学位論文要旨



No 214192
著者(漢字) 古川,洋一
著者(英字)
著者(カナ) フルカワ,ヨウイチ
標題(和) ヒト-カテニン遺伝子の単離とその構造の決定、発現、染色体マッピングと癌における遺伝子異常の検索
標題(洋)
報告番号 214192
報告番号 乙14192
学位授与日 1999.02.24
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第14192号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 上西,紀夫
 東京大学 教授 森,茂郎
 東京大学 助教授 江里口,正純
 東京大学 助教授 戸田,達史
 東京大学 講師 真船,健一
内容要旨 【緒言】

 上皮細胞が幹細胞からの分化増殖しながら、特徴的な構造を形成し維持するには細胞間および細胞基質間の接着が重要である。そして癌や肉腫などでは細胞接着の異常が浸潤や転移に深くかかわっていることが示唆されてきた。細胞間の接着には密着結合や接着結合,デスモソームといった接着構造が働いているが、これらの中で接着結合を構成するE-カドヘリンを中心とした接着が重要であることが報告されている。E-カドヘリンの発現の低下が胃癌、乳癌、大腸癌、肝癌、頭頚部癌、食道癌、前立腺癌、膀胱癌、膵癌で認められ、それが癌の分化度や浸潤、リンパ節転移、血行性転移、予後と相関していること、また分化度の低い胃癌の一部とlobular typeの乳癌にE-カドヘリン遺伝子の異常が報告されていることから、E-カドヘリンの異常が癌の進展や転移に係わっていることが明らかとなった。

 -カテニンはE-カドヘリンに結合するタンパクの一つであるが、肺癌の細胞株で接着能を失ったPC9や前立腺癌由来の細胞株PC3でホモ欠失が存在することや、胃癌、乳癌、大腸癌、食道癌、前立腺癌、膀胱癌において発現低下の見られるものがあることから、-カテニンの異常も癌の進展に影響を及ぼす可能性がある。そしてこの発現の低下が、遺伝子異常に起因することも考えられる。そこでヒト-カテニン遺伝子をクローニングしその塩基配列と遺伝子の構造を決定し、染色体上のマッピングと各臓器における発現を調べ、様々な癌でその遺伝子変異の検索、および転移のある大腸癌の原発巣と転移巣でのタンパクの発現の検討を行った。

【ヒト-カテニン遺伝子の単離とその解析】対象と方法

 (1)cDNAのスクリーニングと単離;永渕らの単離したマウス-カテニンクローンをプローブとして5x105クローンのヒト胎児の脳cDNA libraryのスクリーニングを行った。

 (2)DNAの調製とシークエンス;得られたファージクローンはin vivo excision法にてプラスミドに転換し、超遠心法にてDNAを回収した。シークエンスはdideoxy termination法にて行った。

 (3)Rapid amplification of cDNA end(RACE); 5’側のcDNAの塩基配列を決定するために大脳、小脳、肺、肝臓から得られたtotal RNAを鋳型にしてRACEライブラリーを作成し、それぞれから4クローンづつ回収してシークエンスを行った。

 (4)genomic cloneの単離とエクソン・イントロン境界の決定;ヒト末梢血リンパ球より抽出したgenomic DNAより1.2x106クローンのcosmid libraryを作成し、ヒト-カテニンのcDNAクローンをプローブとしてスクリーニングを行った。コスミドクローンで得られなかった部分は、7ハプロタイプ相当のYAC libraryをスクリーニングしてクローンを得た。エクソン・イントロン境界はこれらのDNAをシークエンスしてcDNAの塩基配列と比較することにより決定した。

 (5)Fluorescent in situ hybridization(FISH);ヒト染色体標本を作成しヒト-カテニンはFITCで、また染色体5q21-22にマップされた遺伝子APCはrhodamineで検出するtwo-color FISH法を行った。

 (6)RT-PCR;ヒトの大脳、小脳、食道、胃、十二指腸、小腸、大腸、肝臓、腎臓、膵臓、脾臓、副腎、甲状腺、子宮、卵巣、心臓、骨格筋よりRNAを抽出し、dT17プライマーを用いてcDNAを合成し、ヒト-カテニンと-アクチン特異的なプライマーでPCRを行い発現量を比較した。

