学位論文要旨



No 214148
著者(漢字) 片岡,厚
著者(英字)
著者(カナ) カタオカ,ユタカ
標題(和) 木材細胞壁におけるセルロースミクロフィブリルと壁層の形成に関する動的解析
標題(洋)
報告番号 214148
報告番号 乙14148
学位授与日 1999.02.08
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第14148号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 岡野,健
 東京大学 教授 有馬,孝禮
 東京大学 教授 飯塚,尭介
 東京大学 助教授 空閑,重則
 東京大学 助教授 磯貝,明
内容要旨

 樹木をはじめとする植物組織の基本骨格をなすものは細胞壁であり、細胞壁の主成分はセルロースである。セルロースは、細胞表面の原形質膜と細胞壁の間隙において結晶化し、ミクロフィブリル(CMF)を形成して細胞壁に堆積するため、CMFを構成するセルロースの高次構造とCMFの堆積構造が細胞壁の基本構造を決定する。本研究は、木材細胞壁の形成過程において、セルロースの高次構造とCMFの堆積構造の変化を解析することにより、木材細胞壁の基本構造を明らかにするとともに、その基本構造が形成されるメカニズムを探求しようとしたものである。本研究で対象としたのは、針葉樹材の大半を占める仮道管の細胞壁である。仮道管の細胞壁は多層構造を有し、大別して細胞の拡大生長期に形成される薄層の一次壁(P)と、拡大停止後に形成される厚層の二次壁3層(S1、S2、S3)からなる。このことは、セルロースの結晶化とCMFの堆積が、一次壁と二次壁の形成時では物理化学的に異なる環境下で進行する可能性を示唆している。仮道管セルロースを含め、天然セルロースは、2種の結晶相I(三斜晶)とI(単斜晶)から成る複合結晶体であることが知られており、このうちI相は、結晶化中のセルロースに物理的ストレスが発生することにより形成されるstrain-inducedな結晶構造であると考えられている。したがって、一次壁と二次壁のセルロースの高次構造に差異が認められれば、それをもとに結晶化のメカニズムを探求することが可能となる。

 2章では、仮道管細胞壁の形成過程におけるセルロース高次構造の変化を、顕微FT-IR法により解析した。セルロース分析におけるFT-IR法の有利な点は、電子回折法と異なり試料に損傷を与えないこと、X線法、NMR法に比べごく少量の試料で分析できることである。加えて顕微装置を用いることにより、微小領域におけるセルロース分析が可能となった。図1aに示すように、ヒノキ(Chamaecyparis obtusa)、スギ(Cryptomeria japonica)の分化中木部からまさ目切片を得て、細胞壁の形成段階順にセルロースを分析した結果、(1)一次壁セルロース(P)がIに富み、I:I=約50:50であるのに対し、二次壁セルロースはIを主体とし、細胞壁壁層全体の完成後には(P+S1+S2+S3)、I:I=約20:80となること(図2)、(2)一次壁セルロース(P)の結晶化度が約70%であるのに対し、細胞壁の完成後(P+S1+S2+S3)には約60%と低下すること(図3)、(3)一次壁セルロースの分子鎖が、主として仮道管軸に垂直方向(細胞の拡大方向)に配向するのに対し、完成後の細胞壁では主として軸方向へ配向することを明らかにした。

図1 仮道管細胞壁の形成段階別にセルロースを分析するための試料作成法。分化中の仮道管は、形成層から成熟木部まで、細胞壁の形成段階順に整列する。説明本文参照。図2 ヒノキ仮道管細胞壁形成中のセルロースI分率(I/I+I)の変化。左軸は、IR法によるI分率のindexを、右軸はNMR法により定まるI分率に換算した値を示す。説明本文参照。図3 ヒノキ仮道管細胞壁形成中のセルロース結晶化度の変化。左軸は、IR法による結晶化度indexを、右軸はX線法結晶化度に換算した値を示す。説明本文参照。

