学位論文要旨



No 214150
著者(漢字) 佐見,学
著者(英字)
著者(カナ) サミ,マナブ
標題(和) ビール混濁乳酸菌Lactobacillus brevisのホップ耐性に関する研究
標題(洋)
報告番号 214150
報告番号 乙14150
学位授与日 1999.02.08
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第14150号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 依田,幸司
 東京大学 教授 五十嵐,泰夫
 東京大学 教授 北本,勝ひこ
 東京大学 教授 堀之内,末治
 東京大学 助教授 片岡,宏誌
内容要旨

 ビールは抗菌活性をもつホップ成分を含んでいることから、微生物の生育抑制効果を有している。しかし、Lactobacillus属菌の一部の株はホップ耐性を有することから、ビール中で生育し、混濁や香味の著しい劣化をもたらす。現在60数種を数える多様なLactobacillus属菌のうち、10数種がビール混濁に関与していることが報告されているが、これらの種には分類学上の共通性は認められていない。近年、ビールはその新鮮さが重視されるようになったことから、製品を製造してから出荷までの時間が極端に短縮されてきている。そのため、ビール製造工程中、Lactobacillus属細菌が検出された場合、その菌がビール混濁性をもつかどうかを迅速に判定する必要がある。現在、ビール混濁性の判定法としては、ビールあるいはホップを添加した培地に菌を接種し生育を見る方法や、分類学的手法により、ビール混濁性を予測しようとする方法が数多く検討されてきた。しかし、前者は迅速性、後者は信頼性の点で問題が残されている。そのため、迅速、なおかつ直接的にビール混濁性を判定できる方法の開発が強く望まれている。そこで、本研究ではまず、ビール混濁乳酸菌のホップ耐性機構について検討し、その結果を基にビール混濁判定法の開発を試みた。

 最初に、ビール工場から分離したL.brevis ABBC45を培地中のホップ濃度を徐々に増加させ、培養を繰り返すことにより、ホップに対するMICが増加した株を得た。このホップ馴化株と野生株の性質を比較した結果、ホップ馴化株は15.0kbpの新規プラスミドpRH45のコピー数が増加した株であることが明らかとなった。そこでpRH45の全塩基配列を決定したところ、ヒトのガン細胞で高発現し多剤耐性を担うmdr遺伝子、およびLactococcus lactisから最近得られた多剤耐性遺伝子、lmrAに類似した新規遺伝子horA(1749bp)が存在することを明らかにした。lmrAは原核生物で初めて分離されたATP依存型の多剤耐性遺伝子であることから、抗ガン剤耐性のモデルとしての応用が期待されている。この意味からも、horAの機能解析は興味深い課題であると思われる。

 次に、pRH45の機能を解析するために、L.brevis ABBC45のpRH45キュアリング株を取得した。キュアリング株は、野生株と比較して、ホップ耐性が低下していることが判った。また、キュアリング株にpRH45を再導入したところホップ耐性は野生株のレベルまで上昇することを確認した。一方、キュアリング株はエチジウムブロマイドに対する耐性も低下しており、エチジウムブロマイドの菌体外排出能が低下していることが示された。さらに、ウェスタン解析によりHorAタンパク質が野生株では発現していることが確認されたが、キュアリング株では検出されなかった。これらの結果からL.brevis ABBC45のホップ耐性の一端は、pRH45によって担われていることが示された。またその耐性メカニズムは、pRH45由来の多剤耐性タンパク質、HorAの排出ポンプ機能によるものではないかと推察された。

 以上の結果を踏まえて、horA遺伝子の配列に特異的なプライマーによるPolymerase Chain Reaction(PCR)を、当社分離乳酸菌95株について行った。その結果、horAに特異的なDNA断片の増幅により、horAホモログの有無を確かめることで、それぞれの株のビール混濁性を迅速に判定できる(horA-PCR法と命名)ことが明らかとなった。この方法の開発によって、Lactobacillus属細菌のビール混濁性判定を飛躍的に迅速化することに成功した。

 一方、本方法において偽陰性すなわちビール混濁性をもっているにもかかわらずhorAホモログを有していない株が一株存在した。このことから、今回、第二のホップ耐性機構が存在する可能性も示されたものと思われる。しかし、前述の通り大部分の株のhorAホモログの有無とビール混濁性が一致するという事実から、horAはその耐性発現が明確に示されてはいないものの、ホップ耐性の一端を担う最も重要な因子であるといえる。

 これまでのビール醸造の長い歴史において、混濁乳酸菌のホップ耐性に関し、遺伝子レベルにまで踏み込んだ成果が全く挙げられていなかった。本研究の成果によって、その第一歩を踏み出せたもの考えられる。

