学位論文要旨



No 214156
著者(漢字) 長谷川,晃久
著者(英字)
著者(カナ) ハセガワ,テルヒサ
標題(和) ウマ妊娠期の胎子胎盤系におけるステロイド代謝に関する研究
標題(洋)
報告番号 214156
報告番号 乙14156
学位授与日 1999.02.08
学位種別 論文博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 第14156号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高橋,迪雄
 東京大学 教授 小野,憲一郎
 東京大学 教授 森,裕司
 東京大学 教授 塩田,邦郎
 東京大学 助教授 西原,真杉
内容要旨

 雌性動物における排卵周期の回帰および妊娠維持,雄性動物における副性器の維持や造精機能の維持には,性腺のステロイドホルモンが重要な役割を演じており,ウマにおいてもその基本的な作用は共通である。ステロイドホルモン分泌は中枢の支配を受けており,最終的にはステロイド産生細胞に発現しているステロイド代謝酵素の種類と量,そして供給される基質の種類と量によって産生するステロイドホルモンの種類が決定される。ウマでは妊娠期間中母体血中および尿中に,B環に不飽和結合を持つウマ特有のエストロゲンであるエキリンおよびエキレニンと,それらの抱合体が存在する。これらウマに特有のエストロゲンの合成および分泌には胎子性腺の関与も考えられているが,その合成経路はよくわかっていない。ウマの胎子性腺がエストロゲン合成に関与しているとの考えは,妊娠中期から後期にみられる母体血中エストロゲンの上昇と同時に性腺が肥大化することに由来する。肥大化は胎子の性別を問わず,胎子性腺組織はステロイド産生細胞としての特徴を有する。一方,ウマの胎盤はプロゲスチンからエストロゲンを合成することはできないとされ,妊娠中に胎子性腺を除去すると母体尿中エストロゲン濃度が激減することから,ヒト胎盤のエストロゲン産生に胎児副腎が重要なように,ウマ胎子性腺はウマ胎盤のエストロゲン産生に関与すると推察される。そこで,エストロゲン産生に関わるステロイド代謝酵素のうち,プロゲスチンからアンドロゲンに変換するCYP17,3-水酸化-5ステロイドと3-ケト-4ステロイドを相互変換する3-HSD,アンドロゲンを芳香化してエストロゲンに代謝するCYP19の3種の酵素遺伝子について母体と胎子の性腺および胎盤組織中の発現を確認し,ウマ妊娠期の胎子および胎盤におけるエストロゲン産生機構を明らかにしようとした。

 最初にCYP17cDNAをウマ精巣cDNAライブラリからクローニングした。アンドロゲンおよびコルチゾールの合成に必要なCYP17は,基質特異性および遺伝子の発現に種特異性が認められる。ヒトおよびウシでは,CYP17の持つ2つの活性のうち17,20-開裂活性が4ステロイドに対して低いが,齧歯類では4ステロイドと5ステロイドとで開裂活性に差がない。ラットcDNAの塩基配列をもとにプライマーを設計して行ったPCRではヒトをはじめとする既知のCYP17cDNAと相同性の高い増幅産物を得た。これをプローブとしてノザンブロット分析を行ったところ,約2kbpのmRNAが精巣で強く発現しており,ウマCYP17mRNAはヒトなどの既知の動物種と同様の大きさであると推察された。ウマ精巣cDNAライブラリをスクリーニングして得たクローンの全長1906bpの塩基配列は,ヒトおよび他種動物の既知の配列と高い相同性を示した。ウマのCYP17は既知の各種動物CYP17と共通な特徴を有していたが,アミノ酸配列のヒトおよびウシとの類似性(83.1,80.6%)とラット,マウスとの類似性(73.6,72.8%)から判断する限り,活性,基質特異性とも齧歯類のCYP17よりヒトやウシのCYP17と類似していると考えられた。

 ウマCYP17cDNAクローンを発現させて酵素活性を確認するために,cDNAクローンのインサートを市販の発現ベクターpSVLに組み込んだ二種類の組換え体を作製し,COS1細胞に導入して形質転換した。pSV2neoを同時に導入し抗生物質G418を添加して選択培養したものは増殖活性が著しく低下し,ウマCYP17を安定して発現する形質転換体は得られなかった。そこで,導入48時間後にRNAを抽出しノザンブロットを行ったところ,ベクターのプロモータに対してウマCYP17の塩基配列が順方向となるpSet#12ではインサートの長さに相当するバンドを含む分子量範囲の広いスメアが検出されたが,逆方向のpSet#13では数百bp以下の短いRNAのみが検出された。酵素反応の基質として[3H]ラベルしたプロゲステロンをpSet#12で形質転換した細胞の培養液に加えたところ,17-水酸化プロゲステロンおよびアンドロステンジオンに相当する代謝物が経時的に増加し,ウマCYP17には17-水酸化活性と17,20開裂活性が共存している可能性が示唆された。しかし,4時間の培養で増加したプロゲステロン代謝物は総放射活性の約5%と低かったことから,さらにこの可能性を検証するためには,より高い活性を発現する形質転換体の調製が必要と考えられた。