 結晶形と結晶化度が同時に変化したことから、一次壁と二次壁のセルロースが結晶化する過程において、分子鎖が集合し、CMFを形成するためのdriving forceが異なると考えられる。一次壁セルロースが比較的Iに富み、高結晶性であったことは、その結晶化中に、分子鎖を延伸するような物理力が作用した可能性を示唆している。ここで想定したのは高分子ゲルの延伸結晶化と同様のメカニズムである。ポリエチレンゲルの延伸結晶化においても、結晶化度が高まるとともにstrain-inducedな三斜晶が現れることが知られている。一次壁セルロースが結晶化する際のストレスの起源についてはなお不明であるが、一次壁形成時には細胞が拡大生長するため、セルロースの結晶化が進行する原形質膜と細胞壁の間隙にひずみが生じる可能性があること、さらに一次壁のセルロース分子鎖が細胞の拡大方向に配向していたことを考慮して、ストレスの起源を細胞の拡大生長に帰するモデルを仮説として提示した(図4)。

図4 仮道管セルロース結晶化の2つのモデル(仮説)。一次壁形成時には、原形質膜が表面拡大する一方で細胞壁は引張されるため、中間相のセルロース分子はストレスを受けやすく、aとbの状態を繰り返しながら結晶化する。二次壁のセルロースは主としてbの状態で結晶化する。

 3章では、前章で示された一次壁から二次壁へのセルロース結晶形の変化を確認するため、X線回折法を用いた。ヒノキ木部分化帯から板目切片を得て(図1b)、X線ディフラクトメトリーにより結晶面間隔の変化を解析したところ、一次壁から二次壁へIが相対的に減少することを示唆する結果が得られた。前章の顕微FT-IR分析においては、仮道管の放射壁に垂直にIR光を透過させた結果(図1a)、光路に平行な接線壁は厚すぎて透過光として検出されず、接線壁に関する情報は得られなかったが、X線回折においては、接線壁・放射壁の区別なくセルロースの結晶形を解析できたと考えられる。

 4章では、CMFが仮道管細胞壁に堆積する際の集合状態、配列を原子間力顕微鏡(AFM)で3次元解析し、一次壁セルロースの結晶化に作用したと考えられる物理的ストレスが、CMFの堆積構造にどのような影響を与えうるのかを考察した。AFM解析は、試料乾燥の際に生ずるアーティファクトを防ぐため、未乾燥のヒノキ仮道管細胞壁を水中で観察することにより行なった。図5において、一次壁の内表面に堆積した直後と考えられるCMF(P)は、あまり凝集せず、細胞の拡大方向に平行に並んで薄いラメラ(薄層)を形成していた。一方、二次壁内表面のCMF(S1、S1→S2、S2)は、一次壁のCMFに比べて巨大な束状の凝集体となり、厚いラメラを形成していた。この結果は、CMFが堆積する際の物理化学的な環境が両壁形成時で異なるため、一次壁のCMFが二次壁のCMFのように自己凝集できないことを示唆している。2章で提案した仮説に基づけば、結晶化中の一次壁セルロースに対する分子鎖方向の延伸力が、結晶化後のCMFにも作用したとして理解することができる。

図5 ヒノキ仮道管壁内表面の液中モードAFM像および各像の実線における断面プロファイル。二頭矢印に平行なCMFから成るラメラが単頭矢印に平行なラメラの上に堆積したと理解できる。各像右の両矢印は仮道管軸を、左下の両矢印はAFMスキャンの方向を示す。

 5章では、仮道管二次壁内表面に堆積するCMFの配向角度を、透過型電子顕微鏡(TEM)により測定し、二次壁形成時にCMFの配向がどのように変化するのかを解析した。ヒノキ、スギ、アカマツ(Pinus densiflora)についての解析結果から、CMFの配向が、S1からS2までは仮道管内こうからみて時計回りに、S2からS3までは反時計回りにほぼ一定の角度で規則正しく変化することを明らかにした(図6)。このカイラルネマティック液晶類似のCMF回転構造は、仮道管以外の種々の植物細胞壁にも認められており、中間相のセルロース分子あるいは形成直後のCMFが、自らあるいは他の多糖類との相互作用によって形成した構造であると考えられている。この考えに基づけば、二次壁におけるCMFの堆積は比較的ストレスを欠く環境下で進行するため、4章で示されたCMFの自己凝集に加え、カイラルネマティックなCMF構造が形成されるとして理解することができる。

図6 仮道管二次壁におけるCMF配向変化の模式図。CMFの配向は、S1からS2までは仮道管内こうからみて時計回りに、S2からS3までは反時計回りに、20から30度の角度で規則正しく回転する(黒矢印)。典型3層(S1、S2、S3)を形成する間は、CMF配向が正・反転を繰り返すために、壁層が肥厚する(白抜き矢印)。説明本文参照。