結果および考察

 (1)cDNAクローンの単離とヒト-カテニン遺伝子の塩基配列の決定。

 ヒト胎児の脳のcDNA libraryより得られた6つのクローンをシークエンスし塩基配列を決めたところ、これらは同一の遺伝子の一部で相同性の検索よりヒト-カテニンであることが確かめられた。さらに5’側のcDNAの配列を決定するために5’RACE法を行い、cDNAの全塩基配列を決定した。それは3433塩基の転写産物で、open reading frameを調べたところ、第92-94番塩基のATGがKozakの報告で頻度の高い開始コドンで、906アミノ酸をコードすることが予想された。

 (2)他の生物の-カテニンとの相同性の検討

 ヒト-カテニン遺伝子のマウス-カテニンに対する相同性は塩基配列で87.6%の一致であり、アミノ酸でも99.2%と極めて高いことが判明した。また他の種の-カテニンとの相同性はアミノ酸でアフリカツメガエルと89%、ショウジョウバエと59%、ウニと62%であり、種をこえて保存されていた。また相同性を示す領域はN末端からC末端まで全ての領域に広がっており、いずれの領域も重要であることが推察された。

 (3)ヒト・ビンキュリンとの相同性の検討

 ヒト-カテニンとヒト・ビンキュリンと相同性を調べたところ、アミノ酸で26%の一致を認め、コドン20から220,330から590,700から860までの3ヵ所で高く、それぞれ27%、31%、34%で、これらの領域は重要な機能を有していると推測された。ビンキュリンの第1番目の領域はタリンと結合し、-カテニンのこの領域が-カテニンと結合すること、ビンキュリンも-カテニンも第3番目の領域が細胞骨格に結合する-アクチニンやF-アクチンに結合することから、共に似た働きをしていることが示唆された。

 (4)genomic DNAの単離とエクソン・イントロン境界の決定

 genomic libraryより12個のコスミドクローンと1個のYACクローンを得た。これらのシークエンス結果よりヒト-カテニン遺伝子は16コーディングエクソンから成ることが明かとなった。

 (5)chromosomal localizationの検索

 APC遺伝子を指標としたtwo-color FISHにより、ヒト-カテニンは染色体上の5q31に位置することが明らかとなった。この場所は卵巣癌、肝癌、食道癌、子宮癌、腎癌、胃癌、肺癌、頭頚部癌でも高頻度にLOHの存在する場所であり、-カテニンがこれらの癌の進展にかかわっている可能性が示唆された。

 (6)臓器でのヒト-カテニンの発現

 RT-PCRによりヒト-カテニンは調べたすべての臓器で発現し、コントロールの-アクチンの発現と比べてほぼ一様であった。このことから-カテニンが臓器特異的でなく、すべての臓器で普遍的な働きを行っていることが示唆された。

【ヒト癌組織における-カテニン遺伝子の異常の検索と、原発巣・転移巣でのタンパク発現の検討】対象と方法

 (1)肝癌49例、胃癌48例、食道癌50例、肺癌53例の腫瘍および対応する正常組織からDNAを抽出して遺伝子変異を調べた。遺伝子の中で重要な機能を有していると考えられるビンキュリンと相同性を有するエクソン2,10,13,16の4カ所をスクリーニングした。これらのエクソンを含むイントロン内のオリゴヌクレオチドプライマーでまずDNAを増幅し、これらのPCR産物と正常リンパ球から得られたRNAプローブをハイブリダイゼーションし、RNaseAで切断した後にポリアクリルアミドゲルで電気泳動するRNase protection assayでバンドパターンを調べた。

 (2)同時性リンパ節転移および肝転移を伴う10例の大腸癌患者の正常大腸、大腸癌原発巣、リンパ節転移巣、肝転移巣の切除標本のパラフィンブロックから、4mの連続切片をそれぞれ作成し、1枚をヘマトキシン・エオジン染色、1枚を抗-カテニン抗体にて免疫染色を行い、染色性を検討した。

結果および考察

 (1)翻訳領域の約3分の1を調べたが、この範囲内には遺伝子変異を認めなかった。このことは調べた以外の部分に変異がある可能性を否定するわけではないが、Candidusらも21例の胃癌および11例の乳癌において、-カテニン遺伝子の異常を全ての領域で検討したが認めなかったことから、遺伝子異常以外のメカニズムで-カテニンの発現が低下している可能性も考えられる。つまり転写や翻訳の調節の異常、および転写産物やタンパク質の安定性に異常があることなども考慮しなければならない。

