学位論文要旨



No 214198
著者(漢字) 小川,束
著者(英字)
著者(カナ) オガワ,ツカネ
標題(和) 近世日本数学における円理の萌芽とその特質 : 数式処理システムによる17、18世紀日本数学の再現を方法として
標題(洋)
報告番号 214198
報告番号 乙14198
学位授与日 1999.03.04
学位種別 論文博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 第14198号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 佐々木,力
 東京大学 教授 岡本,和夫
 東京大学 教授 川原,秀城
 東京大学 講師 岡本,拓司
 前橋工科大学 教授 小林,龍彦
内容要旨

 本論文は関流円理が確立されるまで-すなわち村松茂清から関孝和を経て,建部賢弘による円弧長の最初の無限級数展開が得られるまで-の歴史を,数学的側面から考察したものである.とくに、コンピュータ上の数式処理システムを積極的に利用することによって得られた成果を本論文は多数含んでいる.一見すると,コンピュータの利用と近世日本数学史研究とは直接なんの関係もないように思われるが,関流円理の確立に至るまでの歴史の数学的側面とは,まさにコンピュータ利用による成果が期待できる側面なのである.すなわち本論文が対象とする関流円理の確立史は,アルゴリズム的に捉えることが可能な歴史である.従来,日本数学史に関してこの方向での研究を全面的に進めたものはなかったといってよい.この点に本論文の根本的な意義がある.

 もちろん関流円理の確立史においても,一次資料が重要なことは言うまでもない.原典と乖離した状況でのコンピュータ利用が関流円理の確立史に貢献できる可能性はほとんどない.たとえば現代的なアルゴリズムによって計算しても,それは関や建部の得た結果の正しを確認するというのに過ぎないであろう.本研究においてコンピュータが用いられるのは正確に原典を読むためである.実は,コンピュータを利用しなければ原典の正確な理解に達し得ないことがあるという点に,関流円理の確立史の大きな特徴がある.たとえばそのような典型的な例を二つ挙げると次のようになる.

 1.建部は円周率計算において,開平計算の少ない効率的なアルゴリズムを示している.しかしコンピュータによる再現結果と記載されている数値を比較すると,実際には手間のかかる開平計算を繰り返すアルゴリズムによって計算された値が記載されていることがわかる.建部は手間のかかるアルゴリズムによって円周率を計算したあとで,開平計算を省く改良に気づいたが,実際にはそのアルゴリズムに基づく計算を最後までは実行しなかったのである.

 2.建部は極微の円弧長の無限級数表示に成功したが,それを半円に適用する場合のことを記述している.しかし円弧長を表わす無限級数そのものを半円に適用しても,まったく記述と合わない.そこで円弧長の無限表示そのものでなく,それを得る方法を半円に適用してみると,その結果は記述された内容と良く合う.

 従来これらのことは,膨大な計算が必要なため手つかずの状態であった.しかしこの膨大な計算こそ関流円理確立における最大の原動力であった.本論文における詳細な計算再現は,かれらの行った計算の量,質を具体的に明らかにすることによって,関流円理確立史の実態を現前させようとする試みである.

 このような新しい研究方法によって,本論文ではまず村松茂清の円周率計算を分析した.村松の方法は円に内接する正多角形の辺数を倍にしつつ,そのつど周長を計算して行くもので,その結果小数第7位までの円周率を得た.(この桁数は理論的な桁数であり,村松がこの桁数を真値と認識していた訳ではない.以下,関,建部においても同様である.)村松の計算は無限過程を含まないという点では,円理史内に位置するとは必ずしも言えないが,20桁程度の多数桁十進数値を用いての計算や,数値の観察,繰り返しを主とする精密なアルゴリズムによる計算は,関孝和や建部賢弘に引き継がれ,円理史における最初の結論としての円弧長の無限級数展開に到達する原動力となったのである.

