学位論文要旨



No 214120
著者(漢字) 関根,信夫
著者(英字)
著者(カナ) セキネ,ノブオ
標題(和) インスリン分泌細胞の増殖と機能の制御に関与する因子とその情報伝達
標題(洋) Factors and Their Signaling Mechanisms Involved in the Regulation of Growth and the Function of Insulin-Secreting Cells
報告番号 214120
報告番号 乙14120
学位授与日 1999.01.27
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第14120号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大内,尉義
 東京大学 教授 清水,孝雄
 東京大学 教授 木村,哲
 東京大学 助教授 山田,信博
 東京大学 講師 門脇,孝
内容要旨 【背景・目的】

 糖尿病における糖代謝異常の成因としてインスリン分泌障害は最も重要なものであり,全ての糖尿病患者に量的または質的な膵細胞障害が存在するとも言える.従って細胞の増殖・機能の調節機序を明らかにすることは,糖尿病におけるインスリン分泌障害の原因解明とその根本的治療法の開発に大きく貢献するものと思われる.細胞の増殖・機能に影響を及ぼす様々な因子が知られているが,その作用機転とりわけ細胞内情報伝達については極めて乏しい知見しか得られていない.本研究ではそれを解明するためのアプローチとして,細胞において顕著な作用を有することが知られている因子を選び,その主要な情報伝達経路について詳細に検討するという方針をとった.この点で特に注目に値するのが,JAK-STATおよびMAPキナーゼ(MAPK)経路である.前者は近年サイトカイン受容体スーパーファミリーに属する因子の主要情報伝達機序として確立されたが,細胞においていくつかのサイトカインが作用することや,また同ファミリーに属する成長ホルモン(GH)・プロラクチン(PRL)が細胞増殖刺激因子である点で興味深い.またMAPKも種々の細胞の増殖・分化に重要な役割を果たすことが明らかにされ,細胞における意義についても検討する価値があると思われる.以上の背景をふまえ,本研究ではラットインスリノーマより確立された培養細胞株INS-1を細胞モデルとして用い,その増殖・機能に関与する因子について特に細胞内情報伝達に主眼をおいた検討を行った.第一部ではINS-1細胞を用いた実験系を確立すべく基礎的検討を行い,また既知の細胞増殖・機能促進性ホルモンとしてGH・PRL,抑制性サイトカインとしてインターフェロン(IFN-)を取り上げ,それらの作用を調べた.さらに種々の因子の作用を特異的に観察するため無血清培地(SFM)を用いた系を確立し,分泌能維持に働く因子についての検討も行った.第二部では,GH・PRLおよびIFN-の情報伝達について,特にJAK-STAT経路の活性化という点に着目しながら解析し,さらにインスリン分泌細胞におけるMAPK活性化とその生理的意義の解明を試みた.

【方法】

 細胞増殖・機能の検討:細胞増殖・生存率は細胞数算定,MTTアッセイ,[3H]チミジン摂取率(DNA合成)測定により評価した.インスリン分泌能についてはブドウ糖をはじめとする各種刺激因子に対する反応性を静置実験で検討した.細胞内代謝は,インスリン分泌と平行してMTTアッセイで評価するか,14C標識ブドウ糖・ピルビン酸を用いて測定した.細胞内Ca2+([Ca2+]i)の測定:Ca2+感受性蛍光指示薬fura-2を細胞に取り込ませ,単一細胞レベルまたは顕微鏡画像処理により複数の細胞における[Ca2+]iの変化を観察した.細胞膜電位の測定:蛍光指示薬ビスオキソノールまたは電気生理学的手法(パッチクランプ法)により検討した.免疫沈降・ウェスタンブロット:蛋白チロシンリン酸化を検討するため,細胞質蛋白を当該の特異的抗体で免疫沈降した後電気泳動し,抗リン酸化チロシン抗体でイミュノブロットを行った.ノーザンブロット:細胞よりRNAを抽出し,当該の32P標識プローブを用いて行った.MAPK/MEKアッセイ:細胞質蛋白を44-kDa MAPKまたはMEK-1特異的抗体で免疫沈降した後,MAPK活性はミエリン塩基性蛋白のリン酸化能を,MEK-活性はリコンビナントMAPK活性化能を指標として評価した.ゲルシフトアッセイ:各転写因子の特異的DNA結合部位に相当する合成オリゴヌクレオチドを32P標識プローブとして用い,核蛋白との結合を電気泳動度により評価した.

