本論文は主として1960年代に行われた新機能素子実現を目的とする固体プラズマ現象の研究成果と、それに関連して発明・実用化された高感度マグネトダイオード(略称SMD)の理論的解析、実用化開発について記すものである。 固体プラズマ現象は固体中の正負粒子が互いにクーロン力を及ぼし合いながら行う集団的挙動による諸現象を指す。電磁流体的な解釈が必要なものと、古典的な一電子近似で説明できるものとがあり、本研究では下表のように区分される一連の現象を番号順に研究対象とした。 図表 真性Geよりなるlong p-i-n diodeに電子と正孔を二重注入してできる固体プラズマに磁界を加えた時電流発振を生ずるオシリスタ現象では、helical instabilityの理論をさらに精緻化し、その考察結果を24GHzマイクロ波反射を用いた担体密度測定により裏付けし、ほぼ完全にその動作原理を解明することに成功した。 半金属であるBi中に熱平衡状態で存在する電子-正孔対による固体プラズマの研究では、世界で初めて半金属中での音響電磁気効果(Acoustomagnetoelectric Effect略してAME効果)の存在を実験的に立証した。これは変形ポテンシャルを介したphonondragにより電子と正孔がともに超音波伝播方向に流れるのを、磁界で反対方向に分離して一種のホール電圧を生じさせるものである。一電子近似の電流の式に変形ポテンシャルを介した超音波ドラッグの効果と、磁界によるローレンツ力を取り込むことによりAME電圧を数学式として求めた。理論計算値と実験結果との対比は良好であり、変形ポテンシャル係数、再結合時間、音速、移動度テンソル成分、質量パラメータなどの値を求めることができたが、これらは既に報告されているデータと良く一致するものであった。AME電圧を磁界の関数として測定した場合大きな量子振動が認められ、その周期の解析からBiのフェルミ面構造を再確認することができた。 超音波増幅はc≫1(即ちB≫1)の条件化で横方向に流れる電子-正孔対の速度E/Bが音速を超えると、エネルギーが粒子系から音波系に移り、超音波の増幅が生ずるという前提に立って行ったものである。15,45MHz程度の超音波に対しては十分な増幅効果は観測されなかったが、これはAME効果の実験結果から求められた2eVというBiの変形ポテンシャルの値から説明できると思われる。しかし、電子-正孔対の速度が音速を超えると、担体流から格子系へのエネルギー移動を生じ、自然の擾乱によって発生するより高いランダムな周波数の超音波束が増幅され、その結果電流方向の抵抗が急激に減り、電流-電圧特性に異常な屈曲(即ちKink効果)を生じるというメカニズムを明らかにした。 またさらに固体プラズマとしての特徴を示すものとして、Bi-Te稀薄合金中でヘリコン波が伝播することを実験的に立証した。その伝播定数には電気伝導度に見られるShubnikov-de Haas振動などに比べて遥かに大きな振幅の量子振動が現れることを初めて実験的に見出した。この現象はBiの複雑なフェルミ面構造を詳細に調べるのに適した簡便で精度の高い手段を提供するものである。 上述した固体プラズマ現象の研究を基礎として新しい機能素子の開発に成功した。即ちオシリスタと同様に真性Geよりなるlong p-i-n diodeの対抗する二側面における表面再結合速度を著しく非対称とすることにより、極めて感度の高いリニアな磁気センサが得られることを見出した。この新しい高感度マグネトダイード(略称SMD)の定性的な動作原理は次のとおりである。 拡散距離より長いi領域を持つp-i-nダイオードで、順方向バイアスにより両電極から電子と正孔を二重注入するとi領域にいわゆる伝導度変調を生じ、ほぼ電圧の二重に比例した順方向電流が流れる。この状態で、電流に直角な方向に磁界を加えると、電子と正孔は第三の直角方向の同じ向きに曲げられて進み、その多くは素子表面に達してそこで再結合する。