学位論文要旨



No 214160
著者(漢字) 大島,正弘
著者(英字)
著者(カナ) オオシマ,マサヒロ
標題(和) 植物の感染特異的タンパク質遺伝子の解析並びに抵抗性植物の作出
標題(洋)
報告番号 214160
報告番号 乙14160
学位授与日 1999.02.10
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第14160号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 名取,俊二
 東京大学 教授 井上,圭三
 東京大学 教授 嶋田,一夫
 東京大学 助教授 仁科,博史
 東京大学 助教授 折原,裕
内容要旨 緒言

 植物の自己防御の機構として病原体侵入箇所の細胞が自発死することにより感染の拡大を阻止する過敏感反応(hypersensitive reaction=HR)が重要であると考えられる。本研究で解析を行ったPRタンパク質(pathogenesis-related protein=PR)はHRの過程で大量に誘導されるタンパク質群である。PR1はその内で発現量が最も多い分子量15Kの酸性タンパク質であり、タバコでは1a,1b,1cの3種が知られている。このタンパク質は植物ホルモンの一つであるサリチル酸によってもその発現が誘導される。本研究ではPR1遺伝子の発現制御機構を解析することでHRの過程を理解する一助にしたいと考えた。また本遺伝子を植物における遺伝子発現のパーツとして活用することによって細菌病抵抗性の植物を作出することを試みた。

感染特異的タンパク質(PR1a)遺伝子の解析

 PR1aタンパク質の部分アミノ酸配列から推定された塩基配列をプローブとして,全構成メンバーをクローニングした。その結果1a,1b,1c以外に4個の偽遺伝子が含まれる多重遺伝子族を構成していることが分かった。PR1a,1b,1cは同一の発現パターンを示すのでPR1aについてその発現制御に必要な場所を特定することとし,取得したクローンの5’上流側の全長2.4kbの断片を植物におけるレポーター遺伝子として頻用される-glucurinidase(GUS)に接続し,バイナリーベクターpTRA415を介してタバコに導入した。得られた形質転換植物についてレポーター遺伝子のサリチル酸による発現が元のPR1aタンパク質の消長と一致していることを確認した上で上流側からの欠失を行い,どこまで制御能力が残るかを検討したところ、0.9kb及び0.3kbまで欠失させてもサリチル酸による発現誘導がかかることが分かった。更に発現箇所の検討を行うため、GUS活性による呈色反応を行った。2.4kb断片+GUS遺伝子を導入した植物では壊死斑を囲むように,リング状に発色が認められた。これは0.3kb+GUSを導入したものでもほぼ同様であった。またバクテリアの感染(野火病菌Pseudomonas syringae pv.tabaci)で生じた壊死斑の周辺でも同様に局在した発現が認められた。以上の結果は,上流側0.3kbの範囲に発現誘導に必要な領域が存在していることを示している。同時に,この断片では発現の特異性は残るものの,発現量自体は顕著に低下することから,0.3kbよりも上流側に発現量を上昇させる領域が存在していることが推定された。

 次に発現制御に必要な領域に関して更に詳細な解析をするため,実験系をポジション効果によるデータのばらつきが避けられ、かつ植物の育成にも時間を要しない単離したプロトプラストに対するエレクトロポレーション法に変え,この系でも発現の特異性が示せるかを検討した。その結果,プロトプラスト調製に伴う傷害と類似のストレスによる影響が認められるものの、サリチル酸による誘導が概ね同様に認められた。PR1a遺伝子の5’上流域には2カ所タンパク質結合部位が認めらた。それらの部位(distal binding site:DBとproximal binding site:PB)には本遺伝子が発現していない状態ではタンパク質が結合しており、発現に伴って結合が消失した。この結合とその解消は常に両方セットで同時に起こる。プロトプラストの系で更なる削り込み実験を行ったところ-153までの欠失まで徐々に発現レベルが低下し、更に-103まででは誘導も定かではなくなるが-61まで削りPBまで欠失させると発現が構成的なパターンで再び上昇した。このことはPBと重なる位置に発現にマイナスに働く因子が結合する部位があることを示すものと考えられた。以上の結果を確認するため、PB領域を無関係な配列で置換したものを作成したところ予想通りサリチル酸による発現のパターンが保たれたまま発現レベルが上昇していることが示された。次にもう一つの結合部位であるDBを削ったもので実験を行ったところ、これらでも同様に発現パターンを保ったままの発現レベルの上昇が認められた。この結果はDBもPBと同様な効果を持つことを意味していると解された。更に上記の結果を別の方法によって検討するため、各タンパク結合領域の配列を含むコンペティターを系に加えたところコンペティターの添加量に依存的に発現レベルが上昇していることが示された。

