学位論文要旨



No 214162
著者(漢字) 加藤,浩徳
著者(英字)
著者(カナ) カトウ,ヒロノリ
標題(和) インフラ整備事業における合意形成プロセスへの市民関与の影響に関する分析
標題(洋)
報告番号 214162
報告番号 乙14162
学位授与日 1999.02.12
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第14162号
研究科 工学系研究科
専攻 社会基盤工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 家田,仁
 東京大学 教授 森地,茂
 東京大学 教授 國島,正彦
 東京大学 教授 柴崎,亮介
 東京大学 助教授 原田,昇
内容要旨

 我が国では、1960年代から顕著になってきた公害問題を背景に、市民の生活環境に対する権利意識が向上し、自らの権利の保持を求めて事業者や行政へ直接的に主張するケースが増加してきた。特に、社会基盤施設(以下、インフラ)の建設・改良事業について見れば、1970年代以降、インフラ整備事業計画の是非をめぐって、全国各地で市民と事業者とが対立する事例が多く見られてきた。

 そこで、本論文では、インフラの種別間で異なるインフラの特性に着目しつつ、法制度や社会的背景・国民性が関係主体の行動原理のもとで、関係主体間の交渉にいかなる影響を及ぼすのかを、事例調査をもとに分析を行うことを目的とする。

 まず、第2章では、関連する既往の研究のレビューを行い、本研究の位置づけを示した。ここでは、関連する研究として、社会学、土木計画学・都市計画学、法学、行政学・政治学、公共経済学・公共選択などを取り扱っている。その結果、本研究の特徴は、(a)客観的な視点から分析を行うとともに、実態調査を行うことで、より実証的な分析・考察を行っている、(b)特定のインフラのみならず、様々なインフラを同じ視点から論じている。また、主に合意が形成されるプロセスを分析の対象としている、(c)実態を把握するのみならず、法制度が関係主体の行動に与える影響を分析し、政策としての効果を考察している、といった点であることを示した。

 第3章では、本論文で使用する用語に関して、既存の用法と比較しつつ明確な定義づけを行った。特に、「市民参加」、「PI」、「市民関与」の違いを、市民と事業者の双方の関わりに対する積極性に基づいて明確に示した。本論文では、以下、市民関与を分析の対象とすることとする。次に、本論文の基本的な考え方として、インフラ整備事業に関わる市民と事業者との交渉モデルを提示した。ここでは、社会的背景、関連法制度、文化的特性、事業特性が与えられたとき、特定の特性を持つ市民と事業者とが、インフラ整備計画に関して情報の交換や説得行動を行い、最終的に合意にいたる過程が表現される。

 第4章では、インフラ整備において、計画プロセスに市民が関与する程度と、関連制度の市民関与に関する要請度とを客観的に評価するための指標として、それぞれ市民関与レベルと市民関与要請レベルとを提案した。そして、我が国のインフラ整備事業において標準的に準拠される法令について、市民関与に関連する規定を抽出・調査し、インフラ間で市民関与要請レベルの比較を行った。その結果、インフラによって異なる市民関与要請レベルは、ある程度は合理的な理由に基づいた結果と言えるが、(非)道路と(非)鉄道とのように、同様な線状の交通インフラであるにもかかわらず、必ずしも市民関与要請レベルの差異に明確な理由が想起できないものも存在することや、都市計画事業を除けば、インフラを管轄する行政機関によって市民関与要請レベルに差異があることが明らかとなった。

 第5章では、我が国の明治以降におけるインフラ整備をめぐる市民の反対活動についてその歴史的な経緯について整理し、また反対市民の主張内容の変化や活動形態の変遷、さらにインフラ種別による変遷の違いについて分析を行った。この結果、(a)インフラ整備そのものの社会的なニーズあるいはニーズに関する世論が、インフラ整備に関する市民運動へ大きな影響を及ぼしている、(b)市民の反対活動は、インフラ整備だけでなく、不満の生じるいかなる対象についても行われうる。また、インフラ整備以外の問題に対して発生した市民の反対活動は、インフラ整備に対しても同様の活動を促進させることとなる、(c)反対活動に関する基本的な市民の心理には時代によってそれほど大差がなく、基本的には個人の利得関係を最優先することで各種行動を行っている、といったことが明らかとなった。

