学位論文要旨



No 214154
著者(漢字) 増田,郁子
著者(英字)
著者(カナ) マスダ,イクコ
標題(和) 真菌類由来有用酵素の遺伝子解析と改良並びに生産性の向上に関する研究
標題(洋)
報告番号 214154
報告番号 乙14154
学位授与日 1999.02.08
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第14154号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 魚住,武司
 東京大学 教授 高木,正道
 東京大学 教授 依田,幸司
 東京大学 教授 北本,勝ひこ
 東京大学 助教授 正木,春彦
内容要旨

 本論文は、真菌由来の3つの有用酵素(Aspergillus niger由来-グルコシダーゼ、Coriolus versicolor由来ピラノースオキシダーゼ、Pleurotus ostreatus由来ビリルビンオキシダーゼ)の高生産株の育種と酵素の改良を、遺伝子工学的手法を用いて行った研究をまとめたものである。

1.Aspergillus niger由来-グルコシダーゼの高生産株の育種

 Aspergillus nigerの-グルコシダーゼは、オリゴ糖の生産のためにその大量生産株の作製が期待されている。また、-アミラーゼとグルコアミラーゼを用いてグルコースの生産を行う際には、-グルコシダーゼ欠損株が望まれている。これらの変異体を作製するために、すでに染色体遺伝子が4.3kbのSphI断片としてクローン化され、その塩基配列が部分的に決定されていた。

 このSphI断片ならびにその3’側660bpの全塩基配列を決定し、アミノ酸配列に翻訳して、既報のA.niger -グルコシダーゼの全アミノ酸配列(Kimura et al.Biosci.Biotech.Biochem.56,1368-1370,1992)と比較した。その結果、このSphI断片中に-グルコシダーゼの全アミノ酸をコードする配列が含まれていることが判明した。推定開始メチオニンからタンパク質のC末端までは3,121bp、アミノ酸残基数は985でイントロンは3つ存在した。推定開始メチオニンの5’側には、推定TATA box、CAAT boxが存在した。しかし、タンパク質のC末端の3’側には、典型的なpoly(A)付加シグナルは存在しなかった。

 この-グルコシダーゼ遺伝子をA.nigerに導入し、高生産株の作製を行った。-グルコシダーゼ遺伝子をもつプラスミドとハイグロマイシンB耐性遺伝子をもつプラスミドとをcotransformationでA.nigerに導入した。得られた形質転換体の-グルコシダーゼ活性を調べたところ、活性が3.5倍に上昇した株が得られた。欠損株の作製も行い、活性が1/3になった株を得た。

2.Coriolus versicolor(カワラタケ)由来ピラノースオキシダーゼの高生産株の育種

 ピラノースオキシダーゼは、グルコースの測定や糖尿病の診断用マーカーである1,5-アンヒドログルシトールの測定に用いられる。この酵素の大量生産を目的としてcDNAのクローニングを行い、大腸菌での発現を行った。

 C.versicolorの菌体から本酵素を精製し、部分アミノ酸配列を決定した。また、菌体からpoly(A)RNAを調製し、cDNAを合成してライブラリーを作製した。アミノ酸配列をもとに作製したオリゴヌクレオチドプローブでスクリーニングをして陽性クローンを得、塩基配列を決定して、本酵素の遺伝子構造を明らかにした。cDNAは1,869bpのオープンリーディングフレームを持ち、623アミノ酸をコードしていた。精製酵素のN末端は開始メチオニンから39番目のLysであり、38番目のLysまではプロテアーゼによって切断されてしまうものと思われた。終始コドンからpoly(A)の間の領域にpoly(A)付加シグナルは認められなかった。

 得られたcDNAをlacUV5プロモーター下に連結し、プラスミドあるいはスリーパーベクターを用いて大腸菌で発現させた。誘導後、37℃で培養した場合はインクルージョンボディーを形成したが、25℃で培養すると可溶性で発現した。得られた酵素の性質をしらべたところ、C.versicolorから精製したものとほとんど変わらなかった。スリーパーベクターで発現させ、培養条件の最適化を行い、21U/mlの高生産を達成した。

