学位論文要旨



No 214151
著者(漢字) 森,哲子
著者(英字)
著者(カナ) モリ,アキコ
標題(和) C型肝炎ウイルスがコードするNS3セリンプロテアーゼに関する研究
標題(洋)
報告番号 214151
報告番号 乙14151
学位授与日 1999.02.08
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第14151号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 田之倉,優
 東京大学 教授 鈴木,紘一
 東京大学 教授 上野川,修一
 東京大学 助教授 室伏,擴
 東京大学 助教授 宮脇,長人
内容要旨

 C型肝炎ウイルス(HCV)は主に輸血を介して感染し、いったん感染すると被感染者の免疫監視機構から逃れて慢性的に持続感染する。慢性肝炎状態が長期にわたり持続すると、徐々に肝硬変、肝ガンへと進行することから、我が国でも社会的に問題視されているウイルスである。1988年にHCVのゲノムRNAが単離され、その分子としての姿が明らかにされて以来、ウイルスの性質・感染増殖メカニズムなどの解明に向けた努力が精力的に行われてきた。実際この10年の間に、ウイルス蛋白質がプロセッシングされてウイルスとして成熟していく過程の機構、各ウイルス蛋白質の機能やウイルス蛋白質同志の相互作用など、着実にウイルスの性質についての情報が蓄積されてきている。その一方で、HCVの"感染・増殖能が弱い"という独特の性質のために未だ効率の良いin vitro感染増殖系が確立されておらず、それがHCV研究の進展を阻む要因となっている。

 C型肝炎の治療に用いられる有効な薬剤は今のところインターフェロンしかないというのが現状である。しかもインターフェロンにより完全にウイルスを排除できるのは患者の約3割程度と言われていおり、新たな治療薬が強く求められている。そういった現状をふまえ、我々は新しい抗HCV剤の開発に着手した。HCVは一本鎖の+鎖RNAウイルスであり、3010アミノ酸から成る長いポリプロテイン前駆体として翻訳された後に、自身がコードするプロテアーゼで前駆体蛋白質を切断し、ウイルスとして成熟する(図1)。その過程を阻害することでウイルスの増殖を止めることができるのではないかと考え、NS3セリンプロテアーゼにターゲットを絞って研究を開始した。

図1 HCVのゲノム構造1)NS3プロテアーゼ遺伝子の単離と変異解析1-1)大腸菌菌体内でのプロテアーゼ活性検出系の確立

 クローニングしたNS3プロテアーゼcDNAの活性の有無を容易に検出できるように、大腸菌菌体内での活性検出系の確立に取り組んだ。まず、マルトース結合蛋白質とproteinAの間にNS5A/5B切断配列を挟み込んだ組み換え基質の発現ベクターを構築した(図2)。この基質発現ベクター(アンピシリン耐性マーカー)と、活性型のNS3プロテアーゼ遺伝子を組み込んだ発現ベクター(カナマイシン耐性マーカー)とを同時に大腸菌内に導入し、カナマイシン・アンピシリン添加培地で培養して両方のベクターを持つ大腸菌を選択した。選択した大腸菌に対してIPTGによる蛋白質発現誘導を行った後、proteinAに対するWestern blottingを行ったところ、一本の低分子化したproteinAのバンドが検出され、NS3プロテアーゼが菌体内で基質蛋白質をNS5A/5B切断配列の1ヶ所で特異的に切断することがわかった。この方法により、プロテアーゼ活性を容易にモニターすることができるようになった。

図2 組み換え基質の構造
1-2)NS3プロテアーゼcDNAのクローニングと不活性クローンの変異解析

 まず、慢性C型肝炎患者NおよびUの血清からRT-PCRでNS3プロテアーゼ領域のcDNAを増幅した。その断片を前項で用いた酵素発現ベクターに組み込み、遺伝子配列を決定する一方で、基質発現ベクターと同時に大腸菌に導入してプロテアーゼ活性を調べた。その結果、N血清由来17クローンのうちN-A1とN-A3、U血清由来9クローンのうちU-2がプロテアーゼ活性を失っていることがわかった。また、クローンMKC2は以前にin vitro translationの系でプロテアーゼが失活していることが示されていたが、これについても大腸菌菌体内アッセイ系で切断活性が観察されないことを確認した。

 配列解析の結果、N-A1は1bp欠失によりストップコドンが生じていること、U-2は活性中心を形成するH1083がロイシンに変異していることが明らかになり、それらが失活の原因と考えられた。一方、N-A3とMKC2については活性型クローンとのアミノ酸配列の比較により、それぞれR1135G、P1168Tの変異が原因と推定された。そこでそれらの変異を修正して活性を調べたところ、各クローンで活性の回復がみられ、予想したアミノ酸の変異が活性消失の原因であることが証明された(図3)。