 さて,関孝和は円周率計算においてはじめて無限過程を導入した.すなわち村松と同様の計算によって得た16個の正多角形の周長を観察し,その最後の3項がある無限級数の最初の三つの部分和になっていると仮定して,無限級数の和を計算したのである(増約術).この加速計算の結果,小数第18位までの円周率を得た.ここにはじめて解析的な手法による円周率計算が始まった.また関はこの円周率の近似分数を求めるアルゴリズムを発明した.このアルゴリズムによって113回の繰り返しの末に355/113を得た.関はさらによい近似分数を得るための計算をしたが,これ以上のものを得ることはできなかった.関のアルゴリズムは必ずしも効率が良くはなかったが,それまでに知られていた古法,密率など8個の近似分数がすべて体系的に得られる点に意義がある.

 関は円周率計算に加えて円弧長の計算にも進んだ.その方法は,まず円弧に等長の折れ線を内接させてそれらの長さをもとめることから始める.この方法は円周に多角形を内接させる方法を応用したものである.この計算を5種類の矢(円弧の中心と弦の中心を結んだ線分)に対して実行して,矢の長さとその時の円弧の長さの組を五つ作る.これらの組をニュートンの補間法に類似した方法によって補完して,円の直径dと矢の長さcと円弧長sの満たす関係式

 

 を求めた.直径dを10寸とするとき,この関係式の誤差は10-6から10-7程度であった.

 ここにおいて初期円理史の三つの要素-が円周率,円周率の近似分数,円弧長-出そろったことになる.

 関の研究を引き継ぎ,初期円理史においてはじめての頂点を究めたのが建部賢弘である.円理における建部の問題意識は完全に関に依っており,彼が扱った問題も円周率,円周率の近似分数,円弧長に集中している.

 まず円周率計算においては,村松,関の方法を基盤としつつ,加速計算を繰り返して最終的に小数第41位の円周率を求めた.建部の加速法(累遍増約術)は極めて精巧なものであるが,特に多数桁の十進値を用いた計算,計算結果の観察とそれに基づく帰納的推測を基本的手法としている点に建部の特徴が認められる.円周率の近似分数化においては建部は兄賢明の方法として,いわゆる連分数展開を用いて5419351/1725033を得た.この方法が画期的なものであることは,関が100回以上の計算によって得た355/113にわずか4回の計算で到達したことからも分かる.

 このような円周率計算およびその近似分数化における建部の成果もさることながら,建部の最大の飛躍は円弧長計算において現われる.建部は関と同様の方法で,直径10寸,矢10-5寸の円弧長(の半分の二乗)の十進値

 

 を求めた後,関の補間法とは全く異なる方法によって,この値を無限級数

 

 に展開した.ここに円理史における最初の結論が得られたのである.建部は最初の数項の間の関係から,一般項を推測することによって無限級数に到達したが,有限個の項では正確な値を得ることのできない点を,円弧の本質が「尽すことのできないもの」であるという形で理解した.

 建部のこの結果は,矢が極めて小さい時に得られたものであり,任意に与えられた(必ずしも小さくない)矢に対しては,関の成果を越えるものではなかった.考察を極めて小さな矢に制限することによって建部は円弧の本質に到達したが,この結果そのものは関の問題意識とは若干ずれていたのである.そこで建部はこの級数の種々の改良を試み

 

 さらには,

 

 (Ci,Pi,qiは定数)を得て,これが矢の大小にかかわらず10位程度の精度を持つことを強調する.このように建部が円弧の本質に触れると同時に,あくまでも関の円弧長計算の改良に重大な関心を寄せていた点は注目に値する.

 以上述べたような関流円理の確立史をアルゴリズム的側面から見ると、その発達の特徴が明らかになってくる.従来この点についての検討はなされてこなかったが,本論文における一つの結論は,関流円理の確立史においては新規アルゴリズムの開発とともに,たとえば関の増約術による加速法などの既存アルゴリズムの部品化が行われ,この部品化に伴うアルゴリズムの内容の隠蔽によって,円理は次第に複雑で高度なものになっていったということである.この過程における関,建部の研究の進め方には,今日の個人レベルでのコンピュータ・プログラミングに類似する点がある.