 第6章では、まず、都市間高速道路の建設事業における市民関与の実態について、イギリスとドイツとを対象に調査を行い、その結果、代替案の提示可能性、第三者による交渉の調整、都市計画との関わり合い、市民の関与できる時期、最終的な決定権限などにおいて、英・独・日の3国間での違いを確認した。ただし、イギリスとドイツでは市民関与のための手続が制度化されており、また、事業担当者も十分な対応を行っている一方で、日本はまだ制度化が十分になされているとは言えない状況にあることが明らかとなった。次に、都市インフラの整備への市民関与が歴史的にどのように変化してきたのかを、過去の制度や実態を調査することによって整理した。その結果、まず、イギリスでは、1960年代から市民関与に関して積極的に制度化を図ってきたが、1980年代頃から規制緩和が徹底され、市民関与を軽視する政策が採られてきたこと、一方でドイツでは、ヒトラーの独裁政治による反動から、戦後は民主化が進み、インフラ整備においても市民の関与が制度的に大幅に認められるものとなっていたが、近年は東西ドイツ統合とともに再度、効率化に向かって制度を改変する動きがあることが明らかとなった。二国における都市インフラ整備への市民関与の歴史的な経緯を我が国と比較した結果、我が国とイギリス・ドイツとでは、市民の民主主義に対する認識や社会そのものに対する市民の位置づけが異なることがわかった。

 第7章では、従来までほとんど行われなかった複数の異なる事業者による複数種事業の事例間比較分析を行った。その結果、以下に挙げるような点が明らかとなった。

 (1)事業者の市民関与に対する積極性により、事業者の行動を1)市民関与に終始積極的、2)市民関与に終始消極的、3)計画の初期段階では消極的だが、住民からの反対運動が激しくなると積極的に転向、という3パターンに分類できる。こうした事業者の戦略的な行動は、事業者と地元住民との密着度に大きく影響を受けており、地域密着型の事業者は全国組織の事業者に比べて住民からのreputation獲得に重点をおくために市民関与に積極的な戦略を選択する傾向にある。

 (2)反対住民は、まず町内会などの小地域組織を形成し、自らの主張を行う。そして、個々の小地域組織は、事業者が市民関与へ消極的であれば、他の小地域組織と統合し時間とともに成長して統合組織を形成する。だが、統合組織は最終的には分裂し、事業者との個別の交渉に応じるようになる。

 (3)インフラ整備事業計画における、地元自治体の役割としては、行政機関として住民の事業者への意見提出の窓口になるというものと、一つの組織として住民と事業者の間に立ち調整を行うものとがある。特に地元自治体による中立的な立場での交渉調整は、話し合いの「場」を提供できる等、交渉の進捗をスムーズにさせる。

 (4)事業者は基本的には、最初に提示した計画案を変更することを忌避する傾向にあり、たとえ変更することがあっても微少な変更に留まっていることが多い。一方で、市民は最初は過大な要求を行うが、事業者との話し合いを行う中で、計画に関する事情を良く理解し、次第に条件付きで事業者の主張を認めるようになっていく傾向にある。

 (5)受益圏と受苦圏とが乖離する事業ほど、交渉期間が増加していることが確認された。また、1970年代に主な交渉が行われた事例では、それ以降に交渉が行われた事例と比較して交渉がもつれ、その期間も長くなっていることが判明した。一方で、立ち退き地権者の人数は、紛争期間にあまり影響を及ぼしていないことがわかった。これは、主な反対者は立ち退き地権者ではなく、周辺の住民であることが多いためと考えられる。

