「マルチモード・レーザー光は、シングルモード・レーザー光や熱的な光とどのように異なるのだろうか…」 シングルモード・レーザー光と熱的な光を区別するには、光強度の2次または高次の相関を測定すればよい。熱的な光は、たとえスペクトル幅が狭くても、大きな強度揺らぎを持っているからである。閾値付近のシングルモード・レーザー光はコヒーレント光と熱的な光の中間に位置しているように見える。しかし、多くの研究によって、シングルモード・レーザー光は、コヒーレント光や熱的な光の古典的な重ね合わせとは異なる統計的性質を示すことが知られるようになった。このように、我々はシングルモード・レーザー光の統計的性質についてはすでによく知っている。 では、マルチモード・レーザー光についてはどうか。例えば、Arイオンレーザーや色素レーザーなどでは、全モードの強度は極めて安定なのにもかかわらず、各モードの強度が激しく揺らいで、カオス的な振る舞いを示すという現象が知られている。この中の1モードを抜き出すと、その性質はシングルモード・レーザー光とも熱的な光とも異なるものになる。このようなマルチモード・レーザー光は、理想的なシングルモード・レーザー光とインコヒーレント光の中間的な位置を占めているため、LEDなどの連続スペクトルを持つ光源の性質を考える上で、重要な役割を果たすものと考えられる。 著者らはこのようなカオス的な振る舞いを示すマルチモード・レーザー光の特徴を捉えるため、マルチモードレーザー光から抜き出した各モードの光について、光子相関測定を行うことにした。光子相関測定では、光電子パルスをカウンターで計数し、ディジタル回路を用いた遅延と乗算を行うことによって、相関関数を求める。従来の相関器は、回路を簡略化するために、1ビットでデータをクリップしていたため、それによる歪みを抑えようとすると、1ゲート時間あたりの光電子パルス数を非常に小さく選ぶ必要があり、ダイナミックレンジが狭くなるという問題点があった。高次の相関を求める場合には、このような相関器は非効率で精度も悪かったため、精密な測定が困難であった。本論文に示す、Field Programmable Gate Array(FPGA)を用いた2ビット・クリップ型の相関器では、2ビットのカウンターと3ビットの乗算器を組み合わせることにより、従来の1ビット・クリップ型の相関器に比べ、ダイナミックレンジを10倍以上に拡大することができた。また、クリップによるエラーを常時監視することによって、測定精度を向上させることがでまた。 本研究において著者らはArイオンレーザーを用いて、マルチモード・レーザー光の統計的な特徴を見分ける方法を見出した。それは以下の通りである。 (1)光強度の2次キュムラント関数K2()の時間依存性を見ると、熱的な光に対しては、スペクトルの形状がローレンツ型ならば、K2()の時間依存性は1次の指数関数になり、ガウス型では2次の指数関数になる。K2()を のように1次の指数関数と2次の指数関数の和に分解し、パラメータcとCのモード依存性について考察する。実験結果から求めたパラメータのモード依存性を図1に示す。Arイオンレーザーでは、端のモードでは1次の指数関数が優勢であるが、中央のモードでは2次の指数関数が優勢であるという特徴がある。 図1 cとCのモード依存性 (2)励起電流を変えたときの、2次キュムラントK2(0)と3次キュムラントK3(0,0)のデータ対を散布図に描くと、1本の軌跡が描かれる。コヒーレント光に対しては共に0、熱的な光に対しては、K2(0)=1、K3(0,0)=2となるはずである。Arイオンレーザーによる実験結果(点)を図2に示す。図には、コヒーレント光と熱的な光の古典的な重ね合わせ(実線)、シングルモード・レーザー光に対する量子論による計算結果(点線)を合わせて表示している。Arイオンレーザーの場合、この軌跡はシングルモード・レーザー光とも、コヒーレント光と熱的な光の古典的な混合光とも異なり、3次キュムラントが小さい方にずれた軌跡を示す。特に、K2(0)の小さい領域でK3(0,0)が負の値をとることが初めて見出された。 図2 K2(0)とK3(0,0)の散布図 ところで、このようなカオス的な振る舞いを示すマルチモード・レーザー光の理論的な取り扱いは、電場の3次の摂動まで取り入れた半古典的レーザー理論によって行われてきた。特に、気体レーザーでは、各原子(イオン)の速度の違いによって相互作用する光の周波数が異なってくるため、速度についての積分を簡略化できないと、摂動の次数を高めていくことができない。本論文では、3次までの摂動と自発放出を考慮した数値計算を行い、その結果を実験結果と比較することで、その効用と限界について考察する。 本論文では、Arイオンレーザーを用いた実験結果及び3次の摂動論を用いた半古典的レーザー理論による計算結果を論じるが、その構成は以下の通りである。 第1章は、レーザー光の光子相関についての総説である。光子相関測定における各種の測定量に関する統計学的な定義を述べ、前記の2つの測定法に関して、従来の理論による結果を与えている。 第2章では、電場の3次までの摂動を考慮した半古典的なレーザー理論の詳細を述べ、実際にシミュレーションを進めていく上での計算方法を明らかにする。また、Langevin力として自然放出を雑音項として加える方法について説明する。 第3章では、本論文の以下の章で用いられる、Arイオンレーザーに関する実験装置及び計算手法など、研究方法の詳細を述べる。 第4章では、自由に論理回路を構成できる素子FPGAを用いて新しく開発した、2ビット・クリップ型の光子相関器の設計法とその試験結果を、従来のディジタル相関器と比較しながら詳述する。 第5章では、Arイオンレーザーの発振線のスペクトル測定と、そのシミュレーションを行っている。また、各モードの強度と相関時間cのモード依存性の違いについて考察する。 第6章では、各モードの光強度の2次キュムラント関数K2()の時間依存性を調べ、スペクトル形状の違いを推定する。図1に示したようなパラメータcとCのモード依存性の実験結果と計算結果について述べる。 第7章では、励起電流を変えて2次キュムラントK2(0)と3次キュムラントK3(0,0)のデータ対を求め、図2のような散布図を作成している。実験結果と計算結果の比較について述べる。 最終章では実験結果と計算結果が一致しなかった部分についての考察を展開し、マルチモード・レーザー光の統計的な特徴を見分ける方法についての結論をまとめている。 |