 以上の知見からPR1aタンパク質遺伝子の発現制御は基本的にネガティブな制御を受けているものと考えられた。すなわち、発現が起きていない状態では両結合部位にリプレッサー様タンパク質が結合し転写を抑制しているが、発現している状態ではリプレッサーの構造変化または別の因子の結合によってこの抑制が解除され、その結果発現が起こるものと考えられた。これまでの解析によってPR1aタンパク質遺伝子は過敏感反応或いはサリチル酸処理によって誘導可能であり、この性質を用いて植物への遺伝子導入の有効なパーツとして利用できる可能性が示された。またこのタンパク質は分泌タンパク質であり,そのシグナル配列なども利用可能であると考えた。

細菌病抵抗性植物の作出

 農業分野では病害に対する抵抗性品種の育成が急務となっているが,バクテリアやウイルスによって引き起こされる病害に対する抵抗性品種の作成は自然界にこれらの病原体に対する抵抗性遺伝子が見出し難いことによって一般的に困難である。そこで前記PR1a遺伝子プロモーター或いは同タンパク質の一部を利用し、植物以外の生物界から病害抵抗性遺伝子を導入することを考えた。導入遺伝子としては東京大学薬学部名取教授らによってセンチニクバエから取得されたザルコトキシンIAを選定した。この遺伝子の植物への導入に先立ち、このペプチドの植物病原細菌に対する殺菌活性を阻止円法によって調べた結果、我が国で農業上大きな問題になっている重要病原菌の多くに対して大腸菌と同等或いはそれ以上の増殖阻害活性を示した。また別の実験として本ペプチドが植物の培養細胞の増殖には何ら悪影響を与えないことを確認した。

 以上の結果を踏まえ、PR1aプロモーター配列或は植物の構成的高発現プロモーターとして頻用されているカリフラワーモザイクウイルスの35S遺伝子プロモーター由来の人工的高発現プロモーター,PR1aタンパク質のシグナル配列,タバコモザイクウイルス中に見出された転写増強配列及びザルコトキシンペプチドコード領域からなるキメラ遺伝子を構築した。PR1aシグナル配列はザルコトキシンIAペプチドを病原細菌の主な侵入・増殖部位である細胞間隙へ分泌させることを狙って付加した。これらの遺伝子を導入したタバコに対してタバコ野火病細菌(Pseudomonas syringae pv.tabaci)を接種し、その病徴の程度を評価した。その結果、一番強い抵抗性を示したものは構成的高発現を狙ったコンストラクトで、特にそのうちの2つの系統は強い抵抗性を示した。そこで実用的抵抗性品種作出の目的に鑑みて、以後これらの系統に集中して解析を進めることとした。尚、PR1aプロモーターを含むコンストラクトも若干の改良を加えることにより、より強い抵抗性を発現できる可能性があると思われるので引き続き検討を行っている。選定された2つの系統から自殖後代の植物を100本以上育成し、再度野火病菌を接種して抵抗性の評価を行った。コントロールの植物では明瞭な病徴が認められるが、形質転換植物では病徴が軽減されるか、或いは出現しなかった。これらの抵抗性植物では度重なる接種実験でもほとんど病徴が出現しなかった。次に我が国の野菜栽培にとって最大の問題の一つである軟腐病菌(Erwinia carotovora subsp.carotovora)に対する抵抗性を同様な方法で評価したところ、野火病菌に対して抵抗性を示した系統では,同様に病徴がほとんど認められず,抵抗性が確認できた。