 (6)実力行使によって反対活動が行われた事例や、全国的な支援組織が介入してきたような事例では、紛争期間が増加する傾向があることがわかった。特に、外部からの支援組織が介入してくると、技術的にも知識的にも金銭的にも、多数の訴訟を起こすことが可能となり、そのことが紛争解決を長引かせる大きな原因となっていることが明らかとなった。

 第8章では、インフラ整備計画をめぐる事業者と反対市民との交渉プロセスを数理モデルとして表現した。モデルは、ゲーム理論を援用した動的シミュレーションモデルとなっており、事業の特質や関係主体の行動特性を入力することによって、交渉が終了するまでの期間や反対活動と市民関与とのレベルの時系列的変化を出力することができる。モデルは大きく分けて、2つの部分から成っている。まず第1段階は、交渉の環境を決定する段階で、事業者と反対市民とが市民関与レベルと反対活動レベルとを決定する。次に第2段階において、前段階で決定された交渉環境の下で、確率的に計画内容の交渉を行う。シミュレーションは、交渉を複数回繰り返すことによって、交渉終了の成立条件が満たされるまで行う。作成したモデルを用いて、代表的な4つのケースについてシミュレーションを行い、モデルの検証を行った。その結果、モデルが現実のシミュレーションにある程度対応できることが明らかとなった。次に、モデルを用いて、簡単な政策シミュレーションを行い、反対活動が活発化する要素の比較的低い状況では、法制度等による市民関与要請は効果がある一方で、交渉環境の悪い状況では法制度による要請では、十分には対処しきれないことも判明した。

 最後に、第9章において総合的な考察と今後の課題について述べた。

 以上、本研究より、インフラ整備事業における事業者と市民との交渉プロセスの状況を決定する要因を明らかにしたとともに、市民関与の寄与しうる可能性について新たな側面を提示することができた。

審査要旨

 本研究は、市民の事業手続きへの関与に着目して、インフラ整備における関係主体間の合意形成の過程を調査し、(1)インフラ整備をめぐる合意形成において市民による反対活動が引き起こしているコンフリクトの実態、(2)我が国および他国における合意形成の手続きに関する法制度の特徴と問題点、(3)インフラ整備をめぐる主体間のコンフリクトの発生と変容のメカニズム、(4)市民関与に関する制度のあるべき姿、を研究したものである。

 本論文は、以下の通り構成されている。まず、第1章において本研究の背景と目的、ならびに構成を述べ、第2章では、既往の関連研究を整理し、本研究の位置づけについて論じている。第3章では、本研究の基本的な考え方を整理し、使用する用語の定義を与え、第4章では、インフラ整備における市民関与の手続きを定める法制度を調査し、法制度の決定要因について分析を行っている。第5章においては、我が国における明治以降のインフラ整備をめぐる紛争の歴史的経緯を調査し、法制度の制定に与えた影響について考察を加えている。第6章においては、英国、独国の都市間高速道路の建設事業を対象に、合意形成プロセスの実態を調査し、我が国と比較することによって、文化的背景が法制度による市民関与要請へ与えた影響について分析している。第7章においては、我が国における8つのインフラ整備事業の事例を対象に、合意形成プロセスの実態を調査し、交渉における事業者および反対市民の行動を把握するとともに、それらが交渉結果に与えた影響について分析を行っている。第8章においては、3章から得られた知見を根拠として、合意形成プロセスを表現する数理モデルを構築し、そのもたらす結果が第7章の実態と整合的であることを示している。最後に、第9章において、本研究の結論を述べるとともに、今後のあるべき合意形成制度について筆者の提言を整理するとともに、今後の研究課題をまとめている。

