船舶に関して、これまで寿命というものが明確には意識されてこなかったのではあるまいか。船舶には、鋼船に限っても既に長い歴史があり、当然ながら、保守管理に関しても十分に長い歴史がある。この歴史の過程で、各種の規則、条約、保険制度等が整備されてきた。このために、寿命というものを強く意識しなくても、船舶を安全に保つということがそれなりに機能してきたといえるであろう。しかし、船舶に溶接工作法が大幅に取り入れられるようになった第二次世界大戦後の船舶に限っても、規則、条約、保険制度等で船舶の安全が万全の体勢で確保されてきたわけではない。この間に起こった事故を見ると、溶接構造の採用の拡大、タンカー、バルカー等の急速な大型化、RO-RO船等の大型新形式船の登場といった新たな技術の発展のたびに、損傷の多発、さらには重大事故の発生を経験しているのもまた事実である。日木においても、洞爺丸、ぼりばあ丸、かりふおるにあ丸、尾道丸、菱洋丸等の多くの重大事故が起こるという不幸な経験をしている。これらの事故の全てが、設計時にその船の寿命を考え、十分な保守管理の備えと、その忠実な実施によって防げたということは出来ないであろうが、多くの事故は防げた可能性があるように思われるのである。今後も、新しい技術の導入、新しい形式の船舶の開発・就航が続くことであろうが、こうした場合に、損傷の多発、これに続く重大事故の発生を未然に防ぐ鍵の一つに、保守管理技術の確立があるのではないだろうか。この観点から船舶の安全問題を検討してみたのが本論文である。 一方、海洋構造物はどうであろうか。海洋構造物の歴史は浅いが、急速に発展しつつある。今日では、これまでに経験したことのない規模の、予定される稼働期間も従来の数倍となる超大型浮体構造物が検討されている。この超大型構造物の安全にとって保守管理が極めて重要なことになっている。それは、規模の巨大さのために船舶で行われている入渠による検査は不可能であること、予定稼働年数が100年程度とこれまでの実績の数倍であること、巨額の資金が投じられ、重大損傷を保険などでカバーすることが不可能なこと、構造物上や周辺に多数の一般市民が関与していること、こうした構造物に対して蓄積されたデータの絶対量が不足しており、経年劣化状態をデータから推定することが困難なこと、構造物の安全の把握を保守管理以外の手段で行うことは困難と思われることなどがその理由である。このことから超大型浮体海洋構造物には、従来の経験に基づく保守管理法に代わる新しい方法が必要となろう。この新しい手法の輪郭を明らかにすることをこの論文のもう一つのねらいとした。 資源の有限さが意識され、地球環境の保全が叫ばれている今日である。使い捨て的な商品は排除される傾向にある。船舶や海洋構造物に、使い捨てといった概念は入り込めないようにも見えるが、必ずしもそうではない。今後は、より良い構造物をより長く使う傾向に向かうであろう。この時重要となるのは、出来る限りシンプルで、検査・補修のし易い構造、計画的な保守管理、さらにそれを実行し必要な修正を施こし改善してゆくことであろう。こうしたことを意識して、船舶、海洋構造物の保守管理の全体像について考え方を示した。 全体は、研究の動向(文献調査)、事例研究、要素研究、事故分析、超大型海洋構造物の保守管理の考え方、結論、からなる。 研究動向(文献調査)では、これまでに行われた船舶・海洋構造物の保守管理に関係した研究を外観する。保守管理に関する研究には、極めて広範な分野を含まれている。広く構造物の安全確保の考え方、保守管理の考え方(フィロソフィ)、点検・補修の実際・マニュアル、腐食・防食、疲労・腐食疲労、外力・腐食・防食等に関するデータベースといった分野である。全てについて取り上げることは困難であるため、今後の保守管理を考える場合に最小限必要な範囲で示す。対象とする研究は、国内で行われた研究を主としたが、研究や動向が注目されるものについては外国での研究動向にもふれた。さらに、船舶・海洋構造物の保守管理を考える際に参考とするため、航空機、鉄道橋、原子炉といった構造物の保守管理についても、現在の動向を取り上げた。 事例研究では、船舶と海洋構造物について行った二つの調査研究の結果を示した。一つ目は並外れて高齢の船舶の場合である。調査結果から、稼働停止すべきとする決定的な欠陥は無いが、全般的に多数の欠陥や変形が生じているという高齢船特有の症状が明らかになった。さらに、次第に劣化してゆく高齢船をどの時点で稼働停止とすべきかについて、重要な指標を得ることが出来た。二つ目は、実験用の多脚柱半没水型の海洋構造物を用いて行った保守管理に関する研究である。脚柱及び甲板室の塗膜防食を主たる実験対象としたものであったが、生物付着、現場検査・補修、塗膜仕様による防食性の大きな違い等を明らかにし、海洋構造物の保守管理に関する多くの知見を得た。 要素研究では、保守管理で特に重要となる要素技術に関する研究を示した。腐食疲労強度に関する研究、塗膜の膜厚分布・劣化・劣化データベースに関する研究、塗膜付き鋼板の腐食とその強度の考え方に関する研究である。 事故分析では、二つの場合を示した。一つは、海洋構造物事故を保守管理の観点から分析し直し、事故の傾向に関する新しい知見を得る試みである。海洋構造物では船舶とは異なる船齢-事故率関係が存在することを確かめた。他の一つは、船舶のSOS発信から沈没までの時間(船体損失までの時間、T)と人命救命率(R)との関係についての新しい発見と、これを基にした提案である。新しい発見とは、Tが11時間以上であればR=100%となることである。この数字を、老朽船の退役時期決定の根拠にしてはどうかというのが提案である。老朽船の特徴は、個別に見れば健全であっても一旦事故等で損傷等が発生すれば、伝播は急速なことである。Tが極端に短くなることが予測される。経年航空機では既に公認された現象であるが、船舶についても当てはめてゆこうとするものである。 今後の建造が検討されている超大型海洋構造物について、その保守管理の考え方を示すため、これまでの研究を基礎に、保守管理で考慮すべきこと、必要となる要素技術を整理した。その上で、超大型海洋構造物の保守管理の新しい考え方を示した。国際空港などに使うために検討されている超大型海洋構造物は、これまで建造された浮体構造物に比し長さで十倍、甲板面積で百倍と寸法が著しく巨大である、建造には兆単位の巨額な資金が投入される、事故等が発生した場合、社会に与える影響が深刻である等の特徴がある。このため保守管理の目的は、通常の構造物に要求される構造的な安全確保の他に、社会的な合意(Social Acceptance)を保持する、必要な機能を保持する(位置の保持、時代の要求への追従等)という二つが加わる。これを満足する保守管理を可能にするためには、計画、設計、建造、稼働、稼働の終了の各段階で行うべきことがある。さらに、新たな技術開発として、構造物の劣化予測法の開発、劣化予測と検査から得られた新たな情報による劣化予測修正法の開発、劣化予測との関係で稼働停止条件を設定することがある。これらの技術開発によって、稼働中の安全が確保できるシステムを構築することが出来ることになる。 多方面からの実験と考察から、船舶・海洋構造物の保守管理について、その全体像を示すことを試みた。結論として、船舶・海洋構造物の保守管理が現在どういう状態にあり、今後どういうあるべきかの方向性を示すことが出来た。 |