図3 患者血清より単離したNS3プロテアーゼ不活性クローンの変異解析。(A)各不活性型酵素で見いだされた変異。(B)変異の修正によるNS3プロテアーゼ活性の回復。1-1)で確立した大腸菌菌体内での活性測定を行った。下部に、抗NS3抗体を用いたWestern blottingの結果を示した。クローンN-A1以外はNS3プロテアーゼがきちんと発現していることが確認された。
2)組み換えHCV NS3プロテアーゼの精製と生化学的解析2-1)NS3プロテアーゼのin vitro酵素活性測定系の構築

 患者より取得したNS3プロテアーゼクローンD51、および1-1)で用いた組み換え基質を大腸菌にて大量発現させた。融合タグを利用したアフィニティー精製により(酵素の場合はHisタグを利用したキレートカラム、基質の場合はproteinAを利用したIgGカラム)、酵素・基質とも精製標品を大量にかつ容易に調製できるようになった。それらを用いて、in vitroでNS3プロテアーゼによる切断活性を検出することに成功した。

2-2)精製酵素の速度論的解析

 NS3蛋白質はアミノ酸番号1027-1656の領域からなり、NS3プロテアーゼがN末側、ヘリカーゼがC末側にコードされている。NS3プロテアーゼの切断活性は、領域1050-1214だけで観察されるが、そのN末側の配列1027-1049の有無による酵素活性の違いを調べるために、その領域を持つ酵素と持たない酵素を調製してそれぞれについて速度論的解析を行った。基質としては、NS5A/5B切断部位に相当する20残基のペプチドH-GLを用いた。その結果、NS3のN末端配列の存在はk0にはほとんど影響を与えないのに対しKmに対してはその値を大幅に減少させ、酵素反応の効率を上げることが明らかとなった(表1)。また、ヘリカーゼ領域を持つ全長NS3の場合はk0が極端に低く、in vitro酵素アッセイ系においてはヘリカーゼ領域が負の作用を及ぼすことがわかった。

表1 ペプチド基質H-GLを用いたkinetic parameters[mean±S.D.(n=3)]

 一方、培養細胞発現系を利用した解析によりNS4A蛋白質がNS3のN末端配列を介してプロテアーゼを活性化することが報告されていることから、それぞれの精製酵素に対してin vitro活性測定系に各種濃度のNS4Aペプチドを添加し、kinetic parametersの変化を調べた。その結果、どの酵素もk0は1〜2倍しか増加しないのに対し、Km値が大幅に低下することがわかった[NS3(1050-1214):3.9mM→0.16mM、NS3(1027-1214):0.3mM→0.14mM、NS3(1027-1656):0.91mM→0.03mM]。このことは、Km値が低下した結果として酵素の反応速度が上昇することを意味している。また、N末配列を持たないNS3(1050-1214)でもNS4Aによる活性化が観察され、NS4A蛋白質がNS3のN末端配列以外の酵素領域とも相互作用しうることが示された。

2-3)プロテアーゼ阻害剤に対する感受性についての解析

 NS3のN末領域を欠いた酵素NS3(1050-1214)を用いて各種プロテアーゼ阻害剤の効果を調べたところ、配列から予測されたとおり、セリンプロテアーゼ阻害剤に感受性を示す結果となった。また、興味深いことにメタルプロテアーゼ阻害剤であるキレート剤(EDTA、1,10-Phenanthroline)が強力に活性を阻害することが明らかとなった(表2)。一方、NS3のN末配列を持つ酵素に対してこれらキレート剤の作用を調べてみたところ、1,10-Phenanthrolineについては阻害有効濃度が上昇し、特にEDTAの場合阻害効果がほとんどなくなってしまうことがわかった(図4)。本プロテアーゼは、分子の構造を保つ上で重要な亜鉛イオンを1分子含むことが最近明らかにされた。NS3(1050-1214)に対するキレート剤の阻害活性がその金属イオンに対する作用だと仮定すると、NS3のN末領域が存在する酵素では、亜鉛結合部位が安定化されてキレート剤が作用できず、阻害が観察されなくなると解釈できる。ただし、EGTAでは阻害作用がみられないという矛盾もあり、キレート剤による阻害メカニズムについてはさらなる解析が望まれる。

表2 NS3(1050-1214)に対する各種プロテアーゼ阻害剤の効果。図2に示した蛋白性基質を用いて評価した結果を示す。図4 各精製酵素に対するキレート剤の阻害作用。領域の異なる各酵素NS3(1050-1214)(●)、NS3(1027-1214)(○)、NS3(1027-1243)(□)、NS3(1027-1656)(△)を、各濃度の阻害剤と混合した後、0.3mMのペプチド基質H-GLを添加して酵素活性を測定した。(A)EDTA、(B)1,10-Phenanthroline
審査要旨

 本論文は、C型肝炎治療薬の開発をめざしたウイルスプロテアーゼの生化学的解析に関するもので、3部よりなる。C型肝炎ウイルスは輸血により感染し、慢性肝炎から高い比率で肝硬変・肝癌へと移行することから、社会的に問題視されている疾患である。感染予防面では、ワクチンの開発は難航しているものの、輸血用血液の検査法が開発されて新たな感染者を激減させることに成功している。一方、治療面では未だ有効な治療薬がインターフェロンしかなく、それも副作用が強くかつ約3割にしか有効でないのが現状である。そこで著者らは、ウイルスの増殖過程で機能するNS3プロテアーゼの活性を阻害するというコンセプトでの治療薬開発をめざして、本プロテアーゼ遺伝子の単離および酵素の生化学的解析を行った。