 (2)正常大腸粘膜の腺管細胞はすべて細胞質が染色され、特に細胞膜の部分に強い染まりを認めた。10例の大腸癌組織はいずれも細胞質が染色され、しかも細胞膜の部分が強く、同一患者の正常腺管細胞と比べても染色性に変化はなかった。また転移のあるリンパ節と肝臓においても、癌細胞が濃く染色され転移巣が明瞭であった。ここにおいても細胞膜が強く染まっており、同一患者の原発巣と比べて染まり方に変化はみられなかった。-カテニンの発現の低下は大腸癌の転移に関与しないか、もしくは関与してもその後の転移巣の形成の過程で発現量が回復することが考えられた。

【結語】

 この研究により癌の進展に重要な役割を担うとされる接着因子であるヒト-カテニンのcDNAを単離しその塩基配列と遺伝子の構造が決定された。また予想されるアミノ酸配列が種をこえて保存さていること、全ての臓器において一様に発現していることから、この分子が普遍的な機能を有することが示唆された。またFISHによる染色体マッピングによりこの遺伝子の染色体上での位置が明らかとなった。今回様々な癌組織でこの遺伝子の変異を検討したが調べた範囲内に異常を認めなかったことは、他のメカニズムで発現に異常を起こしている可能性が高いことが考えられる。これらの成果は癌の進展や転移の研究に役立つのみならず、細胞の分化や形態形成の研究にも貢献するものと考えられる。

審査要旨

 本研究は、細胞間接着において重要な役割を演じていると考えられる接着因子、-カテニンの構造とその働き、癌とのかかわりを明らかにするため、ヒト-カテニン遺伝子を単離し、遺伝子の解析と癌における異常を検討したものであり、下記の結果を得ている。

 1.ヒト-カテニン遺伝子(CTNNA1)を単離し、塩基配列を決定したところ、そのcDNAは全長3433塩基であった。またこの遺伝子は、906アミノ酸のタンパクをコードすることが予想された。このタンパクは他の生物の-カテニンと高い相同性を持ち、種をこえて保存されていることが明らかとなった。

 2.ヒト-カテニン遺伝子は、接着因子のヒト・ビンキュリンと3つの領域で相同性が高いことが示された。これらのうちの第一の領域は、-カテニンは-カテニンと、ビンキュリンはタリンと結合する領域であること、第三の領域は共に細胞骨格と結合する領域であることより、-カテニンもビンキュリンと似た役割をしていることが示唆された。

 3.ヒト-カテニン遺伝子のgenomic cloneを単離し、エクソン・イントロン境界を決定し、16のコーディングエクソンを持つことが解明された。またtwo-color FISH法による染色体マッピングにより、この遺伝子は5番染色体長腕の31(5q31)に存在することが示された。したがって5q31の異常が、-カテニンタンパクの発現低下につながる可能性が考えられた。

 4.RT-PCR(reverse transcriptase-polymerase chain reaction)法により、ヒト-カテニン遺伝子は、大脳、小脳、食道、胃、十二指腸、小腸、大腸、肝臓、腎臓、膵臓、脾臓、副腎、甲状腺、子宮、卵巣、心臓、骨格筋でほぼ一様に発現しており、全ての臓器で普遍的な役割を行っていることが示唆された。

 5.肝癌、胃癌、食道癌、および肺癌の組織で-カテニン遺伝子の異常を検索したが、調べた範囲内で遺伝子の変異は全く認められなかった。このことは、遺伝子異常以外のメカニズムで、-カテニンの発現が低下している可能性も、考慮しなくてはならないことを意味していた。

 6.10症例の同一大腸癌患者の、大腸癌原発巣、リンパ節転移巣、肝転移巣において、-カテニンのタンパクの発現量とそのパターンは、正常大腸粘膜と同じであり、-カテニンの発現の低下は大腸癌の転移に関与しないか、もしくは転移巣の形成の過程で発現量が回復することも考えられた。

 以上、本論文ではヒト-カテニン遺伝子を単離し、その塩基配列と遺伝子の構造が解明され、臓器での発現、染色体上の位置が明かとなった。また予想されるアミノ酸配列は、-カテニンタンパクの構造や機能を調べるのに大きな足掛かりとなる。また癌における遺伝子異常の検索と、転移における発現の検討は、今後の癌の浸潤・転移の研究において示唆に富んだ研究成果であり、本研究が医学の学位の授与に値するものと考えられる。

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