学位論文要旨



No 214197
著者(漢字) 木下,順二
著者(英字)
著者(カナ) キノシタ,ジュンジ
標題(和) マルチモードレーザー光の光子相関
標題(洋) Photon Correlations of Multimode Laser Light
報告番号 214197
報告番号 乙14197
学位授与日 1999.03.04
学位種別 論文博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 第14197号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 久我,隆弘
 東京大学 教授 金子,邦彦
 東京大学 教授 桜井,捷海
 東京大学 教授 兵頭,俊夫
 東京大学 教授 遠藤,泰樹
内容要旨

 「マルチモード・レーザー光は、シングルモード・レーザー光や熱的な光とどのように異なるのだろうか…」

 シングルモード・レーザー光と熱的な光を区別するには、光強度の2次または高次の相関を測定すればよい。熱的な光は、たとえスペクトル幅が狭くても、大きな強度揺らぎを持っているからである。閾値付近のシングルモード・レーザー光はコヒーレント光と熱的な光の中間に位置しているように見える。しかし、多くの研究によって、シングルモード・レーザー光は、コヒーレント光や熱的な光の古典的な重ね合わせとは異なる統計的性質を示すことが知られるようになった。このように、我々はシングルモード・レーザー光の統計的性質についてはすでによく知っている。

 では、マルチモード・レーザー光についてはどうか。例えば、Arイオンレーザーや色素レーザーなどでは、全モードの強度は極めて安定なのにもかかわらず、各モードの強度が激しく揺らいで、カオス的な振る舞いを示すという現象が知られている。この中の1モードを抜き出すと、その性質はシングルモード・レーザー光とも熱的な光とも異なるものになる。このようなマルチモード・レーザー光は、理想的なシングルモード・レーザー光とインコヒーレント光の中間的な位置を占めているため、LEDなどの連続スペクトルを持つ光源の性質を考える上で、重要な役割を果たすものと考えられる。

 著者らはこのようなカオス的な振る舞いを示すマルチモード・レーザー光の特徴を捉えるため、マルチモードレーザー光から抜き出した各モードの光について、光子相関測定を行うことにした。光子相関測定では、光電子パルスをカウンターで計数し、ディジタル回路を用いた遅延と乗算を行うことによって、相関関数を求める。従来の相関器は、回路を簡略化するために、1ビットでデータをクリップしていたため、それによる歪みを抑えようとすると、1ゲート時間あたりの光電子パルス数を非常に小さく選ぶ必要があり、ダイナミックレンジが狭くなるという問題点があった。高次の相関を求める場合には、このような相関器は非効率で精度も悪かったため、精密な測定が困難であった。本論文に示す、Field Programmable Gate Array(FPGA)を用いた2ビット・クリップ型の相関器では、2ビットのカウンターと3ビットの乗算器を組み合わせることにより、従来の1ビット・クリップ型の相関器に比べ、ダイナミックレンジを10倍以上に拡大することができた。また、クリップによるエラーを常時監視することによって、測定精度を向上させることがでまた。

 本研究において著者らはArイオンレーザーを用いて、マルチモード・レーザー光の統計的な特徴を見分ける方法を見出した。それは以下の通りである。

 (1)光強度の2次キュムラント関数K2()の時間依存性を見ると、熱的な光に対しては、スペクトルの形状がローレンツ型ならば、K2()の時間依存性は1次の指数関数になり、ガウス型では2次の指数関数になる。K2()を

 

 のように1次の指数関数と2次の指数関数の和に分解し、パラメータcとCのモード依存性について考察する。実験結果から求めたパラメータのモード依存性を図1に示す。Arイオンレーザーでは、端のモードでは1次の指数関数が優勢であるが、中央のモードでは2次の指数関数が優勢であるという特徴がある。

図1 cとCのモード依存性

 (2)励起電流を変えたときの、2次キュムラントK2(0)と3次キュムラントK3(0,0)のデータ対を散布図に描くと、1本の軌跡が描かれる。コヒーレント光に対しては共に0、熱的な光に対しては、K2(0)=1、K3(0,0)=2となるはずである。Arイオンレーザーによる実験結果(点)を図2に示す。図には、コヒーレント光と熱的な光の古典的な重ね合わせ(実線)、シングルモード・レーザー光に対する量子論による計算結果(点線)を合わせて表示している。Arイオンレーザーの場合、この軌跡はシングルモード・レーザー光とも、コヒーレント光と熱的な光の古典的な混合光とも異なり、3次キュムラントが小さい方にずれた軌跡を示す。特に、K2(0)の小さい領域でK3(0,0)が負の値をとることが初めて見出された。