 この研究の特に独創点と意義をあげると、以下の通りである。第一には、いくつかの新たなキーコンセプトを提案している点である。具体的に言うと、市民と事業者との関わりを表現する「市民関与」、市民関与の手続きの「事業者から市民への情報公開」、「市民から事業者への意思伝達」、「事業者・市民相互の話し合い」という3要素、法制度が事業者に対して市民関与の手続きをどの程度要請しているのかを評価する概念である「市民関与要請レベル」と実際に事業者と市民がどの程度、事業に関して関わりを持ったのかを評価する概念である「市民関与レベル」などである。また、計画段階から紛争を経て最終的決着を見るまでの一連のプロセスを、しかも種々のインフラ整備事例について、統一的な視点から実地調査の上で、分析している点も方法論的に新しいものである。さらに、市民とインフラ事業の間のコンフリクトのメカニズムの大要を実例に基づいて明らかにしたことに加えて、分析の結果を踏まえて、実際的な教訓や提言をとりまとめている点も意義が少なくない。

 本研究より得られた主な結論を以下にあげる。

(1)法制度の市民関与要請レベルが決定されるメカニズムについて

 事業によって発生する便益並びに被害の波及範囲の大きさによって決定される利害関係者の人数に応じて、法制度による市民関与要請レベルは高くなる傾向にあること、同じような対象事業であっても過去における紛争の実績の多寡に応じて、法制度の要請レベルが異なっていることなどが明らかになった。また、関連する法制度は、社会の関心が高まったときにのみ新規制定あるいは改正される傾向にあり、行政組織の別とも相まって、関連する法制度の相互の整合性に欠けるという面もある。イギリス、ドイツの手続きと比較した結果、我が国の市民においては、自分たちが使うインフラは自分たち自身が決めるという認識が他国に比べて希薄であったこと、「根回し」や「談合」による非公式かつ穏便な合意形成手法が好まれることが、手続きを明示的に定める法制度の整備を遅らせることになった一因である可能性が指摘された。

(2)事業者の市民関与に対する対応が決定されるメカニズムについて

 手続きを定める法制度は、事業者にとっては最低限守るべき規準として機能し、実際には、各法制度に定められる法制度の適用、運用に関しては、制度運用者の裁量の余地がかなり大きいことが明らかとなった。また、都市計画法の適用そのものについても、都市地域とそうでない地域とで適用に差があるために、同様の事業であっても手続きが異なる可能性があることが判明した。このことは、地域によって手続きに格差が起こりうることを表している。事業者の市民関与に対する対応は、その時間的経過から、事業者が交渉の初期から末期に至るまで市民と積極的関わろうとする態度を見せるもの、終始、市民関与に対して消極的な態度をとるもの、初期においては市民との関わりに消極的な態度をとるが、途中で周辺住民より反対活動が発生し活発化してくるにしたがって事業者も態度を改め、市民と積極的に話し合いを行っていくもの、の3パターンに分類できることが明らかとなった。これらのパターンは、事業の特性のみならず、首長のスタンス、事業者の予算・時間的制約、事業担当者の経験、などに依存する傾向が見られた。

(3)事業者の市民関与手続きに対する対応が反対市民の活動へ与えるメカニズムについて

 事業者による市民関与への積極性によって反対市民の活動はかなり影響を受けることが判明した。事業者が市民関与に対して終始消極型であるとき、反対市民はかなり激しく反対活動を行い、その結果、全国的な活動を行う組織からの様々な支援を受け、事業の遅延を目指した活動や、訴訟に至ることが多い。事業者が市民関与に対して終始積極型であるときには、激しい反対活動がなされることはないが、結果的には話し合いに相当の時間がかかる。法制度による事業者に対する市民関与要請レベルによっても、交渉に要する期間はかなり影響を受けていることが明らかとなった。都市計画法の適用を受けない事例においては、いずれも都市計画事業と比較して交渉を終了するのに時間がかかっているのに対し、都市計画事業では相対的に交渉期間が短くなっている。

 これらの知見は、今後の実績を積み上げる第一ステップとして意義あるメルクマールとなっている。また、本研究のとりまとめた資料と、実績に基づいて整理された実務技術者への実際的サッジェッションは、非常に役に立つものとなっている。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/51108