 また本論文における忠実な再現計算によって,円理の確立史における帰納的推理の実体が明らかになった.一般に帰納的推理は近世日本数学の特徴の一つであるといわれるが,具体的にそれを列挙し,実態が明らかにされることは少なかった.

 このように,本論文は関流円理の確立史研究に対していくつかの新しい知見を附加するものである.

審査要旨

 本論文は、世界の数学史上、注目すべき文化現象と見られている和算(江戸時代の日本数学)の伝統確立に大きな功績のあった関孝和と建部賢弘の数学的業績をコンピューター・アルゴリズムの手法を用いて再構成し、これまでの知見の大幅な書き換えを迫った独創的研究である。

 江戸時代初期の和算の興隆は、中国の器械的代数方程式解法である天元術の関らによる改革に負っている。中でも、17世紀後半から18世紀前半にかけて活躍した関と建部三兄弟の末弟賢弘は、円を中心とする曲線にまつわる種々の解析的算法を考案し、円周率の40桁も正しい数値を計算したり、円弧の長さの無限級数(逆正弦関数の)展開に相当する関係式を導出したりといった目覚ましい研究成果を生み出したことが知られている。

 彼らのこれら円理に関する巧みな計算技法が、関の「傍書法」に始まる代数技法の案出によることが大きかったことは疑えない。しかし、円理を行うにあたって実際にいかなる計算式を使用したのかについては、厳密な証明を伴っているわけでは必ずしもないがゆえに、多様な解釈の余地を残している。換言すれば、現代数学のいかなる計算式に相当する技法を用いていたかについての推定は研究者によって異なる。

 小川氏は、和算を始め中国に由来する数学の根本が数値計算=アルゴリズムであることに着目し、それらさまざまな計算技法の現代のコンピューター・アルゴリズムによる再定式化を試みた。小川氏の本論文の主要部は、この考えに基づくものである。しかし、このような現代的技法によるアプローチは、容易に非歴史的な再解釈へと導きかねない。小川氏は、このことにも十分に自覚的で、コンピューター・アルゴリズムを用いた再構成のあと、歴史的現実に立ち返り、たとえば建部が実際に行った計算がどのようなものであったのかを説得的に推定する。すなわち、高度な帰納的推論が巧妙に高度な数学的成果の導出に繋がったというのである。また、1908年から四半世紀以上にわたって展開された数学史家三上義夫と林鶴一との間の論争にも一条の光を投げかけることができ、小川氏の研究方法の有効性を示す結果となっている。

 小川氏は以上のような斬新な手法を通じて、17世紀末に高度なレヴェルに到達した和算の実態がいかなるものであるのかを歴史的に示しえた。

 本論文の独創的貢献を要約して示せば、以下のとおりである。

 (1)和算のさまざまな計算技法をコンピューター・アルゴリズムによって現代的に再構成し、その高度さを示しえたこと。

 (2)関孝和や建部賢弘の解析的算法が実際にどのようなものであったのかを、非歴史的ではなく、示しえたこと。とくに建部の場合、それは高度の帰納的論法であった。

 (3)これまで論争の対象であった初期円理の実態が明らかにされ、これまでの和算史の重要問題を解決する手がかりを提供したこと。

 本論文は、和算中・後期にまで論究が及べば、より完全になったであろう。しかし、分量的にもそれまでも要求することは過大であろう。審査委員全員は、本論文をもって、学位取得のためには十分であると判断した。本論文は、小川氏が次世代の日本数学史研究を担いうる人材であることを示している。

 よって、本論文は博士(学術)の学位請求論文として合格と認められる。

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