 序論では、研究の背景、研究の目的と論文の構成を述べている。

 第1部は2章から構成されているが、C型肝炎ウイルスが変異を起こしやすいことをふまえて、慢性C型肝炎患者の血清から複数のNS3プロテアーゼ遺伝子を単離し、その変異の解析を行った結果について述べている。第1章では、まずNS3プロテアーゼの活性を大腸菌菌体内で簡便に測定できる系を確立した。これは、maltose binding proteinとproteinAの間にNS3プロテアーゼの切断配列を挿入した組み換え蛋白質基質を、大腸菌内で酵素と共発現させることにより達成した。さらに、酵素領域の各種deletion mutantを構築して発現領域と活性との相関を調べ、プロテアーゼ活性を保持しうる蛋白質領域がVal1059〜Thr1204であることを示した。

 第1部・第2章では、慢性C型肝炎患者の血清よりNS3プロテアーゼ遺伝子を新たに複数単離し、遺伝子配列と活性の相関を調べた内容を述べている。第1章で確立した活性測定系を用いて、単離した30クローンのNS3プロテアーゼ(領域1027-1260)の活性を調べたところ、4クローンが不活性型であった。各クローンの配列解析の結果、患者の体内でウイルスのNS3プロテアーゼ領域に高頻度で変異が起こっていることが確認された(塩基の変異率は、患者N-1.18%、患者U-0.27%)。また、不活性クローンについては変異の解析を行い、それぞれの失活の原因がW1074→ストップコドン、His1083→Leu、Pro1168→Thr、Arg1135→Glyであることを明らかにした。

 第2部は3章から構成されており、NS3プロテアーゼクローンD51について、精製した酵素の生化学的な解析について述べている。第1章では、NS3プロテアーゼを大腸菌にて発現・精製し、in vitroでの活性を検出することに成功した。酵素の領域としては、第1部・第1章のdeletion解析により領域(1050-1214)の活性が強いことが示されたことからその領域を選択し、基質は第1部・第1章と同じものを用いた。

 第2部・第2章では、第1章で確立した活性測定系を用いて酵素の生化学的解析を行った。反応条件の至適化の過程で、本酵素活性測定系においては基質のP1/P2部位に存在するCys残基が隣同士でジスルフィド結合を形成しており、その結合をDTTによって還元しないと切断反応が起こらないことを見いだした。また、各種プロテアーゼ阻害剤の効果を調べたところ、セリンプロテアーゼ阻害剤以外に、システインプロテアーゼ阻害剤として知られるiodoacetamide(IAN)、およびメタルプロテアーゼ阻害剤であるキレート剤により活性阻害を受けることがわかった。IANに関しては、基質のP1/P2部位に存在するCys残基を不可逆的に修飾することで阻害作用が生じると考えられた。一方、キレート剤については、そのキレート作用を示す部位が活性阻害に関与していることが推察された。

 第2部・第3章では、NS3のN末配列(1027-1049)を保持した酵素を調製し、その性質を第1/2章で用いた酵素NS3(1050-1214)と比較して、NS3のN末配列が酵素活性に重要な役割を果たしていることを述べている。NS3(1027-1214)、NS3(1027-1243)、NS3(1027-1656)をそれぞれ発現・精製し、ペプチド基質に対する反応速度論的解析を行ったところ、NS3(1050-1214)と比較して反応速度定数koは変化しないのに対してミカエリス定数Kmの値が小さくなることが観察された。また、NS3のN末領域を保持した酵素はEDTAによる阻害を受けないことが判明し、酵素の構造の安定化が示唆された。さらに、NS3のN末配列と相互作用してプロテアーゼの活性を上昇させることが報告されていたNS4Aの部分ペプチドを酵素と共存させることにより、Kmの値がさらに小さくなることを示した。その効果はN末配列を欠失したNS3(1050-1214)に対しても同様に観察され、NS4Aは酵素本体とも相互作用することが示された。

 第3部では、第1部・第2部で得られた結果を構造の観点から考察している。近年報告されたX線結晶構造解析の結果(Kim,J.L.,et al.1996、Love,R.A.,et al.1996)と照らしあわせ、本研究で得られた結果の解釈・考察を述べている。そして最後に、残された課題と今後の展望について述べた。

 本研究により見出されたNS3プロテアーゼに関する新たな知見は、酵素活性測定系にフィードバックされ、現在阻害剤のスクリーニングに応用されている。新規なC型肝炎治療薬を開発するうえで、本研究で確立した活性測定系はきわめて有用な系である。

 以上本論文は、C型肝炎患者からNS3プロテアーゼ遺伝子を単離し、それを用いた阻害剤スクリーニング系を開発したものであって、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク