学位論文要旨



No 214139
著者(漢字) 庄司,一郎
著者(英字)
著者(カナ) ショウジ,イチロウ
標題(和) 2次非線形光学定数の絶対値スケール
標題(洋)
報告番号 214139
報告番号 乙14139
学位授与日 1999.01.28
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第14139号
研究科 工学系研究科
専攻 物理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 伊藤,良一
 東京大学 教授 宮野,健次郎
 東京大学 教授 五神,真
 東京大学 教授 黒田,和男
 東京大学 教授 菊池,和朗
 東京大学 助教授 近藤,高志
内容要旨

 レーザの出現とともに誕生した非線形光学は着実に発展し続け,光第2高調波発生(SHG;Second-Harmonic Generation)素子や光パラメトリック発振器といった波長変換素子が実用段階に到達している。2次非線形光学定数はこれら非線形光学素子の性能を決定づける重要な物理量であり,また,その正確な絶対値を把握することは非線形光学過程の物理を理解する上で不可欠である。しかしながら,これまで報告されてきた非線形光学定数の絶対値は測定ごとに異なっており,しかもその差異は驚くほど大きく,正しい値が定まっていないのが現状であった。

 本研究は,2次非線形光学定数の正しい絶対値スケールを確立することを目的として行った。そのために,10数種類の重要な非線形光学結晶-コングルエントLiNbO3,MgOドープLiNbO3,LiTaO3,KNbO3,KTiOPO4,-BaB2O4,quartz,KH2PO4,GaAs,GaP,-ZnS,CdS,ZnSe,CdTe-の非線形光学定数の絶対値を独自の方法により正確に決定した。

 まず,測定法はSHG法,パラメトリック蛍光(PF;Parametric Fluorescence)法,差周波発生(DFG;Difference-Frequency Generation)法の3つを用いた。SHG法では全ての結晶について測定を行った。PF法ではコングルエントLiNbO3と5%MgOドープLiNbO3について絶対測定を行った。DFG法ではコングルエントLiNbO3の非線形光学定数の絶対値を決定した。非線形光学定数を測定する手法としてDFGを適用したのは本研究が初めてである。これまで正しい非線形光学定数が確定していなかった原因の一つとして,本質的には同じ値が得られるはずのSHG法とPF法とで全く異なる値が報告されてきたことがあげられる。非線形光学定数はそのほとんどが参照物質との相対測定で決定される。したがって,参照物質の絶対値としてPF法によるデータを用いた場合には,SHG法によるデータを用いた場合よりも絶対値スケールが50%以上も大きくなってしまっていた。最近になっていくつかの信頼に足る値がSHG法による絶対測定で決定され,それらが標準値として受け入れつつある。しかし,上記2つの方法による報告値の差異の原因は何なのか,また,その差異は本質的なものなのかただの誤りであるのかについては解明されないままであった。本研究では上記3種類の手法を用いることにより,測定法ごとに得られる値に本当に差異が生じるのかどうかを検証した。その結果,PF法ではポンプ光の照射により結晶そのもの,またはフィルタやレンズなどの光学素子からルミネッセンスが発生し,細心の注意を払って除去しないとシグナル光と分離できないことがわかった。また,PFは電磁場の零点振動が起源となっているため,散乱光が試料に入射しないように迷光の除去を行った。この結果,迷光の無い条件でシグナル光のみを検出することが可能となり,正確な測定が行えた。解析を行ったところ,コングルエントLiNbO3の非線形光学定数はSHG,PF,DFG法で一致した値が得られ,それらは従来のSHG法による標準値と良い一致を示した。一方,PF法による過去の報告値はこれらの値より明らかに大きく,過大評価されていたことがわかった。