再結合速度の大きい側面に向かう時は担体が速やかに再結合して長手方向の電流は減少するが、その逆の場合には電流は一旦増加しさらに磁界を強くすれば減少する。零磁界近辺でほぼ磁界にリニアな電流変化が得られ、その実効的な磁気感度はホール素子の100〜1000倍に達する。 こうした二重注入ダイオードの電流-電圧特性は、本研究以前に多くの理論解析がなされており、ある仮定のもとでは電流が注入担体の平均寿命に比例するという結論が導かれている。本研究ではこれら既成の理論の中に磁界と表面再結合の影響を取り込んだ解析を行い、平均寿命(したがって電流)が電圧と磁界に応じてどのように変化するかを下記のような一つの数学式の形で表すことに成功した。 但しP,Q,R,,は電界、磁界、試料の各種パラメータなどを含む複雑な関数式である。この式に現実の条件を当てはめて数値計算した結果は、実験的に得られた電流-電圧特性の磁界依存性と良い一致を示した。 磁界ゼロの時の電流値J0は多くの研究者によって詳しく解析されているが、本研究で詳細な実験を行ったところ、従来の理論に反する部分のあることが見出された。これは二重注入電流のモデル化の不備によるものである。また磁界依存性についてさらに精度の高い議論をするためには、二重注入によらず熱平衡状態で存在する担体の磁界依存性も考慮に入れる必要がある。しかし実用素子の設計指針を得るという目的に対しては、本研究の理論解析で十分満足すべき結果を得た。 この新しい磁気センサは、ホール効果出力を物理現象によって等価的に増幅したものと言うことができ、まさに機能素子と呼ぶに相応しいものである。その物理現象がi-Geを素材とし表面再結合に依存しているだけに、温度特性、安定性などに難があるものの、極めて磁気感度が高く手軽に大きな出力が得られる利点があるため実用化への途が拓けた。まず月産数千〜数万個オーダーの小規模生産に適した量産技術を確立し、次に特性改善のための諸検討を行った。特に温度依存性の欠点を補うため、温度特性の揃った2個の素子をペアとして用いる方法と、それを効率よく量産する手法を開発した。この思想は後に磁性金属薄膜を用いた磁気抵抗素子製品にも受け継がれその実用化に寄与した。その他各種の関連素子や高抵抗Siを素材とする素子も試作し、また同時にその応用技術についても多面的な研究開発を行った。 SMDはその特性から汎用磁気センサとしてではなく、安価なフェライト磁石と組み合わせた近接スイッチ、無接触ボリューム、回転検出装置など、或いは微弱な交流磁界を感知する用途などに特に適している。当初の開発目標であったブラシレスモータ用には諸般の事情で利用できなかったが、レコードプレーヤ、車載用カセットプレーヤなどの民生用機器に搭載された。また広い範囲にわたって各種の産業用機器にも採用されたが、その特色を最も有効に利用しかつ最も長期間に亘って使用され続けたのは、フォークリフトの無接触コントロールと磁気探傷機の漏れ磁界センサであった。一部の用途向けではあるが、開発後30年を経た現在もなお、開発当初と殆ど同じ仕様の素子が製造販売され続けていることは、技術革新の急激な半導体領域において極めて稀な事象と言えよう。 固体プラズマに関する一連の研究は、元来トランジスタやICでは実現できないマイクロ波領域の発振・増幅素子を得ることを目指して行ったものであるが、結果的には磁気センサという形で基礎研究の成果が結実した。本研究では固体物性物理の基礎研究に端を発し、新規機能素子の着想、その理論的解析、実用素子の開発、製造技術、応用技術、営業支援など、一つの電子デバイスについてあらゆるフェーズの研究開発に携わった。 今後も新しい機能素子を求める研究は種々試みられるであろうが、1)新しい物理原理、2)それを具現化する工業技術、3)強い実用ニーズの存在、4)代替技術に対する経済的優位性、などの諸条件が共助的に働くことが成功への必要条件である。 |