【結果】I INS-1細胞の増殖・機能に影響する因子の検討

 I-1.SFMにおけるINS-1細胞の増殖に影響する因子:SFM中に培養されたINS-1細胞は血清添加とほぼ同様の生存率・増殖曲線を示した.SFMに添加されているPRLを除くとINS-1細胞によるチミジン摂取率が半減したことから,PRLがSFMの中で最大の増殖刺激活性を有することが確認された.15mMブドウ糖では3mMに比してDNA合成は約6倍促進された.またcAMPを上昇させる因子はブドウ糖による増殖刺激作用を阻害した.一方,受容体チロシンキナーゼを介して作用する増殖因子(EGF,PDGF,bFGF,NGF)に関しては顕著な効果が見られなかった.

 I-2.GH・PRLの生理活性:SFM中でGHおよびPRLはINS-1細胞の増殖,生存,代謝活性を刺激した.細胞内インスリン含量は非添加群で著明に低下したが,GH・PRL添加によりその低下が阻止された.またGH,PRLともに1pM-1nMの生理的濃度で用量依存性にDNA合成を刺激し,両者の活性はほぼ同等であった.

 I-3.IFN-の作用:IFN-はINS-1細胞の増殖に影響しなかったが,TNF-と相乗的に作用して著明な細胞障害性を示した.またIFN-は単独でブドウ糖・ピルビン酸によるインスリン分泌・MTT還元能刺激を低下させた.高濃度K+による膜脱分極に伴うインスリン放出には影響がなく,この分泌能障害は栄養素の細胞内(ミトコンドリア)代謝障害によることが示唆された.

 I-4.INS-1細胞のインスリン分泌能を保持する因子:SFM内に3日間培養されたINS-1細胞は栄養素刺激によるインスリン分泌の著明な低下を示したが,高濃度K+によるそれは障害されず,SFM中にはINS-1細胞の代謝活性ひいてはインスリン分泌能を保持する何らかの因子が欠如しているものと考えられ,検討を加えた.まず血清再添加により分泌能はほぼ完全に回復した.次にSFM内に各種因子を補充して分泌能低下が阻止されうるか検討したが,明らかな効果を示したものはなかった.この分泌障害の機序を細胞内代謝,膜脱分極,[Ca2+]iの変化について検討したところ,栄養素の酸化的代謝が著しく低下し,それにより後2者の刺激も障害されていた.最後にラット膵島または細胞をSFM中に培養し,その上清を用いてINS-1細胞を培養した場合にはインスリン分泌能が保持されたことより,細胞由来の某因子がINS-1細胞の分泌能維持にはたらく可能性が考えられた.

II INS-1細胞の増殖と機能の制御に関与する細胞内情報伝達

 II-1.GH・PRLの情報伝達:まずGH・PRLによる[Ca2+]i上昇作用について検討した.この作用は細胞外Ca2+をEGTAでキレートしたり,L型Ca2+チャネル阻害薬やジアゾキシドを添加することにより抑制されたことから,電位依存性Ca2+チャネルを通してのCa2+流入によるものと考えられた.またAキナーゼ阻害薬Rp-cAMPSによっても[Ca2+]i上昇は阻害されたためcAMPの関与も示唆されたが,実際に細胞内cAMPの上昇は検出できなかった.さらにGH・PRLによる蛋白チロシンリン酸化を検討した.両ホルモンはJAK2キナーゼおよびSTAT5のリン酸化を促進し,STAT5の活性化はゲルシフトアッセイでも確認された.最後にGHの細胞増殖刺激作用に関与する情報伝達を明らかにするため,各種阻害薬のGH作用に及ぼす影響を検討した.その結果,GHの[Ca2+]i上昇作用を阻害するベラパミル・ジアゾキシドはDNA合成に影響せず,チロシンキナーゼ阻害薬ラベンダスチンAおよびRp-cAMPSによって抑制が認められた.

