学位論文要旨



No 214180
著者(漢字) 河添,房江
著者(英字)
著者(カナ) カワゾエ,フサエ
標題(和) 源氏物語表現史 : 喩と王権の位相
標題(洋)
報告番号 214180
報告番号 乙14180
学位授与日 1999.02.17
学位種別 論文博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 第14180号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 鈴木,日出男
 東京大学 教授 小島,孝之
 東京大学 教授 多田,一臣
 東京大学 教授 佐藤,信
 東京大学 教授 藤井,貞和
内容要旨

 本書には、表現の自立的な展開そのものを追う表現史という発想から、その重要な部分をなす喩を分析した論考を中心に収めた。さらに、喩の視点を援用したものとして、光源氏の王権譚への考察も収めた。

 近年、表現史のなかで比喩で言い表されてきた概念にとって代わり、それを包括する喩という定義の窓が開かれつつある。喩とは、比喩的な関係でとり結ばれた事象の、その相互の関係性をさす概念である。比喩といえば、直喩・隠喩・換喩などの分類へただちに連想を誘うように、喩えられるものと喩えるものの関係を形態から分節化する。しかし、そのような比喩の完成された形姿をとらない表現でも、比喩的な関係性を認めうるものは、喩のカテゴリーに広く囲いこむことが可能である。

 喩の概念は、何よりも比喩の形式主義を揺さぶるものとして、注目される。昨今、言語学や記号学の側から、比喩を旧修辞学の次元に解消するのではなく、発想や世界認識の方法として賦活させようとする理論の更新が著しい。喩はその目論見をより鮮明化させた概念ともいえ、事象の本質や深層に踏みこむ契機となるのである。喩は、単語からまとまった章節まで、さまざまな位相で物語の根幹にふれる問題をはらんでいる。喩はレトリックを超えて、象徴論の領域に踏みこんだり、物語の構造へと分けいる方途ともなる。

 本書での分析の範囲も、『源氏物語』の比喩表現にとどまらず、情景描写や時間表現、呼称の問題などに拡大している。その具体的な対象としては、花や光の喩(第I・III章)をはじめ、暁や夕べなど境界的時間(第II章)にも注目し、さらにその応用編として、『源氏物語』の第一部のライト・モチーフともいうべき王権の問題を、喩の視点から分析した(第IV・V章)。

 第I章では、『源氏物語』『夜の寝覚』を軸に花の喩を考察し、『源氏物語』の卓抜と、その影響を受けた『夜の寝覚』との質的な差異を明らかにした。また、『源氏物語』の花の喩に関わる紀貫之の歌の喩や、『枕草子』の喩を扱った。第一節では、『源氏物語』で女性を花で喩えた表現に注目し、六条院の成立以前は花の隠喩が、成立以後は花の直喩が、主題的な意義をもつことを考察し、それらが中世文学の様々なジャンルで、美的規範となっていることを確かめた。第二節では、六条院での花の喩が、女君達の主題的な位相と不可分にあり、そのために場面の季節と、花の喩の季節が不一致であることを明らかにした。一方、『夜の寝覚』では、場面の季節と花の季節が一致し、『源氏物語』が主題的な飛躍のために断念した可能性を、『夜の寝覚』が生き直すという表現史の逆転現象がみとめられる。第三節では、紀貫之の歌で最も顕著に喩の特徴が出ているものとして、心の序詞を含む歌群を位置づけた。そこでは、景物と心象の文脈がそれぞれにくっきりとした輪郭をもち、その秩序ある景と心の世界が映発しあう有り様がうかがえる。第四節では、『枕草子』における晴れの場の記録が、出来事を忠実に模写するのではなく、主体的な操作を加えて、取捨選択された記事であることを明らかにし、そのような再編された事実の記録を、中関白家の栄華や文化の喩と捉えた。

 第II章では、『源氏物語』の暁や明けぐれ、夕べに注目し、物語における独自性や、表現史の中での位置に注目した。第一節では、『源氏物語』の正篇にあられる暁の時空に、登場人物がかかえこむ内面の闇を暴き、光の浄化への導く主情的な時間の位相があることを確かめた。第二節では、宇治十帖にあらわれる暁の時空に注目し、その境界的な時間が、薫の内面の闇と救済や浄化への希求を象徴していることを明らかにした。第三節では、『源氏物語』の「夕べ」の表現において、喩的に使われた例に注目した。それらが死に関わる象徴的な時空としてあり、古代的な心性とともに、「夕べ」の煙や雲で死を風景化する中世的な美意識をも先取りする、という表現史的な累層について論じた。

