学位論文要旨



No 214166
著者(漢字) 吉田,有希
著者(英字)
著者(カナ) ヨシダ,ユウキ
標題(和) マイクロバブルによる乱流境界層の摩擦抵抗低減法とその船舶への応用に関する研究
標題(洋)
報告番号 214166
報告番号 乙14166
学位授与日 1999.02.12
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第14166号
研究科 工学系研究科
専攻 環境海洋工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 加藤,洋治
 東京大学 教授 笠木,伸英
 東京大学 助教授 山口,一
 東京大学 助教授 佐藤,徹
 東京大学 講師 高木,周
内容要旨

 船舶における抵抗低減法の研究は温室効果ガスの一つとされるCO2の排出量削減につながり、地球環境保護の観点から大きな意義があると考えられる。

 船舶の抵抗は粘性抵抗および造波抵抗に大きく分けられ、粘性抵抗はさらに粘性摩擦抵抗および粘性圧力抵抗に分けられる。造波抵抗および粘性圧力抵抗については船型の影響が大きく、これまで船型試験水槽における試験結果および数値計算結果等に基づく船型の改良が続けられており、常に与えられた設計条件下でそれらの抵抗を極小とする試みがなされてきた。その長年の努力により今日の船型は最適形状に近いものになっていると考えられるので、造波抵抗および粘性圧力抵抗についてこれ以上の大幅な低減を望むことは困難な状況となりつつある。

 そこで、次は粘性摩擦抵抗に目を向けることになる。VLCC(Very Large Crude-oil Carrier)では全抵抗の75%以上が粘性摩擦抵抗で占められ、摩擦の低減は推進動力に大きく影響する。高速船の場合でも船型改良が進んだ後は次に粘性摩擦抵抗を低減させることが必要となってくる。しかし、粘性摩擦抵抗は概ねレイノルズ数および浸水表面積により決定され、大幅に低減させるための工夫は特に実用化されていないのが現状である。粘性摩擦抵抗を大幅に低減する技術の開発は船舶流体力学にも残された大きな課題の一つと考えられる。

 マイクロバブルによる摩擦抵抗低減法とは、直径が1mm程度あるいはそれ以下の気泡群を主流速が数m/sから十数m/s程度の乱流境界層内に混入することにより摩擦抵抗を低減させる方法を指す。通常、液体は水、気泡は空気である。

 McCormickら(1973)は軸対称である流線形物体の表面から電気分解法により水素気泡を発生させ、抵抗試験を実施することによりその抵抗低減効果を確認した。その後は、多孔質板を通して水中に空気を吹き出す簡単な方法により盛んに研究が行われるようになる。

 Madavanら(1985)は実験的研究の他に理論的研究も行った。ボイド率が増大すると、見かけの粘性係数が増加すると考えた混合長理論を用い、摩擦抵抗の計算を行った。Marie(1987)もMadavanらと同様の見かけの粘性係数を用い、気泡の混入により粘性底層の厚さが変化する簡便なモデルを提案した。しかし、MadavanらおよびMarieの解析には気泡の運動学的な特性は考慮されておらず、また尺度影響についても知見が得られていない。

 数理モデルおよび直接的方法を含めた気泡流の解析方法はより実用的、より高精度な方向へ改良が進む中で管内流解析から気泡プルームなどの解析へと用途は広がり、それに伴って解析方法もかなり多様化してきたと言える。しかし、マイクロバブル乱流境界層については船舶への適用評価に適した簡便な解析方法は見当たらない。船舶の抵抗試験では実機が用いられるのではなく、長さがせいぜい7m程度までの模型であるから、そのデータから実機の抵抗を推定するためには尺度影響あるいは相似則に関する知見が求められる。そこで、本論では理論的アプローチを基礎とする解析方法の構築およびその応用法の研究を行う。