 II-2.IFN-の情報伝達:サイトカインによる細胞障害の機序として一酸化窒素(NO)合成酵素(iNOS)の誘導によるNOの産生が想定されているが,IFN-によるインスリン分泌障害へのNOの関与は否定的であった.これに対しIFN-はTNF-と相乗的にiNOS遺伝子の誘導を刺激した.IFN-は単独でSTAT1のチロシンリン酸化,およびIRF-1・iNOS両遺伝子上流への結合を促進した.一方TNF-はSTAT1の活性化には影響しなかったが,単独で転写因子NF-Bを活性化した.興味深いことに,IFN-の添加によってこの活性化がさらに増強され,このことが両サイトカインによる相乗的なiNOS誘導の機序として関与している可能性が示唆された.

 II-3.INS-1細胞の増殖・機能の制御におけるMAPKの役割:まず各種インスリン分泌刺激因子によるMAPKの活性化について検討した.ブドウ糖刺激はMAPK活性の持続的上昇をもたらした.cAMPを上昇させる因子はいずれも単独での作用は弱いが,ブドウ糖によるMAPK活性化を著明に増強した.これらMAPK活性化のパターンや用量反応性は,同時に測定されたインスリン分泌のそれとよく一致した.またCキナーゼ活性化によりインスリン分泌を刺激するPMAや高濃度K+によるCa2+流入もMAPKを活性化した.他方,INS-1細胞の増殖を刺激するGHはMAPKの活性に影響しなかったのに対し,NGFはINS-1細胞において強力なMAPKの活性化因子であり,インスリン分泌刺激作用を有することが確認された.これらINS-1細胞におけるMAPK活性化因子は[Ca2+]i上昇作用をも有するため,両作用の関連について検討した.まずブドウ糖によるMAPK活性化およびcAMPによるその増強はEGTAやベラパミルによって70-90%阻害され,これらの機序としてCa2+流入の必要性が示された.一方,PMAやNGFによるMAPK活性化には[Ca2+]i上昇は必須でないと考えられた.またブドウ糖,CPT-cAMP,高濃度K+はいずれもMAPKの上流に存在するMEK1を活性化し,これもEGTA処理により阻害されたことから,これらの因子は[Ca2+]i上昇を介してMEK1,さらにはMAPKを活性化するものと考えられた.最後にMAPK活性化因子による早期応答遺伝子の誘導について検討したところ,[Ca2+]i上昇を介するMAPK活性化にはjunBの誘導がよい相関を示し,NGFは特にzif268を顕著に誘導した.

【まとめ】

 (1)細胞の増殖・機能の制御機序を検討するため,INS-1細胞をモデルとして用いた実験系を確立した.INS-1細胞は生理的インスリン分泌刺激因子に対する反応性を保持し,各種増殖刺激因子やサイトカインについても正常細胞におけると同様の効果が確認された.(2)SFM中に培養されたINS-1細胞は血清添加時同様の増殖能を示したが,ミトコンドリア代謝の低下によるインスリン分泌障害を呈した.この障害は細胞由来の未知の因子により回復しうることが示唆された.(3)GH・PRLはINS-1細胞の増殖・インスリン合成を刺激した.両ホルモンとも電位依存性Ca2+チャネルを通じてのCa2+流入により[Ca2+]iを上昇させるが,この作用は増殖刺激には必須ではなかった.これに対し,JAK2・STAT5の活性化がGH・PRLによる増殖刺激作用の情報伝達機序として主要なものであることが示唆された.(4)IFN-はミトコンドリア代謝阻害によってブドウ糖によるインスリン分泌刺激を抑制した.またTNF-と相乗的に作用してiNOSを誘導し,著明な細胞障害を惹起した.IFN-,TNF-はそれぞれ単独でSTAT1,NF-Bを活性化するが,両者は相乗的なNF-Bの活性化を介して細胞障害性にはたらく可能性が示された.(5)[Ca2+]i上昇,cAMP上昇,およびCキナーゼ活性化を介してインスリン分泌を促進する様々な因子が,INS-1細胞においてMAPKを活性化することが示された.MAPKの活性化それ自体はインスリン分泌刺激に必ずしも十分ではないが,分泌を促進すべく細胞内の情報伝達系を修飾している可能性が示唆された.一方,INS-1細胞増殖刺激とMAPK活性化との間には明確な相関関係は認められなかった.