 第III章では、光の喩に注目して、『万葉集』や『古今集』、『竹取物語』や『宇津保物語』などの前期物語から、『源氏物語』への表現史的展開をたどった。さらに光の喩が、『源氏物語』において、光源氏の王権物語の構造に深く関わることを明らかにした。第一節では、『源氏物語』の登場人物に用いられた「ひかり」「ひかる」「かかやく」の語彙に注目し、それらが物語史の伝統の踏襲にとどまらず、独自の世界の構築のために、積極的に選びとられた表現であることを考察した。第二節では、『古今集』の日や月の光の歌に、皇統讃美が多くみられることを明らかにし、さらに『源氏物語』の松風巻との連関をたどった。第三節では、『竹取物語』で、光が異郷のシンボルであり、難題の品々がかぐや姫の存在の喩であるような構造にあることを明らかにした。さらに『竹取物語』『宇津保物語』と『源氏物語』の光の喩の連続と不連続について考察した。第四節では、桐壺巻で主人公の通称である「光る君」の由来が、二箇所にわたって語られている理由について考察をめぐらし、物語で「光る君」と「光る源氏」が使い分けられている現象や、光が『古今集』をはじめ、皇統を讃美する歌に多くみられる表現であることから、「光る君」について、光源氏が誰よりも正統な皇嗣であることを際だたせる称詞であると結論した。第五節では、『源氏物語』で、光源氏と冷泉帝など、登場人物が一対の光り輝く存在と形容される例に注目し、これらを光源氏が藤壺系や明石系の人々と光のネットワークをとり結びながら、独自の王権譚を紡ぎ出していく表現の推進力と捉えた。

 第IV章・第V章では、光源氏の王権物語と喩の関係を、物語の展開に沿って考察した。最近の王権論の動向に、光源氏の生の節々に天皇家の祭祀との構造的対応を見とどけようとする一連の論考がある。これを喩の視点から捉え直せば、光源氏の生の途上に、いわば喩としての祭祀が代償として埋め込まれることで、独自の王権譚の構造を貫きえたということになる。『源氏物語』の第一部は、光源氏の政権獲得の物語とされるが、そうした世俗的権力の獲得のプロセスだけでは、光源氏は潜在王権としての聖的根拠をもつことができない。王権の聖性は神話や儀礼や神器を根拠としているが、物語はそれらの喩を時々に応じて配することで、潜在王権の物語を可能にしたといえよう。

 第IV章第一節では、光る君の誕生と予言について、「光る君」の呼称の孕む意味や、高麗の相人の予言と異人観相説話との比較から考察した。第二節では、桐壺巻の高麗の相人による「光る君」の命名と、皇太子の称号との関係を考えた。「光る君」とは、彼が得られなかった「日継の御子」の称号の代りに、その喩として捧げられたものと結論した。また第三節では、若紫巻の北山の段での僧都の贈り物を、神器の喩と捉えた。主人公に献上された聖徳太子遺愛の数珠が、形をかえた三種の神器、王を王たらしめるレガリアの喩になることを明らかにし、さらに伝承のなかの聖徳太子像を、光源氏の原像と捉えた。第四節では、前節を承けて、神器観の変遷のなかでの『源氏物語』の位相を明らかにし、それが中世王権の神器観の先駆であることを考察した。第五節では、賢木巻での朱雀皇権と光源氏の対峙の構造を、尚侍になった朧月夜や朝顔の斎院との関係から解きほぐした。

 第V章第一節では、須磨から明石へ、光源氏が再生していく物語に、大嘗祭における死と再生の論理をすくい取り、そのことが都への復権へ導いていく物語の深層を論じた。第二節では、六条院における年中行事に宮中に擬しながら、それをひそやかに優越するという六条院世界の構成原理がうかがわれることを明らかにした。「今めかし」という当世風の美意識もふくめて、それらは解体へ向かう六条院世界の聖性をとりとめ維持しようとする物語の論理と考えた。第三節では、梅枝巻での明石姫君の入内準備を機に、薫物合せや手本の蒐集により、光源氏が文化の統轄者として、六条院の内外の人心をふたたび掌握する構造を明らかにした。第四節では、若菜上巻の女三の宮との結婚を、光源氏の潜在王権の終局と捉えた。

 第VI章では、『竹取物語』『伊勢物語』から『源氏物語』への表現史的な流れを、引用の問題を軸にたどった。第一節では、『源氏物語』の御法巻・幻巻に、『竹取物語』の引用がみとめられる点と、『竹取物語』の享受史における『源氏物語』の文学史的な意義について考察した。第二節では、『竹取物語』が『伊勢物語』に比して、文学史の上で長らく不遇であった原因として、実録や歌学を重視する中世期の言説観を考えた。第三節では、『伊勢物語』の惟喬章段・肉親を思う章段・斎宮章段・女盗みの章段・鄙章段について、和歌と『源氏物語』の引用の視点から論じた。第四節では、『源氏物語』における引歌を、歌物語や平安後期物語、中世和歌史との関わりから表現史的に位置づけた。