 まず、第2章では、2次元平板を対象とし理論的基礎について論じる。乱流境界層中の気泡の運動方程式を立て、水の乱れに対する応答を解析し、気液間の速度差(スリップ)から気泡の抗力を求め、水に対して働く新たな応力を導くことにより乱れを抑制する乱流モデルを構築する。気泡運動の時定数と乱れの周期の比によって、高周波数帯域、中周波数帯域および低周波数帯域の3つの場合に分け、乱れを抑制する乱流モデルは高周波数帯域の漸近解であると近似することにより解析解を得ることが可能となる。このモデルは混合長理論に基づいたもので、カルマン定数が気泡の混入により修正される形のものが導かれる。基本方程式は運動量保存則および質量保存則である境界層方程式である。ここまでで、方程式は乱流モデル、運動量保存則および質量保存則の3つであるが、未知数は速度u,v、壁面せん断応力およびボイド率(あるいは気泡直径)の4つであるから方程式が一つ足りない。これを補うために、気泡の質量保存則である気泡流束の釣合式を構築し、これをボイド率分布の支配方程式とし、方程式系に追加した。この段階で方程式系は閉じる。既知として与えるものはボイド率あるいは気泡直径のいずれでもよいが、実験観測結果から気泡直径を一意的に決定することは非常に困難であるから、ボイド率を与えて計算を行うこととする。そのボイド率は、簡便化のための第1近似として、また、実験ではある範囲における空気流量と流速で分布が直線形状になることからも、線形相分布を仮定して議論を進めることとする。これで既知として与えるものは気泡なしの乱流境界層の諸量と空気流量のみとなって、摩擦低減効果を計算できる状態となる。理論の検証は、規模が異なる4種類の装置による実験データを用いて行った。乱れ度の絶対値については、流れの増加要素が高周波近似によって無視されているので、実験と合わないが、空気流量の増加に伴い乱れが減少していく傾向はよく合った。摩擦抵抗低減については、空気流量が非常に大きい場合を除き、実験とよく合った。特に、流速の影響および尺度影響については従来のMarieの理論よりも定性的表現力が良好であるとみられる。速度影響および尺度影響に関する実験値との一致性は従来よりも向上しフルスケールの船舶性能推定の糸口を見出したといえる。

 第3章では粒子追跡法によってボイド率を求める数値的アプローチを研究し、気泡の運動方程式に種々の力を加えられるツールの開発を行った。粒子追跡はOne-way couplingによるものであるが、マルコフ過程を応用したモンテカルロ法を用いることにより、乱流中の気泡の拡散を考慮することができる。まず、気泡なしのk-モデルを用いたCFD計算を行い、k-のデータおよびマルコフ過程の理論により時間に関して離散的な乱れ速度モデルを構築する。その乱れ速度を時間平均速度に加え、気泡の速度との差をとって抗力を求め、運動方程式を解いて気泡の軌跡を求める。空気流量が少なく気泡が小さい場合、すなわち、乱れの渦よりも気泡が小さいと考えられる場合は気泡のスケールで流場を眺めると渦流しか見えずせん断流が見えないので、揚力を運動方程式に加味してはいけない。この場合、数値的アプローチの結果は第2章の理論的基礎の仮定と整合性がとれる。一方、気泡が乱れの渦よりも大きいと考えられる場合、せん断流が見えてくると考えられ、このときは揚力を加味しなければいけないことがわかった。

 第4章では、船体まわりの計算法について議論する。マルコフ過程を応用したモンテカルロ法を船体まわりの計算ができるように拡張し、気泡軌跡の計算結果を模型まわりの気泡軌跡観測結果により検証した。定性的には観測結果によく合った。船体まわりの計算するので、造波抵抗に対する気泡の影響についても論じる。従来のThin ship theoryを基に気泡が混入された場合、船体形状を表す特異点分布がどのように変化するかを解析する。その結果、実船では造波抵抗に対する気泡の影響は無視できる程度に小さくなるとの結論を得た。摩擦抵抗低減効果へのスケール影響は明らかに存在し、船が大きい場合は小さい場合よりも低減効果が低下すると考えられるが、その低下は大きなものではないとみられる。船が大きくなる場合はその幅および境界層厚さの増大にしたがって空気流量を増やせば、船が小さい場合に近い低減効果を得ることができる。空気吹き出し位置について、前後方向は摩擦抵抗の観点から前縁に近いところから吹き出すほど効果が高く、鉛直方向については送風機動力の観点から喫水の浅いところの方が動力ゲインが高くなることがわかった。さらに、理論的基礎の仮定に最も近い船底からのみの空気吹き出し時でも、吹き出し位置が適切に決められた小さな船舶ならば動力ゲインが正になる可能性があることも判明した。

 最後に、第5章では、現行の船舶の実用性を損なわずに適用することを条件として、空気の吹き出し位置を船底に限定しない理想的な条件で動力ゲインの試算を行う。側面からの吹き出しの評価は気液間の相互干渉評価が今後の課題として残されているが、厚いバルバスバウの側面など局所的に表面圧力が低くなるところからマイクロバブルを吹き出せば、動力ゲインが約2.6%になる場合もある。船舶への応用を考えるとマイクロバブルによる摩擦抵抗低減法は、課題も残されてはいるが、将来的に数パーセントの動力ゲインを得る可能性がある点から有望なものであるといえる。

