学位論文要旨



No 214118
著者(漢字) 太田,康
著者(英字)
著者(カナ) オオタ,ヤスシ
標題(和) マウス嗅上皮における増殖細胞、上皮成長因子、上皮成長因子受容体の免疫組織化学的検討 : 発達と加齢による影響について
標題(洋)
報告番号 214118
報告番号 乙14118
学位授与日 1999.01.27
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第14118号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 新家,眞
 東京大学 教授 高戸,毅
 東京大学 教授 大内,尉義
 東京大学 助教授 市村,恵一
 東京大学 助教授 小田,秀明
内容要旨 1.はじめに

 最近、嗅覚障害も視覚、聴覚障害同様に重大な障害であることが認識されてきている。また高齢化社会が進むなか、視覚、聴覚と同様に嗅覚も高齢化による影響を検討すべきであると思われる。今回嗅覚障害を加齢という点に着目して、その臨床的背景を調べ、動物研究モデルを使用して組織学的に検討した。

2.臨床的背景

 1993年1月から1994年12月までの2年間に東京大学医学部附属病院の耳鼻咽喉科嗅覚外来を受診し、追跡調査可能であった嗅覚障害症例85例の転帰を、retrospectiveに検討したところ、嗅覚障害に対する治療を行ったのにもかかわらず、その約40%は嗅覚障害が改善していない。一旦嗅覚障害に陥ると、たとえ治療をしてもその機能的予後は決してよいとはいえないことがわかった。また嗅覚障害症例の年齢別転帰からみて、高齢になるほど軽快、治癒症例が少なく、不変症例の多いことが判明した。つまり嗅上皮における加齢変化が、嗅覚障害の予後を悪くする因子の一つであることが示唆された。

3.嗅上皮の増殖能力と成長因子に関する研究・目的

 免疫組織化学的手法を用いて、マウスの嗅上皮の増殖能力、上皮成長因子(epidermal growth factor;EGF)、上皮成長因子受容体(epidermal growth factor receptor;EGFR)の発現の胎生期、出生後早期、成熟期、老年期を通じての変化を調べた。

・動物研究モデルによる組織化学的観察

 胎生14日、16日、出生後1日、7日及び出生後7週、12週の成熟雄マウス、出生後1.5年から2年経過した老化マウスを各々6匹づつ計42匹用いた。4%パラホルムアルデヒドにて経心的に灌流固定を施行、鼻中隔部分の嗅粘膜を採取した。胎生14日から出生後7日までは灌流固定後断頭し、そのまま標本にした。その後、それぞれパラフイン包埋、4mの切片を作成した。

 嗅上皮中の増殖細胞を調べるために、抗proliferating cell nuclear antigen(PCNA)抗体(Oncogene Research Products、Massachusetts)を一次抗体として反応させ、嗅上皮内における増殖細胞の存在する位置、嗅上皮の細胞500個中の増殖細胞の数を調べた。また、嗅粘膜におけるEGF、EGFRの発現をみるために、それぞれ抗EGF抗体(Upstate Biotechnology Incorporated、New York)、抗EGFR抗体(Austral Biologicals、California)を一次抗体として反応させた。

 免疫染色にはLSABキット(ダコ・ジャパン、京都)、ENVISIONキット(ダコ・ジャパン、京都)を使用した。

・結果

 増殖細胞は、胎生期においては嗅上皮の浅層、基底層に多数存在したが、基底層よりも浅層の方が多かった。中間層にも少数存在した。出生後早期には嗅上皮の浅層、中間層の増殖細胞が減少していった。さらに成熟期では基底層の増殖細胞は減少して少数みられるだけとなり、浅層、中間層には僅かだけみられた。老年期では基底層に僅かだけみられた。嗅上皮の細胞500個中の増殖細胞数も、胎生14日が272と最も多く、以後胎生16日が229、出生後1日が211、出生後7日が124、出生後7週が37、出生後12週が29、老化マウスが9と加齢とともに減少した。

 EGFは胎生期から老年期まで全ての段階で嗅上皮全体にほぼ一様に発現していた。嗅上皮下の未熟な間葉系の組織は胎生14日、胎生16日に認められた。EGFの発現は両者ともにみられたが、胎生16日のほうが弱くなっていた。嗅腺は出生後1日からみられ、嗅腺におけるEGFの発現は出生後7日から認められ、老化マウスまで同様に発現していた。