図2 K2(0)とK3(0,0)の散布図

 ところで、このようなカオス的な振る舞いを示すマルチモード・レーザー光の理論的な取り扱いは、電場の3次の摂動まで取り入れた半古典的レーザー理論によって行われてきた。特に、気体レーザーでは、各原子(イオン)の速度の違いによって相互作用する光の周波数が異なってくるため、速度についての積分を簡略化できないと、摂動の次数を高めていくことができない。本論文では、3次までの摂動と自発放出を考慮した数値計算を行い、その結果を実験結果と比較することで、その効用と限界について考察する。

 本論文では、Arイオンレーザーを用いた実験結果及び3次の摂動論を用いた半古典的レーザー理論による計算結果を論じるが、その構成は以下の通りである。

 第1章は、レーザー光の光子相関についての総説である。光子相関測定における各種の測定量に関する統計学的な定義を述べ、前記の2つの測定法に関して、従来の理論による結果を与えている。

 第2章では、電場の3次までの摂動を考慮した半古典的なレーザー理論の詳細を述べ、実際にシミュレーションを進めていく上での計算方法を明らかにする。また、Langevin力として自然放出を雑音項として加える方法について説明する。

 第3章では、本論文の以下の章で用いられる、Arイオンレーザーに関する実験装置及び計算手法など、研究方法の詳細を述べる。

 第4章では、自由に論理回路を構成できる素子FPGAを用いて新しく開発した、2ビット・クリップ型の光子相関器の設計法とその試験結果を、従来のディジタル相関器と比較しながら詳述する。

 第5章では、Arイオンレーザーの発振線のスペクトル測定と、そのシミュレーションを行っている。また、各モードの強度と相関時間cのモード依存性の違いについて考察する。

 第6章では、各モードの光強度の2次キュムラント関数K2()の時間依存性を調べ、スペクトル形状の違いを推定する。図1に示したようなパラメータcとCのモード依存性の実験結果と計算結果について述べる。

 第7章では、励起電流を変えて2次キュムラントK2(0)と3次キュムラントK3(0,0)のデータ対を求め、図2のような散布図を作成している。実験結果と計算結果の比較について述べる。

 最終章では実験結果と計算結果が一致しなかった部分についての考察を展開し、マルチモード・レーザー光の統計的な特徴を見分ける方法についての結論をまとめている。

審査要旨

 レーザー光と自然光(熱的な光)との本質的な違いはいったいどこにあるのだろうか。ある人は、干渉性(単色性)の違いだというだろう。この主張は、通常のヤングのダブルスリットの実験で両者の違いが顕著に現れる(ように見える)ことに根ざしている。しかし、もっとよく考えてみると、この実験結果の違いは両者の周波数幅の違いだけから生ずるものだとわかる。だから、たとえば自然光を高性能な分光器(周波数フィルター)を通過させることで、レーザー光と同じ線幅にして実験してみると、両者は全く同じ結果を与える。したがい、両者の違いは干渉性(単色性)の違いとはいえない。またある人は、指向性の違いだというかもしれない。しかしこれも、波長の数倍程度の非常に小さな穴に自然光を集光した後、広がってくる光をレンズで平行にしてあげれば、自然光でもレーザーと同程度の指向性をもたせることが可能である。したがい、ここでも両者の本質的な違いは出てこない。

 ここで取り上げた二つの典型的な誤解は、どちらも1次のコヒーレンス(干渉性)しか考えていないところから生じている。前者が周波数(時間)軸上のコヒーレンス、後者が空間的なコヒーレンスと呼ばれるものである。結局、この問題に対する正解は、「揺らぎの違い」である。これは、雑音とも強度相関とも呼ばれるが、要するに2次以上の高次のコヒーレンスである。