3.Coriolus versicolor由来ピラノースオキシダーゼの改良

 クローン化したピラノースオキシダーゼのcDNAにランダム変異を導入することにより、酵素の耐熱性の向上およびKm値の低下を試みた。

 E.coli XL1-Redを用いて、本酵素を発現するプラスミドにランダム変異を導入した。この変異の入ったプラスミドを保持する形質転換体について、プレートアッセイおよび粗酵素抽出液を用いた活性測定によってスクリーニングを行い、耐熱性およびKm値に優れた変異株を取得した。変異部位を解析した結果、542番目のGluがLysに置換されていた。この変異酵素を精製し、野生型の酵素と性質を比較した。耐熱性は5℃上昇し、アルカリ側でのpH安定性も向上していた。至適pHはほとんど変わらなかった。グルコースに対するKm値は0.74mM(野生型は1.3mM)、1,5-アンヒドログルシトールに対するKm値は14.8mM(野生型は35.3mM)であった。

4.Pleurotus ostreatus strain Shinshu(信州ヒラタケ)由来ビリルビンオキシダーゼの組換え体による生産

 ビリルビンオキシダーゼ(BOX)は肝機能の診断に用いられる。また、BOXは血清中のビリルビン以外の被検体を分析する場合に、測定値の誤差原因となるビリルビンを除去するのにも有用である。この酵素の大量生産を目的としてcDNAのクローニングを行った。

 信州ヒラタケ由来BOXを精製し、部分アミノ酸配列を決定した。データーベースでホモロジー検索を行ったところ、P.ostreatus strain Florida(フロリダヒラタケ)のpox2遺伝子産物(ラッカーゼ)およびpox1遺伝子から推定されるアミノ酸配列(タンパク質は確認されていない)と非常に高い相同性を示した。フロリダヒラタケのpox1遺伝子およびpox2遺伝子の塩基配列をもとに合成したプライマーを用い、染色体遺伝子を鋳型としてPCRを行い、信州ヒラタケのpox1遺伝子およびpox2遺伝子をクローニングした。それらの推定アミノ酸配列と精製酵素から決定したアミノ酸配列とを比較することにより、BOXはpox2遺伝子産物であることが明らかになった。BOXのラッカーゼ活性を調べたところ、活性が確認され、本酵素はすでに報告されているラッカーゼと同一酵素であることが判明した。

 トータルRNAを調製し、先に合成したプライマーを用いてBOXのcDNAをクローニングした。大腸菌での発現を試みたがうまく行かなかったので、A.sojaeでの発現を検討した。BOXのcDNAを有するプラスミドとniaDを有するプラスミドとを、プロテアーゼ欠損株であるA.sojae1860(niaD-)にcotransformationで導入した。ラッカーゼ活性を検出できるアッセイプレートに形質転換体を植えつぎ、ラッカーゼを生産している株をスクリーニングした。プレート上で高活性を示した株についてシングルコロニー分離を行い、得られた1株を液体培養してBOX活性を測定したところ、0.6U/mlの活性が確認された。

審査要旨

 本論文は、真菌由来の有用酵素3種、すなわちAspergillus nigerの-グルコシダーゼ、Coriolus versicolorのピラノースオキシダーゼ、Pleurotus ostreatusのビリルビンオキシダーゼの遺伝子の解析と高生産株の育種並びに酵素の改良を、遺伝子工学的手法を用いて行った研究をまとめたものであり、6章から成っている。