 EGFRは、胎生、出生後早期マウスにおいては嗅上皮に発現がみられた。いずれもやや不均一であった。成熟マウス、老化マウスにおいては、嗅上皮での発現は認められなかった。

・考察、結語

 胎生期から出生後早期には、嗅上皮の形成のため嗅上皮は盛んに分裂、増殖を行っていた。成熟期の嗅上皮においても、そのターンオーバーを支えているために基底層は分裂、増殖を行っていたが、増殖能力は低下していた。老年期における嗅上皮の増殖能力はかなり低下しており、加齢による嗅上皮の退行、萎縮、それに伴う嗅覚の低下、高齢者の嗅覚障害の予後不良の要因の一つであると考えられた。

 EGFが胎生期、出生後早期、成熟期、老年期を通じて嗅上皮に認められたのに対し、EGFRは胎生期、出生後早期の嗅上皮に認められたが、成熟期、老年期の嗅上皮には認められなかった。嗅上皮の形成、維持にはEGF、EGFR両者とも関与しているが、嗅上皮の増殖能力の低下による嗅上皮の萎縮にはEGFRの減少がより強く関与している可能性が示唆された。

 他の感覚器については、角膜とEGFR、鼓膜とEGF、味蕾とターンオーバーの報告はあるが、視細胞や有毛細胞、味蕾とEGF、EGFRについての報告はない。味蕾にも嗅上皮と同様にEGFなどの成長因子が関与している可能性は十分考えられるが、今後の検討課題の一つであろう。

 嗅覚障害はその治療機能的予後は決してよくはなく、治療方法も嗅粘膜の消炎を目的としたステロイド点鼻療法しかないのが現状である。今回嗅覚障害の一つの原因に加齢による嗅上皮の増殖能力の低下が関係し、それにはEGFRの減少によるEGFの作動性の低下が示唆された。EGFの作動性の低下を防ぐ手段をみつければ、嗅上皮の増殖能力の低下を防ぐことができ、ひいては嗅覚障害の治療にも結び付く可能性があるのではないかと思われた。

審査要旨

 本研究は嗅覚障害を加齢という点に着目し、まずその臨床的背景を調べ、次に動物研究モデルを使用して組織学的に検討したものである。動物研究モデルにおいては、マウス嗅上皮における増殖細胞、上皮成長因子(EGF)、上皮成長因子受容体(EGFR)の加齢による変化を、免疫組織化学的にあきらかにしており、下記の結果を得ている。

 1.1993年1月から1994年12月までの2年間に東京大学医学部附属病院の耳鼻咽喉科嗅覚外来を受診し、追跡調査可能であった嗅覚障害症例85例の転帰を、retrospectiveに検討したところ、嗅覚障害に対する治療を行ったのにもかかわらず、その約40%は嗅覚障害が改善していない。一旦嗅覚障害に陥ると、たとえ治療をしてもその機能的予後は決してよいとはいえないことがわかった。また嗅覚障害症例の年齢別転帰からみて、高齢になるほど軽快、治癒症例が少なく、不変症例の多いことが判明した。つまり臨床的にも、嗅上皮における加齢変化が、嗅覚障害の予後を悪くする因子の一つであることが示唆された。

 2.マウスにおいて、胎生期から出生後早期には、嗅上皮の形成のため嗅上皮は盛んに分裂、増殖を行っていた。成熟期の嗅上皮においても、そのターンオーバーを支えているために基底層は分裂、増殖を行っていたが、増殖能力は低下していた。老年期における嗅上皮の増殖能力はかなり低下しており、加齢による嗅上皮の退行、萎縮、それに伴う嗅覚の低下、高齢者の嗅覚障害の予後不良の要因の一つであると考えられた。

 3.EGFが胎生期、出生後早期、成熟期、老年期を通じて嗅上皮に認められたのに対し、EGFRは胎生期、出生後早期の嗅上皮に認められたが、成熟期、老年期の嗅上皮には認められなかった。嗅上皮の形成、維持にはEGF、EGFR両者とも関与しているが、嗅上皮の増殖能力の低下による嗅上皮の萎縮にはEGFRの減少がより強く関与している可能性が示唆された。

 以上、本論文はマウス嗅上皮のおいて、加齢による増殖細胞とEGFRの減少を明らかにし、嗅上皮の増殖能力の低下にはEGFよりもEGFRの減少がより強く関与している可能性を示唆している。本研究は嗅覚障害の解明、新たな治療法の開発にあたり重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値すると考えられる。

UTokyo Repositoryリンク