学位論文要旨



No 214179
著者(漢字) 揖斐,高
著者(英字)
著者(カナ) イビ,タカシ
標題(和) 江戸詩歌論
標題(洋)
報告番号 214179
報告番号 乙14179
学位授与日 1999.02.17
学位種別 論文博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 第14179号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 鈴木,日出男
 東京大学 教授 小島,孝之
 東京大学 助教授 長島,弘明
 東京大学 助教授 大木,康
 東京大学 教授 延廣,真治
内容要旨

 日本の近世(江戸時代)には、漢詩・和歌・俳諧・狂詩・狂歌などさまざまな韻文のジャンルが並立していた。従来の日本文学研究においても、それら個別ジャンルの研究は大きく進展してきたと言えるが、個別ジャンルを越えて、近世における詩とは何かを問う研究は、必ずしも活溌ではなかったように思われる。本論文は、近世における詩の中心的なジャンルとして漢詩を措定しつつ、個別ジャンルにとどまることなく、雅・俗あるいは和・漢という座標軸を設定しながら、広く諸ジャンルの間を往来して、近世における詩のあり方を明らかにしようと試みたものである。

 まず「第一部 江戸漢詩の思潮」では、「第一章 漢詩の隆盛-江戸漢詩史概説-」において、幕初より幕末に至る漢詩の文学史的展開を概観し、そこに風雅を詩の価値とする古典主義的な詩観から、性霊という詩人の精神を詩の源泉として重視する現実主義的な詩観への推移があることを跡づけた。これをうけて、「第二章 風雅論-江戸期朱子学における古典主義詩論の成立-」では、林家や木門という近世朱子学派の内部に、風雅を詩の価値とするいわゆる風雅詩観が成立する過程を分析し、その到達点が祇園南海の詩論に見出されることを明らかにした。さらに「第三章 性霊論-江戸漢詩における古典主義の克服-」では、明の袁中郎や清の袁枚の性霊説の影響を受けながら、江戸詩壇が古典主義から現実主義へと転回していった過程とその文学的意味を、山本北山の『作詩志〓』(天明三年刊)や江湖詩社の詩人の言説などに基づきながら検討整理した。

 「第二部 江戸漢詩の諸相」では、江戸詩壇の思潮が性霊説によって大きく現実主義へと転回した後、近世後期の漢詩が呈示したさまざまな様相を、具体的な作品と詩人のあり方を分析することによって明らかにしようと試みた。前半の「第一章 詠物の詩-漢詩と俳諧の一接点-」「第二章 詠史の展開-『野史詠』から『日本楽府』へ-」「第三章 竹枝の時代-江戸後期の風俗詩-」では、それぞれ近世後期に流行した詠物詩・詠史詩・竹枝詞という三つの特徴的な詩体の内実と流行の様相を取り上げ、そこには風雅を詩の価値とする古典主義的な詩では表現できなかった、新しい日本漢詩の可能性が開示されていることを指摘した。ついで後半の第四章から第六章までの三章は、近世後期を代表する二人の詩人のあり方とその作品の分析に当てた。「第四章 柏木如亭論序説-『木工集』の世界-」では、江戸幕府に仕えた一人の大工棟梁が、いかにして自覚的な詩人になっていったかを、その第一詩集『木工集』(寛政五年刊)の分析によって浮彫りにし、「第五章 如亭詩の抒情-転蓬の詩人と流れの女-」では、その柏木如亭という詩人の抒情の質は、薄倖の遊女の姿に己の不遇を重ね合わせるところから生まれるようなものであって、儒教的な価値観に基づいた風雅を源泉とするような従来の漢詩的な抒情とは異質なものであることを指摘した。そして「第六章 友野霞舟-「官学派詩人」の詩について-」では、柏木如亭とは対照的な、昌平の儒者友野霞舟においても、漢詩人としてはもはや儒教的な堅苦しさからは解き放たれていたことを明らかにした。

 「第三部 批評と結社」は、第一部・第二部で検討したような漢詩の現実主義化や日本化によって、近世後期においては漢詩の大衆化が推進され、その結果として全国的に多くの詩社が成立し、ジャーナリスティックな批評が登場したことの分析に当てた。「第一章 『五山堂詩話』論-化政期詩壇と批評家-」では、文化年間から天保期にかけて、年刊の漢詩批評誌として出版された菊池五山の『五山堂詩話』十五巻を検討し、漢詩批評のあり方と批評家菊池五山の当代漢詩壇における役割を明らかにし、「第二章 化政期詩人の地方と中央-佐羽淡斎を中心に-」では、上州桐生の絹買次商で、菊池五山や大窪詩仏など江戸の漢詩人たちのパトロンでもあった佐羽淡斎という地方詩人に焦点を据えて、大衆化した化政期漢詩壇における地方と中央との密接な関係を較量した。そして、「第三章 『寄居歌談』論-地方からの幕末和歌批評-」では、幕末に出版された長門萩藩士近藤芳樹の歌話『寄居歌談』五巻を分析し、そこに漢詩のジャーナリズム批評である『五山堂詩話』の影響が見られるとともに、政治の季節であった幕末期のものだけに、宣長的な「もののあはれ」論が政教主義的に修正されるに至っていることを指摘した。