審査要旨

 ビールに加えられるホップは、爽快な味と香りを与えるのみならず、イソフムロンなどのホップ成分イソ--酸が抗菌活性をもつことから、ビールを微生物による変敗から守っている。しかし、Lactobacillus属などの一部の菌株はこれに対する抵抗性をもち、時にビール製品中に混入して混濁と香味の著しい劣化を起こす。これらの菌株は分類学上の特定の種に限られるものでなく、耐性化機構の学問的解明とそれに基づいた混入菌株の危険性の迅速な判定法の開発が望まれている。本論文は、Lactobacillus属菌株においてホップ耐性に関与するプラスミドを発見し、耐性に関わる遺伝子の解析、及びそれに基づいた危険菌株判別法の開発についての研究をまとめたもので、本文は5章からなっている。

 研究の背景と意義を述べた第1章に続き、第2章では、ビール製造現場から分離されたLactobacillus brevis ABBC45株のホップ耐性馴化に関する検討を行った。野生型株はイソ--酸換算約200Mまでのホップに耐性を示すが、順次高濃度のイソ化ホップエキスを含む培地に植え継ぐと、1000Mにまで耐性を示すようになった。種々の薬剤に対する耐性を調べたところethidium bromideで最少生育阻止濃度(MIC)が約2倍になっていた。ホップへの馴化前後の菌体成分を比較して調べた結果、この株が保持しているプラスミドのうち1つのコピー数が馴化後顕著に増加していることを見いだした。これをpRH45と命名して分離し、部分断片を大腸菌ベクターにクローン化して、15,014塩基対の全塩基配列を決定した。この配列中には150アミノ酸以上のオープンリーディングフレームが6つ見られるが、ORF1は多剤耐性蛋白質と、ORF3はDNA複製に関わるRepA蛋白質との相同性が認められた。

 583アミノ酸からなるORF1は、ATP-binding cassette(ABC)に特有なWalker motif A,B及びlinker peptide配列と6回膜貫通すると考えられる疎水性領域をもつ。ごく最近乳酸球菌Lactococcus lactisで発見された591アミノ酸の多剤耐性トランスポーター蛋白質LmrAと53%の配列が一致し、またヒトのガン細胞で有名な多剤耐性トランスポーターP糖蛋白質の2つの類似反復配列のN末端側と29%、C末端側と31%配列が一致していた。本蛋白質がホップの菌体外排出によるホップ耐性に関与している可能性が極めて高いと予想されたので、HorA(Hop resistance A)と命名した。

 第3章では、pRH45とホップ耐性の関係を証明するため、プラスミド除去株の分離を行った。ABBC45株を薬剤を含まない培地で30回植え継ぎを行ったのち、純粋分離したコロニーからDNAを調製してアガロースゲル電気泳動でプラスミドを調べ、pRH45のバンドがみられない株を得た。さらにhorA及びori配列特異的なプライマーを用いたPCRによって、プラスミドが失われていることを確認した。このpRH45除去株に、クロラムフェニコール耐性プラスミドとpRH45を混ぜてエレクトロポレーションを行うことにより、pRH45を再導入した株を得ることにも成功した。pRH45除去株はホップ及びethidium bromideに対するMICが約半分に低下し、再導入株ではともに野生型と同じに戻った。ウサギ抗HorA蛋白質抗体によるウエスタンプロットにより、HorA蛋白質は膜画分に存在すること、pRH45除去株では検出されないことを明らかにした。蛍光を利用してethidium bromideの細胞内透過性を測定したところ、pRH45除去株では保持株よりもethidium bromideの細胞内濃度の上昇率及び到達濃度が高かった。pRH45保持株では、ホップの存在によりethidium bromideの細胞内濃度上昇が促進され、pRH45除去株と同じようになった。このことは、HorA蛋白質がトランスポーターとしてホップとethidium bromideを細胞外に排出することによりpRH45保持株が両薬剤に耐性化していることを示唆している。

 第4章では、ビール製造現場から分離された95株のLactobacillus属細菌について、horAと相同性のあるDNA配列をもつか否かをhorA特異的プライマーによるPCRで検討した。95株中の60株がビールで生育したが、そのうち59株でhorA相同配列の増幅が認められた。一方、ビールに生育しない35株からは、2株で増幅が認められたのみであった。即ち、このPCRによりビールで生育する株を97%の正答率で即日判定することが可能である。従来の生育を指標にした検定法では1〜4週間かかっているので、大幅な時間的改善が可能になった。

 第5章の総括では、本研究のまとめとその成果の意義、今後の研究・応用への提言などが論じられている。

 以上、本論文は、ビール汚染の原因となるホップ耐性Lactobacillus属細菌について、耐性に関わるプラスミドを見いだしてその遺伝子産物を明らかにし、それに基づく汚染菌株の判定法を開発するなど、学術上応用上寄与するところが少なくない。よって、審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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