と2群間の比較では、不変群は初診時では空間恐怖の重症度が高い結果となった。

 また群別での重症度の変化の差を検討したところ改善群は、パニック発作重症度と空間恐怖重症度の変化がほぼ平行に推移してることが示唆され、不変群はパニック発作が軽減していく経過を辿るにも拘わらず、空間恐怖が重症度の改善に乏しいことが示唆された。(図2,3)

図2 群別パニック発作重症度の推移Wilcoxonの符号付順位和検定**p<.001***p<.0001図3 群別空間恐怖重症度の推移Wilcoxonの符号付順位和検定**p<.001

 パニック発作の症状項目や脅威となる症状・症状出現順序と群間での差異は乏しかった。不変群では恐怖源状況で発作が起こり易い傾向がみられ、状況依存性高い結果となった。また治療介入後6カ月において、不変群は自覚的には予期不安、状況恐怖度が強く、社会機能は低下していた。

IV.考察

 空間恐怖を伴うPDのなかで空間恐怖改善群は、パニック発作の改善とともに空間恐怖も改善している。このことはパニック発作の優位性を示す一つの根拠になる。

 一方不変群は、パニック発作と空間恐怖の関係が経過のなかで強くないことになり、パニック発作の優位性は考えにくいことになる。また不変群は、状況依存性の高さや治療後も予期不安や状況恐怖が改善群より強いことから、恐怖症的要因の関与の大きさが考えられた。このことはある意味では恐怖性回避によりパニック発作の出現を抑えている可能性も考えられる。

審査要旨

 本研究は、空間恐怖を伴うPanic Disorderの症例を空間恐怖の重症度経過により2群に分け、パニック発作重症度の推移との関係を中心とした検討を行い考察したものである。

 我が国では、Panic Disorderの認識は浅く、臨床研究において遡及的研究が多いため、特にcomorbidityとして頻度の高い空間恐怖(Agoraphobia)の成立要因の検討は十分とは言えない。DSM-III-Rでは、空間恐怖はパニック発作の続発症であるという基本的理念がある。一方ICD-10DCRでは、空間恐怖は恐怖症の一部でありパニック発作は挿入的なものであるという概念が基礎にある。

 これらの見解の相違を検討する意味においても、本論文は対象となる空間恐怖を伴うPanic Disorderの症例を一定の治療を施行したうえで当該科初診後6カ月の時点における空間恐怖の改善度により改善群と不変群に分別した。この分別された2群は、パニック発作の重症度の推移、発作症状項目、症状発現順序、発症状況、状況依存性の有無、予期不安の程度などと群間比較で臨床統計的に検討され、群別ではパニック発作・空間恐怖の重症度の推移が比較され、その結果、下記の知見を得ている。

 1.パニック発作の重症度の変化は、2群間の比較において各時期(極期、初診時、初診後6カ月)いずれも有意の差がなかった。

 一方空間恐怖の重症度と2群間の比較では、不変群は初診時において高い結果となった。

 またパニック発作の症状数・項目や発作症状出現順序の2群間での比較では有意の差が認められなかった。

 2.パニック発作、空間恐怖の重症度変化の差を群別で検討した結果、改善群は、パニック発作の重症度と空間恐怖の重症度の変化がほぼ平行に推移していることが示された。

 一方不変群は、パニック発作が軽減していく経過を辿るにもかかわらず空間恐怖の改善が乏しい結果となった。

 3.不変群では、改善群に比し発症時に恐怖源状況でパニック発作が生じやすい傾向がみられ、状況依存性が有意に高い結果が得られた。

 また初診後6カ月において不変群は、改善群に比し自覚的に予期不安、状況恐怖度が強く、社会的機能は低下していた。

 以上のことから空間恐怖改善群は、パニック発作の改善とともに空間恐怖が軽快を示した。これはパニック発作の優位性を示す一つの根拠となった。

 一方不変群は、群間でパニック発作重症度の推移に差がなく、群別の経過においてもパニック発作が改善しているにもかかわらず空間恐怖が改善を示していない。

 このことはパニック発作と空間恐怖の関係が強くないことが示唆された。

 また不変群では、状況依存性の高いことや予期不安・状況恐怖度の強さが残存していることから恐怖症的要因の優位性が示唆された。

 このように本論文は、空間恐怖を伴うPanic Disorderの臨床経過を考える際、パニック発作と空間恐怖の関係を明らかにしたという貢献をなした。これは我が国では十分に論じられていない事である。そして空間恐怖の経過に影響を与える要因についての解明に貢献をなしたと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク