ビールに加えられるホップは、爽快な味と香りを与えるのみならず、イソフムロンなどのホップ成分イソ--酸が抗菌活性をもつことから、ビールを微生物による変敗から守っている。しかし、Lactobacillus属などの一部の菌株はこれに対する抵抗性をもち、時にビール製品中に混入して混濁と香味の著しい劣化を起こす。これらの菌株は分類学上の特定の種に限られるものでなく、耐性化機構の学問的解明とそれに基づいた混入菌株の危険性の迅速な判定法の開発が望まれている。本論文は、Lactobacillus属菌株においてホップ耐性に関与するプラスミドを発見し、耐性に関わる遺伝子の解析、及びそれに基づいた危険菌株判別法の開発についての研究をまとめたもので、本文は5章からなっている。 研究の背景と意義を述べた第1章に続き、第2章では、ビール製造現場から分離されたLactobacillus brevis ABBC45株のホップ耐性馴化に関する検討を行った。野生型株はイソ--酸換算約200Mまでのホップに耐性を示すが、順次高濃度のイソ化ホップエキスを含む培地に植え継ぐと、1000Mにまで耐性を示すようになった。種々の薬剤に対する耐性を調べたところethidium bromideで最少生育阻止濃度(MIC)が約2倍になっていた。ホップへの馴化前後の菌体成分を比較して調べた結果、この株が保持しているプラスミドのうち1つのコピー数が馴化後顕著に増加していることを見いだした。これをpRH45と命名して分離し、部分断片を大腸菌ベクターにクローン化して、15,014塩基対の全塩基配列を決定した。この配列中には150アミノ酸以上のオープンリーディングフレームが6つ見られるが、ORF1は多剤耐性蛋白質と、ORF3はDNA複製に関わるRepA蛋白質との相同性が認められた。 583アミノ酸からなるORF1は、ATP-binding cassette(ABC)に特有なWalker motif A,B及びlinker peptide配列と6回膜貫通すると考えられる疎水性領域をもつ。ごく最近乳酸球菌Lactococcus lactisで発見された591アミノ酸の多剤耐性トランスポーター蛋白質LmrAと53%の配列が一致し、またヒトのガン細胞で有名な多剤耐性トランスポーターP糖蛋白質の2つの類似反復配列のN末端側と29%、C末端側と31%配列が一致していた。本蛋白質がホップの菌体外排出によるホップ耐性に関与している可能性が極めて高いと予想されたので、HorA(Hop resistance A)と命名した。 第3章では、pRH45とホップ耐性の関係を証明するため、プラスミド除去株の分離を行った。ABBC45株を薬剤を含まない培地で30回植え継ぎを行ったのち、純粋分離したコロニーからDNAを調製してアガロースゲル電気泳動でプラスミドを調べ、pRH45のバンドがみられない株を得た。さらにhorA及びori配列特異的なプライマーを用いたPCRによって、プラスミドが失われていることを確認した。このpRH45除去株に、クロラムフェニコール耐性プラスミドとpRH45を混ぜてエレクトロポレーションを行うことにより、pRH45を再導入した株を得ることにも成功した。pRH45除去株はホップ及びethidium bromideに対するMICが約半分に低下し、再導入株ではともに野生型と同じに戻った。ウサギ抗HorA蛋白質抗体によるウエスタンプロットにより、HorA蛋白質は膜画分に存在すること、pRH45除去株では検出されないことを明らかにした。蛍光を利用してethidium bromideの細胞内透過性を測定したところ、pRH45除去株では保持株よりもethidium bromideの細胞内濃度の上昇率及び到達濃度が高かった。pRH45保持株では、ホップの存在によりethidium bromideの細胞内濃度上昇が促進され、pRH45除去株と同じようになった。このことは、HorA蛋白質がトランスポーターとしてホップとethidium bromideを細胞外に排出することによりpRH45保持株が両薬剤に耐性化していることを示唆している。 第4章では、ビール製造現場から分離された95株のLactobacillus属細菌について、horAと相同性のあるDNA配列をもつか否かをhorA特異的プライマーによるPCRで検討した。95株中の60株がビールで生育したが、そのうち59株でhorA相同配列の増幅が認められた。一方、ビールに生育しない35株からは、2株で増幅が認められたのみであった。即ち、このPCRによりビールで生育する株を97%の正答率で即日判定することが可能である。従来の生育を指標にした検定法では1〜4週間かかっているので、大幅な時間的改善が可能になった。 第5章の総括では、本研究のまとめとその成果の意義、今後の研究・応用への提言などが論じられている。 以上、本論文は、ビール汚染の原因となるホップ耐性Lactobacillus属細菌について、耐性に関わるプラスミドを見いだしてその遺伝子産物を明らかにし、それに基づく汚染菌株の判定法を開発するなど、学術上応用上寄与するところが少なくない。よって、審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。 |