学位論文要旨



No 214143
著者(漢字) 吉田,誠一
著者(英字)
著者(カナ) ヨシダ,セイイチ
標題(和) 生理活性を有する化粧品関連物質の質量分析による解析
標題(洋)
報告番号 214143
報告番号 乙14143
学位授与日 1999.01.28
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第14143号
研究科 工学系研究科
専攻 化学生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 瓜生,敏之
 東京大学 教授 澤田,嗣郎
 東京大学 教授 西郷,和彦
 東京大学 教授 渡邊,正
 東京大学 教授 荒木,孝二
内容要旨

 化粧品は界面活性剤を介して油分と水分を安定に配合させたものであり、化粧水、乳液、クリーム、口紅のように各様な形態で供されている。健康人が毎日使用するという性格上、作用は緩和なものであり、重要な効果、効能成分の添加量は微量である。一方、化粧品を構成する成分は人体に対する安全性が確認されている物質であれば、水から分子量数百万の高分子に至るまで、ほとんどあらゆるものが処方対象となり得る。このような複合多成分系からなる化粧品中の微量の活性成分を分析することは重要な課題となっている。

 未知成分が何かを知るには、まずその分子量と構造に関する情報が必要である。質量分析法(MS)は正確な分子量の測定ができる唯一の方法で、しかも高感度という利点をもちガスクロマトグラフィー(GC)のような分離法と接続可能である。しかし、化粧品に配合される活性成分には難揮発性、熱不安定性の物質が少なくなく、GC/MS分析だけでは不充分である。このような難揮発性、熱不安定性化合物の分析は、特に混合物系の試料に対しては、より汎用性の高い分離手段である液体クロマトグラフィー(LC)により分析されることが多い。しかし、未知ピークの解析となると紫外部検出器だけでは困難である場合が多くMSと結合したLC/MSに対する期待が大きく、市販品も日常的に使用できるものが現われつつある。しかし、具体的にある対象物質を測定しようとする場合、特に複雑な混合物系での分析を行う場合には種々の検討が必要である。

 本研究は、質量分析法を用い化粧品関連活性物質の分析のためにイオン化を選択、検討し、実際の試料への適用の可能性を追求するとともに、分析、測定条件の最適化を行って、これまで困難であった難揮発性、熱不安定性化合物の定量や構造解析を行ったものである。第1章では、本研究の背景及び目的を記した。

 第2、第3章ではLC/MSを用い化粧品中の微量の活性成分の定性、定量を行った。第2章では高速原子衝撃(FAB)イオン化を用いたLC/MSによる化粧品分析への適用範囲を調べるために、極性の高いものから低いものまで30種の化粧品成分などの分析をフローインジェクションにて行い、感度比や検出限界を検討した。さらに、LC/MSによる化粧品の分析のための汎用的な条件を確立するため、ポストカラムのマトリックス溶液の有機溶媒組成を変えることによりイオンソースでの有機溶媒組成を変化させ最適領域を調べた。その結果イオンソースでメタノール濃度が30〜50%溶液となるよう条件設定するのが良いことを明らかとし、汎用的分析条件を確立した。第3章では大気圧化学イオン化(APCI)を用いたLC/MSによる選択イオン検出法を用いてひまし油、硬化ひまし油中の遊離のリシノール酸、12-ヒドロキシステアリン酸の定量を検討した。化粧品に使用される原料は、その色、匂いが基本的な要素であり、そのために化粧品用のひまし油は高度に精製されており、安定性も十分に管理されなければならない。しかし、従来のGC/MSなどの加熱を伴う分析法では発生源であるトリアシルグリセロールの加水分解により遊離脂肪酸の定量値が高めの値となってしまう。それゆえ、試料を安定に取り扱えるLC/MSにより検討した。LC条件、MS条件の最適化を行い、擬分子イオンの297、299を選択イオン検出することにより同じ脂肪酸で構成されるトリアシルグリセロール共存下での微量の遊離脂肪酸の高感度分析法を確立した。第4章では微生物の生産物に着目してカビと放線菌の培養液約2500サンプルについて、B16マウスメラノーマ培養細胞に対するメラニン生成抑制効果を指標にスクリーニングを行った。その結果、カビの一種である菌株FO-3182の培養液にメラニン生成抑制効果を見いだし、活性物質の単離、構造解析を行った。構造解析には、磁場勾配パルスを加えた異種核相関2D-NMRに加え、高分解能FABMS測定による元素組成決定が重要な役割をはたし、活性物質が3-(6-イソシアノ-3,7-ジオキシトリシクロ[4,1,O,O2,4]ヘプタン-4-イル)プロペノイックアシッドであることを明らかにした。第5章では化粧品に用いる合成高分子の構造解析を研究した。合成高分子の構造解析にはこれまで熱分解GC/MSによる部分構造の推定や核磁気共鳴吸収(NMR)、赤外吸収スペクトル(IR)などによる全体の平均像としての分析が行われてきた。しかし、合成高分子にはさまざまな分子種が混在しているため、おのおのの分子種について構造解析を行うことは困難であった。ところが、マトリックス支援レーザー脱離イオン化飛行時間型質量分析法(MALDI-TOF-MS)ではイオン化されたすべての分子について、検出された質量から構造推定ができるので、合成高分子の新たな構造解析手法としての可能性を検討した。具体的には、エチレンオキサイドやパーフルオロアルキルで修飾したポリジメチルシロキサンコポリマーの詳細な構造解析についてMALDI-TOF-MSを用いて世界に先駆けて研究した。分子量分布が広い場合にはGPC換算分子量より低めの値として検出されるという限界があり、今後の課題を残してはいるものの、製法推定やブロック構造の解明など、その有用性を示した。