 以上の実験で抵抗性を示した個体について,抵抗性の程度とペプチド発現量の相関並びに植物内でのペプチドの局在をウェスタンブロットで評価した。その結果,植物から得たサンプルは全て2量化したと思われる位置に出現していたものの,抵抗性の程度とペプチド発現量の間には明らかに相関性があることが確認された。このことは抵抗性の出現が導入遺伝子の発現の結果であることを示すものである。ペプチドが細胞外に分泌されていることかどうか確認するため,細胞間液を調製し供試したところザルコトキシンIAを検出することができた。また発現したペプチドがフリーな状態でいるかあるいは細胞壁に付着しているのかを見るため,通常の抽出処理を行った後,もう一度抽出処理を加え,更に0.5MのNaClを加えたバファーで抽出した。その結果,発現したペプチドは所期の通り,細胞外に分泌されており,更にその内のかなりの部分は細胞壁等に付いていることが示唆された。

 以上の結果を総合し,遺伝子導入植物で認められた抵抗性は確かにザルコトキシンの発現に基づくものであると結論した。これらの植物の抵抗性は十分に強いものである。現在この結果を他の作物種に応用すべく研究を継続している。

審査要旨

 この論文は大きく分けて二つの部分から構成されている。第一部は、植物の過敏反応(hypersensitive reaction;HR)の過程で大量に産生されるPRタンパク質(pathogenesis-related protein;RP)の一つ、RP1a遺伝子の発現制御領域の解析結果を記載している。HRというのは植物に病原菌が感染したときに起きる反応であり、RPタンパク質の遺伝子は感染依存に発現する。したがって、この研究の背景には、RPタンパク質の遺伝子のプロモーター領域に抗菌タンパクの遺伝子をつないで、感染依存に植物の中で発現させて病原菌耐性の植物を作るという目的がある。

 結果はRP1a遺伝子のプロモーター領域を0.3kbまで絞り込み、それにつないだ-glucuronidase(GSU)遺伝子をサリチル酸の刺激依存にタバコ細胞中で発現させることに成功した。サリチル酸の刺激は細菌感染と同等と考えてよい。この0.3kbのプロモーター領域をさらに詳細に調べ、この中にタンパク結合領域が2カ所存在すること、通常はこの領域にリプレッサーが結合していることを示す結果を得ている。

 第二部では、このプロモーター領域にセンチニクバエの抗菌タンパクであるザルコトキシンIAのcDNAをつなぎ、病原菌耐性の植物(タバコ)の作出を試みた結果について述べている。結論からいうと、このプロモーター領域を使ってザルコトキシンIAを発現させることは出来なかった。しかし、カリフラワーモザイクウイルスの35S遺伝子由来のプロモーターを使った場合にはタバコ細胞中にザルコトキシンIAの発現が見られた。このような遺伝子導入細胞のカルスから育てた植物体は、タバコ野火病や軟腐病の菌を接種しても、感染は成立しなかった。このようにして樹立した耐病性の植物中にはザルコトキシンIAが発現していることが確認された。またこの形質は次世代にも継承されることが分かった。この結果は、農薬を使わない農業の展開に展望を与えるものである。しかし、35S遺伝子由来のプロモーターを使った場合、ザルコトキシンIAは構成的に発現してしまう。これを細菌感染依存に発現させるためにはRP1a遺伝子のプロモーターを使う必要があり、それはこれからの問題である。

 以上この論文はRP1a遺伝子のプロモーターの解析と、ザルコトキシンIA遺伝子の導入による耐病性タバコの作出について述べ、新しい植物育種の可能性を示したもので、博士(薬学)の学位に値するものと認めた。

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