 「第四部 江戸派の展開」は、江戸詩壇で漢詩の現実主義化や大衆化が進行したのとちょうど同じ頃、江戸歌壇の中心勢力として活躍した加藤千蔭や村田春海など、いわゆる江戸派の和歌や歌論の分析に当てた。その江戸派の前史として、江戸派の性格を考える上で大きな意味を持つ、加藤枝直と賀茂真淵の交渉関係を検討整理したのが「第一章 江戸派の揺藍-加藤枝直と賀茂真淵-」である。真淵の古道思想とそれを容認できなかった枝直との関係は、その後、基本的には真淵歌論と江戸派歌論との相違という形で受け継がれるが、真淵の後継者たることを自負した千蔭や春海は、江戸派の歌論をできるだけ真淵歌論と矛盾しないものにするために腐心した。その結果として江戸派において新古典主義的な歌論が成立したことを明らかにしたのが、「第二章 江戸派の成立-新古典主義歌論の位相-」である。そして、「第三章 江戸はどう詠まれたか-江戸派和歌の特色-」では、加藤千蔭の和歌に見られる「大江戸」意識を手がかりに、江戸派に至って江戸という都市の風景が、ようやく独自なものとして和歌の表現に定着されたことを指摘した。さらに、「第四章 和文体の模索-和漢と雅俗の間で-」では、村田春海が漢文の骨格を意識しながら、叙事にも議論にも通用する雅正な和文体を創始しようと試み、それが一定の成功を収めていることを評価した。続く「第五章 漢詩人としての村田春海」では、歌人・和学者であるとともに漢詩人平士観でもあった村田春海の漢詩作品を集成整理し、漢詩人としての春海は格調派末流の詩人として位置づけられることを指摘した。「第六章 村田春海と丁字屋丁山」では、春海の妻が吉原丁字屋の遊女丁山であったことを確定し、その遊蕩的な生活環境が、同時代の漢詩人柏木如亭や戯作者山東京伝などとも重なるものであることを明らかにした。

 「第五部 狂俳への転位」では、近世において時代の韻文のあり方をリードした漢詩が、他のジャンルの韻文にどのような影響を与えたか、あるいは他のジャンルの韻文とどのような関係を有していたかを考定した。まず、漢詩人として出発しながら、十九歳の明和四年に狂詩文集『寐惚先生文集初編』を出版したため、一躍戯作者としての名声を得ることになってしまった大田南畝において、『寐惚先生文集初編』はどのような意味を持つものであったのかを検討し、才子南畝の漢詩文のパロディの巧みさや軽やかな江戸謳歌の背後に、青春期南畝の不安を見出そうとしたのが「第一章 寐惚先生の誕生-大田南畝の文学的出発-」である。「第二章 春風馬堤曲の構造」では、蕪村の代表作の俳詩「春風馬堤曲」が、明の徐禎卿の「江南楽八首」の影響下に作られたことを踏まえ、その上で作品中の自称の代名詞が「儂」から「我」に変化していることや、作品中の人物の年齢設定に不自然さがあることに着目して、この作品のモチーフが老境に入った蕪村の熾烈な望郷の念にあったことを、作品構造の面から明らかにした。続く「第三章 蕪村における詠史の意味」では、安永期の蕪村の詠史句を取り上げ、当時交遊のあった上田秋成の『春雨物語』の世界と符合する句があることに注目して、蕪村の詠史句と秋成の『春雨物語』が書かれた背後には、折から上方漢詩壇で流行しつつあった詠史詩の存在があったのではないかと推測した。そして、「第四章 大梅論-詩から俳諧へ-」では、江湖詩社の詩人として活躍した小島梅外が、家業の札差の破産後、俳諧師大梅へと転じた行跡を追い、その俳文と俳諧作品の検討を通して、俳諧師大梅における漢詩と俳諧の関係、その発句の特色などを分析した。

