本論文は、鉄道技術が本邦に移転されて鉄道建設が始まり、東京の鉄道網が形成されるまでの過程を鉄道土木技術者の視点から検証するとともに、その過程における本邦技術者と外国人技術者の果たした役割を技術的立場から検証したものである。本研究の目的は、1)東京の鉄道網の骨格形成史の検証、2)東京の鉄道網の骨格形成過程における内外鉄道土木技術者の貢献に対する考察、3)鉄道土木技術移転の過程を考察して得られた知見から海外技術協力への示唆、の3点である。研究の対象は、本邦鉄道の黎明期より東京の鉄道網の骨格がほぼ形成されるまでの時代、すなわち1869年から1925年頃までとしている。本論文は、第1部緒論、第2部東京の鉄道網骨格形成史の検証、第3部内外の鉄道土木技術者の技術的貢献の検証、第4部鉄道土木分野における技術移転論からなっている。 第2部は、東京の鉄道網の骨格形成史を原資料から検証したものである。そこから得られた主な知見は、以下の通りである。 1)明治新政府は中央集権を強力に押し進めるために、イギリスに起債、技術援助を求めて鉄道を建設することにしたが、その後、財政困難に直面した政府は民間資金を導入して鉄道建設を進めることにした。 2)日本鉄道会社線の路線選定にあたって鉄道局が策定した路線計画が、東京の鉄道網形成の基本構想となった。その後の各路線の計画にあたっては、都市計画やその他のプロジェクトとの整合性が図られた。 3)東京市街縦貫線計画以後にあっては高架線による立体交差を基本として、大都市内の道路交通を意識するものとなった。 4)新橋〜東京間の高架線は、煉瓦拱橋と鉄製橋梁で、中央線の東京駅乗り入れの高架線は、煉瓦拱橋および鉄筋コンクリート高架橋と鉄製橋梁の組み合わせ、東京〜上野間の高架線は鉄筋コンクリート高架橋と鉄製橋梁となった。 第3部は内外の鉄道土木技術者に着目して、これらの技術者達の各主要プロジェクトに対する技術的貢献を検証している。外国人技術者としては、R.H.ブラントン、E.モレル、H.ルムシュッテル、F.バルツァーら、日本人技術者としては、井上勝、松本荘一郎、原口要、野村龍太郎、岡田武五郎などが対象とされている。そこで得られた主な知見は以下の通りである。 1)灯台器械方として来日した英人R.H.ブラントンが勧告した鉄道建設に関する技術及びフィージビリティレポートが、本邦の鉄道建設計画の事実上の契機となった。 2)日本鉄道会社線・東京〜高崎間の路線選定にあたり、既設の新橋ターミナル駅を基準として鉄道局長井上勝が研究し決定した路線選定は、山手線に四半分を形成し、後の東京の鉄道網の骨格形成の基礎となった。 3)東京市街縦貫線計画は、東京市区改正意見書の作成にあたった原口要の策定したものと考えられる 4)ドイツ人H.ルムシュッテルは、ベルリン高架線の経験を生かし、上野〜新橋間に鉄桁を併用するベルリン様式の高架橋を概略設計した。同じくF.バルツァーは、構造物の設計面で貢献した。 5)野村龍太郎は、街路上のアメリカ式高架線、ボストンやロンドンの地下鉄道、ベルリンやウイーンの高架鉄道を比較して、我が国においては民地を買収して高架線を設けるベルリン式が適当であるとし、これはその後の計画決定に重要な役割を果たしたと考えられる。 6)1897年11月に第2代建築事務所長となった岡田竹五郎は、建設工事の最初から1914年の新橋〜東京間の開業まで約18年間にわたり、この市街高架線工事の最高責任者として、本邦における始めての大都市内の本格的鉄道建設工事を担当した。その技術的寄与は極めて大きいものと考えられる。 第4部では、以上の第2部及び第3部で明らかにされたの個別史実の検証に基づいて、我が国における鉄道土木技術の移転と定着の過程が次のように考察されている。 1)鉄道局における雇い外国人の数は、1870年末に19人であったものが、1976年6月には100人に達し以後は減少した。これは、この時期に邦人技術者がその技術を習得して来た為と考えられる。 2)鉄道建設の計画面においては、初期にイギリス人の指導を受けた後、関西の鉄道計画や東京周辺の鉄道計画は、すべて邦人技術者によって行われた。東京高架線の路線選定で、F.バルツァーが比較路線を提案して検討がなされたのが東京付近における外国人技術者の関与の最後と思われる。 3)鉄道建設の施工管理面においては、鉄道土木技術伝来の約10年後となる1880年9月に開業した京都〜大津間を既に邦人技術者のみの施工管理て完成させている。施工管理は本邦における保有技術もあって、比較的早い時期に技術移転がなされたものと考えられる。 4)鉄道建設の設計面においては、橋梁の設計が技術移転のなかでは最も長期間を要したものと思われる。1906年の鉄道国有化によって規格統一の機運が高まり、以後は設計示方書の作成やこれによる設計は邦人技術者の手で実施され、設計の技術移転もほぼ完了したものと考えられる。 こうした、第4部までの分析を踏まえて、著者は今後の我が国の海外技術協力への示唆を与えている。具体的には、1)招聘技術者の技術面、人格面での質の高さ、2)受け入れサイドにおける計画面・技術面のリーダーの育成の必要性、3)フォアマンレベルの技術者や技能者に対する研修制度やモラール維持の措置が重要であること、などが指摘されている。 以上のように、本論文は、東京圏の鉄道網形成期を対象にして、長い時間をかけた膨大な史料の検証作業に基づき、鉄道計画・施設設計・工事施工における、内外技術者の技術的貢献とその相互関係を明らかにし、さらに我が国の近代の黎明期における主として英国からの技術移転プロセスを考察したものである。土木史研究上の成果のみならず、世界有数のODAドナー国でもある我が国の今後の技術協力のあり方についても示唆が多く、社会基盤工学上も極めて多くの成果をもたらしたものと評価される。 よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。 |