学位論文要旨



No 214203
著者(漢字) 栗田,明良
著者(英字)
著者(カナ) クリタ,アキヨシ
標題(和) 中山間地域の高齢者福祉 : 「農村型」システムの再構築をめぐって
標題(洋)
報告番号 214203
報告番号 乙14203
学位授与日 1999.03.12
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第14203号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 八木,宏典
 東京大学 教授 谷口,信和
 東京大学 教授 生源寺,眞一
 明治大学 教授 井上,和衛
 明治学院大学 教授 河合,克義
 東京大学 助教授 木南,章
内容要旨

 「高齢者の世紀」とも言われる21世紀の日本、それも大都市とその周辺地域で深刻化するものと予想される高齢者介護・福祉問題への対応をめぐって、1994年12月13日付で公表された高齢者介護・自立支援システム研究会報告「新たな高齢者介護システムの構築を目指して」は、その序文で「国民誰もが、身近に、必要な介護サービスが手に入れられるようなシステム」を構築していくため、「高齢者が自らの意思に基づき、自立した質の高い生活を送ることができるように支援すること、すなわち『高齢者の自立支援』」を新たな基本理念として既存制度を再編成し、「新介護システム」の創設を目指すべきであるとした。そして「社会保障改革の橋頭堡」と位置づけられたこの提言は、1997年12月9日に介護保険法として結実、2000年4月の施行に向けた準備作業が精力的に進められている。しかし、その基本理念それ自体の意義を高く評価すればするほど、「新介護システム」は定住人口の疎らな地方・農村部、とりわけ立地条件的に著しく不利な中山間地域の現状に馴染みそうにない。

 「新介護システム」は、その基本的な考え方の一つとして「高齢者自身による選択」を掲げ、「できる限り住み慣れた家庭や地域で老後生活を送ることを願っている」多くの高齢者が「無理なく在宅ケアを選択できるような環境整備を進めることが不可欠」であり、「特に、重度の障害をもつような高齢者や一人暮らしで介護が必要な高齢者については、24時間対応を基本としたサービス体制の整備が求められる」とする一方、選択を可能とする条件として「サービスの普遍性」、すなわち「所得の多寡や家族形態等に関わりなく、サービスを必要とする全ての高齢者が利用できること」を第一に上げている。

 しかし、中山間地域の厳しい生活環境・条件は、虚弱老人等の高齢(障害)者がその居宅での生活を選択すること自体を極めて困難なものとするし、高齢者宅を訪問するホームヘルパー等にとっても屋外の移動に「空費」する時間とコスト、それに事故などのリスクも少なくない。24時間対応を視野に入れた在宅介護サービスの提供を中山間地域において普遍的に保障することは事実上不可能に近いのであって、例えば1995年度から夜間巡回型ヘルパー派遣に踏み切った秋田県鷹巣町(中間農業地域)の場合でも、夜間巡回訪問の対象高齢者12名中10名までが町中心部に居住し、夜間巡回訪問に費やしている移動時間は、滞在型のホームヘルプサービスを基本とする昼間勤務の概ね半分程度という、いわゆる「都市型」の活動スタイルそのものであった。にも拘わらず、夜間巡回訪問の援護活動時間に対する移動所要時間の比率は100:88と、昼間勤務の100:24に比べて3倍以上も高い、いわば「無駄の多いサービス」であることを示唆するものだったのである(下表参照)。

鷹巣町社会福祉協議会ホームヘルパーの訪問先援護活動時間と移動所要時間注)常勤ヘルパー19名を対象とした1996年12月15日(日)〜21日(土)の生活時間調査結果より作成。

 加えて、高齢者の多くが「経済的にも自立しつつある」とは言い難い中山間地域に定住する高齢者の状態を直視するなら、各種のサービスが例え整備されたとしても、それが「所得や家族形態等に関わりなく」選択し得るものでない限り、必要とするサービスを選択する主体的条件をも基本的に欠いていると言わざるを得ない。

 とは言え、中山間地域における高齢者介護・福祉サービスの現状が大都市とその周辺地域に比べて特段に見劣りするわけではなく、特別養護老人ホームの整備を初めとしてむしろ相対的に「充実」している。中山間地域の高齢者介護・福祉問題の考察にあたって留意すべき最大の論点の一つは、医療基盤の「脆弱性」、それも医師の「確保・定着をめぐる錯綜した現状」そのものにある。定住人口が希薄で著しく高齢化し、絶対的に減少基調をたどる市町村が圧倒的に多い中山間地域においては、地域医療を担う医師の確保に苦慮する市町村が今なお少なくない反面、人口減少に伴う医療需要の漸減傾向が医療サービスの相対的「過剰化」と競争の激化等を誘発しているケースも散見されるのである。

 問題の核心は、そうした国民皆保険制度下の中山間地域における脆弱な医療基盤とは対照的に、いわゆる措置制度の下で施設整備を中心に展開されてきた高齢者福祉の中山間地域における相対的な「拡充」を如何に捉え、今後どのように対処していくのか?「高齢者の自立支援」に資する「新介護システム」の構築が既定の方針となった今日的状況を踏まえてなお、「高齢者自身の選択」を可能な限り担保する在宅介護・福祉サービスの「中山間地域らしい」あり方をめぐって、主に現地調査を通して得た知見をベースに概念的な設計を試みた結果を摸式化しておくと図示したとおりである。

 立地条件的に著しく不利な中山間地域において、大都市・周辺地域にも増して在宅≒定住指向の強い高齢(障害)者を対象に「新介護システム」が標榜する「高齢者自身の選択」を実質的に保障するには、(1)比較的「元気」な虚弱老人等を含めて地域内を移動すること自体が多分に困難を伴うことへの対応に加えて、(2)高齢者の生活環境・条件と地域社会の現状に即応した優れてローカルな「地域密着型」の自立支援システムを構築ないし再構築していく以外にない。