 6章では、以上の結果をもとに、CMFの形成から細胞壁の骨格形成に至るまでのメカニズムに関するモデルを仮説として提示した。一次壁セルロースが、細胞拡大に伴う延伸ストレスを受け、strain-inducedな結晶構造Iをとることに始まる細胞壁骨格構築モデルと、ストレスをあまり受けずに自発的にIが結晶化することから始まる二次壁骨格形成のモデルである。

審査要旨

 本論文は、針葉樹仮道管の分化・成熟過程における細胞壁のセルロースの高次構造とセルロースミクロフィブリルの堆積構造を解析することにより、細胞壁の基本構造を明らかにするとともに、その基本構造が形成されるメカニズムを追求したものである。論文は6章から成り立っている。

 第2章では、仮道管細胞壁の形成過程におけるセルロース高次構造の変化を、顕微FT-IR法により解析した。ヒノキ(Chamaecyparis obtusa)、スギ(Cryptomeria japonica)の分化中木部からまさ目切片を得て、細胞壁の形成段階順にセルロースを分析して、以下のことを明らかにした。(1)一次壁(P)セルロースがIに富み、I:I=約50:50であるのに対し、二次壁(S)セルロースはIを主体とし、細胞壁壁層の完成時にはI:I=約20:80である。(2)一次壁セルロースの結晶化度が約70%であるのに対し、細胞壁の完成後には約60%と低下する。(3)一次壁セルロースの分子鎖が、主として仮道管軸に垂直方向(細胞の拡大方向)に配向するのに対し、完成後の細胞壁では主として軸方向へ配向する。

 結晶形と結晶化度が同時に変化したことから、一次壁と二次壁ではセルロースが結晶化する機構に差異があり、一次壁セルロースが比較的Iに富み、高結晶性であることは、その結晶化中に、分子鎖を延伸するような物理力が作用したと考えた。その力は、一次壁形成時の細胞拡大生長に伴う原形質膜と細胞壁間の歪みによるとした。

 第3章では、前章で示された一次壁から二次壁へのセルロース結晶形の変化についてX線回折法を用いて検討した。すなわち、ヒノキ木部分化帯から板目切片を得て、X線ディフラクトメトリーにより結晶面間隔の変化を解析し、一次壁から二次壁へIが相対的に減少することを示唆する結果を得た。

 4章では、セルロースミクロフィブリルが仮道管細胞壁に堆積する際の集合状態、配列を水中で原子間力顕微鏡で3次元解析し、一次壁と2次壁との違いを比較してセルロースの結晶化に作用したと考えられる物理的ストレスについて考察した。一次壁の内表面に堆積直後のセルロースミクロフィブリルは、あまり凝集せず、細胞の拡大方向に平行に並んで薄いラメラ(薄層)を形成していた。一方、二次壁内表面のセルロースミクロフィブリルは、束状の凝集体となり、厚いラメラを形成していた。一次壁では、結晶化中のセルロースミクロフィブリルに分子鎖方向の延伸力が作用する結果、二次壁のように凝集できないと解釈した。

 5章では、仮道管二次壁内表面に堆積するセルロースミクロフィブリルの配向角度を、透過型電子顕微鏡により測定し、二次壁形成時にセルロースミクロフィブリルの配向がどのように変化するのかを解析した。ヒノキ、スギ、アカマツ(Pinus densiflora)についての解析結果から、セルロースミクロフィブリルの配向が、二次壁外層(S1)から二次壁中層(S2)までは仮道管内腔からみて時計回りに、S2から二次壁内層(S3)までは反時計回りにほぼ一定の角度で規則正しく変化することを明らかにした。このカイラルネマティック液晶類似の回転構造は、種々の植物細胞壁にも認められており、中間相のセルロース分子あるいは形成直後のセルロースミクロフィブリルが、自らあるいは他の多糖類との相互作用によって形成した構造であると考えられる。

 6章では、以上の結果をもとに、セルロースミクロフィブリルから細胞壁の骨格に至る形成機構のモデルを提示した。

 以上、本研究は木材細胞壁の形成について電子顕微鏡、X線回折、顕微赤外、固体NMR、原子間力顕微鏡などを活用して組織的に検討し、セルロースミクロフィブリルの2相性の説明を試みるとともに壁層の堆積構造を明らかにした。このことは、学術上、応用上寄与するところが少なくない。よって審査員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/51106