 序章では、真菌類由来の有用酵素について論じるとともに、高生産のための大腸菌と糸状菌の宿主ベクター系について述べている。

 第1章では、異性化オリゴ糖の生産に用いられているクロコウジカビ(A.niger)-グルコシダーゼの遺伝子をクローン化して、塩基配列を決定し、本遺伝子が3個のイントロンを持ち、開始コドンから終始コドンまでの3,124塩基によって985個のアミノ酸をコードすることを明らかにした。また、そのプロモーター領域には、TATA配列とCAAT配列を認めた。さらに、この-グルコシダーゼ遺伝子を元のA.nigerに導入し、本酵素の生産性を3.5倍に上昇させた。

 第2章では、糖尿病の診断用として血中のグルコースと1,5-アンヒドログルシトールの測定に用いられるピラノースオキシダーゼをカワラタケ(C.versicolor)から精製し、部分アミノ酸配列を決定した。また、菌体から調製したpoly(A)RNAよりcDNAを合成してライブラリーを作製し、アミノ酸配列をもとに作製したオリゴヌクレオチドプローブでスクリーニングしてクローンを得、塩基配列を決定して本酵素の遺伝子構造を明らかにした。cDNAは1,869塩基のオープンリーディングフレームを持ち、623アミノ酸をコードしていた。

 このcDNAをlacUV5プロモーターに連結し、プラスミドベクターとファージベクターを用いて大腸菌で発現させた。誘導後25℃で培養することによって得た可溶性酵素の性質がC.versicolorから精製したものと同一であることを示し、さらにファージベクターによる発現の培養条件を最適化し、21U/mlの高生産を達成した。

 第3章では、C.versicolor由来ピラノースオキシダーゼのcDNAを大腸菌のミューテーター株XL1-Red中でランダムに変異させ、耐熱性およびKm値に優れた変異株を取得し変異部位を解析した。542番のGluがLysに置換された変異型酵素は、野生型酵素にくらべ耐熱性は5℃上昇し、pH安定性も向上していたが、至適pHはほとんど変わらなかった。グルコースと1,5-アンヒドログルシトールに対するKm値はそれぞれ、0.74mMと14.8mMであり、いずれも野生型酵素の約2倍の基質親和性を示した。さらに、この542番のアミノ酸を部位指定変異によって18種のアミノ酸に置換し、この部位の変異株をすべてそろえた。そのうち12種の変異型酵素が、大腸菌で十分な活性を発現し、野生株にはない65℃における耐熱性を獲得していたが、Km値を含めた総合評価では、最初に得たGlu542Lys型酵素が最良であった。この改良型酵素は、既に実用化されている。

 第4章では、肝機能の診断に用いられる信州ヒラタケ(P.ostreatus strain Shinshu)由来ビリルビンオキシターゼ(BOX)の遺伝子のクローン化とAspergillus sojaeにおける活性発現を達成した。まず信州ヒラタケからBOXを精製し、決定した部分アミノ酸配列をデータベースと比較し、意外にも、本酵素がフロリダヒラタケ(P.ostreatus strain Florida)のpox2遺伝子産物(ラッカーゼ)およびそのアイソザイムの遺伝子pox1と非常に高い相同性を示すことを発見した。これらの遺伝子の塩基配列をもとに合成したプライマーを用いたPCRによって、信州ヒラタケのpox1、pox2遺伝子のそれぞれ一部をクローン化して塩基配列を決定することにより、信州ヒラタケのBOXはpox2遺伝子産物であることを示した。また、精製したBOXがラッカーゼ活性をもつことを確認し、本酵素はすでに報告されているラッカーゼと同一酵素であることを明らかにした。

 信州ヒラタケのトータルRNAから、合成プライマーを用いたRT-PCRによりBOXのcDNAをクローン化し、塩基配列を決定した。このcDNAをタンナーゼ遺伝子プロモーターに連結し、プロテアーゼを欠損した醤油コウジカビA.sojae1860に導入し、液体培養でBOX活性を発現させることに成功した。

 第5章では、本研究を総括し今後の展望を述べている。

 以上、本研究は糸状菌の有用酵素3種の遺伝子を解析し、大腸菌あるいは糸状菌中で発現させるとともに、その1つを改良して実用化したものであり、学術上ならびに応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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