 2点目に,多重反射の効果を完全に考慮した測定を行った。SHG,PF,DFGいずれの場合でも,平行平板かそれに近い試料を用いた時には試料内部で多重反射が生じ,第2高調波やシグナル光の出力には多重反射による干渉効果の影響が現れる。ところが,過去に行われた測定の大部分では,それが無視あるいは見過ごされてきた。本研究におけるSHG法では,ウェッジ法を用いて絶対測定を,ウェッジ法と回転型Makerフリンジ法を用いて相対測定を行った。基本波光源には,絶対測定では単一縦モード・連続発振の半導体レーザと半導体レーザ励起固体レーザを用い,相対測定ではQスイッチNd:YAGレーザを用いた。ウェッジ法では厚さ100m程度,ウェッジ角0.1°程度の試料を用い,測定結果に対して試料内での基本波・第2高調波の多重反射の効果を完全に取り入れた解析を行った。また,回転型Makerフリンジ法では無反射コートした平行平板試料を用いた。その結果,実験値と理論値が極めて良く一致する精度の高い測定が実現し,正確な絶対値を決定することができた。それと同時に,多重反射の効果を無視すると非線形光学定数を過大評価してしまうことを明らかにした。実際,過去の報告値の多くは測定の際に多重反射の効果が考慮されていなかったため,屈折率の大きな物質ほど本研究で得られた値よりも大きく見積もられていたことがわかった。

 3点目に,いくつかの異なる波長で測定を行い,非線形光学定数の波長依存性を調べた。SHG法では基本波波長1.548m,1.533m,1.313m,1.064m,0.852mで測定した。PF法ではポンプ光波長0.532mと0.488mで,DFG法ではポンプ光波長0.532mで測定を行った。これまで,非線形光学定数の波長依存性はMiller則に従うと仮定されてきた。Miller則は,以下の式で定義されるMiller’sが波長によらず一定であるとする法則である。

 

 ここで,31+2であり,ni(3)などは屈折率を示す。すなわち,ある波長で測定された非線形光学定数を別の波長での値にスケーリングする際には,Miller則がその正しいことを前提として用いられてきたのである。確かに,古典的な非調和振動子モデルや,系が単一の共鳴周波数しか持たないという近似のもとでは,Miller’sが一定であることを示すことができる。しかし,当然ながら現実の系では共鳴周波数が多数存在するので,その近似が妥当であるかどうかが問題である。実際のところ,Miller’sがどこまでの波長域でどの程度一定なのかを実験的に厳密に検証した例はほとんど無かった。各測定波長で得られた非線形光学定数の絶対値からMiller’sを求めると,Miller’sは波長に対して全く一定ではなく,物質ごと,テンソル成分ごとに異なる波長依存性を持つことがわかった。したがって,Miller則を用いて非線形光学定数の波長スケーリングを行っても正しい値は得られない。非線形光学定数の波長依存性を説明するためには,従来の単一の共鳴周波数を持つ非調和振動子モデルでは不十分であり,複数の共鳴周波数を持つモデルを新たに構築する必要があることを示した。

 このように,本論文では非線形光学定数が確定していなかった原因を明らかにするとともに,主要な非線形光学結晶の非線形光学定数を正確に決定した。表1に得られた絶対値を示す。以上のことから,正しい絶対値スケールを確立することができたと考えている。

表1 2次非線形光学定数の絶対値
審査要旨

 本論文は「2次非線形光学定数の絶対値スケール」と題し、十数種類の主要な非線形光学結晶について2次非線形光学定数の絶対値を正確に決定し、非線形光学定数の正しい絶対値スケールを確立することを目的として行われたものである。

 非線形光学はレーザの出現とともに着実に進展を遂げ、非線形光学効果を利用した波長変換素子は実用段階に入りつつある。2次非線形光学定数はこれら非線形光学素子の性能を決定付ける極めて重要な物理量であり、これまで多くの物質について測定が行われてきた。しかしながら報告値ごとのばらつきが驚くほど大きく、その正確な絶対値がいまだに確定していないのが現状であった。本論文はこの状況に終止符を打つべく、スタンダードとして用いられるべき非線形光学定数の正しい絶対値スケールを確立することが目的とされている。