 ウマCYP17遺伝子のエキソン/イントロン構造と,各イントロンの塩基配列を明らかにするために,ウマゲノムDNAを鋳型としてPCR増幅し,イントロンを含む複数のゲノム遺伝子の配列をPCR増幅した。塩基配列を決定したところ,CYP17遺伝子のエキソンの数はヒトと同じ8個であり,エキソン1から8までの長さは6217塩基対だった。また,各PCRクローンの重複部分がイントロンも含めて必ず一致したことから,ヒトの場合と同様ウマCYP17遺伝子もゲノム中に一座位のみ存在することが示唆された。ウマイントロンCには72塩基対の配列が制限酵素HindIIIの認識配列を挟んで直列に繰り返していた。この繰返し配列は哺乳動物に広く存在するとされるMammalian-wide Interspersed Repeat(MIR)とよく似ていた。MIR様反復配列部分を使ってプライマーを設計しウマゲノムDNAをPCR増幅すると,多数のバンドが増幅されたことから,ウマゲノム中にはMIR類似の配列が多数含まれていることが推察された。

 続いて,ウマ精巣cDNAライブラリからHSD3B cDNAクローンを分離した。ヒトおよびウシのHSD3B cDNA塩基配列に特異的なプライマーを用いたPCR法によりウマ精巣cDNA断片を増幅し,増幅断片の塩基配列を他種哺乳動物のcDNAと比較して相同性を確認した。これをプローブとしてウマ精巣cDNAライブラリをスクリーニングし,1651塩基対のウマHSD3B cDNAクローンを得た。ウマ精巣HSD3B cDNA塩基配列および推定されたアミノ酸配列は既知の哺乳動物の3-HSDの配列とよく一致していたが,アミノ酸配列の解析からこのHSD3B遺伝子のコードする3-HSDは3-水酸化ステロイドの脱水素反応および異性化反応を触媒し,3-ケトステロイドの還元反応は触媒しないものと考えられた。cDNAクローンをプローブとしてノザン解析を行ったところ,精巣,黄体,副腎といったステロイド産生組織において著明な発現が認められた。

 次に,アンドロゲンからエストロゲンへの代謝に必要なCYP19遺伝子が成熟雄ウマの精巣において発現していることをRT-PCR法により確認した。ウマCYP19について,既報の部分的塩基配列を基にプライマーを設計し精巣の総RNAを鋳型としてRT-PCRを行った。設計通り長さの異なる二種類の組み合わせで増幅産物が得られたが,短い増幅産物は既報の塩基配列と一致した。また,設計時点で塩基配列未知の部分を含んでいた長い増幅産物は,その後に公開された完全長ウマCYP19mRNAと塩基配列が一致し,同じ試料からは必ず両方の組み合わせで増幅産物が確認できた。このことから,本法によりウマの体組織におけるCYP19遺伝子の発現状況を特異的に検索することが可能であり,二種類の増幅産物を確認することで検出の信頼性が高まるものと考えられた。精巣のほか,副腎,肝臓,腎臓および筋肉からの検出も試みたが,CYP19mRNAの発現が検出されたのは精巣のみであった。

 以上の結果を踏まえ,妊娠中期から後期の胎盤および胎子性腺におけるステロイド代謝酵素の発現を調べるため,CYP17およびHSD3Bについてノザン解析を行うとともに,CYP19についてRT-PCRによる検出を試みた。その結果,CYP17は胎子性腺に,HSD3Bは胎盤にそれぞれ強い発現が認められた。また,CYP19は胎盤で発現が認められたが,精巣を除く他の組織では発現が認められなかった。これらのことから,胎子性腺はCYP17の作用によってプロゲスチンをアンドロゲンに変換し,胎盤のCYP19による芳香化反応の基質を供給する。これらの作用は胎子の性別には影響されない。ヒトでは胎児副腎が胎児-胎盤複合系におけるアンドロゲンの供給源になっているとされるが,ウマでは胎子性腺の肥大化および縮小のパターンと母体血中エストロゲン濃度の推移が一致することと,各ステロイド代謝酵素遺伝子の発現分布から,胎子性腺がアンドロゲン供給源の役割を担っているものと考えられ,胎盤と協調してエストゲンを合成する組織が副腎ではなく胎子性腺であることはウマの妊娠の特徴であると結論づけられた。ウマの妊娠期におけるエストロゲン分泌はヒトのように分娩の準備ということでは説明できず,胎子の急激な成長に伴う子宮の拡張や血流の確保など,むしろ妊娠の維持に必要な機構であると考えられる。また,ウマに特有なB環不飽和エストロゲンの合成に,今回検討した酵素群が関与するという証拠は得られていないが,各酵素遺伝子の組換え体を用いてB環不飽和ステロイドに対する基質特異性を検討することで,ウマに特異的な妊娠期のステロイド分泌についてさらに解明できるものと考えられた。