 光はボース粒子であるため同じ性質をもつ粒子(同じモード中の光子)は、同じ状態に集まろうとする。ここで光子数の期待値〈n〉と二乗の期待値〈n2〉から、2次の規格化された自己相関関数はg(2)(0)=(〈n2〉-〈n〉)/〈n〉2と書けるが、これを雑音の形で表すと、g(2)(0)=1+〈n2〉/〈n〉2-1/〈n〉と書くこともできる。レーザーの雑音は〈n2〉=〈n〉であるから、レーザーの場合g(2)(0)=1となり、一方、自然光は〈n〉が十分に大きいとすると、g(2)(0)=2となる。つまりこの雑音(強度相関)、すなわち2次のコヒーレンスに初めて自然光とレーザー光の本質的な違いが現れる。

 本論文では、この古くて新しい光子相関に関する問題意識から、マルチモードレーザー(Arイオンレーザー)の各モードについて2次及び3次の光子相関測定を行い、実験結果を適当なモデルによるシミュレーションと比較することで、マルチモードレーザー光のもつ光子統計性を詳しく議論している。

 以下に具体的に審査要旨を記述する。

 本論文は、序章で光子統計性に関する問題意識をまとめた後、それに引き続く7つの章と、結論をまとめた最終章から構成される。

 第1章から3章までは実験および理論の概要がまとめられている。すなわち、第1章はレーザー光の光子相関についての総説であり、各種測定量に関する統計学的な定義などをまとめており、第2章では、電場の3次までの摂動を考慮した半古典的なレーザー理論の詳細、シミュレーションを行うための計算方法、さらにLangevin力として自然放出を雑音項として加える方法を説明している。そして第3章では、Arイオンレーザーを用いた実験装置の解説などが記述されている。

 第4章では、自由に論理回路を構成できるField Programmable Gate Arrayを用いて論文提出者が新たに開発した、2ビットクリップ型の光子相関測定器の詳細が述べられている。従来の1ビットデジタル相関器に比べて、この相関器はダイナミックレンジで10倍以上の改善がなされており、またクリップによるエラーも常時監視することで測定精度も向上できることが確認された。

 第5章では、Arイオンレーザーの発振線のスペクトル測定と計算機によるシミュレーションを行っている。Arイオンレーザーは30個程度の多モード発振を起こすが、その各モードについて強度と相関時間の測定を行っている。また、系統的な測定の結果、ゲインの中心付近のモードは両端付近のモードに比べて相関時間が短くなる傾向があることがわかった。

 第6章では、Arイオンレーザーの各モードについて、強度相関(2次の相関)を系統的な測定及びシミュレーションを行っている。実験結果の遅延時間依存性をローレンツ型とガウス型の和として表現し、その混合比をスペクトル形状、すなわち1次の相関時間と比較している。その結果、発振線の中心付近のモードは、単一モードレーザーが示す性質とは大きく異なり、カオス的な発振が起こっていること、その一方で両端に近いモード、すなわち十分なゲインが得られないような領域では単一モードレーザーの振る舞いに近いことが明らかになった。

 第7章は、Arイオンレーザーの励起電流を変えていくとき、特定のモードの2次及び3次相関関数がどのように変化するかを、実験及びシミュレーションにより調べている。実験結果は、単一モードレーザーモデルから予想される結果とは大きく異なり、3次の相関関数が負になる領域があるという、マルチモードレーザーに特有と考えられる興味深い光子統計分布が観測された。

 最後の章では全体の結論をまとめている。

 以上のように本研究は、マルチモードレーザーの光子統計性を実験及び計算機シミュレーションにより、系統的に議論したものである。この光子相関に関する議論はレーザーが誕生した頃から行われている古い学問であるが、本研究は高次の相関関数においてマルチモードレーザー特有の現象を明らかにした。もちろん、それを可能にしたのは論文提出者らが開発した高効率で信頼性の高い光子相関測定器によるところが大きく、また、今後様々な光の状態について高次相関を測定する足かがりを提供した。

 なお本研究は青木禎氏、松本みどり氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となり、装置の製作、測定、計算機シミュレーション、解析を行ったものであり、論文提出者の寄与が大部分であると判断する。

 以上の理由により、本論文は、博士(学術)論文として十分に評価できると審査委員全員が認め、合格と判断した。

UTokyo Repositoryリンク