「農村型」在宅介護システムの模式図

 そうした「農村型」システム構成上の要点は、小規模「複合型活動拠点」を当該地域に賦存する遊休(化しつつある)保育園や集会所等の資源をも利用して出来るだけ多く分散配置し、ヘルパー等が高齢者宅を訪問する足場として活用すると同時に、比較的「元気」な高齢(障害)者等を対象とした簡易デイサービスセンター的機能を兼ね備えた「活動拠点」とする点にあるが、その際、生きがい創造的「生産活動」を高齢者の機能訓練の一手法として組み込んだデイサービスを農業団体等の支援下に実施することが望まれる。慣れ親しんできた自然と地域社会の中で、社会的にもそれなりに評価される「生産活動」に従事することこそが高齢者の老化防止に少なからず効果を発揮するものと期待されるからに他ならない。が、こうした「農村型」システムの構築もまた、不幸にして寝たきり状態等に陥った高齢者が安心して利用することのできる特別養護老人ホーム等の存在を前提にしたものであることは言うまでもない。

審査要旨

 「高齢者の世紀」とも言われる21世紀の日本、それも大都市とその周辺地域において今後ますます深刻化すると予想される高齢者介護・福祉問題に対応すべく、介護保険制度の2000年創設に向けた準備作業が精力的に進められている。しかし、「社会保障改革の橋頭堡」として位置づけられているこの制度は、定住人口の疎な農村部、とりわけ立地条件的に著しく不利な中山間農業地域の現状には、残念ながら馴染みそうにもないことが予想されている。

 本論文は、新たに導入されようとしているこのような介護保険制度の中山間農業地域から見た問題点を分析するとともに、それを通じて、中山間農業地域の実情に即した高齢者介護・福祉の在り方について考察を加えたものである。

 本論文では、まず新介護システムの創設構想をふまえた中山間農業地域の現状について分析している。すなわち、厚生省内に設置された高齢者介護対策本部の研究会報告『新たな高齢者介護システムの構築を目指して』は、「国民誰もが、身近に、必要な介護サービスが手に入れられるようなシステム」を構築していくため、「高齢者の自立支援」を新たな基本理念として既存制度を再編するとしている。そして、「高齢者自身による選択」を掲げ、「できる限り住み慣れた家庭や地域で老後生活を送ることを願っている」多くの高齢者が「無理なく在宅ケアを選択できるような環境整備を進め」、「特に、重度の障害をもつ高齢者や一人暮らしで介護が必要な高齢者については、24時間対応を基本としたサービス体制の整備」を進めるとしている。

 しかし、中山間農業地域の厳しい生活環境は、虚弱老人等の高齢(障害)者が居宅での生活を選択すること自体を極めて困難なものとするし、高齢者宅を訪問するホームヘルパー等にとっても、屋外の移動に要する時間とコスト、それに事故などのリスクも少なくない。このため、24時間対応を視野に入れた在宅介護サービスの提供を中山間地域においても普遍的に保障することは事実上不可能に近いとしている。

 さらに中山間農業地域における医療基盤と福祉サービスについて分析を進め、同地域における高齢者介護・福祉サービスの現状は、少なくとも現在までのところ、特段に見劣りするわけではなく、特別養護老人ホームの整備を初めとしてむしろ相対的には「充実」しているという。しかし、その一方で、高齢者介護・福祉のありようと密接不可分の関係にある医療基盤の整備、とりわけ地域医療の中核を担うべく医師の確保という点になると、今なお苦慮し、あるいは脆弱なサービス供給体制に甘んじている中山間地域の市町村が少なくないという。このような、中山間地域における脆弱な医療基盤と、いわゆる国民皆保険制度下において施設整備を中心に進められてきた高齢者介護・福祉の相対的な「充実」という「跛行的」な現状をふまえ、今後どのように対処していくのかが新介護制度の課題であるとしている。

 このような現状分析の上で、本論文は「農村型」システムの構成要件とそのフレームについてさらに考察している。すなわち、立地条件的に不利な中山間農業地域において、在宅≒定住指向が大都市・周辺地域よりも強い高齢(障害)者を対象に、「新介護システム」がいう「高齢者自身の選択」を実質的に保障するには、(1)比較的「元気」な虚弱老人等を含めて地域内を移動すること自体が多分に困難を伴う事への適切な対応に加えて、(2)高齢者を取り巻く生活環境と地域社会の現状に見合った、優れてローカルな「地域密着型」の自立支援システムを構築ないし再構築していくことが重要であり、そうした「農村型」システム構成上の要点は、(1)小規模「複合型活動拠点」を当該地域に賦存する遊休(化しつつある)保育園や集会所等の諸資源をも利用して出来るだけ多く分散配置し、ホームヘルパーや訪問看護婦等が高齢者宅を訪問する足場として活用すること、(2)さらにそれを比較的「元気」な高齢(障害)者等を対象とした簡易デイサービスセンター的機能をも兼ね備えた「活動拠点」とすること、(3)可能な限り、生きがい創造的「生産活動」を高齢者の機能訓練の一手法として組み込んだ(ミニ)デイサービスを農林業団体等の支援下に実施すること等が必要であると結論づけている。

 以上、要するに本論文は、新たに導入される介護保険制度の中山間農業地域からみた問題点の分析を通じて、中山間地域の実状に即した高齢者介護・福祉のこれからのあり方について実証的に解明したものであり、学術上、応用上寄与するところ少なくない。よって審査委員一同は、本論文は博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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