審査要旨

 産業としてのサラブレッド生産をとらえれば,繁殖効率の向上,特に空胎率の低減は重要な課題である.ウマを生殖生理学研究の面からとらえた場合,季節繁殖動物であること,妊娠中に副黄体が形成され,胎盤からのプロゲスチン分泌が始まるまでの間供給源となり,さらに妊娠後半には母体のエストロゲン濃度が上昇し,一方胎子性腺が腎臓よりはるかに大型化するなどの特徴を持っている.本研究は主要なステロイド代謝酵素遺伝子をクローニングすることによって,現在不足しているウマの繁殖内分泌に関する基礎的知識を補強しつつ,ウマ特有の生殖現象の解明を図ったものである.

 最初にCYP17cDNAをウマ精巣cDNAライブラリからクローニングした.クローンの全長1906bpの塩基配列は,ヒトおよび他種動物の既知の配列と高い相同性を示した.このcDNAクローンを発現させて酵素活性を確認するために,発現ベクターpSVLに組み込んだ組換え体を作製し,COS 1細胞に導入して形質転換した.この細胞の培養液に酵素反応の基質として[3H]ラベルしたプロゲステロンを培養液に加えたところ,17-水酸化プロゲステロンおよびアンドロステンジオンが経時的に増加し,ウマCYP17には17-水酸化活性と17,20開裂活性が共存している可能性が示唆され,この観点から見ればウマのCYP17はウシ,ヒトのそれよりむしろ齧菌類のそれに近いことを示唆した.

 ウマCYP17遺伝子のエキソン/イントロン構造を明らかにするために,ウマゲノムDNAを鋳型としてPCR増幅し,イントロンを含む複数のゲノム遺伝子の配列をPCR増幅した.塩基配列を決定したところ,エキソンの数はヒトと同じ8個であり,エキソン1から8までの長さは6217塩基対だった.また,各PCRクローンの重複部分がイントロンも含めて必ず一致したことから,ウマCYP17遺伝子もヒトの場合と同様ゲノム中に1座位のみ存在することが示唆された.

 続いて,ウマ精巣cDNAライブラリからHSD3B cDNAクローンを分離し,1651塩基対のウマHSD3B cDNAクローンを得た.アミノ酸配列の解析からこの3-HSDは3-水酸化ステロイドの脱水素反応および異性化反応を触媒し,3-ケトステロイドの還元反応は触媒しないと考えられた.cDNAクローンをプローブとしてノザン解析を行ったところ,ステロイド産生組織の精巣,黄体,副腎において著明な発現が認められた.

 次に,アンドロゲンからエストロゲンへの代謝に必要なCYP19遺伝子が成熟雄ウマの精巣において発現していることをRT-PCR法により確認した.既報の部分的塩基配列を基にプライマーを設計し精巣の総RNAを鋳型としてRT-PCRを行った.増幅産物は,その後に他の研究者から公開された完全長ウマCYP19mRNAと塩基配列が一致していた.精巣,副腎,肝臓,腎臓および筋肉からの検出を試み,精巣のみで発現を確認した.

 以上の結果を踏まえ,妊娠中期から後期の胎盤および胎子性腺におけるステロイド代謝酵素の発現を調べるため,CYP17およびHSD3Bについてノザン解析を行うとともに,CYP19についてRT-PCRによる検出を試みた.その結果,CYP17は胎子性腺に,HSD3Bは胎盤にそれぞれ強い発現が認められた.また,CYP19は胎盤で発現が認められたが,精巣を除く他の組織では発現が認められなかった.これらのことから,妊娠後半,胎子性腺の肥大に伴っての母体血中に認められるエストロゲンは,性別には関係なく胎子性腺のCYP17の作用によってプロゲスチンがアンドロゲンに変換され,これが胎盤に供給された後にCYP19によりエストロゲンに変換されることにより出現するものと結論づけられた.ウマの妊娠期におけるエストロゲン分泌は,胎子の急激な成長に伴う子宮の拡張や血流の確保など,むしろ妊娠の維持に必要な機構であると考えられた.

 本論文示したCYP17のcDNAおよびゲノム,またHSD3BのcDNAのクローニングは世界最初の試みであり,CYP19cDNAのクローニングと併せてその功績は評価される.この成果をもとに行われた,胎子性腺の機能解析は,長年推定されていた胎子性腺の機能に確証を与えたものと高く評価される.さらに,本論文は,改めてウマ妊娠期におけるエストロゲンの意義,特異なプロゲスチン代謝様式,特異なエストロゲンの産生などを追究していくための貴重な科学的な動機を提供するものでもあり,獣医生理学,生殖生物学に対する貢献度は極めて高いものがあると評価された.よって審査委員一同は本論文が博士(獣医学)の学位論文として価値あるものと認めた.

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/51107