本研究では、視覚系に存在する複数の視覚システムのうち、眼の瞳孔径を制御する視覚システムをとりあげて検討した。瞳孔は眼の開口部であり、照明強度に応じてその大きさが変化することはよく知られている。しかしながら、瞳孔は光の強度に対してのみ応答するのではなく、刺激の色度の変化や空間周波数成分の変化に対しても応答することがこれまでの研究により明らかにされてきた。そして、こうした研究から得られた知見により、瞳孔反応を制御する視覚過程では、強度変化の検出だけでなくもっと複雑な情報処理が行なわれており、その処理は、視知覚をつかさどる視知覚系でなされている処理といくつかの側面において類似している可能性が示唆されていた。本研究では、こうした示唆をもとにして、瞳孔反応研究により、視知覚研究に対していくつかの重要な貢献がもたらされるのではないかという問いを設定し、瞳孔反応の諸特性とその基礎となる視覚過程に関して検討を進めるとともに、同様の刺激条件下で心理物理学実験を実施し、視覚反応を測定して、瞳孔反応視覚過程と視知覚系での処理の類似性を検討した。ここで、瞳孔研究が視知覚研究に対してもたらすであろうと考えた貢献とは、次の3つである。1.瞳孔が色度変化や空間周波数成分の変化に対しても応答するのであれば、色覚検査や視力検査のように、視機能を評価する際に、瞳孔反応を他覚的指標として利用できるのではないか。2.瞳孔反応視覚過程と視知覚系での処理の類似性が確立されれば、ヒトを被験者として瞳孔反応を測定することにより、視知覚系における情報処理を他覚的かつ非侵襲的に検討できるのではないか。3.瞳孔反応視覚過程と視知覚系といった異なる視覚システム間で情報処理様式を比較し、その類似性と特殊性を検討することによって、ヒトの視覚系における情報処理の理解が進むのではないか。 本研究は3つの実験から構成されており、各実験の概要は次の通りである。まず、実験1では白色背景野上に色光を提示し、それに対する瞳孔反応の特性を検討した。その結果として、まず、瞳孔が輝度変化のみによって駆動されているわけではないことを再確認した。瞳孔が輝度変化に対してのみ応答するのであれば、刺激のオフセットの際に生じる輝度の減少に対して瞳孔は散大するはずであるが、背景野と色光の色度が異なる場合には、瞳孔は輝度変化に対する応答とは逆方向の収縮という形で応答した。したがって、刺激のオフセットに対する一過性の縮瞳反応は、刺激の色度変化により誘発されたと考えることができる。そして、実験1では、刺激のオフセットに対する応答だけでなく、オンセットに対して生じる一過性の瞳孔反応や、刺激が提示されている間持続的に生じる反応の諸特性について検討し、これらの反応が異なる刺激-反応特性を示すことを明らかにした。なかでも、色度変化により誘発されたと考えられるオフ反応の分光感度曲線は、心理物理学的研究により色知覚に関与するとされている反対色過程の分光感度曲線と類似した形状を示した。以上の知見から、色光により誘発される瞳孔反応には複数の視覚過程が寄与しており、そしてその一部は、反対色過程と同様に、錐体信号間の抑制性相互作用である錐体拮抗性を示すことが示唆された。 実験2では、錐体拮抗過程が瞳孔反応に寄与することを明らかにするとともに、この過程の特性をさらに検討するために、瞳孔反応において反応の打ち消しが生じるか否かを検討した。その結果、赤色光により誘発された瞳孔反応は、赤色光に緑色光を加えて強度を調整することにより打ち消すことが可能であった。こうした瞳孔反応の打ち消しは、色知覚において「赤み」と「緑み」は共存することはなく、一方により他方を打ち消すことができるという色相の打ち消し現象と類似しており、また、錐体拮抗性のきわめて強力かつ直接的な証拠である。これにより錐体拮抗過程が瞳孔反応に寄与することが確立されたといえよう。さらに実験2では、錐体拮抗過程に関する定量的な分析も行い、その結果、この過程における光受容器信号間の相互作用は、L錐体信号とM錐体信号の減算的相互作用によって記述することが可能であり、相互作用における錐体信号の重みづけ係数は、反対色過程に関してもとめられている重みづけ係数と類似していることが示された。 実験3では、L錐体とM錐体を順応させる色背景野上に色光を提示する条件下で瞳孔反応の検討を行い、S錐体も色度変化に対する瞳孔反応に寄与しているか否かを検討した。その結果、色光のオフセットに対して生じる縮瞳反応の分光感度曲線には、短波長領域に感度のピークが認められ、これがS錐体の分光感度曲線と対応することから、色度変化に対する瞳孔反応には、L、M錐体だけでなくS錐体も寄与することが支持された。