 本論文の特色は、非線形光学定数が確定するに到っていなかった原因を特定し、それらの問題を独自の手法を用いて解決したことにある。まず、非線形光学定数を、第2高調波発生(SHG)法、パラメトリック蛍光(PF)法、差周波発生(DFG)法の3つの手法を用いて測定している。これにより、従来どの物質についてもPF法でSHG法よりも大きな値が報告されていた’謎’が、実はPF法の報告値が過大評価されていたのが原因であったことをつきとめた。また、従来の測定では見過ごされてきた試料内でのビームの多重反射の効果が測定にどのような影響を与えていたかを、多重反射効果を完全に考慮した測定を実現することによって明らかにしている。さらに、非線形光学定数をいくつかの異なる波長で測定することにより、非線形光学定数の波長分散を明らかにし、従来非線形光学定数の波長スケーリングを行う際に用いられてきた、Millerのが波長に対して一定であるとする仮定がどの程度に正しいかどうかが検討されている。

 本論文は4章から構成されている。

 第1章は「序論」であり、本研究の背景と目的、および本論文の構成について述べられている。

 第2章は「コングルエントLiNbO3の非線形光学定数の決定」と題し、本研究での測定の典型例として、コングルエント組成のLiNbO3について取り上げ、非線形光学定数を決定するために用いられた測定手法とその結果が詳細に記述されている。SHG法ではウェッジ法による絶対測定と回転型Makerフリンジ法による相対測定が行われ、多重反射効果を考慮した測定によって,正確なd33とd31が決定された。PF法では試料内での多重反射がシグナル光パワーを増大させることと、試料自身やレンズなどの光学素子からシグナル光と同程度のルミネッセンスが発生することが明らかにされた。過去のPF法の測定ではそれらの影響を排除しきれず、そのため非線形光学定数を過大評価していたことが示された。DFG法においても注意深い測定が行われ、SHG,PF,DFGいずれの手法によっても一致した正しい値が得られるという結論が得られている。さらに本章では多重反射効果が非線形光学定数の測定に及ぼす影響について詳しく論じられている。屈折率の大きな物質ほど多重反射効果が顕著になり、したがって、多重反射を無視して測定を行うと非線形光学定数が過大評価されてしまうことが明らかにされている。

 第3章では「その他の結晶の非線形光学定数の決定」と題し、コングルエントLiNbO3以外に本研究で測定された物質--MgOドープLiNbO3,LiTaO3,KNbO3,KTiOPO4(KTP),-BaB2O4(BBO),quartz,KH2PO4(KDP),GaAs,GaP,-ZnS,CdS,ZnSe,CdTe--についての測定とその結果、および、過去の報告値との比較が詳細に記述されている。これらの結晶についてもコングルエントLiNbO3と同様の手法で測定が行われ、正確な絶対値が決定された。また,過去の報告値はほとんどが多重反射効果を無視した測定によって得られていたため、その分過大評価されていたことが明らかにされている。

 本章の最後には、本研究で得られた非線形光学定数の絶対値より求められたMillerのの波長依存性について記述されている。Millerのは実は波長に対して全く一定ではなく、その波長依存性は物質ごと、テンソル成分ごとにまちまちであることが初めて示された。

 第4章は「総括」と題し、本論文の内容を簡潔にまとめている。

 以上のように、本研究では多くの結晶について独自の手法を用いて2次非線形光学定数の絶対値を正確に決定し、2次非線形光学定数の正しい絶対値スケールを確立している。また、従来の測定の問題点を明らかにし、正しい測定を行うための指針を示している。本研究の成果は、今後ますます進歩する非線形光学素子を設計する際のスタンダードとして不可欠であると同時に、非線形光学過程の理論的研究にも大きな影響を及ぼすものであることから非線形光学全般へのインパクトが大きく、したがって、物理工学への貢献が大きい。よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/51105