 以上が本論であるが、付篇として次の二篇を収めた。「付篇一 大窪詩仏年譜稿-化政期詩人の交遊考証-(文化年間まで)」は、江戸詩壇で性霊説の詩を実践した、江湖詩社の中心的な詩人の一人大窪詩仏五十一歳までの年譜であるが、その交遊関係をできるだけ詳しく明らかにすることで、近世後期の漢詩人の生態を具体的に実感できるよう試みた。また「付篇二 写本『如亭山人詩初集』について」では、同じく江湖詩社の詩人の一人柏木如亭の写本詩集を取り上げ、ほぼ同じ時期の詩を含む板本詩集『如亭山人藁初集』(文化七年刊)と比較することで、如亭という漢詩人において、詩集編集・出版の意図が奈辺にあったかを推測した。

審査要旨

 本論文は、漢詩を機軸に、和歌・俳諧・狂詩・狂歌などの動向をも視野に収めながら、江戸時代初期から幕末に至る各時期の韻文の動態とそれらが目指した理念を、様々な観点から明らかにしたものである。本論文は五部および付篇から成り、第一部「江戸漢詩の思潮」には「漢詩の隆盛-江戸漢詩史概説-」等三篇の論文を、第二部「江戸漢詩の諸相」には「詠物の詩-漢詩と俳諧の一接点-」等六篇の論文を、第三部「批評と結社」には「『五山堂詩話』論-化政期詩壇と批評家-」等三編の論文を、また第四部「江戸派の展開」には「江戸派の揺藍-加藤枝直と賀茂真淵-」等六編の論文を、第五部「狂俳への転位」には「寝惚先生の誕生-大田南畝の文学的出発-」等四編の論文をそれぞれ収め、さらに付篇として「大窪詩仏年譜稿-化政期詩人の交遊考証-」「写本『如亭山人詩初集』について」の二篇の考証を付載する。

 第一部は、江戸漢詩の理念・詩観の変遷に焦点を当てたもので、近世初・前期の漢詩において、朱子学派の内部で古典主義的詩観ともいうべき風雅詩観が成立してゆく過程や、近世中・後期の漢詩が、古文辞格調派の擬古主義から性霊説の影響によって現実主義的・個性主義的な詩風に転換してゆく過程を詳細に分析する。第二部は、近世後期の漢詩や漢詩人を具体的に論じたもので、特に詠物詩・詠史詩・竹枝詞という特徴的な詩体の意義を掘り下げ、また柏木如亭の詩などに見られる、新しい抒情の質の意味を明らかにしている。第三部は、近世後期の漢詩の大衆化と詩壇ジャーナリズムの成立がもたらした問題について考察し、菊池五山『五山堂詩話』にジャーナリズム性が強いことを指摘し、また化政期詩壇の中央と地方の密接な関係を桐生の佐羽淡斎を例に論じ、さらに近藤芳樹の歌話『寄居歌談』に『五山堂詩話』の影響が見られることを明らかにして、ジャーナリズムの影響力が、漢詩のみならず韻文学全体に、あるいは中央のみならず地方にまで及んでいることを論証する。第四部は江戸の漢詩壇が現実主義化・大衆化した時期に、江戸歌壇の中心として活動した加藤千蔭や村田春海らのいわゆる江戸派の歌論や和歌を分析したもので、江戸派の歌論が、賀茂真淵の擬古主義的な歌論を半ば継承しつつ、新しい個性主義を加味した新古典主義的な歌論であることを指摘し、また春海の漢詩への親炙を指摘して、同時期の漢詩壇の革新と類似する状況が、歌壇にもあったことを明らかにする。第五部は漢詩と他の韻文ジャンルの交流を微細に検証したもので、大田南畝の狂詩・狂文、蕪村の俳詩・詠史句などをとりあげて、ジャンルの枠を越えた漢詩の影響の強さ、あるいは漢詩と俳諧の密接な関係について分析する。なお、付篇一は大窪詩仏の年譜を通して化政期漢詩人の交流の具体相を明らかにし、また付篇二は柏木如亭の写本の詩集を刊本と比較しつつ詩集の編集と出版の意味を論じて、本篇の記述を補い、また立体化している。

 従来の近世韻文学研究が、漢詩なら漢詩のみ、和歌なら和歌のみと、個別ジャンル内の研究に終始してきたのに対し、本論文の特徴は、作家や作品のジャンルの枠を越えた影響関係を明らかにし、また共通する意識をあぶり出すなど、複眼的な視座から近世韻文学の全体を見通したところにある。しかも、具体的な作品・作家の検討を始めとして、詩論・歌論、結社とジャーナリズムなど、様々な観点からの分析を積み重ね、多様性に富む江戸時代の韻文学の特質を初めて十全に明らかにした点が、きわめて高く評価できる。中国の漢詩文との比較など、あるいは今後さらに精査を必要とするかもしれない点もあるが、むしろそれは本論文の達成によって初めて問題の所在が明瞭になったものであり、本論文の評価をいささかも損じるものではない。よって、本審査委員会は、本論文が博士(文学)の学位に相当すると判断する。

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