 『源氏物語』を含めて物語研究においては、喩の可能性の開鑿、その構成力の発揮はまだ途についたばかりで、本書はそうした試みの一つである。今後の課題としては、表現史の分析にあって、西欧の脱修辞学の動向ばかりでなく、『歌経標式』における喩の構造など、日本的な喩の文脈を吸収し、理論的な錬成とその援用を試みていくことが挙げられるであろう。

審査要旨

 本論文は、古代における物語や和歌がその表現をいかに自立的に展開させていたかを見定めながら、その表現史の上に『源氏物語』の虚構の位相をとらえようとするものである。表現史の構想にあたっては特に、〈喩〉という概念を設定して、物と人、物と物などの関係性を幅広くとらえようとする点が注目される。そして、その〈喩〉的なるものの観点から、『源氏物語』の虚構世界がどのように構築されているか、とりわけ虚構の要ともいうべき主人公光源氏の聖性・王権性がどう具体的に造型されているかを論じている点が、本論文の眼目となっている。本論文は、全25章から成るが、それらを、「I花の喩の表現史」「II暁と夕べの喩の表現史」「III光の喩の表現史」「IV光源氏の王権譚」「V六条院王権の光と翳」「VI源氏物語と竹取・伊勢の表現史」の6部に配している。

 Iでは、『源氏物語』の女君たちが季節の時間を含む花の〈喩〉で語られることが多いが、その美的な規範性による表現を、物語の主題と不可分の関係にあると論ずる。その『源氏物語』における表現の独自性を、『古今集』『枕草子』『夜の寝覚』などの分析によってきわだてている点も説得的である。

 IIは、『源氏物語』の「暁」「明けぐれ」「夕べ」などの場面が、いかにこの物語の独自な時空をつくり出しているかを析出した論考。たとえば、「夕べ」の表現が、霊魂と感応しあう古代的な心性を表すとともに、その雲や煙の景物が死の心象風景となっている点で中世的な美意識を先取りしていると論ずる点など、斬新な指摘である。

 IIIは、光源氏の「光る」という頌辞についての論考。『万葉集』『古今集』『竹取物語』『うつほ物語』などから〈喩〉としての「光る」を抽出して表現史的に跡づけながら、光源氏の「光る」はいわば表現史の総和の上に築かれた頌辞であり、それによって彼が誰よりも正当な皇嗣の資質の持ち主とされることになると論ずる。また、この光源氏の「光る」が、藤壺系や明石系の人物たちと「光る」のネットワークをつくりながら、王権の物語をつむぎ出しているとする指摘なども、きわめて重要な新見となっている。

 IV・Vでは、『源氏物語』が王権の物語になるのに、しばしば神話・儀礼・行事・神器などが、王権の聖性の〈喩〉として表現されていることを指摘する。源氏の「光る君」の頌辞が、彼の得られなかった「日継ぎの御子」の称号の代りに、その〈喩〉として与えられたものという指摘、あるいは源氏が北山の僧都から聖徳太子遺愛の数珠を与えられる話を通して、源氏の人物造型の一面に聖なる聖徳太子の面影が宿っているとする指摘など、新見に富んでいる。また、流離から帰還への物語には、神話的な死と再生の発想がその物語の深層に作用しているとする論、あるいは玉鬘十帖あたりにみられる、年中行事にもとづく美意識が、源氏の生活空間である六条院の聖性と不可分であるとする論、そして明石の姫君の入内準備のための薫物合せや書の蒐集あたりの物語では、源氏が文化の統轄者として人心を掌握するとする指摘など、説得力のある独自な見解である。

 VIでは、『源氏物語』の前史として、『竹取物語』『伊勢物語』との関連を論じたもの。特に、御法・幻巻の紫の上や源氏の最後を語る物語が、『竹取物語』のかぐや姫昇天をめぐって最も人間的に描かれる叙述と深く照応しあうとする論は、注目すべき卓見である。

 本論文は、〈喩〉を中心とする表現史の観点から、『源氏物語』の虚構の構造に関わる多様な局面を考察した論として、すぐれた研究といってよい。ただし、〈喩〉の概念や、物語と史実の関わらせ方に、さらに考察を深めるべき余地も残している。しかし全体としては、説得力のある新見に富んでいて、『源氏物語』研究の新しい可能性を拓いた研究であると認められる。よって、審査委員会は本論文が博士(文学)の学位に値するものとの結論に達した。

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