審査要旨

 本研究はインスリン分泌細胞の増殖と機能の制御に関与すると考えられる種々の因子とその細胞内情報伝達機序を明らかにするため,分化した形質を有する培養ラットインスリノーマ細胞INS-1を用いた系を確立し,広く検討を行ったものである.その中で,とくにインスリン分泌細胞の増殖・機能に対し促進的に作用する成長ホルモン(GH)・プロラクチン(PRL),および抑制的に作用するサイトカインであるインターフェロン-(IFN-)・腫瘍壊死因子(TNF-)に着目し,その作用と情報伝達を解析した.また,近年細胞増殖や分化に関与する情報伝達機序として確立されたJAK-STAT経路およびMAPキナーゼ経路のインスリン分泌細胞における意義についても詳細に検討され,下記の結果を得ている.

 1.INS-1細胞は種々の生理的膵細胞増殖刺激因子や抑制性サイトカインに対し,正常細胞におけると同様の反応性を示した.

 2.無血清培地中に培養されたINS-1細胞は血清添加時同様の増殖能を示したが,ミトコンドリア代謝の低下を主要因とするインスリン分泌障害を呈した.この障害は細胞由来の未知の因子により回復しうることが示唆された.

 3.GH・PRLはINS-1細胞の増殖およびインスリン合成を刺激した.両ホルモンとも,細胞膜脱分極に引き続き電位依存性Ca2+チャネルを通して細胞外Ca2+の流入を促進することにより細胞内Ca2+を上昇させるが,この作用は増殖刺激には必須ではなかった.これに対し,チロシンキナーゼJAK2とそれに続く転写因子STAT5の活性化が,GH・PRLによる増殖刺激作用の情報伝達機序として主要なものであることが示唆された.

 4.IFN-はミトコンドリア代謝を阻害することにより,ブドウ糖によるインスリン分泌刺激を抑制した.またTNF-と相乗的に作用してNO合成酵素(iNOS)を誘導し,著明な細胞障害を惹起した.IFN-,TNF-はそれぞれ単独で転写因子STAT1,NF-Bを活性化するが,両者は相乗的なNF-Bの活性化を介して細胞障害性にはたらく可能性が示された.

 5.[Ca2+]i上昇,cAMP上昇,およびCキナーゼ活性化を介してインスリン分泌を促進する様々な因子が,INS-1細胞においてMAPキナーゼを活性化することが示された.MAPキナーゼの活性化それ自体はインスリン分泌刺激に必ずしも十分ではないが,分泌を促進すべく細胞内の情報伝達系を修飾している可能性が示唆された.一方,INS-1細胞増殖刺激とMAPキナーゼ活性化との間には明確な相関関係は認められなかった.

 以上,本論文は優れた膵細胞モデルと考えられるINS-1細胞において,様々な因子のインスリン分泌細胞の増殖と機能に及ぼす効果を検討し,またそれに関与する細胞内情報伝達機序についての詳細な解析を行った.本研究は,JAK-STAT経路およびMAPキナーゼ経路という近年確立され注目されている細胞内情報伝達経路のインスリン分泌細胞における活性化とその意義についての,初めての詳細かつ慎重な検討である.さらに将来的には,糖尿病におけるインスリン分泌異常の成因の解明や治療法の開発に重要な貢献をなしうるものと思われ,学位の授与に値するものと考えられる.

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54097