 第6章から第8章は蛋白質、ペプチドの構造解析に関する研究である。FAB-マッピング法を基礎とし、(1)ペプチドマッピングによる全一次配列の確認、及び(2)活性に寄与するジスルフィド結合の位置の決定、のための手法、技術を改良、拡張するとともに、血管拡張性を有する組み換えペプチドMaxadilanの構造解析を行った。その間FAB,MALDI及びエレクトロスプレーイオン化(ESI)を相補的に活用する複合質量分析法のコンセプト、新しい消化酵素の活用などを検討した。

 第6章ではアスパラギニルエンドペプチターゼ(Asn-EP)をMSによるペプチドマッピング用消化酵素として初めて用い、生ずるペプチド混合物をMALDI-TOF-MSにより直接分析した。Asn-EPはAsn残基に特異的に作用するものの、不完全消化物を多く生成する特徴があることを明らかにした。しかし、これらの不完全消化物はオーバーラップする一次構造情報を与え、飛行時間型(TOF)の質量分析計はこれらの高分子量のペプチドも容易に検出できることから、むしろ確度の高いマッピングを行う上では都合が良いことがわかり、Asn-EPがペプチドマッピング用消化酵素として有用であることを示した。第7章ではFABとMALDIを相補的に用いる複合質量分析法にてスナバエ由来の血管拡張性組み換えペプチドMaxadil an(r-Max)の全一次配列の確認とジスルフィド結合の位置の決定を行った。還元ピリジルエチル化体(p-Max)のキモトリプシン消化物としFABMSとFABMS/MS測定により全一次配列を確認した。しかし、アスパラギン酸のN末端側で特異的に切断するエンドペプチターゼ(Asp-N)消化物はFABMSでは強いイオン抑制を受けたので全一次配列確認には相補的なMALDIが必要であった。またジスルフィド結合についてはr-Maxのトリプシン消化物の還元前後のFABMS測定比較によりCys5-Cys9の位置の決定を行った。しかし、Cys18-Cys55を含む消化物は分子量が4000以上なので帰属にはMALDIが必要であった。このように、蛋白質やペプチドの構造解析にFABとMALDIを相補的に用いる複合質量分析法が有用であることを示した。第8章ではFABとMALDIを相補的に用いる蛋白質、ペプチドの複合質量分析法に更にESIを用いたLC/MSを組み合わせて、その有用性、位置付けを検討した。試料としては既に、全一次配列とジスルフィド結合の位置がわかっているr-Maxを用いた。ESIでは質量数測定精度が高いため、r-Maxの直接測定により、2箇所の分子内ジスルフィド結合の存在が示された。還元後、カルボキシメチル化したr-Maxのキモトリプシン消化物のLC/ESI-MS測定では、FABやMALDIでは検出が困難であった親水性が高く、かつ質量数が小さい消化物も検出され、全一次配列が確認できた。r-Maxのトリプシン消化物のLC/ESI-MS測定により、Cys5-Cys9とCys18-Cys55を含む消化物が検出され、1回の測定でジスルフィド結合位置も決定できた。複合質量分析法における3つのイオン化の役割分担、位置付けとして、試料の一部を用い一番高感度のMALDIにて概要を把握した上で、LC/ESIにより精査に分析し、FABにより足りない点を補うという分析手法が考えられた。

 以上、生理活性を持つ化粧品関連物質の構造解析の研究結果として以下の結論を得た。種々のイオン化を用いた質量分析法を選択、最適化することにより、従来困難であった油脂中の微量脂肪酸の定量やシリコン共重合体の構造解析など化粧品中の難揮発性、熱不安定成分の定性、定量を可能とした。また、FAB、MALDI及びESIを相補的に組合せた複合質量分析法により血管拡張性組み換えペプチドの一次配列の確認とジスルフィド結合の位置の決定を行い、その有用性を示した。