また、S錐体からの寄与を受けていると考えられる瞳孔反応の分析結果から、S錐体信号と他の錐体信号との間には、抑制性の相互作用が存在することが示唆された。 本研究の実験から得られた知見をまとめると次のようになる。色光に対する瞳孔反応は、異なる特性を示す複数の視覚過程からの寄与を受けている。そして、そのうちの一部の過程が刺激の色度変化を検出しており、一過性の縮瞳反応を生じさせる。この視覚過程は、L、M錐体だけでなく、S錐体からも入力を受けており、反対色過程と定量的にも類似した錐体拮抗性を示す。 こうした錐体拮抗性とS錐体の寄与という制約条件をもとに、本研究では、色度変化に対する瞳孔反応を生み出す生埋学的過程に関する仮説を提案した。この仮説では、色度変化に対する瞳孔反応は、網膜神経節細胞のうちPC細胞に由来する視覚信号によって駆動されていると考える。これまでの生理学的研究により、PC細胞は、S錐体からも入力を受けており、異なる種類の錐体から拮抗性の入力を受け、刺激に対して持続的に応答することが明らかにされている。そして、本研究の仮説では、さらに、PC細胞からの錐体拮抗信号は、最初に視覚皮質へと上行し、そこにおいて信号処理を受けた後に、視蓋前野オリーブ核へと下降し、その後は通常の瞳孔反応経路を経て、瞳孔筋を制御すると仮定する。皮質における信号処理様式としては、特定のペアのPC細胞からの信号を組み合わせる相殺アルゴリズムが有力であり、これによって、PC細胞からの信号に基づいており、錐体拮抗性を示すが、色度変化に対して一過性の波形を示す瞳孔反応を予測することができる。 最後に、以上のような知見と仮説に基づき、瞳孔反応測定が視知覚研究にもたらす貢献に関して考察した。まず最初に、視覚系における情報処理に関しては、瞳孔筋の運動制御に関与する瞳孔反応視覚過程と色の見えに関与する視知覚系(反対色過程)という異なる視覚システムにおいて、色度変化検出のために、類似した処理がなされていることが本研究によって示された。このことは、錐体拮抗性(反対色性)は、色知覚のためだけの処理様式ではなく、広く色度変化検出のために使用される基本的な処理原理であることを示唆しており、また、視覚系は、ある視機能を(特に初期レベルの)神経系において実現する際には、視覚システムごとに特殊化された処理様式を使用しているのではなく、類似あるいは共通した処理様式を使用していると考えられる。つづいて、視機能を評価する際に、瞳孔反応を他覚的指標として利用できるのではないかという問いに関しては、先行研究および本研究の結果から、色度変化検出の他覚的評価や色覚検査のために、刺激のオフセットに対して生じる縮瞳反応を用いることが可能であると考えられる。この縮瞳反応は、背景野上に色光を提示する条件下で広く認められ、検出が容易であり、また、測定の際に等輝度設定を必要としないなど、他覚的指標としていくつかの重要な利点をもっている。最後に、瞳孔反応測定は視知覚系での情報処理の研究手法となりうるかという問題については、本研究で示された瞳孔反応視覚過程と視知覚系における処理の類似性に基づき、瞳孔反応を測定することによって、視知覚系における情報処理(錐体拮抗的処理)を、間接的にではあるが、他覚的かつ非侵襲的に検討することが可能であると思われる。さらに、色度変化に対する瞳孔反応が、網膜神経節細胞のうちPC細胞の活動を反映しているという本研究の仮説が正しいとすると、ある視覚課題を遂行する際にPC細胞の活動が生じているか否かを、瞳孔反応を用いて非侵襲的に検討することが可能となる。こうした研究手法が得られることにより、健常者だけでなく、視覚障害者や認知障害者の視知覚に関して、さらには、言語反応や能動的反応を得ることができない被験者の視知覚に関して、研究が進展することが期待される。 ヒトの視覚に関する研究は、視知覚およびそれをもたらす視知覚系に集中しており、それに比べると、瞳孔反応やその基礎視覚過程に関する研究は数が少ない。しかしながら、本研究で議論したように、瞳孔反応研究は視知覚研究に対しても重要な貢献をもたらしうる。そして、ヒトがある視覚課題を遂行している際に、瞳孔反応を測定することによって、特定の視覚処理、あるいは、特定の処理経路からの寄与が認められるか否かを他覚的かつ非侵襲的に検討することができるとすると、その理論的、実用的意義は大きい。今後は、瞳孔反応に関する研究がさらに進められ、瞳孔反応測定を視知覚研究のさまざまな分野に適用することを目指した研究が行われることを期待したい。 |