 以上

審査要旨

 本論文は「マイクロバブルによる乱流境界層の摩擦抵抗低減法とその船舶への応用に関する研究」と題し、6章から成っている。

 船舶の抵抗は粘性摩擦抵抗、粘性圧力抵抗、造波抵抗の3つの成分からなっているが、現在、使われている船型では、粘性摩擦抵抗の成分が大きい。たとえば超大型タンカーで全抵抗の75%以上が粘性摩擦抵抗である。したがって粘性摩擦抵抗の低減は船舶流体力学に残された大きな課題の一つである。

 本論文は直径1mm程度以下の微小空気泡群(これをマイクロバブルと呼んでいる)を船体まわりの乱流境界層内に混入することにより、摩擦抵抗低減を実現させる技術について、抵抗低減の機構を考究し、具体的に船舶へ応用する可能性について論じたものである。

 第1章「序論」では研究の動機、これまで提案されている様々の摩擦抵抗低減法について述べ、船舶に適用するのにマイクロバブルによる方法が最も有望であるとしている。さらにマイクロバブルに関する従来の研究について概説している。

 第2章は「線形相分布に基づく近似理論」で本論文の中心を成す章である。

 2次元平板に定常な乱流境界層が発達し、その中に微小な気泡がある場合について、気泡の運動方程式を立て、乱流に対する応答を解析している。そして気泡に付加質量があるため気液間に速度差(スリップ)が生じ、これにより気泡に抗力が動き、その反作用として水に応力が作用し、乱れが抑制される可能性があることを示している。

 乱流中の気泡あるいは固体粒子の挙動や乱れに対する影響についての従来の理論モデルは、当該粒子と水の微小部分の運動量交換により乱れが増加するというモデルのみであったが、本解析で気泡運動の時定数と乱れの周期の大小によって、乱れが抑制される場合と、乱れが増加する場合があることを示した。すなわち、気泡の時定数にくらべ乱れの周期が短い高周波数域では気泡運動のレスポンスが悪く、気泡の動きが小さいため運動量交換が行われず、気泡抗力による影響が大きくなり、結果として壁面での摩擦抗力が減少する。低周波数域では気泡のレスポンスがよく逆の結果となる。このような解析と考察は従来行われておらず、この学術分野に新たな知見を加えたと云うことが出来る。

 さらに質量保存の方程式、運動量保存の方程式に加え、境界層中のボイド率分布の方程式を導き、これらを連立させれば実際に解が得られることを述べている。そして著者自身が行った実験および他の研究者による実験結果と上述の解析法による計算結果を比較し、本解析法が適当であることを示している。

 第3章は「非線形相分布に関する-考察」と題し、粒子追跡法によってボイド率を求める数値的方法について述べている。解法はモンテカルロ法により離散的に気泡の運動を求めるものであるが、第2章では気泡に働く力を付加慣性力、粘性抗力、浮力のみとしたが、第3章ではせん断流中の気泡に働く揚力をも取り入れている。このような場合の揚力については、現在まだ世界的に知見が乏しいが、計算を実験と比較し、境界層の乱れのスケールに比べ気泡が大きい場合には揚力を考慮しなければならないと結論している。

 第4章「線形相分布近似に基づく船舶の動力ゲインの計算」では本解析法の結果を実際に船舶に適用した場合の問題点、可能性等について論じている。

 まずモンテカルロ法を用いた気泡追跡法により、船体まわりの気泡の軌跡を計算し、模型船での実験を比較し、この方法の精度を検証した。これは実際的な設計の際3次元曲面を持つ船体表面をマイクロバブルで出来るだけ有効に被うための吹き出し位置を知る意味で重要である。さらに造波抵抗に対する気泡の影響について考察し、実船ではその影響は無視出来ることを示している。

 また、実用上からは、船体から気泡を吹き出す際、出来るだけ所用動力が小さいことが望ましいが、そのような吹き出し位置についても論じている。

 第5章「実船適用の可能性」では、現在ある船舶に本方法を適用した場合の例として長さ284m,巾43mのカーフェリーを取り上げて検討している。球状船首の側面など局所的に静圧が低くなるところからマイクロバブルを吹き出せば、必要な全動力のゲインは最大2.6%となると計算している。さらに、大量のマイクロバブルを吹き出すための大容量の送風機を搭載すればゲインはさらに大きくなるとして、この方法の実用性を述べている。

 第6章は「結論」で得られた成果をまとめている。

 以上要するに本論文は微小気泡(マイクロバブル)を含む乱流境界層の乱流の機構につき新たな知見を加え、またマイクロバブルにより船舶の乱流摩擦抵抗が低減し、必要な動力も減少させることが出来ることを具体的な計算により示したもので、船舶流体力学および船舶抵抗低減技術の発展に寄与するところが大きい。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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