審査要旨

 化粧品は緩和な作用を持つ複合多成分系から成るが、この化粧品中に含有される微量の活性成分を分析することは重要な課題となっている。未知成分の同定には、まずその分子量と構造に関する情報が必要である。質量分析法(MS)は正確な分子量の測定が出来る唯一の方法で、かつ高感度という利点をもつ。ガスクロマトグラフィー(GC)及び液体クロマトグラフィー(LC)のような分離法と接続された、日常的に使用できるいくつかの市販品がある。しかし、具体的にある対象物質を測定しようとする場合、特に複雑な混合物系での分析を行う場合には、種々の検討が必要である。

 本論文は、質量分析法を用いて化粧品関連物質の構造解析を行うため、イオン化法、質量測定法、分析および測定条件の最適化を行って、実際の試料への適用の可能性を追求している。それにより、これまで困難であった難揮発性や熱不安定性の化粧品関連活性物質の定量や構造解析が、質量分析法によって可能となったことが記述されている。

 第1章では、本研究の背景及び目的が述べられている。

 第2章では、高速原子衝撃法(fast atom bombardment,FAB)を用いた液体クロマトグラフィー-質量分析法(LC/MS)による、化粧品分析への適用範囲と汎用的分析条件が見い出されている。

 第3章において、大気圧化学イオン化法(atmospheric pressure chemical ionization,APCI)を用いるLC/MSにより、ひまし油及び硬化ひまし油中の微量の遊離脂肪酸の簡便、迅速かつ選択性の高い定量法が開発された。

 第4章ではカビの一種である菌株FO-3182の培養液にメラニン生成抑制効果が見い出され、活性物質の単離、構造解析が行われた。

 第5章では化粧品に用いる合成高分子の構造解析について記述されている。マトリックス支援レーザー脱離イオン化飛行時間型質量分析法(matrix-assisted laser desorption ionization time-of-flight mass spectrometry,MALDI-TOF-MS)により、分子量分布を持つ複雑なシリコンコポリマーの解析を行った初めての研究である。過塩素酸ナトリウムをカチオンドナーとして添加する方法を見出し、すべてのピークをナトリウム付加イオンとし、妨害ピークを含まない、ピークの帰属および解析が可能なスペクトルを得た。この方法により、シリコンコポリマー中のそれぞれの高分子種の詳細な構造情報を得ることが出来たので、製法の推定やブロック構造が解明された。

 第6章から第8章は、高分子量を有する蛋白質、ペプチドの構造解析に関する研究結果が記述されている。第6章では、アスパラギニルエンドペプチターゼ(Asn-EP)の特性を調べ、ペプチドマッピング用の酵素の選択肢を拡げることに成功した。

 第7章では、単独のイオン化では得られる情報に制限があるので、FABとMALDIを相補的に用いる複合質量分析法という概念が提出された。この複合質量分析法は、蛋白質やペプチドの構造解析に有用であることが分り、スナバエ由来の血管拡張性組み換えペプチドMaxadilanの推定一次配列の確認とジスルフィド結合の位置の決定が行われた。

 第8章ではFABとMALDIの欠点を補い、FABとMALDIを相補的に用いる蛋白、ペプチドの複合質量分析法に更に液体クロマトグラフィー-エレクトロスプレーイオン化質量分析法(LC/ESI-MS)を組み合わせて、その有用性が示された。

 以上のように、本論文では、これまで困難であった難揮発性や熱不安定性の化粧品関連活性物質の定量および構造解析を行うため、適切なイオン化法を選択し、最適化を行うことによって、広範囲の有機化合物に対して適用可能の新しい質量分析法が開発された。さらに、高分子量を有する蛋白質の質量分析法による構造解析においても、蛋白質切断に用いる酵素として新しい酵素が適用された。これにより、ペプチドマッピング用の酵素の選択肢を拡げることに成功した。ペプチド混合物などに適用した際に起こる、イオン化抑制による未検出を補う方法として、FAB、MALDIおよびESIを組み合わせた「複合質量分析法」の概念が提出された。その有用性を示す例として、遺伝子工学的に作られた血管拡張性組み換えペプチドのMaxadilanへ本法が適用された。このように、ペプチドマッピング法の改良、拡張を行い生物質量分析(Biological Mass Spectrometry)の分野に有用な知見がもたらされた。また、本研究の成果の中で、化粧品関連成分以外の分析に対しても応用できる有用な知見として、合成高分子の分野における、MALDI-TOF-MSを用いる新たな構造解析法が開発された。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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